第3話 眠り姫の提案
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
おかゆはあっという間に空になってしまった。
お皿を洗いにいく白音を無言で見送ってから、叶多はなんとなく部屋を見回す。
家族で暮らすには狭く、一人で住むには広い部屋だ。
築年数が浅いのか、全体的に小綺麗で清潔感がある。
家具はタンス、ソファ、木目調のテーブル、大きめのテレビ、勉強机といったベーシックなもの。
床には可愛らしいカーペットが敷かれていたり、タンスに小物類が飾られてあったりと、女の子感も伝わってくる。
無論、女の子の部屋のテンプレートがどんなものかは知らないので、ただの勘であるが。
「ん……?」
その中で、おおよそ女の子の部屋に似つかわしくないオブジェを発見し視線が吸い寄せられた。
クリームカラーの勉強机の上。
びっしりと付箋が貼られた参考書類の山に混じって、緑や赤や青といったカラフルなドリンクの空缶がずらりと並んでいる。
寝不足気味なサラリーマンを強制的に覚醒させるエナジックな代物の残骸だ。
モンスターに変身できそうなものや、ゾーンに入れそうなものなど、豊富なラインナップである。
手持ち無沙汰になっていた思考が勝手に走り出す。
授業中は爆睡しているにも関わらず、成績はトップレベル。
その秘密の一端を垣間見てしまった気がした。
ハリウッド映画よろしく世界の秘密を知って立ち向かう主人公的な気概の持ち合わせは無いので、見なかった事にする。
そして今気づいたが、自分が寝ているベッド。
底の浅いマットレスタイプのものだが、やけに大きいな。
ダブルサイズ? クイーンサイズ?
どの部類かは定かではないが、とにかく大きい。
大人二人寝そべっても間に余裕がありそうだ。
「これ、よかったらどうぞ」
白音が、翼を捧げるタイプのエナジードリンクを持ってきた。
「けっこう風邪に効くんですよ、これ」
普通に手渡される。
「レッドブルが、お気に入りなのか」
「そうなんですよー。一気に飲みきるにはちょうど良いサイズ感で、味も美味しくて、それで…………え?」
しまった。
あまりにも自然な流れだったから、さっきの光景を見なかったことにしてない返答をしてしまった。
しゅばっと、白音が勉強机のほう──エナジードリンクの空缶たちを見て、すぐ視線を叶多に戻す。
ぷるぷると震える色の良い唇、小さな両肩。
心なしか目元も潤んでいるような。
「……見ました?」
「……まあ」
ここで気を利かせて嘘をつけるほど、叶多は器用ではない。
「あ、あれはっ、なんでもないです! えーとえっと、そ、そう! 好きなんです、色が! だから集めてるんです!」
「お、おう。綺麗だもんな、並べると。前にエナジーしか売ってない自販機の画像がツイッターで流れて来たときつい、いいねしたし」
良かった。
気を利かせてフォロー、程度のスキルは所有していたようだ。
ツイッターのくだり謎すぎるけど。
「……本当に? 気にならない、ですか?」
じっと、懇願するような上目遣い。
その破壊力は抜群で、叶多の体温が余計に上昇する。
「あ、ああ……別に、気にしない」
「良かった……」
白音がほっと息をついて、胸に手を当てた。
しかしまあ、エナジー中毒が露呈したくらいでこんなに慌てるものなのかね。
けっこう、人の目を気にするタイプなのだろうか。
清楚でお淑やかな学年一の美少女が、実はエナジー狂でした。
個人的には面白いギャップだとは思うのだけれど。
風邪にエナジードリンクってどうなんだろうと思いつつも、栄養剤としての効果を期待して流し込んでおく。
甘ったるい人工甘味料の味をむせないように堪能してから、改めて白音に向き直って言う。
「色々、ありがとう。めっちゃ助かった」
「いえいえです。少しでも元気になったようで、なによりです」
淀みのない純度100%の笑顔を向けられて、胸のあたりがちくりと痛む。
他人の善意に慣れていない叶多のキャパはとっくにオーバーしていた。
これ以上、彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。
「……たくさん迷惑かけて、ごめん。この借りは、後日必ず返す」
