第17話 忌むべき過去
「え、何? 嫌なんだけど、もう既に怖いんだけど」
意外とホラー耐久性はないのか、姉メイドは涙目でプルプルと震えておられる。
まあ昨日の時点でえらい目にあったみたいだし、多少は仕方ないとは思うが……妹の方がイキイキしているのは何故だ。
今までの経験から、若干慣れ過ぎてしまったのだろうか?
「確かにそう言う“怪異”は聞いた事があります! でもでも、今回の姉の様な状態は聞いた事がないんです。 部屋に無理やり入って来ようとするし、ドアノブをガシャガシャ握る白い腕、腕の表面に現れた口煩い唇たち。 私はこの眼で確認できなかったのですが……皆口々に“入れろ”って言ってました。 お姉ちゃんはソレを見て腰を抜かしていましたから、多分ヤバイ見た目です!」
「こ、腰は抜かしてねぇよ!?」
何やら言い合っている姉妹を他所に、少しだけ考える。
ドアノブを握っていた白い腕……どこから生えていたのかは知らないが、ソレは間違いなく部屋に入ろうとしていたのだろう。
ソレが“核”となる存在なのは間違いない。
そして表面……つまりは腕に唇が開いた様な見た目。
その全てが部屋の中に入る事を訴えたというのだ。
つまりその怪異は、彼女の“部屋の中”に興味があった?
「美鈴さん、一つお聞きしても良いですか?」
「なんか気持ち悪りぃから、“さん”とか付けないでくれ……」
「美鈴、聞かせてくれ……」
「急に声を低くするな余計キモチワルイ」
要望に応えたのに、結局気持ち悪いと言われてしまった。
やはり『イケメンに限る』という奴なんだろうか。
まあいいや、とにかく話を進めよう。
「君に対して、何か“噂”があるんじゃないか? 学校で、もしくは友人間で、とか。 何か心当たりはある?」
流石に女子高生に何度もキモイと言われるのは心に来るので、丁寧口調は投げ捨てた。
多分こっちの方が彼女には合うのだろう。
「……」
「お姉ちゃん?」
余計な事を考えながらも彼女を見つめてみれば、あからさまに視線を逸らしている彼女。
ソレは肯定している様なモノなんですけどねぇ……なんて思いながらも、彼女が喋り始めるのをジッと待ってみる。
その数分後。
「妹の前だと……その」
そんな台詞を、蚊の鳴くような声でポツリと漏らす。
ふむ、なるほど。
ちょっと恰好からして今更感が漂ってくるが、コレばかりは本人の希望だ。
例え露出度の高いメイド服は妹の前で着られても、今度の話はちょっと厳しいらしい。
冗談はさておき、その心は通してあげなければならないだろう。
「雪ちゃん、零ちゃんを連れて隣で待ってて」
「よろしいのですか?」
「それが最善だよ」
それだけ言えば、零ちゃんもどこか思う所が有りそうな表情のまま、雪ちゃんと一緒に客間を後にした。
さあ、コレで条件は揃った。
語ってもらおうではないか、彼女自身に何が起きたのか。
そして何が起きているのかを。
「私さ……不器用なんだ。 感情がっていうの? 上手い事周りと合わせらんねぇし、学校では結構一人になっちゃう事も多くってさ。 そのせいで回りとは距離を置く一匹狼、みたいなヤンキー扱いされちゃってさ」
ポツリポツリと語り始める彼女の内容は、ちょっと想像していた内容と違った。
愚痴、なんだとは思う。
ただ、ちょっと学生を終えたおじさんには……「うわぁぁぁぁ!」と言いたくなるような黒歴史を製作している様に聞こえてしまって、思わず全身に鳥肌が立った。
いけない、コレ以上変な固有名称を出すのは止めるんだ。
「だからその、友達とか居ないんだけど。 でもさ、やっぱりどっからか“家庭の事情”ってヤツが漏れるみたいで。 私が一人暮らししてる事とか、妹が“普通とは違う”事とか。 色々バレちゃう訳よ。 そんでさ……」
変に背筋をモジモジしているおっさんに対して、彼女は語る。
これまでの経緯を、経験を。
予想はしていたが、あまり余分な事を考えながら聞いて良い話では無さそうだ。
今一度しっかりと気持ちを整えて……なんて思った時だった。
「ある時言われちゃったんだよね。 “異常者”の家族を持つと、大変だねって」
その言葉を聞いた瞬間、どこかでピシリと音を立てて何かに亀裂が入った気がした。
「そいつがさ、“分かるよ、変な兄弟とか姉妹とか持つと、こっちに変な目で見られるし” って。 そんな風に同情されてさ……許せなかったんだよ」
さっきまでの浮ついた気持ちはどこかへ吹っ飛び、心の奥底から“ドス黒い”感情が溢れ出してくる。
