第34話 去夢


 「ゴメンね、お待たせ。 どうだった?」


 桜婆ちゃんの病室から“語り部 結”に戻ってみれば、そこには満面の笑みで握り拳を震わせている美鈴と、呆れ顔でため息を吐いている幸が。


 「えっと……どうなった?」


 「問題ありません。 美鈴ちゃんが頑張ってくれまして、しっかりと聞き出す事も“語る”事も出来ましたよ?」


 唯一雪ちゃんだけが普通に答えてくれる環境の中、二人を通り過ぎ襖を開ける。

 流石にこれだけ時間が掛かれば、一度お帰り頂いたのかと思ったのだが……そこには、一人の女性が布団に横たわっていた。

 更には、枕元に腰を下ろす男性の姿も。


 「お待たせしました」


 「待ってたぞ……」


 ジロリと睨みながら、男性は低い声を上げる。

 やけに喧嘩腰というか、威圧的ではあるのだが……ソレは横たわっている彼女を心配するが故だろう。

 だからこそ、責めるべきでは無い。


 「大変お待たせいたしました、隣失礼致しますね? 雪ちゃん、お茶の用意を。 美鈴、状況説明。 幸はこっちにおいで。 いつでも“潜れる”様にね?」


 そんな事を呟きながら男性の隣に腰を下ろせば、彼はポツリポツリと語り始めた。


 「コイツは……昔っから気が弱かったんだ。 学生時代なんか虐められてたし、“実験”なんて言われて降霊術なんかを無理矢理やらされた事もあったらしい。 だから、余計に怖いんだってさ。 ヒトの“成れの果て”って奴が。 死んでもなお残る存在、人に危害を加える存在。 それを、ずっと怖がってた。 そういうのって、気にすれば気にする程寄って来るモノなんだろう? だから、憑かれちまったのか?」


 随分と疲弊した様子で、彼は語りながら眠る彼女の頭を撫でる。

 あぁ、なるほど。

 彼は彼女の状態を理解してなお、一緒にいるのか。

 眼に見えぬ怪異、自身には感じられぬ怪奇現象。

 だというのに彼は彼女の言葉だけを信じ、“この場に”たどり着いたのであろう。

 口調も態度も悪そうに見えるが、どこまでも想い人の事を心配している。

 なんと美しい関係だろうか。

 心から想ってくれている、自身に理解出来ない環境に置かれた相手を理解しようと努力している。

 それは、どこまでも“難しい”事なのだ。

 常識の外側にある存在を“居る”ものとして考えるのは、普通の人には出来ない。

 どうしたって物語、フィクションとしての防波堤があるからこそ、実際に身近な人が陥ったその時、大抵の人は病気か何かを疑うモノだ。

 だが、カレは。

 カノジョの全てを信じたのであろう。


 「よく、頑張りましたね」


 「え?」


 「辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? 自らには感じられず、見えず、聞こえず。 それでも、愛する人が苦しむ姿を見るのは。 どうにかしたい、でも何も出来ない。 聞いても調べても答えが見つからない。 だからこそ、貴方達は“この場所”へたどり着いた。 よく耐えましたね、よく頑張りましたね。 投げ出さず、分からないからと否定せず。 よく向きあいました。 普通の人には、ここまで出来ませんよ。 だから、頑張りましたね」


 「えっと、その……」


 困惑しながらも、こちらの言葉を徐々に理解し始めたのか。

 彼の目元には涙が溜まっていく。

 相当な思いをしたのだろう。

悲しい思いも、辛い思いも彼女と共に経験したのだろう。

 でも彼は投げ出さなかった。

 彼女に起きている怪異現象は“ある”と信じて、今まで戦ってきたのだろう。

 何も出来ない自身を悔やみながら、どうにかしたいと希望を探して努力した。

 だからこそ、彼もまた“この店”に呼ばれたのだ。

 その努力は賞賛に価する。

 誰だって他の誰かが訳の分からない事を言っていれば切り捨てるのだ。

 ソレが例え恋人でも、平然と人は切り捨てる。

 だというのに、彼は戦ってきた。

 眼に見えぬ、怪異達と。


 「ほんと、意味わかんなくて。 俺、何にも出来ないのに……コイツはどんどん具合悪くなっていって……それなのに病院では心の病気だとか、過労だとか言われて。 もう、どうしたら良いか……」


