第38話 狐の嫁入り


 階段を上り切った先にあったのは小さな神社。

 古ぼけて、今にも崩れそうな程にボロボロなご様子。

 そんな建物の前に置かれた賽銭箱に腰かけた、一人の女性。


 「まぁた、随分と面白そうなのが入って来たね? 坊や達、迷子かい?」


 クスクスと笑う彼女は、非常に長い黒髪を揺らしながら怪しい光を閉じ込めた様な瞳をこちらに向けて来る。

 着崩した着物から見える肌は驚くほど白く、幻影の様な印象を抱かせる妖艶な姿。

 婀娜あだという言葉を形にした様な女性が、艶めかしく唇に舌を這わせる。

 あぁ、なるほど。

 コレはとんでもない物を引いてしまった様だ。


 「幸太郎……あの人」


 震えながら此方の袖を掴んでくる美鈴が、ガチガチと奥歯を鳴らしながら俺の背中に隠れた。

 そう、それが正しい判断だ。

 彼女は他人の“嘘”に気付く。

 そして目の前にいるのは、嘘の塊の様な存在。

 いくら美しく怪しげな女に化けた所で、俺達の様な人間からした“化け物”にしか見えないのだ。


 「初めまして、私は“語り部”。結 幸太郎と申します。こちらに、もう一人女性がやって来ましたよね? 彼女を返して頂けますか? 大事な依頼人なもので」


 挨拶を交わしながらスッと頭を下げてみれば、彼女は可笑しそうククッと喉を鳴らした。

 見れば見る程吸い込まれそうな瞳を歪めて、どこまでも楽しそうに頬を綻ばせる。


 「あぁ今しがたいらっしゃったお嬢ちゃんの事かい? 食っちまった、と言ったらどうする?」


 挑発する様に、白い腕をこちらに向けて手招きしてくる。

 掛かって来いとでも言う様な、もしくは情熱的に男を誘っている様なその動作。

 だが。


 「その場合は今すぐにでもお暇させて頂きます、ココに居る意味もありませんから。ソレに、コレ以上狐につままれるのは御免ですからね」


 微笑みを返しながら懐から扇子を二本取り出し、静かに両手に掴んだ。


 「へぇ、面白い物を持っているね? でも、そうつれない事を言わないでおくれよ。こんな所にずっと居ると退屈でね。退屈で退屈で、悪さの一つでもしてやろうかと思ってしまう程だよ。ねぇ、坊や。語り部だというのなら、何か話を聞かせてくれないかい? 面白い話を聞かせてくれるのなら、さっきの嬢ちゃんを返してあげるよ?」


 ニッと口元を吊り上げた彼女が指を鳴らせば、神社の奥から何か引きずられる様に“ユズポン”さんが現れた。

 気を失っているのか、それとも死んでいるのか。

 ピクリとも動かずに、ズルズルと引きずられて来た彼女の首には首縄が巻かれている。


 「随分と個性的な首輪ですね」


 「ハハッ、坊やは面白いねぇ。分かっている癖に、歪曲した物言いをする。それも語り部の癖ってヤツなのかい?」


 彼女が笑えば首縄の先が小屋梁こやはりに巻き付き、ユズポンさんの首が僅かに持ち上がった。

 あぁ、なんとも性格が悪い。


 「語ってくれるよね? 語り部の坊や。私を楽しませておくれ」


 「こうなっては仕方ありませんね、良いでしょう。狐のお嬢さん?」


 語らえというのなら、語ってやろうではないか。

 俺は語り部、それこそ本業なのだから。


 ――――


 「幸、雪奈さん……アレって」


 幸太郎の背中に隠れながら二人に静かな声を上げてみれば、二人から冷たい視線が返って来た。


 「美鈴ちゃん、絶対に主様の背中から出ない様に。アレは、ちょっと不味い」


 珍しく冷や汗を流している雪奈さんが、スッと手を添えて更に幸太郎の後ろへと追いやった。

 その掌は、少しだけ震えている。

 それくらいに、ヤバイ相手って事なのだろうか?


