第6話 お仕事とリピーター


 ペチペチと、何か柔らかいモノが頬を叩く。

 うっすらと目を開ければ、髪の長い白い和服の少女が馬乗りになって頬を叩いている。

 しっかりと起き上がるまでは不満なのか、瞼を半分ほど開けても彼女は人の頬を叩いたり引っ張ったりしていた。


 「起きた、起きたから。乗っからないで?」


 そう言うと彼女はフンスッと鼻息荒く腰に手を当て、やっと体の上から退いてくれた。

 多分“こういう事”に慣れている人間でなければ、金縛りとかそういう現象に見舞われていた事だろう。


 「おはよう、今日もありがとね?」


 半身を起こしながら目覚まし時計……もとい“座敷童”に挨拶すれば、グッと親指を立ててからスルリと下の階へと沈む様に通り抜けてしまった。

 彼女は“妖怪”であり、このアパートの守り神的な存在。

 正確に言えば、大家の桜婆ちゃんに“憑いている”だけなんだけど。

 “見える人”である俺に対しては、随分と距離感が近いのだ。

 なので、こうして起こしに来てくれる。


 「仕事……いくかぁ」


 あくびをかみ殺しながら、まだちょっと薄暗い窓の外を眺める。

 何だかんだ言っても、どんな仕事をしていても。

 やはりこの世を生きる者にはお金が必要なのである。

 そしてそのお金を“語り部”だけで稼げているのかと言えば……悲しいかな、否である。


 「もう少し楽で、夕方くらいには終わる仕事ってないかなぁ……」


 そんな事を呟きながら、俺はため息を溢しながら仕事の準備を始めるのであった。


 ――――


 「お疲れ様、もう上がっていいよ」


 「ふぃー……お疲れ様でした」


 大きなため息を溢しながら、負荷の掛かった腰をトントンと叩く。


 「はっはっは、若いのに年寄り臭いよ? まぁ幸太郎君らしいけど」


 そんな事を言われながら、苦笑いを溢して事務所へと戻る。

 ココは皆様よく見るスーパーマーケット……の、開店前の光景である。

 あまりこういう仕事に対して、専門で人を雇ったりしないと聞くが……この店は仕入れがとにかく多いらしい。

 その為トラックから降りてくる荷物を仕分け、更に各方面に届けるだけでも一苦労なのだそうだ。

 という事情もあり俺は早朝働く、仕入れ物品分別係みたいなお仕事を貰っていた。

 結構な重労働だが、運動不足の体には丁度いい? 刺激になっている気がする。

 何より勤務時間は少ないし、それなりの給料貰えるのが素晴らしい。

 それでもやっぱり楽をしたくなるのが人間というモノで、この後自身が経営する店へと向かうのかと思うと、タイムカードを押すのも億劫というものだ。


 「はぁぁぁ」


 盛大なため息を溢しながら、ガシャコッ! と音を立てて吐き出されたタイムカードを受け取ってからため息をもう一つ。

 ほんの数時間の労働、それでも格安アパートで格安ご飯を食べていれば生きていけるくらいにはお給料が貰える。

 だからこそ文句はないし、感謝するべきなんだろうが……。


 「眠いんだよなぁ」


 睡眠時間がもう少し欲しい。

 いや、必要分くらいは寝ているのだが……やはり眠いモノは眠い。

 なので自分の店に到着すると、すぐさま昼寝に入ったりする訳だが。


 「あんまり寝てると、幸が怒るんだよなぁ……」


 ウチの店に居る黒猫、名前は幸。

 俺が子供の頃拾ってきた黒猫であり、随分と可愛がっていた為自分の名前の一文字を与えてみたのだ。

 結 幸太郎ゆい こうたろう

 その名前の一文字目を。

 それが呪術的な影響を及ぼしたのかは分からないが、ある時フラッと一週間くらい居なくなったかと思えば、次に帰って来た時には尻尾が二つに分かれていた。

