第32話 夢の中でくらい、”夢”を見て


 「なんでアンタばっかり」


 そんな言葉は、何度も聞いた。

 それこそ、幼少期から。


 「大丈夫だよ、きっとお姉ちゃんだって――」


 「煩い!」


 その叫び声にビクッと肩を震わせ、思わずグッ眼をつぶる。

 あぁ、こんなのいつもの事だ。

 そんな事を考え始めたのは、いつからだったろうか。


 「お前みたいなのが居るせいで……」


 私は、とにかく“運”が良かった。

 とはいえ、別に宝くじが当たるとかそういうアレじゃない。

 でも、間が良い、タイミングが良い。

 そんな風に感じられる事は、多々あったのだ。

 簡単な例で挙げてみれば私は若い頃、運転中に赤信号に捕まるという事が殆どなかった。

 混雑していても大体駐車場は何処かしら空いているし、コレといって大きな問題に巻き込まれる事も無かった。

 だからこそ“普通に生きて”居る上で、“何処までも軽く運が良い”人間だったのだろう。


 「アンタが私の運気を全部吸い取ったのよ」


 逆に“小さな事でも”運が悪かった姉は、昔から私の事を好いてはいなかった。

 その“小さな事”というのも、私生活には支障をきたすような出来事であった訳で。

 最初は学生時代。

 少しだけ“運が悪い”程度で済まされる問題から、本当に“運が悪い”という問題まで。

 姉はほぼ全てを経験したと思う。

 だからこそ、私はフォローに入った。

 でも、ソレが余計に気に食わなかったんだろう。

 姉妹仲は劣悪なモノとなり、次第に会話さえ無くなって行った。

 そんな中。


 「やっとアンタに勝てる時が来たわ」


 そう自信満々に告げる姉が、私の元へと訪れた。

 最初は何かと思ったが、なんと結婚報告。

 凄い、流石は姉さん。

 姉さんは美人だし、私には強く当たるが基本的に根は優しい人だ。

 これは本当にめでたい。

 なんて思って、全身全霊で祝福してみれば。


 「アンタはそうやって。 また私を見下すのね」


 何故か、とても悲しい顔を向けられてしまった。

 私はただ、姉の結婚を祝いたかった。

 これから幸せになるであろう姉を、全力で応援したかった。

 でも、そんな事。

 姉は望んでいなかったのだ。


 「私は、どうすれば良かったのでしょうか」


 そんな言葉を呟きながらも時代は流れ、姉に子供が生まれ、そして成人する。

 そして、その子供がまた子供を作る。

 非常に喜ばしい事だ。

 子孫が残せなかった私より、ずっと家族に貢献している姉さん。

 だというのに。


 『本当に、運が悪い人生だったよ。 もしも私が貴女だったら良かったのに……皆幸せになったのかもしれないのに……お前なんか、居なければ良かったのに』


 そんな言葉と共に、姉はこの世を去った。

 車の事故だった。

 信号待ちしていた所を、曲がって来た車が正面から突っ込んで来たそうだ。

 慌てて病院に駆けつければ、姉のこの一言。

 何を言われたのか、正直分からなかった。

 でも、後日聞いた話では。

 旦那は仕事をクビになり、本当のギリギリの生活を続けていたらしい。

 それでも子供や孫には、とにかく優しい人だったのだとか。

 そんな事なら、相談してくれれば良かったのに。

 私で良ければ、すぐさま手を貸したのに。

 なんて事を思いながら、私はひたすら姉の亡骸に縋りついて泣いた。

 その数年後の事だ。


 「お婆ちゃん、今日はどこいくの?」


 「コラ! ちゃんと座ってろよ! あんまり騒ぐと婆ちゃんの運転の邪魔になっちゃうだろ!」


 後部座席で元気よく話す兄妹をルームミラーで確認して視線を戻せば、正面からは猛スピードの車が迫って来ていた。

 え? なんて声を上げる暇もなく、衝撃を受けた。

 交通事故。

 しかも、姉と全く同じ状況だった。

 病院で意識を取り戻してから、次の日には……私の車に乗っていた子供の御葬式が行われた。


 『これからは、関わらないでくれ。 昔のアレコレは、俺達には関係ない。 でももうたくさんだ。 長男は何とかなったが、長女は亡くなった。 こんなのもう御免だ。 アンタは、呪われた人物だ。 家系図の汚点だよ』


