第2話 戻ってきた恋人


 このお話は、あるAという女性が若い頃に経験したお話。


 当時彼女にはSという、高校から付き合っていた恋人が居たそうな。

 彼は気さくで、お調子者と呼ばれながらも誰もが“嫌いにならない”様な存在。

 ある時は不良たちの喧嘩の仲裁に入り、ある時はオタクと蔑称で呼ばれている友人達にも手を差し伸べ、学園での潤滑材なんて呼ばれる程交友関係が広い男性だったそうだ。

 見た目はチャラい、でも話してみるとどんな話題でも盛り上げてくれる。

 そんな彼の存在に、誰しもが夢中に……とまでは言わないが、一目を置く様な存在になっていった。

 そんな彼にAは自然と惹かれ、彼女の方から告白する形で恋人同士になったそうだ。

 高校時代のカップルにしては珍しく、小さな喧嘩も起きない恋人関係。

 互いに気を使い合えるような間柄、周囲も祝福する様な順風満帆な高校生活を送ったといえよう。

 少なくとも、高校時代は。


 ――――


 「ねぇ、大丈夫?」


 「大丈夫に見える?」


 いつからか、そんな会話が増えた。

 高校を卒業し私は大学へ、彼は就職という道を選んだ。

 しかし、選んだ先が良くなかったのだ。

 求人票に書いてあったような給料は払ってもらえず、残業ばかりで帰るのも遅い。

 そんな生活が続いている様で、見る見るうちに彼は憔悴していった。


 「あのさ、本当に仕事変えない? そんな状態じゃ、私も見てるのが辛いよ」


 もう何度こんなやり取りをしただろうか?

 でもこういう話になると、決まって彼は不機嫌になるのだ。


 「あのさ、何度も言ってるけど仕事変えるのだって楽じゃないんだよ? 親の金で大学行ってる人には分かんないかもしれないけどさ」


 「そんな言い方しなくても……私はただ心配で」


 「もういいよこの話は。明日も仕事だから、もう帰るね」


 そう言って不機嫌さを隠す事無く、彼は乱暴に扉を開いて私の部屋を後にした。

 私は本当に、ただただ心配だったのだ。

 人生に疲れ果てた様な顔をして、どんどんと冷たくなっていく恋人の事が。

 だというのに、彼は私の話なんて聞く耳を持たない。

 何かあれば私は恵まれているんだと、まるで恨み言の様に吐き捨てる恋人。

 恵まれている、という部分を全部否定するつもりはないが……何度も何度もそんな台詞を吐かれれば、こちらだってすり減っていく。


 「もう、限界なのかな……」


 何となく溢したその呟きは、誰の耳に入ることも無く空気に溶けて消えていった。

 その後数日間、彼からの連絡は途絶えた。

 向こうも、もしかしたら同じ気持ちだったのかも。

 もしくは仕事が忙しくて、連絡も出来ない程疲れ果てているのかも。

 そんな風に思うと、諦めと心配する気持ちが膨れ上がった。

 とはいえ、私に出来る事は何もない。

 こちらから連絡しても、既読さえ付かないのだ。

 いくら通話を掛けても、呼び出しのコールが鳴り止む事はなかった。

 なんて事が始まってから、二週間程度過ぎた頃だろうか?

 大学の講義中にスマホが振動し、慌てて机の下で画面を確認すればそこには恋人の名前が。

 通話では無く、メッセージが届いていた。


 『連絡返せなくてゴメン。でも、もう大丈夫だから。今日Aの家に行っていい? 夕飯作って待ってるよ』


 という内容だった。

 私は大学に通う為に近くのアパートを借りている。

 そして恋人のSには合鍵を渡し、“いつでも来ていいから”と伝えてあるのは確かなのだが……。

 (おかしいな……今までこんな事なかったのに。仕事中な筈じゃ?)

 Sは合鍵を持ちながらも、安易に使おうとする人ではなかった。

 本当にただ持っているだけ。

 私が外出している時にやって来ても、近くで時間を潰しながら待っているような人だったのだ。

 それに仕事はどうしたのだろう?

