第12話 氷葬


 「お帰り……それともおはようかな? 良い夢だったかい?」


 パチッと目を開ければ、目の前には“語り部”の男性が居た。

 慌てて起き上がろうとしたが、体が言う事を聞かずアワアワとおかしな行動をするだけで終わってしまった。

 体が痺れている? というより、寒くて動かない?

 良く分からない体の不調に困惑しながら、膝枕をしてくれている彼の顔を見上げれば。


 「うーん、ゴメンね? 寒いよね。でも、もう少しだけ待ってくれるかな? どうにもこうにも、“雪ちゃん”がキレちゃったみたいで」


 困った様に眉を下げる彼は、何処から出してきたのか毛布を私の体にかけてくれた。

 それでも冷えていく空気、そして吹きすさぶ吹雪……吹雪?


 「愛とは求め、求められ。そして時に囁き合い、肌を重ねる。そして女は子を宿し、男と喜びを分かち合う。更には生まれた我が子を慈しみ、互いに……いえ、三者共に微笑み合うのが、“愛”というモノではないのですか? 私の知っている“愛”とは、そういうモノでした」


 視線を動かせば、黒髪の受付さんが居た。

 彼女は部屋の中央に立ち、吹きすさぶ風と雪に髪を揺らしながら……嘆いていた。


 「だと言うのに、貴女は何ですか? 求めているのは肉欲、財産。そして……他人様に対する優越感に独占欲。それだけですか?」


 彼女はどこまでも無表情だった。

 私から見ても、相手の事を“無価値”だと判断している様な、ゴミを見るような瞳でソレを見ていた。

 カノジョの視線の先、そこにあるのは。


 『お前ニ――ナニが、わか……』


 「分かりませんよ? だって、貴方ほど落ちぶれる気はありませんから」


 黒い、ただただ黒い塊があった。

 影とも表現できそうな、陰影という境の無い“黒”。

 そんな物体が、彼女の眼の前に転がっていた。


 『オイ、全員寄れ。凍死するぞ』


 頭の上から低い声が響き渡ると同時に、全身がモフッという柔らかい毛並みに包み込まれた。

 重さはあまり感じない、ちょっと獣臭いが。

 それでも十分に暖かく、そして柔らかかった。


 「ね、猫さん! 私も入れて!」


 『……勝手に入れ』


 温もりに飛び込んで来たその声は、今日初めて聞いた筈なのにどこか馴染みのある女性の声。

 数年に渡り、私と“怪奇現象”について語って来た彼女。

 多分大人なんだろうと予想はしていたが、思ったよりも幼い雰囲気を醸し出しながら、ズボッ! と音を立てて私達の近くに侵入してきた。

 これ、もしかして……さっきの黒猫さんが大きくなっているのだろうか?

 本当にこの店は、摩訶不思議だ。

 そんな、途方もない感想浮かべている間にも状況は進んでいく。


 「貴方が幼い彼女にしたように、私は私の理想論を押し付けます。私の“愛”の概念は、何処までも綺麗で美しいもの。だからこそ私は“ソレ”自体にさえ恋焦がれ、切望し。“愛”を求め続けるのです」


 『――――ガキが、ふざケる……』


 もはや氷像となりかけている人型の“黒い影”が、憎たらしいとばかりに声を上げる。

 その声は、随分と懐かしく感じる“ソレ”と同じ声に聞えるが。

 さっき見ていた“夢”。

 あれは、多分この状況と関りがあるものなのだろう。

 むしろ関係ない夢を見ていたという方が、納得できない状況にあるのだ。

 そして黒髪を靡かせる彼女は、静かに冷たい微笑みを浮かべた。


 「何と言われようと構いません。でも、ソレが“雪女”なのです。愛を求め、愛に泣く。誰かを好きになっても、私という“怪異”は愛を繋げられない。だからこそ誰かの愛に寄生するような、未だに醜くも執着する貴女の様な“害虫”が許せないのです。誰かの“愛”を食うには、貴女の理由は幼稚過ぎる」


