第2話 眠り姫の看病

 意識が覚醒する。

 すぐに叶多は、自分が見知らぬ部屋の、寝転んだ覚えもないベッドに身を預けている事に気づいた。


 知らない天井だ。

 お決まりのフレーズを呟く気力も湧かず、そのまま何秒かぼんやりと過ごす。


 思考は靄がかかったように朧(おぼろ)げで、状況を飲み込めない。

 とりあえず、鉛のように重たい上半身を起こしてみる。


「…………へ?」


 ベッドの端。

 叶多から見てすぐ右に、両腕を枕にしてくぅくぅと寝息を立てる天使──夢川白音がいた。

 

 思い出した。

 バイト終わり、体調不良のなか傘も差さずに帰る途中。

 力尽きて座り込んでいたところに白音がきて、それで──。


 ──もうちょっと頑張ってください。私の家、すぐそこですから。


 そうだ。

 白音の肩を借りて、どこかへ連れて行かれたんだ。

 どこかへって、ここなんだけど。


 私の家、ってことはつまり……ここは眠り姫こと夢川白音の家で、このベッドは彼女の寝床というわけか。

 ふむふむ、状況が飲み込めた。


 ……いや、ふむふむじゃねえ。


 身体に意識を向ける。


 まだ熱っぽく頭もぽーっとしているが、睡眠をとった事によって体調は幾分かマシになっていた。

 ここ最近不規則な生活が続いていたから、季節の変わり目と疲労が重なって免疫が弱まっていたのかもしれない。


 水気を帯びていたはずの全身は、いつの間にか乾いていた。

 ふかふかのバスタオルで頭をわしゃわしゃ、ドライヤーで服をゴーゴー乾かされた記憶が蘇る。


「ねえ」


 声をかける。

 ぴくっと、小柄な体躯が震えるも、起きる気配はない。


「あの……」


 すぅすぅ。


「……」


 布団で覆った手で、白音の肩を揺らす。

 異性に直で触れることに後ろめたさがあった故の行為だが、逆に不審者感があった。


「んぁっ」


 びくんっと、釣りたての魚みたいに白音が跳ねた。

 眠気まなこがきょろきょろと周りを見回した後、叶多を真正面に捉える。


 うっ、と思わず叶多が後ろに引くと、半目をカッと見開いた白音が身をバッと近づけてきた。


「私、もしかして寝てました!?」

「…………ね、寝てたぞ?」


 白音の問いを、言葉の通りに受け取った叶多は事実だけを述べる。


 寝るつもりはなかったが寝落ちしてしまった、不覚。

 的な焦りや罪悪感を抱いたのだろうか、と勝手に推測する。


「はあぁ……やっぱり……」


 いや、推測は外れているかもしれない。


 感覚を確かめるように手をぐっぱーぐっぱーする白音。

 その表情から読み取れる感情は……驚きと、喜び?


「あ、ごめんなさい! 体調悪いのに」

「いや……」


 ぱっと身を戻した白音に、尋ねる。


「今、何時?」

「えっと……夜の1時ですね」


 白音が部屋の一方向を見つめて答える。


「ごめん、こんな夜遅くまで」

「気にしないでください」


 にぱっと、万人を安心させるような笑顔を浮かべる白音。

 部屋の明かり以上の眩しさを感じて、叶多は思わず目を細めた。


「あ、そうだ」


 白音がガサゴソと、コンビニ袋を出して叶多に見せる。


「とりあえず色々買ってきたんで、少しでも胃袋に入れておきましょう」


 ポカリを手渡された。


「食欲は、ありますか?」

「ちょっとは食べれる……かも」

「よかった。あ、おかゆ苦手だったりしませんよね?」

「しない、けど……」

「よしっ、じゃあ、チンしてきますね!」

「え、ちょ……」


 待って。

 ぴゅーっと奥に消えていく背中を引き留めることもできない。


 正直、善意とはいえこれ以上施しを受けるのは気がひけるのだが。

 小さく息を吐いた後、ポカリのキャップに指をかけるも一瞬躊躇う。

 しかし喉の渇きには勝てず、ゆっくりキャップを開けて口に含んだ。


 甘い。

 カラカラだった喉を、優しい液体がゆっくり潤していく。

 もっと飲みたいという本能に従って、ペットボトルの角度をあげる。


「ゲホッゲホッ……」


 思った以上のポカリが流れ込んできて普通にむせた。

 

「だ、大丈夫ですかっ」


 ぴゅーっと戻ってきた白音が叶多のそばに膝をつく。

 それからよしよしと、労わるように叶多の背中を撫でた。


 他人から優しくされる経験に乏しい叶多は、白音の行為に対して正しい感情を持つことができない。

 温かいような、苦しいような、変な心持ちだった。


「ごめん……ほんと、色々と」

「気にしないでください。黒崎さんは病人なんですから、看病するのは当たり前です」


 ……それが、一ミリも交流のないクラスメイトでも?

 浮かんだそんな問いを口にするのは違うだろうと、さすがの叶多もわかった。


 それからしばらくして、白音がおかゆを作って持って来た。


「自分で食べられますか?」

「さすがにな」


 苦笑いを浮かべつつ、ほかほかと湯気が立つおかゆをおぼんごと受け取る。

 おかゆには、昆布や梅干しといった身体に優しそうなトッピングが添えられていた。


 久々の食物を目にして、空っぽの胃袋がきゅっと締まる。

 食欲に操られるまま、スプーンでおかゆを口に運ぶ。

 美味い。弱った胃袋を、優しい成分が包み込んだ。


 そのままモグムグとおかゆを頬張る叶多に、白音は我が子を眺めるような温かい眼差しを向けていた。

 

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