第43話 眠り姫とおかゆと


「37.2度か」


 翌朝。

 いつもより早めに起きて白音の熱を測ると、だいぶ平熱ラインまで戻ってきていた。


「やっぱり、一過性の風邪でしたね」


 布団の中。

 まだほんのりと赤い顔で、白音が言う。

 

「身体の具合は?」

「だいぶ良くなりました。今ならコサックダンスくらいなら踊れそうです」

「シベリアの冬景色みたいな顔色で言われても説得力皆無だぞ」

「ロシアのダンスだけにですか」

「でも実は、コサックダンスはロシアじゃなくてウクライナの民族舞踊だったりする」

「へええ、そうなのですね、初知りです」

「まあ知ってても使い所がない知識ではあるが」

「無駄な知識なんて無いのですよ。少なくとも、私は知れて嬉しかったです」

「……そうか」

「……さてと、じゃあ、朝ごはん作りますね」

「いやいやいやいや」


 起きあがろうとする白音を慌てて抑え込む叶多。


「俺が作るから、ゆっくり寝てて」 


 叶多が言うと、白音はしょんもりと肩を落とした。


「昨日からなにからなにまで、ごめんなさい」

「そんな顔するなって」

「でも……」

「本当にいいんだ。むしろ、俺の方がいつも世話になってるし」

「……? いつも、お世話?」

「あ、いや……なんでもない……」


 きょとりとする白音に、叶多が吃る。


「えっと、お粥なら食べられる?」

「お粥食べたいです」

「おっけ。じゃあその間、ゆっくり寝てて」

「はい……ありがとうございます」

「ちなみにお粥なんぞ人生で一度も作ったことないから、仕上がりは期待しないでくれ」

「大丈夫ですよ……どんなお粥が出来上がっても、きっと美味しいので」

「お粥ライセンスなんて持ってないぞ、俺」

「優しさライセンスです。私を気遣って作ってくれたものですもの、絶対に美味しいに決まってます」


 ふわりと、白音が天使みたいに笑う。

 その顔でその言葉は反則だろうと、嬉しさ半分、緊張半分な心境。


「流石に、土偶がぶっ刺さったお粥は食べられませんが……」

「土偶が混入する調理場ってどうなってんだ」

 

 それからスマホで検索をかけて、レシピを参照しながらおかゆを作る。

 幸いなことに、叶多はアレンジを一切しないレシピに忠実タイプのため、細かい部分に若干の差異はあるもののちゃんとした『おかゆ』が出来上がった。


 ほかほかと湯気を立てるお粥と、滋養強壮的な栄養ドリンクを朝食とする。


「美味しい、です」


 一口目のスプーンを咥えたまま、白音が頬を綻ばせて言う。

 空腹だったのか、はむ、はむ、と小鳥が餌を啄むようにお粥を頬張る白音。


 表情を幸色に染める白音を見て、叶多はほっと胸を撫で下ろした。


「なんだか、初日を思い出します」


 懐かしむように白音が言った。

 

「ああ、確かに」


 叶多が体調不良でバイト帰りにぶっ倒れて、白音に部屋に担ぎ込まれた日のことだろう。

 あの日は、叶多が病人で、白音が看病してくれた。


「あれから、二ヶ月経つんですね」

「早いもんだな」

「なんだか、不思議な感じです。あの時は、まさか叶多君とこんな関係になるとは思っていませんでした」

「俺も、同感だ」

「何があるか、わからないものですねー」

「だな」

「……」

「……」


 かちゃかちゃと、朝ごはんを口に入れる音だけが部屋に響く。


 なんだこの空気。

 話題のせいか、嫌でも意識してしまっていた。


 白音との関係性。

 自分にとって、白音はどういう存在なのか。

 白音にとって、自分はどういう存在なのか。


 関係性といっても色々あるが、なにぶんこれまで人と人との関係をおざなりにしていた叶多にとって、上記の問の答えを導き出すことは困難であった。

 

 