 そんな台詞を吐いた彼女は、一つ指を鳴らした。

 次の瞬間、実態がないはずの“怪異”の見事な氷像が出来上がった。

 他人事ではない。

 アレは、今までは私を苦しめていた筈の怪異なのだ。

 それが今、一切の情け容赦も無いままに氷漬けにされているのだから。


 「お逝きなさい。その心は、いつまで“残って”居たとしても……きっと晴れることは無い。輪廻転生の果てに、美しい“愛”の形を見つける事を祈っております」


 ふぅぅと、静かに吐き出した彼女の吐息。

 それは空気が瞬時に凍ったみたいに、白く美しく、私達の眼にも目視できる程幻想的な光景だった。

 その“息”が掛かった場所から、氷像は崩れていく。

 まるで風に流される砂の様に。


 「なに、アレ……」


 「アレが雪ちゃんの祓い方。“氷葬”だよ」


 私の熱が逃げない様に抱きしめてくれている彼は、静かに語る。

 “氷葬”。

 言葉だけなら意味が分からない。

 でも、目の前で起きているのだ。

 人の形のまま凍らせ、そして息を吹きかけた先から“粉雪”……と表現していいのか。

 まるで雪が舞う様にサラサラと砕けていく。

 その欠片はキラキラと光に反射し、ダイヤモンドダストを彷彿とさせるような美しさを持って、“彼女”を確実に“亡き者”として変えていった。


 「綺麗……」


 「とはいえ、周りの人間としては被害が凄い事になるんだけどね」


 などと呟いている内に、“氷葬”が終わったのか。

 黒髪の和服少女は、未だ晴れぬ表情で消え去った“相手”がいた虚空を睨むのであった。


 「貴女は幸せ者です、例え失敗したとしても“愛した人と繋がれる身体”があったのですから。私は“雪女”。たとえ愛しても、ソレが成就すれば相手を殺してしまう。だからこそ、私の“愛”は実らせるべきではないのです。であるからして……私は貴女が羨ましいし妬ましい。不幸とは上には上がある、それをよく覚えておきなさい」


