第28話 勘違い
――コンコン。
彼が語り終わった瞬間、部屋の扉がノックされた。
どうやら、“やっと来てくれた”らしい。
「き、きたっ! アイツだ、あの女だよ!」
慌てふためきながら、彼は俺に縋りついて扉を必死に指さした。
早く対応しろという事だろうが、物事には順序というモノがある。
“祓う”とは、ただただもう一度死を与えれば良いというモノでは無いのだ。
ましてやココは“彼女”のテリトリー。
正面からぶち当たった所で、幸や雪ちゃんじゃないと余裕で勝てると言う事はないだろう。
だったら雪ちゃんを向かわせれば良いだけの話に聞えるが、それではあまり意味がない。
「では、お出迎えしてきますね。 雪ちゃん、皆さんの事をお願いね」
「はい、主様。 行ってらっしゃいませ」
そう言って歩き出した俺の事を、少年が必死に服を引っ張って止める。
放してくれないと動けないんだが。
「お出迎えって、何考えてるんだよ!? 正面から行って大丈夫なのかよ!?」
こちらの事を心配している、というよりかは室内に入れないで欲しいと懇願しているようだ。
彼の後ろでは、先生もウンウンと強く首を振っている。
一から説明して上げても良いんだけど、この状況では落ち着いて話を聞いてくれそうにもないしなぁ。
未だにノックが続いているし。
「幸太郎、大丈夫なの?」
二人とは違い、不安そうな顔を浮かべながらも落ち着いた様子の美鈴が静かに口を開いた。
「まぁ、多分ね。 それに“箱庭の主”にご挨拶しないと」
ニッと口元を吊り上げて答えれば、美鈴からは呆れた笑みを返されてしまったが。
ま、なる様になるでしょ。
彼女と遭遇した時、大人しく付いて行ってしまう現象も少し気になるし。
そんな訳で皆を部屋に残したまま、一人玄関へと向かい扉を開けた。
そこには。
「こんばんは」
「えぇ、こんばんは」
目の前には小奇麗な格好の女性が。
随分と美しい方に見えるが……とりあえず室内を振り返ってみると、皆はすんごい顔で彼女の事を見ていた。
俺の隣から顔を出している彼女、俺から見れば普通の生者の様に見えるが。
「ふむ」
どうやら見えているモノが俺と皆で違う様だ。
という事で、片目を閉じる。
なんの意味が有るのかと言われると、コレと言って特別な意味が有る訳じゃない。
だが本来見ている情報を半分にするという行為は、こういう世界ではほんの少しだけ“きっかけ”になる。
片目を失った人間や、事故などで左右の視力が急に変わった人間が、時折“見えてしまう”事があるらしい。
かなり限定的な話だし、視力を失ったショックから幻影を見る、もしくは見えなくなった箇所を想像で補ってしまうなんて言われる事もあるが。
「なるほど。 姿を変えて見せる相手を限定してるのか。 それとも全員を騙す程の力がないのか?」
一度見せられた情報を半分に裂く行為。
それは見る角度をほんの少しだけ変える事になる。
どういう表現なのかというと、一番近いのは3D映画を見ている時に3Dグラスを外すというか……。
まあ見えている情報の1というモノを、崩す行為と言ったら良いのか。
そんな訳で、先程まで綺麗な女性にしか見えなかった彼女の姿が、“ブレた”。
眼球が飛び出しそうな程見開いた瞳。
首を吊った影響なのか、通常より伸びてしまっている首は折れ曲がり、傾げている様な形で斜めを向いていた。
「私、下の階の者なのですが――」
『オイデ、オイデ――』
一度違和感を覚えてしまえば、もう両目を開こうとその感覚に引きずられる。
彼女の姿が二重に映り、作り物の声と本音が同時に聞えてくる。
「――なので、一緒に来ていただけませんか?」
『早ク、オイデ。 貴方モ、私ト一緒ニ――』
もうこうなってしまうと聞きにくくて仕方がない。
声は被っている上に、片方はノイズが混じっている様な音声だ。
まあ、怪異は大体こんな風だが。
「では、案内していただけますか?」
こちらが了承を出せば、嬉しそうに笑う女生と三日月の様に口を吊り上げる化け物。
そして幻覚の方の女性が、スッとこちらの掌に手を重ね、ゆっくりと部屋の外へと先導していく。
なるほど。
自らの足で奇妙な女性について行く、というのは他者から見た光景であり。
実際には優し気な女性に手を引かれる訳だ。
なんともまあ、夢を見ている側は幸せな気分でついて行くのだろう。
“箱庭”に慣れていない人間、または“違和感”に気付けなかった者の感情を騙すなど、多分コイツにとっては朝飯前だ。
