第41話 眠り姫と、親友の目撃
夕方。
東京タワーを後にして、叶多と白音は梅ヶ丘まで帰ってきた。
夕食までまだ時間があると、近所のカフェでまったりタイムを決め込む。
「楽しかったですねー!」
席に着くなり、白音は元気の篭った声で言った。
肩を左右に揺らし、足をパタパタ。
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「一日遊んだとは思えないテンションだな」
「そうですか? 私はずっとこんな感じですよ」
「言われてみればそうか」
「叶多君は」
ずずっと一口カフェラテを啜ってから、白音が伺うようにこちらをみてきて口を開いた。
「今日、楽しかったですか?」
訊かれて、どうだろう、と考える。
考える余地もなかった。
答えが出るのは一瞬だった。
「ああ、楽しかったよ」
本心だった。
友人と外で遊ぶという経験を長らくしていない叶多にとって、白音と過ごす外での一日は随分と楽しかった。
単に外で過ごしていたことが楽しかったんじゃない。
白音と一緒に過ごしたことが楽しかったんだろうと、考える予定のなかった事実に至る。
自分の中に再びこういう気持ちが芽生えるとは思っていなくて、一抹の驚きを覚えた。
叶多の返答に、白音は満面の喜色を浮かべていた。
「また、どこか一緒にい行きましょうね」
「ああ、また是非」
再び、驚く。
自分が予想以上に、白音との『また』に期待していることに。
「なんか、いいですね」
「というと?」
「休日に、お友達とふたりでカフェでまったり。憧れてたんですよね、こういうの」
「したことなかったの、そういうの?」
「いえっ、お友達とマックに寄ったり、カフェに行ったり、みたいなのはしたことあるのですけど、その……」
「ああ、眠気やばたにえん的な?」
「はい、やばたにえんでして、まったりって感じじゃなかったんですよねー」
ふにゃあと、白音がアメーバみたいに机に寄りかかる。
言葉の通り、生活リズムが逆転していた白音にとって、日中の活動はいわば不調の最中だったのだろう。
優しい白音のことだ。
誘いを無碍に断ることはせず、しっかりと付き合いもこなしていたのだろう。
「……すごいよ、ほんと」
「ふぇ? 何か言いました?」
「いや……俺はこうやって、休日にまったりカフェで過ごすとか初めてなんだけど……いいと思う」
「そうでしょう、そうでしょう」
ばっと起き上がり、目をキラキラさせながら頷く白音。
『喜』以外の感情をどこかに忘れてきたのだろうかとすら思うその笑顔に、思わず口元が緩む。
確かに言う通り、こういう休日も悪くないな。
コーヒーを口に含んだその時、
「しーちゃん?」
どこかで聞いた声が、自分たちのテーブルに向けて放たれた。
そのことに気づくのにワンテンポ遅れた。
「あー! 琴美さん!」
白音の声に弾かれて振り向く。
腰まで下ろした長い黒髪。
気の強そうな切れ長の瞳。
すらりと高めの背丈。
その少女には見覚えがあった。
というか先日睨まれた。
確か同じクラスの、名前は……。
「やっほ、しーちゃん、と……えっと、黒崎、だっけ?」
「どうも、九条さん」
社交辞令的な返答を口にして、ぺこりと頭を下げておく。
平静を装っているように見えて、内心は心臓バックバクだった。
琴美は叶多への会釈はそこそこに、白音へ視線を戻した。
「しーちゃん、黒崎君となにしてるの?」
「見ての通り、お茶してますっ」
「それは見ての通りだけど、その……」
「今日は、叶多君と一緒に遊んでいました」
おそらく、琴美が求めているであろう回答を先に白音が口にした。
どこで何をした、の詳細を明かさないあたり気を遣ってくれたのだろう。
「え、それって……」
琴美の表情が驚きに染まっている。
一方の叶多は頭を抱えたい衝動に苛まれた。
この状況は非常にまずい。
学園の眠り姫と称される一番人気の美少女が、クラスの中でも無の存在として知られる男子と、休日に二人きりでカフェで洒落んでいる。
