第9話 叶多のバイト先


「もうすっかり元気みたいだな、クロ!」


 夜の9時、バイト中。

 お客さんが捌(は)けて皿洗いをしていた叶多に店長が話しかけてきた。


「はい、おかげさまで」


 じゃぶじゃぶしながら返答すると、店長は「そりゃ良かった!」とニカッと笑った。


 叶多のバイト先である居酒屋『ぎるがめっしゅ』は、小田急線梅が丘駅から徒歩10分くらいのところにある個人経営のお店だ。

 

 テーブル席が3つ、カウンターが3席とこぢんまりとした店内。

 外装も内装も木を基調としており全体的に落ち着きがある。


 メニューは主に肉を中心とした創作料理やワインに合うチーズ系のおつまみ類など。

 飲み盛りの学生たちがどんちゃん騒ぎというよりも、そこそこ落ち着いた大人がゆったりと料理とお酒を楽しむ空間、といったお店だ。


 業務内容は主に接客やお酒作り、皿洗いとまあ、いわゆる雑用全般。

 シフトは基本週に3日。勤務時間は17時から21時半くらいまで。

 時給は1200円と、高校生のお小遣いにしてはそれなりの額を貰っている。


「先日はすみません、心配かけて」

「いいっていいって! むしろごめんな? やっぱ、無理にでも上がってもらえれば良かったな」


 店長は金色に染めたリーゼントとがっちりとした体格が印象的な32歳。

 奥さんと、5歳のお子さんがいるらしい。


「いえ、単に俺の体調管理不足なので……」

「高校生でそんな重く受け止めなくていーの! しんどい時には、しんどいっす! って遠慮なく言ってくれよ?」

「……はい、ありがとうございます」


 明るくてフランクで面倒見がいい。

 それが、店長に対する叶多のイメージだ。 


 江戸っ子というやつだろうか?

 わからないけれど。


「時にクロ」

「はい」


 店長とバイトという一応は上司と部下の関係ではあるが、店長は叶多のことを親しみを込めて『クロ』と呼んでいる。


「お前、彼女作らねえの?」


 皿落とすかと思った。

 思ったことをあけすけに言う性質は、人の感情を読むのが苦手な叶多的に大変助かっている。


 助かってる、が。


「藪から棒になんですか」

「いや、だってお前、高校生じゃん? 男じゃん? そりゃあ彼女の5人や6人いるもんだろ」

「待ってください。今、5人や6人って言いました?」

「うははっ、冗談だって。1人や2人、だな」

「いや、2人もいちゃだめでしょう」


 聞くにこの店長、学生の頃は相当な遊び人だったらしい。

 現在の奥さんと出会ってからは落ち着いたとのことだが、その部分(主に女性絡み)の価値観に関しては共感できそうにないと叶多は思っている。


「なになにー? なんの話ー?」


 そのタイミングで、お手洗いに行っていたお客さんがカウンター席に戻ってきた。


「つぐちゃんお帰り! 聞いてくれよ、クロ、今年までに彼女作るってよ」

「ええっ!? マジ!? 叶多くん片思い中!? どんな子、ねえどんな子!?」

「事実を歪曲して伝えないでください」


 カウンターから身を乗り出し目を輝かせる女性客に、叶多は冷静に突っ込んだ。


 双石(くらべいし)つぐさん、都内の大学に通う21歳。

 割とよく来る常連さんで、愛想の無い叶多に話しかけてくれる数少ないお客さんのひとりだ。

 

 つぐさんはすらっと背の高い綺麗な人で、大学生らしく染めた髪は軽くパーマがかかっており肩のあたりで揃えられている。

 最近のトレンドなのだろうか、上は両肩が露出したニット、下にはスタイリッシュなスキニーを履いていた。

 

「なんだー、冗談かー。でも、叶多くんなら全然あり得そうな話だよね!」

「どの要素を見てそう判断したのか気になりますね」

「ええー、だって叶多くん、雰囲気はクール系だし、目鼻立ちも結構整ってるじゃん?」

「とりあえず、つぐさんが幻覚を見るほど酔っ払っていることはわかりました」

「叶多くんひどい!?」


 がーん!