「確かに大変だったよ、よくわかんない事も起こるし。 怪我もしちゃうし、親にも家を追い出されちゃうしさ。 でもさ、零は悪くないじゃん。 そもそもお前らに何が分かるのかって話しじゃん」
どうにか感情を押し殺し、必死に彼女の話に耳を傾ける。
俺の事はどうでも良い、今この場は彼女を救うために用意された“箱庭”なのだ。
だからこそ、俺は仕事に集中するべきだ。
彼女に憑いた“ナニか”を払う為に。
「その子、普通にまじめな子だったんだけどね? いつまでもその話続けるからさ、殴っちゃった。 お前に妹の何が分かるんだって叫んで。 あはは……その結果、謹慎一か月と根も葉もない噂が広まっちゃってさ。 多分バチが当たったんかな? 援交してるとか、いつも男を部屋に呼んでるとかさ。 そんなのが広まって、その結果今の状況って訳。 最初は零に憑いたヤツの影響かなって、悪いけど……思っちゃった。 けど、違ったんだね。 私が原因だったんだね。 私が悪い噂の原因を作ったから、ソレに煽られた連中が“ナニか”を作った。 要はそういう事でしょ?」
アハハッと、彼女は乾いた笑いを溢した。
まるで全てを諦めたかのように、全てを受け入れたかのように。
だた、しいて言うならば。
――その表情が、何よりも気に食わなかった。
「君は間違っていない」
「……え?」
「美鈴、君は間違っていない。 社会が暴力を否定しようが、俺は君を肯定する。 家族が馬鹿にされたんだ、否定されたんだ。 そんな奴殴られて仕方がない」
「あ、あの店主さん?」
どこか困惑した表情を浮かべる彼女を他所に、俺は……どこまでも乾いた微笑みを溢した。
「俺は語り部。 だから、一つお話をしましょう。 これは“君とは違って”、とんでもなく臆病で、どうしようもない馬鹿野郎が巻き起こした。 失敗のお話です」
彼女は、どこか俺と似ている。
しかし、俺とは全く正反対だ。
だからこそ、語ろう。
俺という失敗作を見て、彼女が間違わない様に。
反面教師ってヤツだ。
これを聞いて、彼女は失敗しない様に。
何故かそんな風に思ってしまったのだ。
「これは、とある兄弟のお話です……」
語り部は、今日も語る。
過去の出来事を、包み隠さず、あったままに。
それが、語り継ぐモノの仕事なのだから。
――――
「お兄ちゃん、見て見て! “公”が二本脚で立ってる!」
そんな声が、弟の部屋から聞こえて来た。
別段珍しい事じゃない、弟は本当に大した事じゃなくても俺を呼ぶ。
「今度は何?」
どこか呆れた口調で顔を出してみれば、そこには弟が笑みを浮かべたまま部屋の一部を指さしていた。
そちらへと視線を向ければ……。
「ブッ!」
「公は絶対猫じゃないって! 前世が人間なんだよ!」
必死にそう叫ぶ弟の先には、当時飼っていた黒猫が二本足で直立していた。
ちょっとキモイ、でも面白い。
キリッて感じの表情で立ち上がっているのがまた何とも……。
その猫の名前は“公”。
なんでも正式な飼い猫って訳じゃなくて、そこら中の民家を歩き歩く人懐っこい野良猫だったらしい。
公有、公共。
だから“公”。
そんな風に呼ばれていた猫が、ウチには居た。
そして弟が一番、この公に好かれていたと思う。
しかしそれには理由があった。
弟は普段、ベッドからほとんど動かない。
病気なのだ。
当時なんの病気かまでは知らされていなかったが、兎に角ずっとベッドに居た。
だからこそ公は、いつでも“そこに居る”弟に懐いた。
昔はそのことに嫉妬に近い感情を浮かべていた気もする。
なんで弟ばっかり、俺だって公に触りたいし、両親だって弟ばかり気にしていた。
それがちょっとだけ、悔しかった。
でも弟は、俺の事を好いてくれた。
いつだって「お兄ちゃんお兄ちゃん」と呼びつけては、下らない事で笑う弟を俺は微笑ましく思っていたのだ。
その生活が、苦ではなかった。
その生活が、当たり前だった。
その生活が、弟の全てだったとは……当時の俺には分からなかった。
「お前の弟変だよな」
だから、友達からそう言われた時。
一瞬何を言われているのか分からなかったのだ。
「ずっと家に居るんだろ? 外に出られないんだろ? 家の中だけとか、飽きちゃわねぇのかな?」
多分近所の子供たちとサッカーか何かをしている時だったと思う。
ふと、そんな会話が上がったのだ。
当時の俺は、その言葉に困惑しか浮かばなかった。
「そうそう、お前の弟って何かの病気なんだろ? そういう子供を持つと、親は大変だっていうしなぁ」
そうなのだろうか?