 彼の職場は、こんな時間に連絡が取れる様な環境ではなかったはず。

 しかも夕食を作っておくって……。

 私が帰る時間に彼の仕事が終わる事など、今までは絶対にありえなかった。

 だからこそ、色々と聞きたい気持ちは溢れてくるが。


 『分かった、楽しみにしておくね。ご飯食べながら、色々聞かせてね?』


 講義中に隠れてメッセージのやり取りをするより、直接会って話した方が早い。

 そう判断して深く事情を聴く様な事はせず、一旦やり取りを打ち切った。

 もう大丈夫って言ってたけど、もしかして仕事辞めたのかな?

 普通なら喜ぶべき事態ではないけど、彼の体調を考えれば大手を振って喜んでやろう。

 次の仕事が決まっていない様なら、両親のコネを使ってでも良い環境の職場を探そう。

 私に出来る事は、それくらいなのだから。

 なんて事を考えている内に、その日の講義は終わりを告げ私は帰路に着いた。

 彼も何か吹っ切れた様子だったし、きっと良い方向に物事が進んだのだろう。

 私は勝手にそんな想像を膨らませ、お土産に甘い物まで用意して見慣れた帰り道を軽い足取りで歩く。

 色々あったが、久しぶりに恋人と会うのだ。

 嬉しくない筈はない。

 ウキウキ気分で自身のアパートへと到着し、ドアノブを捻る。

 が。


 「あれ? 鍵締まってる」


 中に居るなら、開けて置いてくれてもいいのに。

 とはいうモノの、防犯意識がそれなりに高ければ常に鍵は掛けておくだろう。

 そんな当たり前の答えにたどり着き、チャイムを押しこんだ。

 出来れば彼の方から扉を開けて欲しかった。

 室内から彼が顔を出し、「おかえり」って声を掛けて欲しかった。

 でも、いつまで経っても扉は開かない。


 「……出かけてるのかな?」


 首を傾げながら、自分の鍵を使って扉を開ける。

 室内はシンと静まり返り、人の気配は感じられない。

 というか、普段通り過ぎた。

 朝出掛けてから、室内に変わった様子がまるで無いのだ。


 「……? ただいまぁー? 居ないのー?」


 声を上げながら玄関を上がり、リビングや寝室を見て回ったが、やはり誰かが部屋に居た様子はない。

 まだ到着してないのだろうか? もしかしてまた仕事が?

 なんて、思ったその時に。


 「え?」


 ピコンッと間の抜けた音が響き、メッセージの通知を告げるスマホ。

 その内容に、思わず固まってしまった。


 『おかえり』


 彼は、私が帰って来た事を認識していた。

 でもその姿は何処にもなく、無機質な四文字の言葉が画面に浮かんでいる。


 「S? 居るの? ふざけてないで出て来てよ」


 声を掛けても、私の声が反響するばかりで他の音は聞こえてこない。

 もしかして外にいるんだろうか? 私が帰って来た姿が見えて、こんなメッセージを送って来たんじゃないのか?

 そんな事を考えて窓の外や、玄関を開けて周囲を見回してもそれらしい姿は見当たらない。

 どういう事なんだろう?