それだけでもビッグニュースなのに、一日一緒に遊んでいたと第三者が聞いたらどのような想像を膨らますか、想像するに容易い。
「しーちゃん、まさか黒崎と……?」
あー、やっぱり。
「友達ですよ」
どんな言い訳をしようかと考えている間に、白音がきっぱり言い切った。
「叶多君とは、友達です」
にっこりと、はっきりと、白音は言った。
それ以上でもそれ以下でもない、といったふうな声色。
琴美が次の語を選んでいたかと思うと、次の予定があるのかスマホで時間を確認してから白音に言った。
「学校で、詳しく訊かせて」
「もちろんですよー」
シリアスな琴美の声と、ほんわかした白音の声。
別れ際、琴美は叶多に対し鋭い視線を贈った。
射抜く、といった表現がふさわしい、敵意とも取れる視線。
最後に叶多の背中に冷や汗を生じさせて、琴美はカフェを出て行った。
「ひゃー、まさか琴美さんと出くわすとは、思いませんでしたね」
再び二人きりになってから、白音が力が抜けたように言う。
「確か、ご近所さんなんだっけ」
「ですです。下北沢なので、二駅ですね」
なるほど。
神の悪戯が通用してもおかしくない距離感だ。
「さっきはその……ありがとう」
「なにがですか?」
「いや、俺たちの関係、いい感じに誤魔化してくれて」
「流石に、言えませんからねー」
白音が苦笑いを浮かべる。
「とはいえまた、叶多君にはしんどい思いをさせてしまいそうです」
しょんもりと、白音が申し訳なさそうに肩を落とす。
「こうなった以上、それは仕方がない」
週明けの学校でクラスメイトたちの視線に晒されるのは必然だろう。
琴美に今日のことをクラスメイトには明かさないでと頼む選択肢もあっただろうが、それだとかえって関係性に疑惑を持たれる。
さっきの白音の返答はおそらく、このシチュエーションにおける最適解だ。
「白音が気に病む必要は1ミリもないから、だから、気にしないで」
「……はい、ありがとうございます」
朗らかな笑顔を浮かべて、白音はぺこりと頭を下げた。
と、同時に。
くしゅんっ、と可愛らしいくしゃみが上がる。
「うぅ……誰かが噂をしているのでしょうか?」
「こりゃまたベタな。寒くない? 大丈夫?」
「大丈夫ですっ……くしゅんっ」
「……そろそろ切り上げるか」
「ほ、本当に大丈夫ですよ?」
「念のためだよ。なんか今日、フラフラ気味だったし、しっかり栄養とって、暖かくして寝た方がいい」
「今日は……」
言ってから、ハッと気づく。
「添い寝の日じゃ、ないんですよね」
あははと、白音が困ったように頬を掻く。
昨晩添い寝したから、今日は自分の家で寝る予定だった。
「……わかった、今日も泊まる」
気がつくと、そう言っていた。
「い、いいんですかっ?」
「構わない。どうせ明日も休みだし」
あと、なんだろう。
直感でしかないのだが、今日は白音を、しっかり寝かしたほうが良い気がした。
理由はわからないが、なんとなく。
「その……ありがとう、ございます」
「気にしない」
「今日、とびきり美味しい肉じゃがを作りますね!」
「いや、今夜は俺が作るよ。白音がゆっくり休んでくれ」
「ううぅ……なにからなにから、ごめんなさい」
「気にしない気にしない。じゃあ、行こうか」
「はいっ」
カフェを出ると、冷たい風が頬を撫でた。
本格的に冬の訪れを感じさせる外気に身を震わせると、右腕に温かくて柔らかい何かが絡みつく。
「し、しおん?」
「す、少しだけ、温まらせてください」
「えっと……」
「大丈夫です、周りに知り合いがいないのは確認しました」
「そういうことではなく……はぁ」
「い、嫌でしたか?」
右腕にかかる圧力が緩む。
「嫌じゃないよ」
反射的に返すと、白音は再びぎゅうっと、叶多の右腕に自分の両腕を絡ませた。
……嫌じゃないけど、心臓が持たない。
という本心は、胸の奥に押し込んで。
こうして、白音との一日が終わった。
たくさんの思い出と……一抹の違和感を残して。
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