 『下がっておけ、小娘。あの狐、“九本”はないが相当育っている』


 尻尾を太くしながら正面を睨み続ける幸。

 視線を追って、先程の女性を覗き見てみれば。


 「ヒッ!」


 私は、嘘を見抜くのが得意だ。

 嘘をつく相手は、嘘の空間は。

 何処までも“淀む”のだ。

 幸太郎には“空気がウザくなる”なんて言った記憶もあるが。

 とにかく気持ち悪いのだ。

 胸がムカムカするというか、居心地が悪いというか。

 今まではそう感じていた。

 だというのに、今回の相手はどうだ。

 空気云々じゃない、毒素でも振り撒いているんじゃないかってくらいに“気持ちが悪い”。

 全部だ、全部嘘なのだ。

 “嘘”が集まって出来た存在の様に感じる程、眼前に居る彼女は歪だった。

 ちょっとエッチな格好をしている美しい女性。

 の、様にも見えるが。

 片目を閉じてみれば。


 「“アレ”は、何?」


 『よく覚えておけ、アレが本来の“妖怪”ってモノだ』


 幸の言う通り、というかソレ以外の言葉が見つからない。

 彼女の周りにユラユラと揺れる数本の尻尾。

 狐の面を被り、その女の周りには霧の様な何かが蠢いている。

 気持ち悪い、とにかく気味が悪いのだ。

 見ているだけで背筋が冷える様な、この世に絶対存在しちゃいけない様なソレ。

 そんな物が、今目の前に居る。

 怪異に遭遇しても、こんな事を感じる事は無かった。

 悪意のある“箱庭”に居た時だって、そんな風には思わなかった。

 “アレ”は、規格外だ。


 「こ、幸太郎……」


 目の前に立つ広い背中に手を触れてみれば。


 「美鈴、仕事だ。この空間の“嘘じゃない何か”を捜せ」


 「え?」


 「多分、一人になる。しかし探せ、妖怪と争いになれば君は戦う事が出来ない。だから、戦わずして勝て。それが出来るのは恐らく、美鈴だけだ」


 正面を向いたまま、幸太郎は静かに言葉を紡いで来た。

 戦うの? あれと?

