第5話 眠り姫と迎えた昼
目覚めると昼だった。
ディスプレイに表示された12:03という表記を確認してから、スマホを閉じる。
身体に意識を向けると、熱はだいぶ下がっているように感じた。
まだ倦怠感はあるが、昨晩と比べたら雲泥の差である。
回復の早さからして、生活習慣崩壊による免疫低下が招いた一過性の風邪説が濃厚だ。
そろそろ生活サイクルを改めねばと、さほど大きくない決意と共に起き上がる。
ぼーっとする頭をぽりぽりと掻いてから、視線を横へ。
眠り姫はまだ夢の中だった。
小鳥のうたた寝のような寝息をすぅすぅと漏らし、枕を抱き締めて眠っている。
改めて見ると、白音はとんでもない美少女だった。
朝陽に反射してきらきらと輝く銀色の長髪に、新雪を思わせる白肌。
物差しで引いたように整った顔立ちには、すっと通った目鼻と、ぷるんとした桜色の唇がちょこんと乗っている。
学校の連中がこぞって「姫! 姫!」と呼ぶ理由がよくわかる。
どこかの北欧のお姫様として白音の画像が流れてきても驚くまい。
それほどまでに、白音は桁違いの美少女であった。
そんな彼女だったが、普段のおしとやかなイメージとは裏腹に寝相がちょっとだけ悪いようだった。
昨晩、彼女をしっかり包んでいたはずの掛け布団は開(はだ)けてお腹が出てしまっている。
薄桃色のパジャマも一部先|捲(めく)れており、シミひとつない脇腹が空気と直触れしていた。
寒そうだなと、疚しい気持ちも下心もなく、そっと布団をかけてやる。
その拍子に、視線がつい白音の体躯に吸い寄せられた。
身体の線は細い。
しかしよく見ると、出るところはちゃんと出ていて……。
「……っ」
なに見てんだ。
煩悩を振り払うように頭を揺らす。
叶多だって、一介の男子高校生である。
学年一の美少女の無防備な寝姿を目にし本能的な感情が動かない訳がない。
が、ここで邪な気を抱くのは駄目だろうと叶多は理性を強くした。
……さて、どうしようか。
静かに帰宅することも考えたが、流石に一言も残さないのは礼儀として良くないしセキュリティのこともある。
とはいえ、妙に覚醒した意識の中では二度寝する気にもなれない。
とりあえず布団を畳んだあと、ソファに腰を下ろしスマホを起動する。
充電24%。
昨日の朝から一度も充電してない割にはまだ残っている方である。
しばらく、Twitterでフォローしている漫画家さんの新作をチェックしたり、まとめサイトで今期アニメの情報をサーチしたりする。
一通り巡回したところでお気に入りのクイズ系ユーチューバーの新着動画を見ようとして、止めた。
危ない、起こしてしまうところだった。
また、だらだらTwitterのタイムラインをスクロールする。
充電が10%に差し掛かり注意アイコンが表示された時だった。
「んぅ……」
妙に色っぽい吐息と共に、布団がもそもそと盛り上がる。
「おはよぅ……ございます……」
「……おはよう」
眠気まなこをくしくしと擦る白音が叶多の姿を認めた途端、ぱぁっと表情を明るくする。
「おはよう、ございますっ」
「もう言った」
「あ、そうでした」
へにゃりと表情を柔らかくする白音。
なにがそんなに嬉しいのだろう。
「お布団、畳んでくれたんですね。ありがとうございます」
「いや……」
それは普通だろう、と言おうとしてやめた。
白音の感覚と自分とでは、気遣いの基準に大きなズレがあるようだから。
「わあ、もう1時っ」
なにか予定でもあったのだろうか。
「本当にぐっすり寝ましたねー」
違うらしい。
寝坊した時のセリフの筈なのに、白音はきらっきらに目を輝かせていた。
さっきから、なにがそんなに嬉しいのだろう。
「体調は、いかがです?」
「まだちょい熱はありそうだけど、だいぶマシになった」