 「ねぇちょっと、居るなら返事してよ。どこにいるのー?」


 こういう悪戯をするタイプでは無かったと思うのだが……。

 ピコンッ、と再び通知が入る。


 『居るよ』


 短い返事だけが、画面に表示された。


 「だから居るなら出て来てよー、何か怖いよー?」


 少しだけ声を張りながら、室内を詮索していく。

 リビング、寝室ももう一度。

 トイレやお風呂、押し入れやクローゼットの中まで確認したが彼の姿はない。

 そして最後にキッチンへと足を踏み入れるが、やはりそこにも恋人の姿はなかった。

 一体何なんだ、どこに隠れているのか。

 いい加減疲れてきて、ため息を溢しながら大声で彼の名前を呼ぼうとした瞬間。


 『居るよ』


 再び、ピコンッと音がした。

 何故だろう、恋人からの連絡だと言うのにゾワゾワと背筋が冷たくなっていく。

 なんていうか、普通じゃない。


 「ね、ねぇもういい加減にしてよ! 早く出て来て!? サプライズだったとしても、こんなの嬉しくないよ!?」


 そう叫んだ瞬間、カタンッとキッチンの奥で音が聞こえた。

 私一人の室内、そんな中音が立てば気のせいだと考える方がおかしい。

 恐る恐るカウンターキッチンへと近づき、中を覗き込むと。


 「え?」


 そこには、見覚えのある青いスマホが落ちていた。

 見覚えがあるどころじゃない、どう見ても彼の物。

 そろそろ変えようか、なんて言いながらも随分と長い事使っていた古い機種。

 そのスマホが、画面を明るく照らした状態で落ちているのだ。


 「……S? 居るの?」


 声を掛ければ、ピコンッと手元から音が帰ってくる。


 『居るよ』


 更には、目の前に落ちているスマホの画面が動いているのが分かった。

 まるで人が操作しているみたいに、勝手に動いている。


 「何かの冗談だよね? ドッキリとか、サプライズとか。そういうのだよね? 夕飯作って待ってるって言われたから、デザート買って来たんだよ? 悪い冗談ならさ、もうやめよ? 早くご飯にしようよ?」


 もはや小さく震えながら、私は声を絞り出した。

 あり得ない、こんな状況。

 目の前に落ちているスマホは勝手に動き、私の声に合わせて返事が返ってくる。


 『居るよ』


 『居るよ』


 『ココに、居るよ?』


 こんな状況、どうやったら受け入れられるというんだ?

 そして。

 ――カタッ。

 その音が聞こえた瞬間に、私はバッと振り返った。

 キッチンに置かれたテーブル。

 結構広いアパートの為、食事の時くらいしか使用しないソレに。

 今までは無かったはずの、白い食器が並んでいた。


 「ヒッ!?」


 もう訳が分からない。

 短い悲鳴を上げながら腰を抜かし、手に持っていたケーキの箱を部屋の隅に投げ飛ばしてしまった。

 コレは、一体……何が起きている?


 「あ、あの……S。お願い、もう止めて? お願いだから、もう出て来て? 私怖いのとか苦手――」


 ――プルルルルッ。


 「ひっ!?」


 このタイミングで電話がかかってくれば、誰だって驚くと思う。

 思わずスマホを取り落とし、ガツンッ! という鈍い音が室内に響き渡った。

 ビクビクしながら画面を覗き込めば、そこには恋人のお父さんの名前が表示されている。

 状況が状況なので、混乱しながらもすぐに画面をタップしてスマホを耳に押し付けた。

 今はとにかく、一人になりたくない。

 そんな気持ちがあったからこその行動だったのであろう。


 「……もしもし?」


 『もしもし? Aさんかい? すまない、急に連絡してしまって』


 「い、いえ」


 聞き覚えのある人の声が聞こえ、何処かホッと胸を撫でおろした自分がいた。

 しかし、その安堵はすぐに覆される事となる。


 『連絡が遅くなってしまって済まない、君が一番傷付いているだろうに……息子が職場で亡くなった事はしっているよね? 急にこんな事を尋ねるのもアレなんだが……もしかして、君の所に息子の携帯は無いかい?』


 ……は?

 この人は、何を言っているのだろう?


 『すまない、君を気遣うべきだと色々考えては居たんだが……相手の会社が非を認めなくてね。裁判に使う証拠として携帯を捜していたが、どうしても見つからないんだよ。もしかしたら会社の連中が隠している可能性もあるが……アイツらは信用ならない。それから、もし息子から会社の話を聞いていたら、君にも協力を……もしもし? 大丈夫かい? 聞えてる?』


 亡くなった? 誰が?

 裁判? え? どういうこと?