 いくら何でも無理な気がする、今まで出会った怪異以上にヤバイ感じのする化け物。

 だというのに、彼は正面を睨んだまま私に仕事をくれた。

 怪異を祓う事の出来ない私に、唯一出来る仕事を。


 「原因を捜せば、いいんだよね?」


 「その通りだ」


 チラッと視線だけこちらに向け、ニッと小さく口元を吊り上げる彼に頷いて返しながら、私は周囲に視線を投げた。

 私にしか出来ない仕事、彼はそう言っていた。

 だったら、やらなきゃ。

 皆で帰るように、依頼人を無事に取り戻す様に。


 「まだ準備に時間が掛かるかい? 待つのは得意だけれども、退屈は苦手なんだ」


 彼女がそう呟けば、また少し依頼人の首に巻き付いた首縄が上へと引っ張られた。


 「あぁ、コレは失礼。では始めましょうか? コレはとある伝承から派生した上に、幾つもの解釈がある、面倒くさいお話です――」


 その言葉を風切りに、彼は語り始める。

 今日も今日とて、“語り部”という仕事を開始するのであった。


 ――――


 狐の嫁入りという言葉がある。

 様々な説が唱えられるソレだが、場所によってはそもそも“狐”の妖怪ではないとされる説もある。

 狐や狸と言った、“化かす”とされる存在。

 そういったモノの総称であり、実際には全く別物であったり、交じり合った“ナニか”であったり。

 とはいえ語り継がれたからには、人は想像するものである。

 次の語り手は自らのイメージも織り交ぜて伝え、更にその次は新たな話を盛り込んで広めていく。

 まるで伝言ゲームの様に、“架空の化け物”を多くの人々が想像し、そして生まれる。

 怪異とはそういうものだ。

 コレは、そんな伝言ゲームの様な果てに生まれた、醜い化け物のお話。

 登場人物たちは子供も子供。

 だからこそより曖昧に噂をまき散らし、より鮮明に恐怖を抱いてしまった。

 そんな彼らから生まれた、一匹の妖怪の話だ。


 ――――


 「ねぇねぇ、今度のお祭り誰と行く?」


 そんな話題で賑わっていた。

 小学生の夏、それは誰しも遊びたい盛り。

 今週末に迫った夏祭りの話題で、クラス中が持ちきりになっている。

 誰々を誘おう、皆で行こう、男の子でも誘ってみようか。

 もはや固定となった女子のグループで、私達は会話に華を咲かせていた。

そんな時だった。


 「な、なぁ。今度のお祭り、俺と一緒に行かないか?」


 一人の男子が、私の肩を掴んでそんな事を言い放ったのだ。

 周りの女子はキャーキャーとはやし立て、クラスに居る男子もヤンヤヤンヤと騒ぎだす。

 それでも彼は、真っ赤に染まりながらも真剣な顔で私の事を見つめていた。

 だからこそ、私も彼の気持ちに答えた。


 「いいよ、一緒に行こう」


 とても短い返事だったが、彼は安堵した微笑みを溢していた。

 ちょっと年齢的に早い気もするが、私はデートと言うヤツをする事になった様だ。

 相手も嬉しそうにしていたし、私自身彼の事が嫌いではない。

 だから、これで良かったんだ。

 そう、思っていたのに。


 「それじゃぁさ、デートにピッタリの場所を教えてあげる」


 仲の良かった友達の一人が、私の耳元でそんな事を呟き始めたのであった。


 お祭り当日。

 私は慣れない浴衣で、相手は甚平。

 動きづらそうにしていた私を、彼はたどたどしくもエスコートしてくれた。

 色々な出店を周り、お財布が随分と軽くなるまで遊び続けた。

 日も陰り、徐々に暗くなるお祭り会場。

 そろそろ花火の時間だ。

 何てことを思った時、ふと友人が言っていた事を思い出したのだ。


 『すっごい静かで、綺麗に花火が見られる場所を教えてあげる』


 だ、そうだ。

 その事を伝えれば、彼もまた笑顔で首を縦に振った。

 そんな訳でお祭り会場を離れ、ちょっとした山道を進んで行く私達。

 会場から離れた事で明かりも少ないし、街頭も無い事から少しだけ怖いと感じる程。

 でも、今は一人じゃない。

 二人して手を繋ぎながら、私達はひたすらに歩いて行った。


 「……話を聞いた限りだと、そろそろなんだけど」


 「……うん」


 いい加減不安になって来た頃、道の先に提灯の様な明かりが見えた。

 もはや花火がどうとかの前に、この真っ暗な空間から逃げ出したかった私達は、その明かりに吸い寄せられる様に走り出した。

 いつの間にか周囲を覆い始めた霧に、ぼんやりと映る明かりの数々。

 そして、シャンッシャンッと鳴り響く鈴の音色。

 もしかして、こっちもお祭り会場だったのだろうか?

