学園の眠り姫と添い寝フレンドになった件

青季 ふゆ@『美少女とぶらり旅』1巻発売

第1話 眠り姫との出会い

「大丈夫、ですか?」


 10月、ある雨の日の夜。

 身体の倦怠感が限界を迎え、歩道脇の木陰でへたり込んでいた黒崎叶多(かなた)に声がかかった。


 重い頭をあげると、ぼやけた視界に傘を差した少女が映る。

 街灯に照らされた端正な顔立ちには、見覚えがあった。


「………………ゆめ、かわさん?」


 その苗字を口にするのに間が生じたのは、絶賛体調不良中で頭が回っていなかったのか、彼女ほどの有名人でも名前を思い出すのに時間がかかる叶多の社交性の無さゆえか。

 両方だろうが、要因としては後者に比重がありそうだ。


「はい、夢川です。夢川白音(しおん)……夢の川に、白い音と書きます」


 丁寧な自己紹介とともにぺこりお辞儀をする少女──白音。


「黒崎さん、ですよね?」


 叶多と違って、白音はスラスラとクラスメイトの名を口にした。

 そのことに一抹の驚きを覚えつつも、叶多は首を縦に振ることで肯定する。


「大丈夫じゃ、無さそうですね……というか、ずぶ濡れじゃないですか!」


 ぎょっとした白音がしゃがみ込み、差していた傘を叶多の頭上へ。

 冷たい雫たちが遮断され、頭の頂上からじんわりと熱が戻ってきた。


「ちょっと待ってくださいね」


 ごそごそと、白音がポケットからハンカチを取り出す。

 薄桃色のいかにも女の子らしいハンカチを、白音は何の躊躇いもなく叶多の顔に充(あ)てがった。


「いや、ちょ……いいって」

「ダメです、このままだと風邪引いちゃいます」


 もう引いてると思うんだけど。

 そんなツッコミは、白音の真剣な表情を見て喉の奥に引っ込む。


 元来、主体性が乏しい叶多は大人しくされるがまま。

 雨の匂いに混じって、洗剤の良い香りが鼻腔をくすぐった。


 ハンカチの陰から、クラスメイトの顔を改めて伺う。


 夢川白音。

 通称、”眠り姫”