 とつぐさんがギャグ漫画みたいなショックの受け方をする。


「あー、でも、ちょっと生気弱めな魚みたいな目は改善したほうが良いかも」

「オブラートに包んでますがそれ、死んだ魚の目ってことですよね?」

「あとあれ! 叶多くん暗い! もっと明るくしないとっ」

「前言撤回します。よく見えてますね」

「うわははっ、卑屈すぎわろたー!」


 手を叩きながら大受けするつぐさん。

 その頬が赤いのは恐らく、かれこれ3時間摂取し続けている赤ワインによるものだろう。


「くぅー、盛り上がってきたわね! 叶多くん、赤ワインおかわり!」

「盛り上がらなくていいですから」


 伝票に赤ワインをつけて、キッチンに引っ込む。

 グラスに汚れがないか確認し、赤ワインをワインセラーから取り出す。

 計量カップで120mlを測ってから、赤い液体をグラスに注いだ。

 

「すっかり手馴れたな、クロ」

「もう半年目なので」


 このバイトは、高校入学後すぐに始めた。

 高校に上がると同時に姉が就職で都外に出て一人暮らしになったので、自分の生活費は自分で稼ごうというのがメインの理由。

 サブの理由に、自身の乏しすぎる対人コミュニケーション能力を少しでも改善したくて、というのがある。


 前者の理由は達成されているが、後者はなかなかに厳しい。

 小学生の頃から人との関わりを疎かにしてきたツケは、そう簡単に清算できるものではなかったと痛感している今日この頃である。


 と、叶多が回想に浸っていると、店長にポンとなにかを手渡された。

 ウォーマーで温められたおしぼり。


「おしぼりが汚れてきた時は、替えを渡したほうが良いぞ」

「……確かに、ありがとうございます」


 決められた業務はほぼそつなくこなすことが出来る。

 それ以上、お客さんへのプラスアルファの気遣いがまだまだ苦手だ。


 重要なのは恐らく、他者に対する思いやりの心。

 理屈ではわかっているが、感覚的にはどうもわからない。

 叶多の最もポンコツな部分である。

 

「赤ワインになります」

「ありがとうー! あっ、おしぼりも! 気が効くー!」


 あったかーいと、おしぼりで手をぬくぬくしているつぐさんを見て、なるほどこういうかと叶多はひとり納得するのであった。


「さて、じゃあワインも補充されたことだし、クロにどうすれば彼女が出来るか会議でもするか!」

「おー! いいねいいねー!」

「まだ続いてたんですか」


 時計を見ると、21時30分を回っていた。

 天が今のうちに逃げろと言っているような、素晴らしいタイミングである。


「俺、そろそろ上がります」

「おおっ!? 逃げるのかクロ!」

「警察から逃げる羽目になるのはごめんなので」


 都の条例で、高校生は22時以降の労働は禁止されている。


「うははっ、確かにな! じゃあ、今日はもう上がってよし!」

「はい、お疲れ様です」


 エプロンを片付け、冷蔵庫に貼られたカレンダーに今日の勤務時間を書き込んでからキッチンを出る。


「ええー、叶多くん帰っちゃうのー?」

「勤務は終わったので」

「夜も長いことだし、今晩はおねーさんとパーリナイしない?」

「もっと早い時間に、ウーロン茶でなら」

「真面目かっ」

「人並みには」


 またねーと、つぐさんの声を背中に受けつつ、叶多は店のドアを開けた。


「あ、お疲れ様です、黒崎さん」


 外へ出た途端、今度は正面から声がかけられた。

 予想外かつ唐突過ぎて、びくうっとなる。

 

「ゆ、夢川さん?」


 夜闇に負けない銀髪。

 澄んだ瞳、端正な顔立ち。


「はい、夢川です。こんばんは、黒崎さん」


 白音はぺこりとお辞儀をして、少々ぎこちなく微笑んだ。


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