「それはよかったです、本当に……」
ほっと、心の底から湧き出したであろう安堵を漏らす白音。
他人の体調にここまで感情移入できるものなのかと、叶多は不思議に思った。
「なにからなにまでありがとう。本当に、助かった」
改めて白音に向き合い頭を下げる。
「どういたしまして。大事にならなくて、本当に良かったです」
「重ね重ねになるけど、この借りはいつか必ず返す」
「いいですよそんな。困った時は、お互い様です」
天使のような言葉と笑顔に、叶多の気まずい部分が苦い顔をする。
これ以上、この場に居てはいけない。
そんな考えに苛まれた。
「……じゃあ、そろそろ」
「もう帰っちゃうんですか?」
「それ以外に選択肢がない」
「ありますよ。よかったら、お昼食べて行きません?」
わくわくと、どこか期待するような眼差し。
思考する。
接したのは1日にも満たないが、夢川白音という少女がどのような性質の持ち主なのかよくわかった。
心優しくて、面倒見が良くて、誰に対しても分け隔てなく接する善意の塊のような存在。
昼食の提案も、そんな善意から出てきたものなのだろう。
でも、だからこそ、叶多は首を振った。
その優しさはもっと違う誰かに与えられるべきであって、自分なんかに注がれるものではない。
という本心は隠して、建前を口にする。
「流石にこれ以上は、迷惑をかけるわけにはいかない。体調もマシになったし、電車も出ているから、大丈夫」
「別に、迷惑だなんて思ってないですのに」
「とにかく、大丈夫だから。気持ちだけ受け取っておくよ」
「むぅ……そう、ですか」
叶多の返答に、白音はしぶしぶ納得したようだったが、残念そうに眉を下げている。
心臓の奥らへんで、何かが擦れる痛みが走った。
「じゃあ、というわけで……」
「あっ、はいっ」
最後に、机の上のエナジードリンクの空缶たちをチラ見して玄関へ。
その後を白音がぱたぱたと追いかける。
「あのっ……!!」
玄関で靴を履いたところで呼び止められ、振り向く。
白音は叶多と視線を合わせ、目を逸らし、もう一度視線を合わせ、何か言おうと口を開き、しかし言葉は発さぬまま、閉じた。
「あ、いえ、えっと……なんでも、ないです」
何を言おうとしたんだろう。
気になったが、聞き返しはしなかった。
「……それじゃ」
「はい。今日明日はしっかり寝てくださいね。夜更かしは厳禁です」
おかんか。
「まあ……はい」
「よきです。では、お大事になさってくださいね」
ドアが閉まるまで、白音は朗らかな笑顔を浮かべていた。
最後まで何か言いた気だった、かもしれない。
マンションを出た途端、緊張感が一気に解れた。
足取りはいつもより重いが、しっかりとエネルギーが籠っている感じがする。
深めに息を吸いながら、梅ヶ丘の住宅街を歩く。
子連れの夫婦や大型犬を連れた老婦人。
外まで行列の出来た、お洒落な店構えのラーメン屋。
その前を、ベンツとBMWが颯爽と走り去ってゆく。
いつもの変わらない、東京都世田谷区の日常。
先程までの出来事が夢だったんじゃないかと思うほど、現実感のある光景だった。
信号待ちの最中、なにとなしにスマホを取り出す。
電源ボタンに触れるも、ディスプレイは真っ黒のまま。
電池切れ。
その事実が、昨晩から今日にかけて他人の家に泊まったことの何よりも証明だった。
夢ではなかったことを再確認したところで、だからどうしたという話だが。
借りは返すと言ったものの、直接的に何かをしようというわけではなく、幾らかの現金を渡す算段だった。
だからもう、直接的に関わることはないだろう。
そう思っていた、この時は。
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