第11話 勘違いの末
「おっぇ……」
隣から、そんな声が聞こえて来た。
視線を向かわせれば前回の依頼者、栗原さんが口元をハンカチで押さえながら青い顔をしている。
頼むから、そこで吐かないで下さいね?
「あ、あの……」
同じく、随分と弱々しい声をあげるのは今回の依頼者。
普段ならこんな幼い女の子に語って聞かせる内容ではないのだが……まあ今回は仕方がない。
「その後って、どうなったか聞いてもいいですか?」
やはりこういう話は、一番怖い所で切るに限る。
なんて思ってみたりもする訳だが、続きというのは誰しも気になるモノらしい。
幼子でさえ、恐怖に顔を青くしながらも続きを求めてくるのであった。
「結局その家族の衰退は止まらなかった。引っ越しをしても、家庭の問題が解決しても“彼女”は現れ続けたそうだ」
「じゃ、じゃぁその人たちは……」
最悪の結末を予想したのだろう、ごくりと唾を飲み込んだ彼女は俯きながら視線を逸らす。
だが。
「そんなことは無いよ、安心して? 彼女等は、引っ越した先に“とあるお店”を見つけたんだ。そこに相談に行き、全てを話した」
「それって……」
「そして店主は似たような過去の出来事を語り、その家族は“祓ってくれ”と依頼を出したんだ。その結果、彼女達の元に“女性”が現れる事は無くなったそうだ」
めでたしめでたし、とばかりに両手を広げて見せれば、周囲からは喝采も拍手も聞えてはこなかった。
ま、そうですよね。
やれやれと首を振って、ため息を一つ溢そうかとした所で。
「私の事も、助けてくれますか?」
目の前から、その言葉は聞こえて来た。
視線をやれば、力強く……そして何処までも渇望する眼差しがこちらを射抜いていた。
だからこそ……“私”は笑って見せるのだ。
「もう依頼は受けておりますからねぇ。しかも、その作業の真っ最中です。ご心配なく、小さな可愛らしい“お客様”?」
「……っはい!」
これは仕事だ、当然お金が必要になる。
そしてその代金は、もう“受け取った”。
そういう意味も含めて、飄々たる店主を演じて見せれば。
彼女はこの店に来てから一番の笑顔の華を咲かせるのであった。
「では、最後の一枚。引いてみましょうか。ソレが最後の鍵であり、決定打になり得ます。心の準備は、よろしいですか?」
「……はいっ! 大丈夫です!」
どこか心持が変わったのか、決意とも言える雰囲気を晒しながら、少女は最後のカードを目の前に持って行った。
そして……。
「あの、これってどういう意味なんでしょう?」
首を傾げながら裏返したそのカードには、絶対に見たくない言葉が描かれていた。
『早急に対処すべし。もはや手遅れに近い、“見られている”』
それは依頼主にではなく、“俺達”に向けられた言葉。
その文字の羅列が見えた瞬間、俺は立ち上がった。
同時に膝の上に控えていた幸も飛び降り、更には中立と言える位置に腰を下ろしていた雪ちゃんも。
全員が全員、険しい顔を浮かべながらそのカードを睨んだ。
「幸、栗原さんを守れ! 雪ちゃん、零ちゃんを!」
声を上げるのが先か、それとも変化が起こったのが先か。
少女の眼の前に置かれた鏡から、“黒い霧”が突如として溢れ出した。
その勢いは怒涛の如く、あっという間に少女の事を包み込んでしまう。
ソレはまるでこの場に居る全員の視線から、彼女を隠そうとしているかのような動きだった。
――――
急に暗くなった室内。
黒い煙の様なモノに巻かれ、閉ざされた視界の中に薄っすらと明かりが見えた気がした。
そちらに歩いて行ってみれば、そこには幼稚園の時に大好きだった先生が微笑みを浮かべていた。
『どうしたの零ちゃん。そんな泣きそうな顔をして』
相も変わらず優しい微笑みを浮かべる彼女を見るのは、随分と懐かしいと思えた。
それほどまで記憶に刷り込まれるくらい、彼女の事が大好きだった。
「あのね、せんせー。怖い事があったの」
意識することも無く、今よりもずっと幼くなった私の体が、勝手に言葉を紡いでいく。
まるで他者の視点になったかのように、私はぼんやりとその光景を見つめていた。
『そうなの? どんな事があったの?』
あくまで笑みを崩さず、彼女は幼い私に質問を返した。
そして、私は全く警戒心さえも見せぬ様子で彼女に身の上話を語って聞かせるのだ。
「お母さんが死んじゃったり、新しいお母さんが来たのに、変な事ばっかり起こるの。だからレイは、皆から気持ち悪いって除け者にされちゃって……」
……おかしい。
私の母が死んだのは、確かにずっと前だが。
幼稚園の頃の話ではない。
だからこそ、こんな話をこの“先生”に伝えた記憶などないのだ。
新しいお母さんを迎えてから、頻繁に起こり始めた“怪奇現象”。
だからこそ、母が怒っているのだと思った。
再婚した父を、その事を受け入れてしまった私を。
だからこそ、原因は“母”なのだと思っていた。
『そっかぁ、じゃあずっと先生が零ちゃんの事を守ってあげるよ。先生は零ちゃんの事が大好きだし、零ちゃんのお父さんも大好きだから。ずっと一緒に居てあげられるよ?』
「ほんとにー!?」
口から零れる嬉しそうな言葉とは裏腹に、私の心はどんどんと冷めていく。
なに? どういうこと?