 姉から何をどう聞かされていたのか知らないが、甥はそんな事を言い放ち軽蔑した眼を向けながら私から離れていった。

 私のせいで事故に巻き込まれてしまったのだ、恨まれるのは仕方がない。

 でも。

 あぁ、私は要らない存在なのか。

 その時、本当にそう思った。

 悲しみより、驚きの方が強かった。

 私の甥が、その家族が。

 今までで私の事をそんな風に思っていたなんて。


 「でも……」


 これからが続くその子供達が幸せなら、別にそれでも構わない。

 幼かったあの子達が、未だ幼いあの子達が。

 幸せに育って、優しく逞しく生きてくれるのならば、嫌われ者にでもなんでもなろう。

 そう、思ってしまった。

 姉が嫁いだ先の名は“天童”。

 名前からして祝福されているじゃないか。

 だからきっと、子供達は幸せになってくれるのだろう。

 何たって天の童なのだ。

 言い方を変えれば座敷童や天使の様。

 亡くなってしまった長女は残念だが、きっと長男は健やかに育ってくれる筈。

 それだけを願って、去っていく彼等にひたすらに頭を下げ続けた。


 それから私は家族と離れ、遠い地に一人で暮す事を選んだ。

 それでもやはり寂しくて、年甲斐にもなくアパート何か買ってみちゃったりして。

 随分と古いアパートだというのに、いつでも満室。

 しかも、住んでいる子達は随分と素直と来たものだ。

 あぁこれは、骨を埋めるならココなのだろうな。

 そんな事を考えていたというのに。


 『そんな幸せ、認めない……』


 どこからか、声が聞こえた。


 「姉さん……まだ私が憎い?」


 『憎い、妬ましい。 だから、死んで償え』


 「ごめんね……私のせいで……皆不幸になる……」


 あぁ、やはり姉は私の事を許してくれてはいないらしい。

 毎晩のように夢の中に現れ、そして鋭い視線で睨んでくる姉さん。

 怖いとも、対抗してやろうとも思わない。

 ただただ悲しい、結局最後まで姉と分かり合えなかったこの人生が、非常に悲しい。

 本当にソレだけしか思わなかった。

 だとしても、私の体を蝕んでいく“蛇”。

 姉の言葉と共に、姉の憎悪と共に。

 その蛇は、私を蝕んでいく。

 蝕まれた箇所は、夢の中で動かなくなり冷たくなっていく。

 そして最近では起きている間にも、似たような事が起こる事が多くなっていった。

 あぁ、私もそろそろお迎えが来るのか。

 そんな風に、諦めていたのだが。


 「お迎えはまだまだ先じゃないかな? 何たって“失った筈の家族”が、婆ちゃんを助けようと必死に頑張っているくらいだから」


 リィィン、と。

 何処からか鈴の音が聞こえて来た。

 そして、普段から聞いている男の子の声が聞こえてくる。

 真っ暗闇の中、それだけが耳に残る。


 「大丈夫、まだ帰れるよ。 これは“呪い”であっても、直接お姉さんに掛けられたモノじゃない。 それは“きっかけ”。 羨ましい、妬ましい、気味が悪い。 そう思ったのは確かなのかもしれないけど、桜婆ちゃんを殺そうとまで思っていた訳じゃない。 拒絶はしたけど、否定した訳じゃない。 “コレ”は周囲から集まった呪いから偶然生まれただけ、お姉さんの“想い”に便乗しているだけだ。 よく思い出してみて、本当に“ソレ”を言われた? そんな酷い言葉を投げかけられた? 夢の中で書き換えられている記憶ではなく、しっかりと“自身の記憶”を辿るんだ」


 普段は随分とまったり喋る彼の声が、今日だけは棘の様に鋭かった。

 夢の中で書き換えられた? 自身の記憶?

 一体、この子は何を言っているのだろうか?