 学校生活におけるほとんどの時間を眠って過ごしている事からその称号を贈られた。

 という経緯は、クラスで友達がいない叶多でも把握している。


 日常的に耳にする『眠り姫』というワードや、授業中ずっと夢の中にいるにも関わらず成績は学年トップレベルという特異性。

 それに白音の持つ類い稀なる美貌が加わり、ソロぼっちな学園生活を送っている叶多の頭に嫌でも存在をインプットされていた。


 人形のような、という表現でも足りないほど整った顔立ち。

 雪国の青空の如く澄んだ瞳や腰まで伸びた美しい銀髪は、北欧の血が混ざっているとしか思えない見事なモノ。

 身長は女子の平均よりちょい低めだが、それはむしろ庇護欲を掻き立てる魅力だとクラスの誰かが言っていた。


 内面においても、清楚でお淑やかで誰にでも優しく接することで評判が高い白音。

 まさしく、”姫”という称号にふさわしい性質を持ち合わせているのだろう。


 異性に興味を持つことが少ない叶多でも、白音に対し魅力を感じたことが無いといえば嘘になる。

 ただ、だからといってどうこうする話でもない。


 そもそも自分と彼女とでは、生まれ持ったDNAと現状の立場に差がありすぎる。

 白音が覚醒している貴重な時間を独占する権利を所有しているのは、いわゆるイケメンや美少女といったクラスのカーストトップの連中で、叶多のような影の者が入る隙もない。


 そもそも彼女ら以外の、一般的なクラスメイトにさえ話しかけることがない叶多にとっては雲の上の存在だ。

 自分と彼女とじゃ、下級兵士の靴磨きとお姫様くらいの落差があるだろうから、この先も関わることもなくそれぞれの丈にふさわしい人生を歩むことになるだろう。


 という認識だったからこそ、叶多は驚いた。

 まさか、姫の方から話しかけてくれた上に、私物のハンカチで濡れた顔を拭いてくれるなど夢にも思っていなかったのだ。


「これじゃ、焼け石に水ですね」


 白音の眉が困ったように下がる。

 叶多のずぶ濡れ加減が思った以上にひどく、ハンカチ程度じゃどうにもならないようだ。


「今、帰りですか?」

「一応……」


 なんだ、一応って。

 こういう時に適切なコミュニケーションがわからず、叶多は日頃のソロ生活を少しだけ後悔する。


「なるほど。家は、どちらですか?」

「……世田谷代田」

「隣駅だったんですねっ」


 わあっと口に手を当てる白音。

 その声に弾んでいるように聞こえたのは、気のせいだろうか。


 こほんと咳払いをした白音が問いを重ねる。


「まさか、歩きですか?」

「いや、電車」

「ですよね。でも、駅まで距離がありますし、その身体では……」


 しばし考え込む素ぶりを見せた後、白音は「よしっ」と何か決めたような瞳で頷く。


「待っててください。タオルと傘、持ってきます」


 確か、この先ちょっと行ったところにファミマがある。

 そこで諸々を買ってきてくれる、のだろうか。


 叶多の手に白音が傘を持たせたところで、いやいや待て待てと、周りに流されやすい叶多の理性が声をあげた。


 何故、一言も話したこともないクラスメイトにそこまでのお節介ができるのか。

 人の厚意に慣れていない叶多にとって不思議でしかなかった。


 というかそもそも、俺に傘持たせたら君が濡れるじゃないか……。

 思い至ったところで、叶多は立ち上がる。


「それは……大丈夫だから」

 

 正直今の体調的にその申し出はありがたいことこの上ないのだが。

 人と深く関わることに消極的な叶多にとって、これ以上の厚意を受けることは憚られた。

 なにか裏があるんじゃないかという邪推と、借りを作りたくないという小さなプライドがそうさせた。


「ま、待ってくださいっ……」

 

 ぱしっと、手首を掴まれる。

 放って置けませんと言わんばかりに。


 白音の瞳に、邪な感情は伺えない。

 ただただクラスメイトを心配する、純粋な憂いの色が浮かんでいた。

 

 ああ、と流石の叶多も理解する。

 きっと、夢川白音という少女はただただ純粋で優しい性分なのだろう、と


 でも、だからこそ。

 自分なんかに構うべきではない、とも思った。


 白音に傘を返し、震える言葉で言う。

 

「傘と、ハンカチ……ありがとう」


 白音の手を優しく離して、再び歩き出す。


 ──どうやら、自分が思っている以上に身体にガタが来ていたらしい。

 ただでさえおぼつかない足取りに、雨により摩擦係数が下がった地面。


「うおっ……」

「黒崎さんっ」


 転んだ。崩れ落ちるように。


 前のめりに突いた膝に痛みが走る。

 アスファルトについた掌からひんやりと固い感触が伝わってくる。


 腕にも足にも力が入らなくて、そのまま起き上がることができない。


 白音が切迫した声でなにか言っている。

 多分、大丈夫ですか的なことを。


「……大丈夫だ」

「大丈夫なわけないでしょう……!?」

 

 服が濡れるのもかまわず、白音は叶多の腕を自分の肩に回した。

 小さな体躯から伝わって来る柔らかい感触、甘ったるい匂い。

 朦朧とした意識のまま、白音の肩を借りて立ち上がる。


「もうちょっと頑張ってください。私の家、すぐそこですから」


 ……私の家? 


 浮かんだ問いを口にすることもできない。

 白音に引きずられるようにして、叶多は重い足取りを動かした。


 これが、眠り姫こと夢川白音との、長い関係の始まりであることも知らずに。

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