私のお父さんが大好きって、一体何?
そして何よりも、微笑んでいるその顔に違和感が拭いきれない。
人の顔色ばかり見るようになった私だからこそ分かる。
先生の“眼”、全然笑ってない。
そこにあるのは何処まで薄暗く、よどみ切った瞳だった。
彼女は私の幸せなんて欠片も望んではいない。
ただただ“何か”を期待し、渇望している。
そういう、欲望に塗れた人の眼をしていた。
『だからさ、今度零ちゃんの家にお邪魔してもいいかなぁ? お父さんとゆっくり話して、ずっと一緒に居るって約束をしなくちゃいけないから』
「いいよぉ!」
止めて、お願いだから。
勝手に進んでいく会話を眺めながら、私は吐きそうな気持ちになっていた。
歪んでいる、どこまでも狂っている。
今になったからこそ分かるが、確かに彼女……先生とは似たような会話をした記憶がある。
当時は良く分からなくて、大好きな先生がずっと一緒に居てくれるのだと喜んでいたが。
“コレ”は、絶対に間違っている。
『それじゃー、零ちゃんも先生と一緒に居てくれるって約束をしよっか。ホラ、ゆびきりげんまん』
そう言って差し出される彼女の小指。
その指に、幼い私は指を掛けようとして……寸前で止まった。
『零ちゃん? どうしたの?』
不思議そうに首を傾げる彼女に向かって、“私”はようやく……口を開けることが出来た。
「私を散々苦しめていたのは……先生だったんですね。この“約束”が、私を縛っていたんですね」
その瞬間ピシリッと音を立てて彼女の表情が変わった気がした。
思えば、状況は違っても似たような“約束”を交わした記憶があった。
そして、数年後。
正確には父が再婚した辺りで、先生が死んでしまったと、風の噂に聞いた。
子供だからなのと、『仲が良かった先生だから』と大人たちに伏せられていた事も影響して、私に知らせていなかったのだろう。
それでも“噂”というのは、誰の耳にでもふとした瞬間に入ってくるモノだ。
「ずっとお母さんなのかと思っていました。だって、お父さんが再婚してからだったんですもん。“おかしな事”が起こり始めたの」
私の言葉を、彼女は黙って聞いていた。
その笑みも、ほの暗い瞳も。
まるで固まったかの様にそのままで。
「でも、違ったんですね。原因は先生だったんですね? だからこそ、“語り部”のお兄さんは、さっきの話を聞かせてくれた。私の間違いを正さないと、誤認したまま“祓う”事になるから。それは、あまりにも悲しい”勘違い”だから」
すぐさま私に“憑いている”霊を祓った場合、間違いなく私はお母さんを“悪霊”と認識したままだっただろう。
その誤認識に、彼は気づかせてくれた。
いつだって優しかった母は、私を苦しめたりしていなかったのだ。
「だから、もう止めてください。私は、ソノ約束は出来ません。私は私で、私の家族は……新しい道を歩み始めました。だから……諦めてください。ごめんなさい」
神庭治 零という少女は、人の眼を……大人の眼を気にするばかり、周囲の小学生とは違い大人びていた。
怪異に煩わされる事も手助けとなり、様々な調べものに手を出した。
その結果なのだろう。
幼いながらも、“先生”の恋心に気付いてしまった。
ソレが原因となり、今の自身に影響を及ぼしている事も察してしまった。
勿論それは語り部の話、言葉あってのモノではあったが。
「私は、私の家族と。そして私自身と向きあって生きていきます。だから、貴女を入れてあげる隙間がありません。ごめんなさい」
完膚なきまでの拒否。
言葉は直接的だが、本来であれば当然の判断であろう。
妻子を持つ夫に、部外者である彼女が取り入ろうとした行為。