 ――――


 『この大馬鹿者がっ! お前は頭に血が登ると周りが見えなくなるきらいがある。そう何度も言った筈だろうが!』


 「ぐっ……獣風情が……」


 『あぁっ?』


 「こ、今回ばかりは言い返せませんね……」


 『“今回ばかり”、だぁ? 前回もだろうが! 頭が凍傷にでもなってるじゃないだろうな!?』


 「なっ!? 大人しく聞いていればこの猫畜生! 誰が記憶力の悪い田舎娘ですって!?」


 『いっとらんわそんな事! 今さっき言われた事も覚えられない様なら田舎に帰れ! いますぐ故郷の雪山にでも帰ってしまえ!』


 喋る黒猫が、着物姿の女の子にお説教をするという奇妙な光景。

 これもまた、“我が家”ではままある事だったりする。

 とはいえやはり、元のサイズに戻った幸が雪ちゃんにお説教をかましているのは……見てる側としてはちょっと面白いが。


 「ね、ねぇ。アレ放っておいていいの?」


 恐る恐ると言った様子で、栗原さんが呆れた眼差しをこちらに向けて来た。

 彼女はコタツに体のほとんどを突っ込んでいるので、何とも覇気がない姿になっておられる。


 「いいのいいの、いつもの事だから。大喧嘩になった時はちゃんと止めるし」


 「店主さんは、あの二人の喧嘩を止められるのですね……」


 反対側からそんな声が聞こえて、そちらへと視界を移せば……こちらにも炬燵牛こたつむりが。

 雪ちゃんの“氷葬”の影響で、室内の温度は急激に低下してしまった。

 それは「ちょっと寒くなった」とか、「暖房つけなきゃ」とかそういうレベルではない。

 この部屋に温度計はないが、多分氷点下だ。

 吐いた息が白いどころか、息を吸うと肺が痛い。

 そんなレベルでお部屋を涼しくしてしまった雪ちゃんに、幸の怒りが絶賛爆発中なのである。


 「なんというか、本当に不思議な場所……というか不思議な人達よね。貴方も実は怪異だったりするの?」


 「急に氷が無くなって、炬燵が出てきました」


 二匹のコタツムリからそれぞれジロジロと見られてしまうと、些か居心地が悪い。

 そんなに見られても、説明して上げる義理は無いのだが。

 だってお仕事じゃないし、喋るの疲れたし。


 「私は人間ですよ? ただ、ちょっと不思議な事が出来るだけです」


 なんて曖昧な返事を返せば、二人はジトっとした目でこちらを眺めている。

 コレ以上は秘密です、とだけ付け加えると二人は大人しく炬燵に潜り始めた。

 俺達は今揃って炬燵に足を突っ込んでいる……二人は体を、だが。

 その部屋は、先程から滞在している部屋と変わりない。

 だと言うのに、雪ちゃんが盛大に凍らせた痕跡はどこにも残っておらず、そして大きな炬燵が畳の上に出現していた。

 さっきまであったモノが消え、無かったモノが現れている訳だ。

 これは自身の“異能”とも呼べる力に関わってくる訳だが……まあ、いいか。

 語る相手も居ないし。

 とまあ部屋自体の構造、もしくは凍り付いた部分自体はすぐさま対処できるのだが……流石に冷えてしまった体温まではどうしようもない。

 なので窓を開け換気、その状態で炬燵という意味の分からない空間が爆誕したのである。

 更に言えば、猫が女の子を叱りつけている光景も含まれるのだが……全部を気にしていたら日が暮れる。

 というか疲れてしまうので、この二人にはある程度の部分はスルーしてもらう事にした。


 「えっと、色々あって言うのが遅くなりましたが……ありがとうございました。あのままでは、私は勘違いで母を恨む事になる所でした」


 炬燵布団に顔を半分埋めた状態の零ちゃんが、こちらを見上げながらそんな事を言ってきた。

 本来なら「せめて起き上がって言いなさいよ」なんて言いたくなるところだが、非常に可愛らしいので許そうと思う。

 一応言っておくが、俺はロリコンではない。


 「いえいえ、こちらとしてはちゃんとお代も頂きましたから。お仕事をしたまでですよ」


 そう言いながら、炬燵の上に置かれた封筒と貯金箱をポンポンと叩いて見せる。

 正直に言えば、足りない。

 しかしこの場でそんな事を言いだすのは無粋の極みだろう。

 というか勝手に仕事をしておいて、後で多額の請求をするなんて詐欺師みたいだから絶対出来ないけど。

 もう一匹の炬燵牛には遠慮なく請求させていただくが。


 「あ、そういえば私もちゃんとお礼言ってなかったっけ? ありがとー」


 コタツムリ二号もヒラヒラと手を振りながら声を上げて来たので、「はいはいどういたしまして」とか適当に返しておいた。

 栗原さん、貴女人と関りを持つと一気に距離感近くなりますね……もしくはだらしなくなるというか。

 婚期遠のきますよ?

 なんて言ったら殴られそうなので、絶対に言わないが。


 「しかし、あの……お金、足りませんよね? 看板にも確か……」


 おっと、目ざとく気づいてしまったか。

 前に雪ちゃんが“試しに”と作った看板は今も店の前に飾られているのだ。

 気づかない方がおかしいか。


 「今回の仕事は、君の提示した金額で店主である私自身が請け負ったモノだよ? だから大丈夫、報酬はコレで充分だよ」


 「でもっ!」


 まだ納得がいっていないのか、コタツムリは殻を脱ぎ捨て俺の隣に正座し始めてしまった。

 うーむ、この子……薄々思ってはいたけど、随分と大人びている。

 行動や思考、言葉遣いでさえ。

 下手すればもう一匹のコタツムリより大人びた思考回路をしているのかもしれない。

 ちなみに彼女は興味深そうにこちらを見ているが、未だ炬燵に突き刺さったままだ。

 多分根っこでも生えてしまったのだろう。


 「ココは私のお店で、値段設定もある程度の基準として掲げただけに過ぎないんだよ。だから、大丈夫。むしろお釣りを返してもいいと思っているくらいだよ?」


 「そんなの駄目です! 私はそれ以上の事をして頂いたんですから、追加料金を支払う事はあっても、お釣りを受け取るなんてありえません!」


 困った、ちょっとこの子しっかりし過ぎている。

 むしろ俺の方がだらけてるわコレ。

 幼い頃から“怪異”と関り、様々な事を考える時間が増え、そして答えを導きだそうとしたこの子の“特徴”。

 そう言っていいのだろうが……本当にどうしようか。

 どう言えば納得してくれるかな?

 そんな事を考えながら、頭をガリガリと掻きむしっていると。


 「一つご相談させて頂いてよろしいでしょうか?」


 「え? あ、はい」


 やけに改まって、尚且つ声を強張らせながら、目の前の彼女は静かに頭を下げて来た。

 コレだけ大人びた彼女の事だ、馬鹿な事を言いだしたり、おかしな返済方法を提示したりはしないと思うのだが……。

 結果から言おう。

 そんな俺の予想は、あっさりと裏切られる事になった。


 「足りない分は体で払います!」


 「「はぁっ!?」」


 俺と、あとコタツムリが一匹。

 どデカい声を上げて反応してしまった。

 その声に反応したのか、未だに喧嘩していた一人と一匹の“怪異”達も、何事かと視線を向けてくる始末。

 ま、不味い。

 非常に不味い状況だ。


 「あ、あのね零ちゃん? 君は幼いとはいえ女の子だ。そんな台詞を、俺みたいな男性に言っては――」


 「ここで働かせてください!」


 「あ、そっち?」


 訂正。

 この子、やはりまだまだ子供ですね。

 危なっかしいどころの話ではなかった。


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