こう言ったモノに慣れている俺でさえ、幻覚が握っている手の感触を“触られている”と錯覚しているほど。
相手にとって理想……とまでは言わなくても、美しいと感じる姿で現れ、そして連れ去る。
それこそ相手の正面に立っている間は、自制心や警戒心さえも“勘違い”させているのかもしれない。
こりゃまた、厄介な相手だね。
とはいえ。
「まだ“咲いてない”……“蛹”の状態でこんな箱庭を作るなんてあり得るのか?」
そこだけが、この怪異における疑問点であった。
――――
それから何度か階段を下り、たどり着いたのは5階。
「さぁ、どうぞ? こちらです」
『コレデ、貴方モ、一緒』
その一声を上げれば、幻覚の方は室内へ。
怪異の方は、今来た道を帰っていく。
ふむ、幻覚の姿を切り離す事も出来るのか。
なかなかどうして、芸達者な相手だ。
ウチの店がある箱庭で言えば、歩いている俺と出現させた和服を別々に動かすようなモノ。
そんな事をすれば当然相手は“違和感”を覚え、本来の姿に気付いてしまうだろう。
それを平然とこなす“蛹”。
あり得るのか?
「では、早速……フフッ」
とか何とか色っぽい声を上げながら、幻覚のお嬢さんが服を脱ぎ始める。
これはこれは、実に眼福ですありがとうございます。
但し今はちょっと忙しいのでお暇して頂いて。
懐から取り出した扇子をパチンッと音を立てて閉めれば、幻覚は霧の様に消えていく。
ついでに言えば、小奇麗だった室内も廃墟丸出しの見た目に。
「さて、俺に与えられた部屋には何があるのかなっと。 サービスドリンクくらいは欲しい所だねぇ」
なんて事を言いながら周囲に転がるガラクタを蹴飛ばして、室内へと侵入していく。
朽ち果てた室内にあるのは、ボロボロのベッドやら冷蔵庫やら。
どれもこれも触るのが躊躇われる程に変色し、異様な匂いを放っている。
冷蔵庫なんて、靴のつま先で開いてみれば何かもわからない茶色い液体が伸びる程だ。
正直、滅茶苦茶汚い。
そんな中、一つだけ光を放つ物体が。
「これはまた、懐かしい」
床に落ちたブラウン管のテレビだけが、唯一正常に機能している。
あまりに不自然、そしてこの環境においては“異常”としか言えない代物。
「はてさて、何を見せてくれるのでしょうね?」
なんて事を呟きながらボロボロのソファーに腰かけ、ブラウン管を眺める。
そこに映し出されるのは、随分と古いモノクロの映像。
先程少年が語っていた内容とは違い、幼子の姿が写し出されている。
何が見せたいんだ? 先程の女性の霊が本体ならこんな映像など必要ないはず。
色々と不審点はあるモノの、映像を最後まで見ていく。
そして、随分と時間が経ったころ。
「あぁ、なるほど」
一言呟いて、語り部は立ち上がった。
「君は、見つけて欲しいが為に全てを利用したんですね。 あまりにも幼稚で、あまりにも衝動的だ。 実に単純で率直な欲求ですよ」
それだけ言い残し、彼は部屋を出たのであった。
これは、“子供の我儘”だ。
――――
「まただ! また来た!」
そんな叫び声が上がる室内。
幸太郎が出て行ってから、しばらく経った。
そのまま解決するかとも思ったのだが……意外と苦戦しているのか。
それとも、また何か違う事を調べているのか。
こればかりはウチの店主がいつも説明不足なので、断言する事は出来ないが。
「どうしましょうねぇ、“アレ”を氷葬するだけなら簡単ですが。 しかし主様が祓っていない所を見るに、何かしら別の要因がある可能性も」
雪奈さんも困り顔を浮かべながら、玄関から響くノックの音に首を傾げている。
ココは、そもそもが異常なのだ。
常識に当てはめる方がおかしい、まずはソコから考えていこう。
「ど、どうするんだ!? 神庭治! 神庭治!」
「あぁもう、さっきから煩いです。 ちょっと待ってください」
男子生徒と先生が抱き合う様にして喚き散らしている。
思考の邪魔なので黙って頂きたいが、まあ無理な話だろう。
「どう考えますか? 正直、珍しいタイプだと思うんですが」
そんな事を言いながら、雪奈さんがこちらを振り返る。
そう、珍しいタイプなのだ。
私自身が多くの経験を積んでいる訳ではないにしろ、幸太郎に“語られた”内容は覚えている。
“箱庭”を持っている程の妖怪、神様と呼ばれる類になった怪異。
そこまで上り詰めた存在なら、何故こんな所で躓いている?