それは許されるモノではない。
言葉の上では正論であり、何も間違ってはいない。
ただし、私はまだ知らなかった。
人間とは欲深く、そして何処までも諦めが悪い生き物なのだという事を。
『うふふ、面白い事を言うね零ちゃん。でもね? 関係ないんだよ、そんな事』
「え?」
優しい笑顔のまま、彼女は少女の手をつかみ取った。
その腕はいくら振りほどこうと払っても、逃げられることは叶わない。
まるで万力に閉められているかの如く、ミシミシと鈍い音を上げながら私の手首を押しつぶす勢いで握りしめていった。
『関係ないの、零ちゃんの意見は』
「い、いたっ! 離してください! 先生、先生っ! 折れちゃう!」
『だから、そんな事関係ないのよ。私が求めているのは“彼”だけ。貴女の事なんか、彼と仲良くなる“きっかけ”に過ぎないの。それなのに再婚したのが昔のブスの後輩ってどういう事なの? なんで? どうして? 私の方が綺麗で働きモノで、優しくて彼に尽くせる筈なのに。どうして? なんで? あの人はどうしてそんな少し若いだけしか取り柄の無い小娘を選んだの? ねぇどうして? 何で? なんで? ナンデ――』
先生の表情が変貌した。
とはいえ、怒り狂っている訳では無いのだ。
とにかく楽しそうに、愉快そうに笑っている。
そして『なんで?』という言葉を壊れた様に繰り返し、その口元は三日月よりもはるかに吊り上がっていた。
だと言うのにその瞳はどこまでも濁っていて、更にはとめどなく零れる赤い涙を流している。
「可哀そうな人……」
思わず、そんな言葉が漏れてしまった。
『は?』
なんで? と連呼していた口は動きを止め、壊れたブリキの人形の様な動きで、再び私の事を見据えて来た。
その表情はどこまでも“虚無”。
どこかに心を置き忘れてきた人形の様に、眼を見開いたまま首を傾げていた。
「絶対に手に入らない。物語を読んで“知識”として知っているだけの私にだって分かる。貴女の“恋”は届かない。貴女の“愛”は、何処までも歪んでいる。ソレを人は、狂気って呼ぶ」
『余り、知った様な口を聞クナよコムスメガ……』
ビキリッと音を立てて、彼女の口元にヒビが入った。
不味い、このままじゃ……なんて思った、次の瞬間。
私の体は冷たくも温かい、そんな“冷気”に包み込まれた。
「そこまでです、下衆が」
第三者の声が聞こえた瞬間、目の前の先生は悲鳴を上げながら私から手を離した。
悲鳴、というか唸り声。
まるで獣の様な雄叫びを上げながら、私に触れていた右手を抱え込む様に胸に抱いている。
何が起きた?
「コレ以上主様のお手を煩わせる事態は、私が許容出来ません。まさか“狭間”の世界で“夢”を見せるとは……なかなかどうして、発想自体は面白いモノでしたが。その当人は、ゴミ以下……煙草の灰よりも軽い存在でしたね。身の程を弁えなさい、ド三流」
やけに口が悪いが、それでも凛と響くその声には聞き覚えがあった。
不安と共にお店に足を踏み入れてから、優し気な声と共に“彼”の元へ案内してくれたその人。
一目見ただけで心奪われそうな、そんな美しい女性の声に聞えたのだ。
もう一度言うが、雰囲気はまるで違うけど。
「さぁ、依頼主様? お目覚めのお時間ですよ?」
そんな言葉と共に、彼女の冷たい掌とその腕が私を包み込んだ。
その冷たさは、まるで暑い夏の日に感じる心地よい“氷”の冷たさを連想させた。
どこまでも心地よく、そして何より。
“愛おしい”。
そんな風に思わせる“冷たさが”、彼女の胸の中には確かに存在したのであった。
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