 ぼんやりと考えながら明かりに向かって走っている私の手を、急に彼は引っ張って来た。


 「違う、アレは……違う。隠れよう」


 「え?」


 男の子は慌てた様子で私の手を引っ張りながら、脇の茂みに身を隠した。

 一体何が起こったのだろう? 折角の浴衣なのに、こんな所に入っては汚れてしまう。

 ブスッと不機嫌そうな顔を彼に向けてみたが、彼はすでにこちらを見ていなかった。

 カタカタと小さく震えながら、茂みから少しだけ顔を出して“その先”を覗いていた。


 「き、来た……絶対気付かれないで」


 一体何が来たというのか、何をそんなに恐れているのか。

 興味が湧いた私は、彼と同じように。

 少しだけ茂みから顔を出して、先程の明かりの正体を覗いてみた。

 すると。


 「……なに、これ?」


 「“狐の嫁入り”だよ」


 私達の前には白装束の連中が列を成して歩いていた。

 鈴を鳴らし、明かりを持って、誰もが一言も喋らずに歩いていた。

 異常。

 ただそれだけしか感じない。

 そして何より歩いている皆の顔が、“見えない”のだ。

 まるで顔面に穴が開いて、その上からもやが掛かったみたいに。

 そんな連中が、ゾロゾロと歩いて来る。


 「狐の嫁入りは、参加しちゃいけない。気づかれちゃいけないって、お父さんが言ってた」


 「気づかれたら、どうなるの?」


 「連れていかれるって、そう聞いてる。帰って来られないのはもちろん、花嫁になった“狐”は“花開く”事が出来るんだって」


 「どういうこと?」


 正直、意味の分からない言葉の連続だった。

 半分も理解出来ない。

 でも、目の前の光景は異常なまでに怖い。

 だからこそ、二人でガタガタと震えながら肩を抱き合っていた。

 すると。


 「こっちに向かったって話を聞いたけど……どこだー!? こっちにいるのか!?」


 「全く、何だってこんな所に……おいどこに居る!? 早く帰るぞ!」


 私達が来た道の先から、二人の男性がライトを片手に山を登って来て居るのが見えた。

 その声を聞いて、思わず立ち上がりそうになった。

 しかし、隣の彼に抑えられた。


 「なんで!? お父さん達が迎えに――」


 「ダメだ! 俺と君のお父さん達は……多分見えてない」


 は? と思わず声を返してしまったが、次の瞬間にはソレが分かった。

 白装束達を無視して、その人波をかき分けるようにして、両親たちは進んでくる。

 私達の元へと。

 そして。


 「ねぇ……ねぇ! アレ何!? アレは何なの!?」


 「分かんないよ!? 僕にだって分からない! でも駄目だ、今向こうに行っちゃ駄目だ!」


 白装束に囲まれた中心。

 担がれていた神輿みこしから、一人の女性が出て来た。

 その姿は周りと同じく白い着物を身に纏い、顔には穴が開いていた。

 まるで渦巻く様に、何かを取り込む様に。

 真っ黒い穴が開いている。

 だというのに、他の者と違い口元はしっかりと形作られているのだ。

 その口が、視線の先で吊り上がった。

 嬉しそうに、楽しそうに。

 獣みたいな八重歯を見せながら、ニヤッと吊り上がった。


 「ダメ、駄目だよ……」


 ブツブツと呟きながらも、その光景を眺めて居るしかなかった。

 怖くて、膝が震えて。

 全く動けなかった。


 「どこだー!? 何処に居るー!?」


 「この辺には居ないのかもしれませんね、もっと先の方へ行って――」


 お父さん達が会話をしている間に歩み寄った“彼女”は、嬉しそうに両手を拡げながら彼のお父さんに齧りついた。


 「え?」


 外傷が出来た訳じゃない、血が噴き出した訳じゃない。

 だとしても、何かしらの違和感を覚えたのだろう。

 噛みつかれた首元に手を当てながら、ピクリとも動かなくなってしまった。

 更には。


 「あ、が。ががっ、うがぁあ?」


 訳の分からない言葉を溢しながら、口から泡を吐き始める。

 その様子に慌てたお父さんがその人を支えるが。


 「ダメ」


 あの女が、今度はお父さんの方へと向き直っている。


 「駄目だよ、お父さん」


 小さな声を溢しながら、必死に手を伸ばした。

 届かない言葉、届かないこの腕。

 その先で、私の父は。


 『共に、生きマショう?』


 彼女のその一言共に、顔面の穴に飲み込まれた。

 まるで頭から丸呑みでもするかの如く、膨れ上がった頭部がお父さんを飲み込んでいく。

 悍ましい光景を、一部始終を。

 最初から最後まで、私は目に焼き付けてしまった。


 「お、とう……さ」


 「シッ、駄目だよ。もう駄目だ。“アレ”はもう、“花開く”」


 私の口を押えて身を顰める彼の言葉を耳にして、“あぁ、なるほど”と思ってしまった。

 さっきまで白い化け物だったソレが、周囲の化け物達さえ飲み込み始めた。

 そして、最後に残った彼女は真っ赤に染まった着物をその身に纏いながら、ただただ笑っていた。

 顔面の穴は徐々に肉で塞がっていき、妖艶とも言える素顔の女性が誕生した。

 その光景を見て、思わずポツリと言葉が零れ落ちる。


 「あぁ……“咲いた”」


 彼女は笑い声を上げながら、誰もいなくなった赤い大地に踊っていた。

 彼女と言う花が、一凛の大きな花が。

 今この時に誕生した。

 “狐の嫁入り”っていうのはきっと、相手を探す儀式なんだ。

 自身の穴を埋めるための、“相手”で補う為の儀式。

 いつの間にか降って来た冷たい雨に身を濡らしながら、私の父を奪った相手を見つめていた。

 恨み言だったり、憎しみが湧いて来てもおかしくないのに。

 ただただ喜びを浮かべながら笑う彼女は、美しかったのだ。

 どこまでも壊れていて、どこまでも狂気に満ちているというのに。

 まるで子供みたいに笑う“化け物”が、目を奪われる程美しいと感じてしまったのだ。

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