第6話 眠り姫と月曜日


 土日は寝て過ごした。

 白音の言いつけを守ったというよりも、早く治さないと週明けのバイトに差し支えるという至極シンプルな理由で。


 惰眠を心ゆくまで貪った甲斐あってか、月曜日にはすっかり元の体調に戻っていた。

 ここ最近生活リズムが崩壊していたため、久々に清々しい気分で登校に臨むことができた。


 まあ、そのボーナスタイムのような清々しさは教室に入ったところで終わってしまったのだけれど。


「おはざま!」

「おお谷口、おはようさん!」

「おう。あれ、お前髪切った?」

「わかる? 実はさー」


 よくもまあ、毎日飽きもせず同じような会話に興じれるものだ。

 クラスメイトたちの中身のない雑談を聞き流しつつ、叶多はそのまま自分の席へ。

 一瞬、何人かにチラチラと視線を投げかけられた気がしたが、それだけだ。


 いつもなら前日の夜更かしを清算するため即刻机に突っ伏すところだが、今日はあいにく気分爽快である。

 鞄から一冊の文庫本を取り出す。


 タイトルは『東大クイズ研究部厳選! 世界一のクイズvol.12』


 タイトル通り、東京大学のクイズ研究部が考えたクイズブックである。

 小学生の頃、両親からVol.1をプレゼントされて以降、新作が出るたびに購入している至高のシリーズだ。


 朝の脳トレにはちょうど良いと、頭の中で一問一答を始めると、


「みなさん、おはようございます」


 しゃらんと、鈴の音が鳴るような声。

 それだけで、教室の空気が一変した。


「夢川さん、おはよう!」

「おはようございます、城山さん。そのネイル、可愛いですね」

「おはよう夢川さん! 今日も可愛いね!」

「おはようございます、高岡さん。いえいえ、とんでもないです」


 誰が来たのかは一目瞭然ならぬ一声瞭然だし、彼女がどのような状況になっているのかも見なくてもわかる。

 夢川白音。学年一の美少女であり、皆から慕われる憧れの存在。

 きっと今、彼女は何人もの生徒に囲まれ一人ずつ丁寧にコミュニケーションを取っているのだろう。


 これも、毎朝の光景だ。


 第10問目のクイズを解きながら、改めて叶多は思う。

 やっぱり、先日の出来事は夢だったんじゃないかと。



 ◇◇◇



 授業を聞かずとも成績が良い雰囲気天才的なヤツがクラスには必ず一人はいる。

 残念ながら叶多はその部類ではないため、授業が始まると同時にクイズブックを仕舞った。


 対照的に、授業開始後ものの5分でうとうとし始め机に突っ伏した白音。

 そのまま気持ちよさそうに、すやすやと眠りに落ちる。

 

 今からおそらく、授業が終わるまでこのままだろう。

 これもいつもの光景。彼女が”眠り姫”と呼ばれる所以である。


 記憶が正しければ、白音のこの習慣は高校入学後1週間目くらいから現れはじめ、2週間目にはもはやルーティーンと化していた。

 最初の頃は教師も注意をしていたが、第1回目の定期テストで白音が学年1位を取ってから何も言わなくなった。

 

 本校が都内でもトップクラスの進学校であることから、勉強さえできていれば何も言われないという風潮があるのだろう。

 事実、他のクラスにも同じような属性を持つ生徒はいて、実質放任されているような節がある。

 そういった天才タイプは変に抑圧するよりも自由にさせておいた方が彼らなりのペースが守れて良いし、進学実績にも良い影響をもたらす、という方針なのかもしれない。


 すぅすぅと、夢の中で授業を過ごす白音。

 まるで天使のお昼寝だと、クラスの誰かが言っていた。


 無防備であどけない寝顔をちらりと見やると、嫌でも思い出してしまう。

 枕を抱きしめ、すやすやと気持ちよく眠る白音、白い肌、意外に膨らみのある胸部……おいこら、授業に集中しろ。


 ぎゅっ、ぎゅっと何度か目を瞑って煩悩を追い出す。


 自分は天才じゃないんだぞ。

 ただでさえレベルの高い授業についていくには、しっかりと集中しなければならない。


 自分に言い聞かせ、叶多は教師の手によって舞い踊るチョークに意識を向け直した。


 ──脳裏を、エナジードリンクの空缶の映像が過ぎった。


 その途端、叶多は視線を再び白音の方に向けた。

 自分でもなぜそうしようと思ったのかはわからないが、そのまま白音の表情を観察する。 


 気のせい、かもしれない。

 もしくは、ひょっとしたらそうかもしれないというバイアスがかかっていたのかもしれない。

 

 叶多の目からすると、白音の寝顔は安らかにすやすや、というよりも、溜まりきった疲労を回復させる余裕のないものに見えた。

 例えるなら一夜漬けの勉強中、机に突っ伏して仮眠を取っている時みたいな……。


 頭に生じた違和感。

 その正体を掴む間も無く、1時間目終了のチャイムが鳴り響いた。

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