「きょ、今日は学校、行かない方が良いよな」


 なんだか居心地が悪くなって、話題の舵を思い切り切る。


「そ、そうですねっ……大事をとって、今日はお休みしようと思います。叶多君は、そろそろ準備しないとですね」

「いや、俺も休むよ」

「えっ……あ、わわわっ」


 白音が滑り落ちそうになったスプーンを慌てて持ち直す。


「ど、どうしてですかっ?」

「どうしてって……白音、まだ熱あるし、俺がいないと寝られないから……」

「で、でもっ、それで叶多君まで休んでもらうのは、申し訳なさすぎます!」

「俺のことは気にしないでいいから、俺がしたいだけだし」

「き、気持ちだけで充分ですよお……私は大丈夫ですから……いざとなった、行きつけの図書館とか、家電量販店とかんぁっ……」


 最後、白音の声が変なことになったのは、彼女のそばにやってきた叶多がその小さな頭を撫でたからだ。


「こんな時くらい、頼ってくれ」


 すき心地の良い銀の髪ぽんぽんと撫でながら、叶多は言った。

 色々と理由はあるが、集約するとこの一言に尽きる。


「白音?」


 俯いたまま言葉を発さない彼女に声をかけると、銀髪が、宙に舞った。


「うおっ……」


 急に、なんの前触れもなく、白音が叶多の背中に腕を回したのだ。

 

 少し速めの吐息。

 甘い香り。

 熱を灯した体温。

 柔らかい、鼻先がくすぐったい。


 様々な五感情報が一気に流れ込んできて、叶多は思わず飛び退きそうになった。

 だが、座った体勢のままそんな器用な芸当ができるはずもなく、叶多は為すがまま白音の抱擁を受け入れてしまう。


「お、おい……」

「ありがとう……ございます」


 胸の中から、声。

 

「その……お恥ずかしながら……ひとりぼっちだと、寂しいなって、思っていたので……」


 ぎゅうっと、細い両腕に確かな力が込められる。


「だから……嬉しい、です」

「……そうか」


 ごくごく自然な流れで、叶多も白音の背中に両腕を回した。

 理由はない、ただそうしたいから、白音を抱き締めた。


 温かい。

 シャンプーとも違う、甘い匂いがする。 

 

 確かな”他者”の存在感。

 

 それから、白音の身体の華奢さというか、儚さを感じた。

 こんなに小さな体で頑張ってきたのだと思うと、心臓を麻縄で締め付けられるような、痛みが走った。


 どのくらい、そうしていただろうか。

 多分、十数秒だろうが、叶多には長距離バスに乗っていたかのような長い時間に感じられた。

 

 これといった合図もなく、白音の身体を解放する。

 白音は見てわかるくらい、ぽーっと放心してた。

 彼女の視界には叶多の姿ではなく、ファンシーなお菓子の国が映っていそうだ。


「ご、ごめんなさいっ……なんか舞い上がってしまって、つい……」


 顔一面をりんご飴みたいに赤くする白音に、なんと返すのが正解なんだろう。


「食器、片付けてくる」


 戦略的撤退である。

 色々ともう持たない。


 空になったお皿と栄養ドリンクを持って台所に逃げ込んだ。


 顔が熱い。

 息が荒い。

 心臓がはち切れそうだ。


 熱を冷ますように冷たい水で皿を洗い終える。


「えっと……瓶は……」


 確か、この3段ボックスのどこかだった気が。

 一番上を開ける。


「──!?」


 全身に帯びていた熱が、一気に冷え込んでいく感覚。


 一番上の段は、『缶』のゴミ箱だった。

 

 開けたまま、身体を硬直させてしまう。


 溢れんばかりにぎっしりと捨てられた、赤や緑やオレンジの缶。

 色とりどりのエナジードリンクの残骸に、叶多は視線を捕まえられたかのように動けなくなった。



 本当に、白音の体調不良は季節の変わり目のせいなのか?



 しばらくの間、そんな問いが頭の中をぐるぐる回っていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る