 堪え切れなくなった紐が千切れるかのように、彼の口からは様々な弱音が飛び出した。

 いいさ、全て吐き出してしまえば良い。

 何たって、君の想い人は今眠っているのだから。

 聞いていない間に、今までの苦しみを語ってしまえ。

 弱い自分を、不安な気持ちを。

 そしてまた恰好つけた自分を彼女に見せて、“俺を頼れ”と胸を張ってやれば良いのだ。

 それが、男の見栄ってもんなのだから。


 「大丈夫ですよ。 コレから、私が関わります。 彼女の“夢”に、“悪夢”に。 悪夢は今日で終わらせます」


 「え? あれ? 幸太郎、私全然説明してないんだけど……“夢”の怪異だって分かるの?」


 今まで黙っていた美鈴が、ポカンとした顔を浮かべながら首を傾げる。


 「分かるよ、コレは“夢魔”。 ついさっき相手してきたから、余計にね。 でも、詳細を教えてくれるかな? 怪異とは読み解くモノ。 知り、知られ、互いに認識し合ったその時、一番触れあいが強くなる“概念”だからね」


 「わ、わかった!」


 そんな訳で、俺は美鈴から今までに起きた“現象”を。

 隣に座る彼から“思い出”を聞き出すのであった。


 ――――


 ガタン……ガタン……と列車の進む音が聞こえる。

 目の前に広がるのは美しい夕日。

 列車の車窓からは、眩しいと思える程の赤い光が漏れ“私達”を照らしていた。

 周囲を見渡し見れば、普通の電車だ。

 混雑はして居ないのか、皆席に座っている。

 この光景を見て、「あぁ、またか」という感想が漏れてしまった。

 私はまた、同じ夢を見ている。

 毎夜毎夜、この光景を目にしているのだ。

 だからこそ驚きはしない、“今は”怖く無い。

 夢の中では前の夢の記憶が鮮明に蘇る。

 だからこそ分かるんだ。

 “怖い”のは、コレからだと。


 『次は~“  ”。 “  ”に止まります』


 車掌のアナウンスが響いた瞬間、奥の扉が開いた。

 “来た”。

 今すぐにでも逃げ出したいのに、体が言う事を聞いてくれない。

 扉の奥から現れたのは、成人男性程の身長はあろうかという“猿”。

 それだけでも絵面が酷いというのに、複数体居る上にその手には刃物を持っているのだ。


 『まもなく“  ”、“  ”に到着いたします。 お忘れ物など御座いません様、ご注意下さいませ』


 誰かの名前を告げるアナウンス。

 しかし、まるでノイズでも混じるかのようにして聞き取れない。

 来るな、来るな!

 心の中で叫びながら、近づいてくる“猿”を見つめ続ける。

 私が呼ばれた訳ではありません様に。

 聞き取れなかったその名前が、私のモノではありませんように。

 そんな事を思いながら、両方の目に涙を溜めていれば。

 猿達は、私の目の前で停止した。


 「え?」


 その声は、隣から聞こえた。

 体は動かない、当然声も出ない。

 だというのに、“ソノ瞬間”だけは誰しも動ける様になるらしい。

 私の隣に座っていたサラリーマンの男性が、怯え切った様子で顔を上げている。

 そして。


 「――――!!」


 人は、目の前に特大の恐怖がある状態で死を迎える時、言葉を口にしない。

 まるで何かの獣の鳴き声か、甲高いとしか言えない“音”を発して命の灯を消す。

 ギャァァ! とか、そういうのじゃないんだ。

 キィィ! みたいに、それこそ列車がブレーキを掛けた時の音みたいに。

 その音色は、人によって様々。

 私は、この“夢”の中でソレを何度も経験して来た。

 幾人もの“音”を、この耳で聞いて来た。

 悲鳴は耳に残り、すぐ隣で“解体”されていく男性の姿は瞳に焼き付いていく。

 気持ち悪い、吐きそうだ。

 だというのに、そんな事さえ許してくれないのがこの“夢”。

 眼を逸らす事さえ、悲鳴を洩らす事さえ許してくれない。

 だからこそ、彼という“人間だったモノ”の肉を捌く音だけが、列車内には響いている。


 『お忘れ物などございませんよう、ご注意願います』


 やがてアナウンスが響けば、猿たちは私の隣に座っていた“肉塊”を回収してから去っていく。

 猿が居なくなってから隣に目を向けてみれば、そこには一人分の空席。

 ただし私の体を含め、全てが真っ赤に染まっている訳だが……。

 でも、これで今日は終わり。

 いつだって一人だけなのだ、この“夢”で殺されるのは。

 私じゃなかった、今日も生き残れた。

 薄情だとは思うが、どうしても安堵の息が漏れてしまう。

 そんな風に、思っていたのに。


 『次は~“挽肉”、“挽肉”に到着いたします。 危ないですから~黄色い線の内側に――』


 「は?」


 今日は、まだ続くのか?