部屋に立て籠もった私達に対して、何故干渉できないでいる?
その工程さえも楽しんでいるというなら話は別だが、先ほど見た女性からそんな雰囲気は感じなかった。
つまり“連れていく女”に関しては、自身の仕事をこなしているだけ。
悪質な営業の仕事を同じだ。
話に乗って来た相手に対してだけ、強く出る。
それ以外には、まるで脅しの様な行為を繰り返す。
だが、それ以上をしてこない。
むしろ、それ以上出来ないのではないか?
「雪奈さん、“アレ”が本体ではなかった場合。 何が“本体”だと思いますか?」
ノック音の続く中、先輩に問いかけてみれば彼女もまた首を傾げた。
「アレではない何かが居る場合……“語り部 結”で言えば、主様が箱庭の主になっているにも関わらず、私がずっと正面に立つような環境ですかね。 だとすれば……他の主人が居る以上、ヒントは必ずしもチラつくモノです。 何たって“その人の世界”なのですから」
そう言われて、初めて気づいた。
この空間に入ってからの息苦しさ。
幸太郎の作った“箱庭”とは違う、居心地の悪さの様なモノ。
そして、“気付いて”しまってからは早かった。
「どうしました? 美鈴ちゃん、何か視えた?」
首を傾げる雪奈さんに対して、部屋の一部を指差してから口を開いた。
「雪奈さん、コレ。 何に視えますか?」
「? お茶請け、に視えますね」
そうなのだ。
ビジネスホテルの様に見えていた頃なら、テーブルの上には軽いお茶請けが用意されていた筈だったのだ。
だが、今の私には腐り果てた“夕飯”が視えるのだ。
違和感、ソレに気付いてしまった瞬間。
“世界”そのものが変わった。
幸太郎が“特別”だと言っていた、私の“嘘”を嗅ぎ分ける力。
気付いてしまえば、ガラリと姿を豹変させる。
ココは廃墟だ、ホテルなんかじゃない。
今では全てが朽ち果て、かつての生活感を残したまま風化したマンションの一室に見える。
「ちょっ、神庭治!?」
玄関へと走った私に先生が声を上げるが、気にする事なく扉に設置された覗き穴から相手の姿を確認する。
レンズが汚い、ろくに相手の姿が見えないじゃないか。
でも、それでも見えてくる異常な相手の姿。
首は尋常じゃないくらい折れ曲がり、眼を見開いたまま口元を吊り上げる女性の姿。
幸太郎を連れて行った相手だ。
コレは、“嘘”じゃない。
だとすれば、何故全てを嘘で隠す必要がある?
「雪奈さん! この“箱庭”全部“嘘”です! 多分この人を原因に見せかけてる! 他に何かあるから、幸太郎はその場で祓わなかったんだ!」
そんな事を叫んだ瞬間。
ドンッ! と扉から衝撃が走った。
『見タナ? オ前、見タナ?』
随分と低い声が響き、再び扉がドンドンと音を立てながら揺れる。
全体重を掛けて扉にぶつかって来て居る様な衝撃だ。
でも、扉は開かない。
決まりだ。
彼女はこの空間に、全面的に“関われて”居る訳じゃない。
彼女は、箱庭の“主”じゃない。
「皆聞いて! 息を止めるでも片目を瞑るでも良いから、“普通じゃない”状態で室内を見て! コレは全部嘘、今見ている光景の全てを疑って! そうすれば視える! その中で、“ナニか”を探して!」
背中で扉を抑えながら、必死に叫んだ。
鍵も掛けたし、チェーンロックも掛けた。
でも、どいつもコイツもさび付いていて頼りないのだ。
さっきまではまだ綺麗だったのに、今では不安要素でしかない。
「お願い! “本体”を探して! 何かしらのヒントが――」
「あっ……」
名前を何と言っただろうか、男子生徒が声を上げた。
彼は朽ち果てた部屋の中で、唯一稼働しているテレビの前で座り込み、モニターを食い入るように見つめている。
そして。
「内容が……変わってる」
そう言いながら彼は、その映像以外の全てに興味を失ったかの様に。
ジッとその光景を眺めるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます