第25話 叶多と運動と、気遣い

 添い寝フレンドという関係性が巷では流行っている。

 いつだったか白音が言った言葉は、どうやら本当だったらしい。


 流行っている、と言っても日常会話レベルで使われる用語ではないし、実際にその関係性を結んでいるケースは身近には居ない。

 が、ググって『添い寝フレンド』に関するまとめ記事がちらほら出るくらいには、固有化した名称になっているようだ。


 どのサイトをクリックしても共通している要素は、

 『添い寝してくれるだけの友達』

 『お互いの寂しさや人肌恋しさを埋め合うのが目的』

 『好きという感情はない(芽生える場合もある)』

 このあたりだろうか。


 ただそれはあくまでも社会的な一般論、いや、その記事を書いたライターの持つ一主観でしかない。


 とはいえ今、白音と結んでいる関係性を俯瞰的に見れば上記の要素とマッチしている部分は多い、たぶん。

 目的の部分で言えば、彼女の体質がもたらす睡眠不足を解消するため、ではあるが本質的にはお互いの孤独を埋めあっている、のかもしれない。


 煮え切らないのは叶多自身、白音との関係性に対してどのような感情や認識を持っているのか曖昧なためだ。

 あくまでも人助けのためという体であるが、3回の添い寝を経て叶多自身、この関係性に前向きになりつつあることに気づいた。


 人との関わりを一切絶ってソロ生活を満喫していたが、意外と、誰かと一緒に過ごすのも悪くはない。

 そう思うようになっていた。


 ……まあ、だからと言ってなんだという話だが。


「クロ、その皿さっきからずっと洗ってねえか?」

「あ」


 3回目の添い寝から数日後、バイト中。

 店長の声で、思考の海に浸かっていた意識が現実に戻ってくる。


「すみません、ちょっと考え事をしてました」

「そうか、彼女が別の男とショッピングしているところを目撃しちまったか。うんうん、それは考え込んでしまうのも無理はない」

「いつから俺に彼女ができたんですか」

「でも大丈夫だ! そのパターンはきっと、クロのために誕生日プレゼントを選びたいがどんなものを買えばいいかわからない、そうだ、男友達に選んでもらおう、パターンだ!」

「意地でも俺に彼女がいることにしたいんですね。というか、ベタベタのベタ過ぎません、その展開?」

「ちなみに俺は高校の時に同じ体験をして、ショックで3日間家に引き篭もっている間に「女々しすぎてキモい」とフラれたことがある」

「ダメじゃないですか」

「そこから『男らしくなろう!』と筋トレに励んだ結果、今のムキムキボディを手に入れた!」

「誰得ですかその情報」

「よっ!! 筋肉の見本市ー!!」


 ムキムキっとポーズをとる店長に、カウンター席に座るつぐさんがけらけらと顔を赤くして言った。

 今日も今日とて、つぐさんはひとりで赤ワインをぐびぐびやっている。


「よし、クロ。明日から筋トレだ」

「どこがどうなってその結論に?」

「つぐちゃんを見てみろ、俺のキレッキレの上腕二頭筋に釘付けだぞ? 筋肉こそフェロモンの象徴、つまり筋肉は正義だ!」

「私、好み的にはほっそりした人がいいー」

「よしクロ、明日から断食だ」

「手のひらクルー速すぎません?」


 うわははっと、大ウケしたつぐさんが手を叩く。


「でも、叶多くんはちょっと運動した方が良いかもねー」


 つぐさんが叶多の身体を見渡して言う。


「いや、いいです。店長みたいな体型は目指してないので」

「クロ、時給90%カットな」

「とんでもないパワハラ店長だ」

「そこはムキハラだろう!?」

「ムキムキハラスメント、とかいう暑苦しいワードは辞書に登録されていなかったので」

「うははっ、ウケるー」


 店長と叶多のやりとりに、いちいちツボるつぐさん。


「でもあれよ、叶多くん。私が運動した方がいいって言うのは、肉体的な目的じゃなくて健康面よ。叶多くん、デフォルト顔色悪いし、生気薄いし、ストレス溜まってそうだから、これは定期的に運動した方がいい気がするなーって」

「健康……なんか、運動したら健康になるという都市伝説的なアレですか」

「どんだけ運動に対する信頼残高低いのよ」

「いや、知識としては知っているんですが……実際のところ、運動したらストレス解消されるんですか? 余計疲れがたまりそうですけど」

「いーい? 叶多くん」


 ぴんと、つぐさんが学校の先生みたいに人差し指を立てて言う。


「そもそもの仕組みの話なんだけどね、脳がストレスを感じると、副腎からコルチゾールっていうストレスホルモンが分泌されるの。このコルチゾールっていうホルモンが分泌されっぱなし、つまり、ストレスを受け続けちゃうと、海馬内の神経細胞が死んで萎縮して、精神的に辛い状態に陥っちゃう」

「なんか専門的な解説始まった」

「あっ、ごめんね、ちょっと小難しかったね。えーと」


 人差し指をくるくるさせてから、つぐさんが続ける。


「つまり! ストレス溜まったら、脳みそをグサグサー! って刺す液体が分泌されて、それが続くとずっとグサグサやられてるからしんどいよね、って話!」

「あ、なるほど、わかりやすい」

「よかった! で、運動をすると、一時的にはその液体が出ちゃうんだけど、終わった後はしっかり減っていくの。この、分泌、減少のサイクルを定期的に繰り返していると、液体の分泌量そのものが減っていくから、だんだん身体がストレスに強くなっていく、みたいな!」

「ふむふむふむ、なるほど……」


 理屈では理解できた。

 が、その納得感よりも、つぐさんの知識と難しいことを簡単な説明に置き換える変換能力に驚いた。

 赤ワインに溺れた呑んだくれ女子大生だと思っていたので、叶多の中のつぐさんに対する印象が変わった。


「細かい部分は端折ったけど、こんな感じ! ぶっちゃけ医学的にはまだあやふやな部分が多いんだけど、まあ、でもなんか、運動してスッキリしたら気持ちいいじゃない?」

「運動全然しないんで気持ちいいかはわからないですけど……」

「つまり、筋肉は正義ってことだな!!」


 おそらく、話の内容をあまり理解していない店長が再びムキッとポーズを取る。


「そう! まさに筋肉こそ健康への最高のソリューションね!」

「つぐさんにも手のひら返された件」

「まあ、冗談はさておき、運動の前にまずはしっかりとした睡眠と、健康的な食事をとることが大事なんだけどね」

「それについては仰る通りすぎますね」


 食事は専らコンビニ弁当、夜はアニメとYoutubeで夜更かし三昧。

 一人暮らしの典型的なグータラ生活を送っている自覚しかない。


「というかぶっちゃけ運動より睡眠が大事、マジ睡眠が命! 高校生は徹夜自慢とかしたくなるお年頃だろうけど、本当に寝ないのは寿命削っているのと同じだからなんとしてでも睡眠時間は確保して……」

「してたんですか、徹夜自慢」

「……受験がアルティメットキツすぎてつい……徹夜自慢でもしないと心の平穏が保てなかったの……若気の至りね」

「な、なるほど」


 大学では専らウェイ系サークルでパーリナイしてそうなつぐさんにも、机に噛り付いてガリガリ勉強していた時期があったということか。

 この店で呑んだくれてるつぐさんからは想像すらできないが。


 ……そういえば、つぐさんはどこの大学に通っていて、何を学んでいるのとか全然知らないな。

 まあ、聞くほど興味があるわけでもないけども。


「でもつぐちゃんの言う通り、睡眠と食事はしっかりしておいて損はないぞ? じゃないと、この前みたいに体調を崩す」

「……前向きに検討します」

「おいコラ前向きの癖に目を逸らすんじゃない」


 色々と改善した方が良いのはわかってはいる。

 とはいえ、ルーティン化した現在の習慣を変えるのはなかなかカロリーを消費する所業だ。


 まあ、現状で深刻な健康被害が出ているわけではないし、ゆったりと少しずつ変えていけばいいか。

 絶対に変わらないやつだと、内心で薄々思ったと同時に、テーブル席のお客さんがすみませーんと手を挙げた。

 

「いってきます」

「あ、クロ」


 伝票を手に取った叶多の肩を、店長が叩く。


「灰皿、いっぱいになってるみたいだから、ついでに代えてきてあげて」

「……ほんと、よく見えてますね」

「場数と、気遣いの意識づけが違う」


 ふふんと、店長が腕を組んで得意げにする。

 場数は積み重ねていくしかないが、気遣いの意識づけは、前よりも上手くできそうな気がした。

 なぜだろう。

 

 その時ふと、白音の顔が頭に浮かんだ。

 これまた、なぜだろう。


 不思議に思いつつも、店長から灰皿を受け取り、叶多はお客さんの元へ急ぐのであった。

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