 そんな風に、首を傾げたその瞬間。


 『――あちゃん!』


 「え?」


 鈴の様な、透き通る少女の声が聞こえて来た。

 この声を、私は知っている。


 『お婆ちゃん!』


 まるで泣き叫ぶ様に、必死に縋りつくように。

 その声は、随分と近くから聞こえて来た。

 あぁ、“あの子”が呼んでいる。

 自然と、そう感じた。


 「“起きよう”か、桜婆ちゃん。 まだ、眠るには早いよ」


 まるで囁くように、そして促す様に。

 しかし否定を許さないと感じるほどの、静かで力強い声が私に語り掛ける。

 であれば、そうだ。

 起きなければ。

 私は、いつまでも眠っている訳には行かないんだ。


 「そうだよ、起きよう。 眠る事は悪い事じゃない、でも“この眠り”は良くないモノだ。 夢を蝕まれば、人は“堕ちる”。 毎日同じ光景を見せられれば、誰だって勘違いしてしまうモノだ。 まるで、過去がそうであったかのように。 だから、どうせなら“別の夢”を見よう。 幸せな記憶を見よう。 夢の中でくらい、“夢を見よう”」


 パチンッ、と。

 まるで扇子を閉じる様な音が聞こえたかと思えば、ゆっくりと姉の姿は消えていった。

 残るのは、ただただ広がっている暗闇。

 そのなかに、ポツンと立っている少女の姿を見つけた。

 真っ白い着物を着て、ジッとこちらを見つめている。


 「けい……ちゃん?」


 コクンッと少女は首を縦に振った。

 いつぶりだろう、彼女の姿を見たのは。

 この子のお兄ちゃんと、彼女と一緒に遊んだ事をよく覚えている。

 そして、私のせいで命を落とした少女。

 彼女はまだ、小学生だったというのに。

 まだまだこれから、たくさん楽しい事が待っていた筈なのに。

 眼に入れても痛くないとは、この事を言うのだろうとさえ思った。

 そんな、姉の子供の、更に子供。

 私を慕って、お兄ちゃんと一緒によく遊びに来てくれた。


 「自身の兄や姉、その子供の更に子供。 それを“いとこちがい”と言うんだ。 そして男の子なら“従甥じゅうせい”、女の子なら“従姪じゅうてつ”と言う。 桜婆ちゃんにとって直接“血”が絡んでいる相手では無くとも、少なからず繋がっている相手。 それでも、こういった“先祖返り”はままある事なんだ。 運が良いというのも、言い方を変えれば少ない確率を引き当てる体質だ。 だからこそ、悪い未来さえ引き当ててしまう事はある。 でも、それさえも“個性”なんだ。 誰かの人生の結果を、勝手に憐れむモノじゃない。 それは、そうであったからこそ“現代”に繋がる過去なのだから」


 彼が語っている間にも、重苦しい空気は徐々に溶けていった。

 体に纏わり憑く嫌な気配は鳴りを潜め、周囲の暗闇は徐々に晴れていく。


 「よく思い出すんだ。 しっかりと見つめ直すんだ、自身の記憶を。 本当に桜婆ちゃんの甥はそんな台詞を吐いたのかい? その従甥には、今からでもかけて上げられる言葉はないのかい? もしかしたら、今でも待っているのかもしれないよ? 優しいお婆ちゃんを」


 「あの時……私は……」


 ガリッと、頭の中で雑音が響いた。

 私を睨みつける姉、そして甥。

 更には目を合わせない従甥と、冷たくなった従姪。

 その光景が、徐々に“剥がれ”始める。


 『ウチのお袋も良く言ってた、“桜婆ちゃんは運が良いから、お前達も分けてもらえ”って。 馬鹿みたいな話だけどさ、すげぇ幸せそうに言うんだよ。 信じらんないだろ? 桜婆ちゃんを前にすると、あんなにツンケンしてんのにさ。 だから、もし預けるなら桜婆ちゃんに頼れって、そしたら絶対大丈夫だからって……』


 『ゴメン、ゴメンねぇ……なんにも気づいてあげられなくて。 姉さんにもっと頼ってもらえる存在だったら良かった。 それに、繋ちゃんの事だって……私の所になんか遊びに来なければ……』


 『違う、違うよ桜婆ちゃん。 繋の事は……残念だけど。 こればっかりは仕方がなかったんだ。 息子だけでも助かった事、これだけでも奇跡みたいなもんだ。 本当に、事故だったんだよ。 仕方のない事なんだ』


 『でも、私がもっとしっかりしていれば。 もっとしっかりと守ってあげられれば……』


 『そんなの“たられば”だって。 これは、どうしようもない事だったんだ。 それに子供達だって、お婆ちゃんの所に行くって聞かなかったんだよ。 お袋が死んでから、この子達にとっての婆ちゃんは、桜婆ちゃんだったんだから。 だから……』


 ――“そんなに、自分を責めないでくれよ”


 「……え?」


 今まで記憶していた内容と、まるで正反対の記憶。

 いつからだろう。

 いつから私はこんな勘違いをしていたのだろう。

 何故、私は。

 こんなにも優しい言葉を掛けてくれる甥っ子や子供達から、逃げ出していたのだろうか。


 『ごめんね……桜、今までゴメンねぇ……。 こんな事頼める立場じゃない事は分かってる……分かってるんだけど、お願いしても良いかい? あの子達を、お願いしても良いかな? ちゃんとしている様に見えても、まだまだ情けないからさ。 私の事は嫌ってくれても良いから、あの子達だけは……見守ってあげて』


 姉さんの最期の言葉。

 彼女は今まで見た事もない顔をしながら、必死に私に懇願した。

 残された家族を頼むと。

 コレが、本当の過去。

 私は最後の最期で、姉さんから“頼って”貰えていたんだ。


 「お姉さんからの嫉妬、そんなモノは誰しも抱く程度のモノだった。 ソレは種、そして従姪の死と同時に、“花”が咲いた。 その花は、美しくも毒花ではあったが。 だからこそ従姪は、今でも貴女を心配して傍に居るんですよ」


 その声と同時に、目の前にいる少女が私に抱き着いて来た。

 あの日失ってしまった筈の、可愛らしい命。

 真っ白い着物を身に纏い、美しい黒髪を揺らす幼子。


 「……繋ちゃん、ずっと一緒に居てくれたの?」


 「ん」


 「ゴメンね、気付いてあげられなくて」


 「ううん」


 「お婆ちゃん、まだ生きていても良いのかしら。 繋ちゃんを助けて上げられなかったのに、私は生きていて良いのかしら」


 まるで自身を責めるかのように、言葉を紡ぐ。

 すると、抱き着いている少女がバッと顔を上げてから。


 「生きて、幸せになって。 私も、一緒に幸せになるから」


 花の様な笑顔で、彼女は笑った。

 その瞬間、周囲からは悲鳴の様な声が響く。

 キィィィ! と、まるで黒板を爪で引っ掻いた様な甲高い音。

 思わず耳を塞いでみれば。


 「大丈夫だよ、桜婆ちゃん。 “座敷童”のお陰で……いや、繋と呼んだ方が良いか? 彼女のお陰で、随分と奥深くまで入りこめた。 だから、大した事ない。 根っこからまとめて退治できる」


 「こ、幸太郎ちゃん? さっきから何を……というか、どこに居るの?」


 キョロキョロと周囲を見回してみるが、本人の姿は見えない。

 ただただ、何もない空間に私と従姪が居るだけなのだ。


 「これは桜婆ちゃんの夢だ。 ただただ幸せな夢を見る為の、“夢”を見せているんだ。 だからこそ余計なギャラリーは必要ない。 そう、“お前も”退散するべきなんだよ。 いつまで居座っているつもりだ? “夢魔”程度の怪異が」


 後半、彼がやけに低い声を上げると同時に、またパチンッと扇子を閉じる音が響いた。

 その音が合図だったかの様に、またあの悲鳴が聞こえてくる。


 「座敷童、ちゃんと守っておけよ」


 「ん」


 幸太郎ちゃんの声に、繋ちゃんが力強く頷いた。

 そして、彼の“声”が続く。


 「我は語り部。 言葉を紡ぎ、物語を語る者なり。 我が言葉を聞け、そして理解せよ。 それらが全て、“お前”にとっての毒となる。 常識を変える、世界を変える。 この言葉は、この声は、全てを覆す“きっかけ”となる。 故に理解せよ、何を語っているのか、何を言っているのか。 それらを理解する事により、ソレは現実のモノとなる」


 一体何を……なんて、首を傾げた所で。

 シーッと人差指を唇に当てる従姪の姿が目に入る。


 「宣言しよう、悪夢の終わりを。 夜は明け、日は登る。 ソレと同時に、“夢”も終わる。 長い夜は、今夜明ける。 悪い夢は、これにて幕を閉じる。 我は語り部、“言霊”を自在に操る化け物なり。 異端の存在、理から外れた“忌み子”。 言霊使いが言の葉を紡ごう、“貴様はコレで終わりだ”」


 彼がそう“宣言”すると同時に。

 バリィン! と耳がおかしくなる程、周囲一帯からガラスの砕ける様な音が響いた。

 思わず幼子を抱きしめ、身を小さく縮めてみれば。


 「バイバイ、お婆ちゃん。 また、いつか夢の中で会おう」


 そんな懐かしい声が、耳元で聞こえたのであった。

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