 というか、今度はちゃんと聞こえた。

 人の名前じゃない、間違いなく“挽肉”って言っていた。

 そして何より、今私は……声を上げた気がする。


 「え? 喋れる。 な、なんで?」


 一人ぼやき続けていれば、周囲の人たちの視線が全てこちらに向いているのが分かった。

 その瞳はどう見ても、「あぁ自分じゃなくて良かった」と言っている様だった。

 ふざけるな! なんて叫びたかった。

 でも、私も散々同じ事を想って来たのだ。

 同じ想いを胸に、多分……彼等と同じ瞳を向けてきたのだろう。

 その日の、“生贄”に対して。


 「い、いやだ……」


 言葉は出るが、体が動かない。

 首から上は動くのに、手足は固まってしまったかのように席に固定されて立つ事すら許してくれない。

 そんな中、また“現れた”。

 扉を開き、その奥から三体の“猿”が。

 その手に、やけにデカいミンサーを持って。


 「い、いや……嫌だ。 来ないで……」


 いくら言葉を紡ごうと、ソイツらは私の目の前で止まり、私の事を担ぎ上げた。

 二体の猿が私を持ち上げ、一体の猿が床に置いたミンサーのレバーを握りしめている。

 そして、“肉”を放り込む皿の中には鋭利な刃が輝きを放っていた。


「せめて殺すならすぐに殺して! そんなモノで殺されたら、いつ死ねるか分かったもんじゃない! お願い!」


 担ぎ上げられた私は、“足先”の方からミンサーに放りこまれようとしていた。

 あぁ、駄目だ。

 このままでは、きっと“ちゃんと死ぬ”まで随分とかかってしまう。

 生きたままミンチにされ、下手したら身を削られながらも自身の挽肉が排出される所を見る事になるかもしれない。

 怖い、全てが怖い。

 もういっそ、首を折って殺してから挽肉にしてくれ。

 なんて事を思っている私を嘲笑うかのように、“猿”達は口元を吊り上げながら私をミンサーに近づけていった。


 「いやぁぁぁぁ!」


 力の限り叫ぶ、が。

 多分次の瞬間には私の声も“音”に変わるのだろう。

 あの形容しがたい、耳障りな“音”に。

 夢なんでしょ? ならもう覚めて。

 これ以上は無理だ、本当に死んでしまう。

 だから早く、お願いだから早く!

 もう足先に、刃物が回っている風圧を感じられる程なのだ。

 だからお願い、夢なら今すぐに――。


 『あと三日と言ったのに。 ズルをするからいけないんですよ?』


 なんて、アナウンスが響いたソノ瞬間。


 「おやおや、“ズル”とは聞き捨てなりませんね。 都市伝説に乗っかって、こんな“悪夢”を作り上げた貴方の方が、よほどズルイと感じますが」


 パチンッ! と扇子が閉じる様な音と共に、目の前にあった巨大なミンサーと一匹の猿の首が両断された。

 え? なんて声を上げる暇もなく、今度は巨大な黒猫が私を抱えていた一匹の猿に食らいつき、引き剥がす。

 訳が分からない。

 こんな展開、今までの“夢”には無かった。

 そんな事を考えていれば、私を抱える最後の猿の腕がやけに冷たい。

 それこそ氷とか、下手したらドライアイスでも当てられているのではないかという程、“痛い”と感じるまでに冷たくなっている。


 「ひっ!」


 「そのまま動かないで下さいませ。 ホラ、出番ですよ。 貴方の愛する方をお救い下さいませ」


 「おうっ!」


 この夢の中で、こんなにも人の声が交差する事など無かった。

 しかも、最後に聞えて来たその声は――。


 「俺の彼女を放しやがれ! この化け物がぁ!」


 私を抱えている凍り付いた猿に向かって、一番会いたかった人が拳を叩きつけた。

 まるで物語の主人公みたいに、私にとっての恐怖の対象をその拳で打ち砕いだ。


 「夢は現実とは違う。 “夢に縛られれば”身動きさえ取れないかもしれないですが、しかし“出来る”事が多い。 やろうとする想いと、出来るという確信さえあれば、意外とひっくり返るモノなのですよ?」


 視界の隅にいる和服姿の男性が、口元を扇子で隠しながら笑う中。

 砕けた猿から取り落とされた私を、今度は“温かい”腕が支えてくれた。

 見上げてみれば。


 「おまたせ、うーちゃん」


 「遅いよ……こーくん」


 大好きな彼が、微笑んでくれていたのであった。


 「なんだろう、最後ので全部台無しじゃない? せっかく格好良く助けたのに、バカップル的なアレなの? ねぇ美鈴、どう思う?」


 「……今は、黙っておいた方が良いと思う」


 そんな声が、彼の向こう側から耳に届いてくるのであった。

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