吃(ども)った早口で言って、ベッドから降りる叶多。
早く、この場から立ち去りたい衝動に駆られていた。
まだ熱を帯びた身体はふらついているが、歩けないレベルではない。
一歩踏み出そうと足を上げる。
「ちょっと待ってください」
がしっ。
手首に、ひんやりとした感触。
「どこ行くつもりですか?」
「帰ろうかと」
「終電もないのに?」
「……歩いて帰れない距離ではない」
「そんなフラフラな状態で、ですか?」
至極真っ当な意見である。
でも、だったらどうすれば良いのだ。
まさか、泊まっていけだなんて言うまいな。
「今晩は遅いですし、泊まっていってください」
言うんかい。
「あの、さ」
「はい」
「この家は、家族と?」
「いえ、一人暮らしですが」
「だったら、その……いろいろとまずくないか?」
「……? なにがですか?」
きょとんと小首を傾げる白音に、マジか、と思う。
本気で自覚が無いのだろうか。
もしくは、人の悪意に鈍感な世間知らずか。
それとも……。
「えっと、たいして面識のない男が、女の子の一人暮らしの家に泊まるのは、いろいろとアレというか……」
「あっ……!!」
本気で自覚がなかったようだった。
かあぁっと、クリーム色の頬がいちご色に染まる。
「や、ちがっ……別に深い意味はなくてっ……さ、さっきのは忘れてください! いや、でも……まだ具合悪そうですし……どうすれば……うううぅぅぅ」
わたわた、おろおろ。
わかりやすく混乱している白音を見て、叶多は一つの確信を深めた。
相当な天然モノだ、この子。
加えてウブときた。
こりゃ、学年中の人気を一身に集めるはずである。
これ以上、邪推するのも面倒になってきた。
回らない頭でどういう選択をするのが最適か論理を組み立てて、言葉にする。
「紐、ある?」
抑揚のない叶多の問いに、あぅあぅしていた白音が動作を止めて首を傾げる。
「ダメ男さん?」
「それはヒモ男。落ち着け」
「あ、ロープの方ですか。でも、なぜです?」
「手を縛ってくれ」
「……そういう趣向の方ですか?」
「ごめん、説明不足の極みだったわ」
落ち着くべきは自分の方か。
強張りを解すように息を吐いてから、順を追って説明する。
「夢川さんの言うように……終電はもうないし、体調も悪い。家に帰ってもひとりだから……もし倒れた時のことを考えると、ここで一泊するのが合理的な選択ではある」
一拍置いて、付け加える。
「…………夢川さんが、いいのであれば、だけど」
妙に喉がカラカラなのは、一息に喋ったからではない。
異性に「泊まらせてください」と申し出るのがこんなにも緊張するものだとは知らなかった。
「黒崎さんも、一人暮らしなのですね」
「ああ、うん、まあ……」
ふんふんと興味深げに頷く白音に言葉を続ける。
「とにかく……夢川さんからすると、たいして知らない男子を泊めるのはアレだろうから……なにも出来ないよう、手を縛って寝るのが妥協案かなと」
言い終えてから、妙な間があった。
白音は新種の生物を発見したかのようにぽかんとしている。
無言の時間に耐えきれず、「すみません変なこと言ってほんとごめんなさい」と今度こそ退散しようとした。
その寸前、くすりと、小さな笑い声。
「黒崎さんって、面白い人ですね」
「初めて言われた」
そもそも、姉以外とこんなに話すのも久しぶりである。
「でも、大丈夫です」
柔らかい口調で白音が言う。
「病人さんを拘束するようなことはしませんよ。それに、話したのは少しかもしれませんが、私は……黒崎さんがそういうことしない人だって、わかってますから」
何を根拠にしているのだろう。
気になったが事実、叶多は自分が女の子と二人きりという状況下においても決して手を出すことがない人種であるという確固たる自信があった。
それが、学園で姫と呼ばれるほどの美少女であってもだ。
「……ありがとう。じゃあ一晩だけ、お願いします」
改めて、厚意を受け入れることにした。
邪な気持ちは一ミリもなく、あくまでも非常事態として、やむなく。
「はい」
にっこりと、白音は微笑んだ。
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