 ひたすらに混乱して、目の前が真っ白になっていく。


 『あの、もしかして連絡を受けてないのかい? 向こうの会社から、息子が無くなった連絡はしてあるって聞いたんだけど。なんでも、息子と仲の良かった先輩が真っ先に連絡したって……婚約者だからと。それで君からは、事故であれば仕方ないって言われたからと聞いたのだが……』


 「あの……さっきから何の話をしているんですか? 今の現状も分からないのに、おかしな事ばかり言わないで下さい。お願いですから、説明してください……」


 もはや泣き声と言っても良いくらいに、私の声は震えていたと思う。

 聞かされたのは、恋人は一週間前に死んだという事。

 作業中の事故だったらしい。

 とはいっても、激務の末に起こった不祥事としか思えなかったが。

 そしてソノ事故に対して会社側は本人の不注意という結果を出した。

 彼の慢心が死亡事故を起こし、むしろ恋人は加害者に仕立て上げられていたそうな。

 彼のせいで仕事に支障が出た、彼のせいで会社の印象が悪くなった。

 彼のせいで……。

 そんな様々な理由が述べられ、彼のご両親は示談金を請求されているという。

 コレを突っぱねれば、裁判を起こすと脅しを掛けられて。


 『私も息子から仕事の話は聞いていたからね……だからこそ、息子が悪くないと証明したいんだ。君にも、強力してほしい。すまない、こんな事を頼まれる義理がないくらいは私も理解しているのだが……』


 悔しそうな声を漏らす彼のお父さんの声を、私は何処か遠い所で聞いているような気分だった。

 一週間前? 事故? 死んだ?

 原因に関しては、納得がいく様な環境だったのは間違いないが。


 「……ぁ、あの。確認しますけど、彼が無くなったのは一週間前で間違いないですか?」


 『え? あぁ、事故にあったその日に連絡が来たから間違いない。遺体も確認した』


 戸惑いながら答えるその声にとは裏腹に、私の体はどんどんと冷えていく。


 「あの、スマホなら……ウチにあります」


 『本当か!? すぐ取りに行くから、待っていてもらっていいかね!?』


 「それは構いませんけど、本当に彼が亡くなったのは一週間も前なんですか?」


 どうしても、そこだけは信じられなかった。

 だって、ソレを認めてしまったら……私は今日、誰と連絡を取り合っていたのだろうか?


 『あぁ、コレばかりは間違いない。どうかしたのかね?』


 不思議そうな声を上げる相手に対して、私は答える事が出来なかった。

 当然ショックも受けてるし、現実が受け入れられない気持ちもある。

 でも、それ以上に。


 『居るよ、大丈夫。近くに居るから、傍に居るから。もう酷い事言わないから、ごめんね。大丈夫、ココに居るよ。傍に居るから、近くに――』


 目の前に落ちているスマホに、そんな文章が永遠と入力され続けているのだ。

 少し前から、スマホの画面が動いている事には気づいていた。

 でも、まさかこんな文章が。

 そして淡々と繰り返す様に私のスマホに送られているとは思ってもみなかった。

 思わず耳に当てたスマホを取り落とし、尻餅を付いたまま後ずさってしまう。


 「お、お願い……ゆるして、S。私は関係ない、私は知らなかったの。だから――」


 ただただ未知の恐怖に震えていた。

 幽霊? 怪奇現象?

 そんな言葉が頭に浮かんでは消えていく。

 怖い、怖い。

 同じ言葉だけが頭の中に反復し、やがて背中が壁にぶつかる。

 止まらないメッセージの通知、通話中の相手のモノと思われる叫び声。

 回らない頭が、そんないくつもの“音”を捉えている間。

 ぽんっと、肩に手が乗せられた気がした。


 「ひっ!?」


 慌てて振り返った。

 いや、振り返ってしまった。


 『ご飯にシヨウか。コレカらは、ずっと一緒ダカラ』


 そこには、頭部が変形して血まみれの恋人が立っていた。

 高校の時みたいに、優しい笑顔を浮かべながら。

 物理的に歪になった口元を、ニッと吊り上げるのであった。


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