第20話 眠り姫と油そば
「はわあああっ、美味しそうです!!」
夜、夢川家のリビング。
テーブルに並んだ特製油そばを前に、白音が目を東京の夜景のように輝かせている。
「んぅーーっ、美味しいです! これ、本当に美味しいです!」
輝きは食べ始めてから一層強くなった。
口を押さえ身体を左右に揺らし、足をぱたぱた。
全身で感情を表現しているその様を見て、今しがた摂取しているカロリーをそのまま消費しているんじゃないかと心配になる。
「大袈裟では?」
「とんでもないです! むしろ、身体ひとつではこの感動を表現できません! クローン白音に応援をお願いしたいくらいです!」
「なんだ、クローン白音て」
「白音10039号ちゃんを呼んできますね」
「やめろ、一方通行に殺される」
「でも本当に美味しいですよねー、これ」
先日の約束通り、叶多は白音に料理を振る舞った。
居酒屋『ぎるがめっしゅ』の〆メニューとして人気の高い『特製油そば』を、夢川家のキッチンで再現してみた。
調味料は店のものと違うが、見栄え的に結構うまくできたとは思う。
一口すすってみる。
……うん、美味い。
細部に微妙な違いはあるが、大枠は同じお店の美味しい油そばに仕上がっていた。
「この、旨味がどかーんてなった醤油ダレと、ちょっぴりつーんとくる酢の酸味が合わさってもう、胃袋が拍手喝采大喜びです!」
「なかなかに賑やかな食レポだね」
ずびぞびぞばーと、ラーメン系Youtuberを彷彿とさせるすすりっぷりを披露する白音。
清楚でお淑やかな印象が強かった白音が、男のがっつりメシの象徴たる油そばを豪快にすする姿はなんと言うか、親近感が湧いた。
「ちなみに、溶いた生卵に麺を絡めるとマイルドな味を楽しめる」
「なんと!」
生卵を小皿でかき混ぜ、そこに麺をリフトしずるずる。
「んぅーー!! 優しい味になりました!」
「でしょ」
美味しい美味しいと、一心不乱に麺をかき込む白音。
思わず、叶多は頬を掻いた。
こうも「美味しい」と言われるのは嬉しいと同時に、照れくさい。
まあ多分、長いことガッツリ系のご飯を食べていなかったから、『久しぶりに食べた○○は美味しい』の魔法がかかっているのだろう。
そういうことにして、胸のあたりのむず痒さを和らげることにする。
「だいたい生卵をつけると、どんな料理もより美味しくなりますよね」
「それはわからんでもない」
「名前ないんですかね、この法則」
「それは知らん」
「『エッグツケルト・ウマクナールの法則』とかどうでしょう!? 個人的にはエントロピーの法則やフレミングの法則と同じくらい重大な法則だと思うのです!」
「世界の物理学者に今すぐ土下座しようか」
「むむむ……じゃあ、『黄金旨味成分超新星的美味の法則』でどうでしょう!?」
「漢文かな? というか、黄金と黄身をかけたんだろうけど、うまくないからね?」
「『うまい』と『美味しい』をかけたのですね! 流石です!」
「まさかのカウンター食らった件」
他愛のないやりとりをしているうちに、麺はどんどん減っていった。
「あぁ……もう食べ切っちゃいました」
麺を食べ切りタレだけになった器を、白音が名残惜しそうに見つめている。
「ちなみに、このタレにライスを投入すると悪魔飯になる」
「神ですか!? というか、いろんな味を楽しめますね、油そば!」
「お好みで酢やマヨネーズをかけたりしてもウマーだぞ」
「まさに味変パラダイスですね!」
早速、白音がキッチンからライスを持ってくる。
「黒崎さんも、どうぞ」
「ありがとう」
器にドボン。
旨味と油と調味料が凝縮した濃いタレとライスを混ぜ混ぜ。
んむ、うまい。
これはまさしく、
「んぅーーーー!! やばいです、これは悪魔の味です!」
「背徳感すごいよな」
「高速道路を自転車で走ったらこんな気分かもですね!」
「それは道理に反し過ぎてない?」
「そもそも法に反してますね」
「誰がうまいこと言えと」
ばくばくと、レンゲでタレライスを口に運ぶ。
白音の笑顔が、より深いものになっていく。
なんだろうこの、一生懸命ひまわりのタネを頬張るハムスター感。
眺めているだけでこっちもほっこりしてきた。
締めのライスと合わせると結構なボリュームな気がするが、白音はたちまちのうちにライスも完食した。
小柄の割に、意外と胃袋は大きいのかもしれない。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした……でいいのかな?」
食後の挨拶に対する返答なんて、人生初めてではないだろうか。
「本当に美味しかったです。作ってくださって、ありがとうございます」
「気に入ってくれたようで、何よりだよ」
「はい! もう、大満足です!」
心の底からの、とびきりの笑顔が視界を満たす。
純度120%の感謝の表現に、胸のあたりが温かくなった。
自分が作った料理を人に食べてもらうのも、案外悪くないな。
そう思った。
「あ、黒崎さん」
「ん?」
「口のところに、タレがついちゃってます」
「うお、マジか」
恥ずかしい。
拭おうと、ティッシュボックスを探そうとする。
「こっち向いてください」
「むぐっ……!?」
いつの間にかティッシュを手にしていた白音に、口元を優しく拭われた。
きっと白音にとっては善意から来た何気ない行動だったのだろうが、叶多からすると不意打ちにもほどがあった。
「はい、綺麗になりました」
にっこりと笑う白音。
慈愛に満ちた、子供を撫でている時みたいな、柔らかい笑み。
お礼を一言を言えばいいはずなのに、叶多はぽけーと放心してしまった。
口を開けない。その代わりに、口元に指を当てる。
熱い。そのまま頬に移動させる。もっと熱い。
「……どうしました、黒崎さん?」
「あっ、いや……別に……」
こてりと小首を傾げる白音に、頭を掻きながら言う。
「その……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
屈託のない笑顔を浮かべる白音から顔を背ける。
たぶん、じっと観察されると顔が赤くなっていることを悟られてしまうから。
……ああ、くそ。
思わず、こめかみを抑える。
自分がわかりやすく照れてしまっていることに、叶多は改めて白音の異性としての魅力に意識を向けてしまうのであった。
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