確かに病気のせいで、たまに弟は苦しそうにする。
でも両親は、普段は“普通”に俺達に接していた。
弟の具合が悪くなった時は、顔を顰めたり心配そうな顔をしたりはするが。
それでも俺に対して、“そういう顔”を見せたことは無い。
コレって、おかしい事なのだろうか?
「お前も色々大変なんじゃねぇの? “そういう”弟が居ると、『せけんてー』とかさ。 ご愁傷様」
「だよなー、なんも出来ねぇなら“居ない方が”いいじゃん」
子供のいう事、深い意味は無い。
今だからこそ、そう思う。
多分当時の彼らは、俺の事を『好きに遊べないから可哀そう』くらいに思って口にしたのだろう。
でもその時に俺には、やけにその言葉が重くのしかかったのだ。
俺は“弟”が居るから普通じゃないのか?
弟が病気じゃなければ、こんな風に言われる事はなかったのか?
ただただ普通に遊んでいるつもりが、彼らに気を使わせていたのか?
そんな事ばかりが頭の中をグルグルと巡り、そして吐き出した言葉は。
「う、うん。 “そうだね……俺もそう、思うよ”」
俺はその日、最大の罪を犯した。
俺の家系は特殊だ。
“陰陽師”なんて傍から呼ばれてもおかしない血族で、未だにその技法は残っている。
当時はそんな事知らなかったが、俺はこの日。
弟に対して悪い“言霊”を発したのだ。
心にもない、薄っぺらいその言葉を。
公然と、皆の前で口にしたのだ。
言い訳をするなら、怖かったのだ。
自分が普通じゃないと評される事が。
仲間達に、“異常”だというレッテルを張られる事が。
――だからこそ、俺は“嘘”を吐いた。
別に本心でそんな事を想った訳では無い。
家族も、もちろん弟も大好きだし、今まで何か決定的な不満を抱いた事など無い。
だと言うのに。
俺はこの日、ヘラヘラと笑いながら“嘘”を吐いた。
彼らの言葉を、肯定してしまった。
あんな弟はいらない、と。
その数日後の事。
弟が死んだ。
呆気ない終わり方だった。
いつもみたいに急に苦しみだしたかと思うと、数分後には息を引き取ったと言う。
だが、その最後の言葉。
それは……。
「お兄ちゃんと、外で遊びたかったな……」
全てを悟ったかのような、悲しい微笑みで弟は呟いたという。
その最後の言葉を、俺は聞いていない。
弟が苦しみ、そして最後の願い絞り出していたその時。
俺は友人達と、“普通”というモノを噛みしめる為に無理やりにでも外で遊んでいたのだ。
こんな事ってあるだろうか?
ちょっとした反抗期、周りに合わせようとした結果。
何よりも大事なモノが失われるその瞬間に、俺は遊び惚けていたのだ。
呪われるべきは俺だ、死ぬべきは俺だった。
何度そう考えただろう。
まるで死んだ魚みたいな目をしながら、その後の人生を生きてきた。
意地汚くも、死ぬのが怖くてただただ生きていたのだ。
そして俺は、今も“なんとなく”で生きている。
家を追い出された為自身で店を開き、少ないお客さんを捌きながら何とか生活している。
そんな俺の眼の前にあの日と似た経験を持つ、俺とは真逆の女の子が現れた。
家族を罵倒されて、罵られて。
その結果、彼女はソレを全力で否定した。
私は不幸じゃない、可哀そうなんかじゃない。
当時の俺には絶対出来なかった事を、彼女はいとも簡単に行動で表してみせたのだ。
ヘラヘラと笑って周りに合わせるでもなく、身の上の愚痴を溢す訳でもなく。
勝手に自身の価値観を押し付けてくる相手に対して、彼女は拳で語った。
ソレは違う、勝手に憐れむなと。
世間体的には絶対に許される事ではないのだろう。
誹謗中傷も後を絶たないであろう。
それでも彼女は、“全力で否定”したのだ。
言葉の暴力に対し、物理で返す結果にはなったが。
今更になって、本当に今更だが……当時俺がそう出来たら、否定出来ていたら。
何かまた違う形になったのではないか?
そう思うと、心の奥底に魚の骨が引っ掛かった様な感覚が生れる。
それこそ今更、取り返しの付かない過去の出来事ではあるが。
それでも、彼女を見ていると……そう思えて仕方がないのだ。
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