第15話 眠り姫と迎えた朝
瞼を持ち上げると、目の前に天使がいた。
なんて書くと、儚い一生を終えて天国で目覚めた感があるけど、ただの比喩表現である。
目と鼻の先で気持ち良さそうに眠る美少女が天使ではなくクラスメイトであることを認識した途端、意識が氷水をぶっかけられたように覚醒した。
次々と流れ込んでくる昨日の記憶。
ああ、そうだ。
自分は、眠り姫こと夢川白音と添い寝フレンドになって、彼女の家で一晩を明かした。
別々の布団で寝る流れだったが、白音が寝落ちして一緒のベッドで眠ることに……ただの事故やん。
とはいえ、なにもなくて良かった。
純潔で、潔白のまま朝を迎えられたことに胸を撫で下ろす。
「……まぶい」
どうやら、電気をつけっぱのまま寝落ちしてしまったらしい。
自分も人のこと言えないと、頭を掻いた。
そっと上半身を起こして、左腕の自由が効くことを把握する。
代わりに白音は、枕を大事そうに抱き締めていた。
カーテンの隙間から差し込む朝陽に照らされた、あどけない寝顔。
その様はまるで、母親の胸の中で眠る幼子のよう。
そこで、気づく。
白音の頭の上らへんで、細い髪の束がぴよんと跳ねていることに。
たぶん、疚しい気持ちは欠片もない、善意だったんだと思う。
でもあとから振り返ると、寝ぼけていたとしか言いようがない。
叶多の右手が、白音の頭に伸びていた。
人差し指が、絹糸のような銀髪に触れるか触れないかのあたりまで伸ばされたとこで──。
ピピピピッ!!
けたたましいアラーム音が耳朶を打って、全身がびくぅっと跳ねる。
右手も一緒に引っ込んだ。
「んぅ……」
目元を億劫そうに絞る白音。
その間に、叶多は慌ててアラームを停止した。
「おはよー……ございまふ……」
ゆっくりと持ち上げられた瞼。
ハリの感じられないふにゃり声。
「ああ、おはよう……」
「……おやすみなさい」
「まてや」
「んにゃっ」
再び夢の世界へ旅立とうとする白音の額を人差し指でつつく。
「うぅ……私は除夜の鐘じゃないです……」
「気の早い正月だな」
「鐘の気持ちを知るには遅過ぎる人生でした」
「なにわけわからんこと言ってんだ」
「……起こしてください」
「急に正気になるんじゃない」
やれやれと、白音の両肩に手を添えて上半身を起こしてやる。
びよーんと、まるで首根っこを掴まれた猫みたいだ。
「んぅ……」
寝ぼけ眼のまま、きょろきょろと周りを見回す白音。
「あぇ……なんで黒崎さんが同じベッドに」
「またベタな記憶喪失を」
昨晩、一緒にクイズチョップを見ている途中に寝落ちしたことを説明してやる。
すると白音はみるみるうちに目を目開いて、かああぁぁっと顔を赤らめた。
「ほっ、ほんとごめんなさい!」
白音が勢いよく頭を下げる。
「ううぅぅ……いくら疲れてたとはいえ、私としたことが……窮屈でしたよね? 本当にごめんなさい!」
「い、いや、そんな謝るようなことじゃないって」
「……怒ってない、ですか?」
「むしろ怒る要素あったか、今の?」
ぷるぷると、怯える小動物のように訊いてくる白音に、冷静な言葉を返す。
「……ありがとうございます、その……優しいんですね、黒崎さん」
「別に、普通だろ」
ぶっきらぼうに返す。
もしかすると彼女は、少し気にしーな性格なのかもしれないなと思った。
「それはさておき、よく眠れたか?」
「あっ、はい! おかげさまで!」
ムキっと、キン肉マンポーズを披露する白音。
「ベッドでぐっすり寝られて、久しぶりに気分爽快です!」
「それはよかった」
てか、それが目的だったしな。
確かによく見ると、白音の瞳は普段にも増して爛々と輝いているように見えた。
「良質な睡眠って大事ですね。身体が、背中に羽が生えたみたいに軽いです」
「まあ、あんなに崩壊した生活リズムを送ってたら、そうなるわな」
「今なら私、学校まで羽ばたいていけそうです!」
「大丈夫? まだ夢の中にいる?」
「黒崎さんはどうでしたか?」
「えっ」
まさか感想を求められるとは思わなくて、返答にワンテンポ遅れる。
わくわくと、期待に満ちた表情。
「あー、うん、まあ……いつもより、ぐっすり寝られた、かも……?」
ぐっすりどころか、なんだろう。
冷え切った心の芯が溶けていくような、疲労とは別の何かも癒された気がした。
意外と添い寝、悪くないのでは?
という本心は、心の内だけに留めておく。
口にするには気恥ずかしい。
「おおっ、それは良かったです」
やたっと、嬉しそうに両拳を握る白音に、叶多は自分の体温がわずかに上昇する感覚を覚えた。
「準備……するか、学校の」
「あ、そうですね」
「とりあえず夢川さんは、寝癖、直した方がいいかも」
「はぇっ?」
親切心で教えてあげると、白音はぱっと自分の頭に手を添えた。
ぴょこんと跳ねている髪束の存在を認識するやいなや、白き頬が瞬く間に朱に染まる。
「ぅぅうう〜〜〜〜……」
発声器官にウイルスが侵入したかのような声とともに白音が立ち上がる。
よたよたぴゅーっと、おぼつかない足取りで白音は洗面台の方に引っ込んで行った。
1人残されてから、気づく。
あれ、もしかして、こういうのは言わない方が気が利く対応だったのではないだろうか、と。
つくづく、対人コミュニケーションは難しいと、叶多はベッドの上で頭を掻いた。
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