 幸、尻尾どうした? なんて聞いてみれば『増えた』と普通に言葉が返って来た時は驚いたものだ。

 だって猫が急に喋ったんだよ、ビビるじゃん。

 そして幸は俺の事を“太郎”と呼ぶ。

 なんでも、一文字目は我が貰ったからお前は太郎だ! だそうで。

 まあ何でもいいけど。

 そんな“猫又”になった相棒は、猫の癖に俺より睡眠時間が少ない。

 なので寝てばかりいると、働けと怒られるのだ。


 「まぁ働かないといけないのは事実なんだけどねぇ」


 この前の依頼主からの振り込みもまだ無い様で、今月は懐事情がちょっと怪しい。

 スーパーの仕事もしているから、生活出来ない事は無いのだが……やはりもうちょっと給料の良いバイトを探すべきだろうか。

 とか何とか考えながら、人目の無い建物の隙間に足を踏み込んでいく。

 袋小路と言わんばかりの一本道、そしてその先に現れる一枚の洋風の扉。

 飾り気もなく表札さえもないソレは、傍から見れば不審に思う事間違いなしだろう。

 そんな扉を迷うことなく押し開き、中に入ってからは“引き戸”を後ろ手に閉めた。

 色々おかしい、おかしいがココはそういう場所なのである。


 「ただいまぁー」


 「お帰りなさいませ、主様」


 玄関を潜れば、そこには和服姿の少女が頭を垂れていた。

 俺の事を主と呼び、慕ってくれる彼女。

 おっさんに片足突っ込んだ俺に対して、こっちは女子高生くらいの女の子。

 見た目だけなら即通報モノな雰囲気だが、生憎とそうはならない都合があった。

 “鸛 雪奈こうのとり ゆきな”、通称雪ちゃん。

 彼女もまた、幸と同じ“怪異”なのである。


 「今日は誰か来てるかな? って、こんな時間じゃ来てる筈もないよねぇ」


 はっはっはと軽快に笑い飛ばしながら、荷物を彼女に預ける。

 当然の様にソレを受け取った彼女が、小さく頭を垂れながら形のいい唇を開いた。


 「先日のお客様が客間でお待ちです、なんでも料金を直接払いに来たとか。そしてまた一件、ご相談があるとかで……」


 「マジで?」


 「マジです。なので、もう着替えられた方がよろしいかと。あと、口調も仕事モードで」


 はぁ……とため息を一つ溢してから、服装をいつもの浴衣姿に変える。

 唯一使える“異能”を、こんな風に使っている所を両親に見られたらと思うが……まあ見られなければ問題は無い。

 雪ちゃんも今ではもう慣れてしまったのか、そういうモノだと割り切っているのか。

 「相変わらず、不思議な光景ですね」なんて言葉が返ってくるだけで済んでいる。

 そんな彼女は半歩後ろから、俺の荷物を持って付いて来た。

 もはや完全に定位置と化している。

 彼女が近くに居るとちょっと寒いんだが、だからと言って近づくなとも言えず、結局こういう距離感が当たり前になってしまった。


 「ま、何はともあれ、今日はどんなお話が聞けるのかねぇ」


 「私もまだ聞いてはおりませんが、先日の問題は解決したようですし……また別件ではないでしょうか?」


 「別件かぁ、面倒くさくないといいなぁ」


 そんな会話をしながら廊下をノシノシと二人で歩いていくのであった。


 ――――


 「待ってたわよ」


 襖を開けて登場した店主に、まず一言声を掛けた。

 相手からしたら再びこの店に訪れた私が意外だったようで、やや呆れ気味な笑みを向けられてしまったが。


 「先日ぶりです、お加減の方は如何でしょうか?」


 「いや、そんな医者みたいに言われても」


 どこかズレた発言をかましながら、彼は私の目の前の座布団に腰を落とし「ふう……」と、どこか疲れたため息を溢した。


 「それで本日はどのようなご用件で? 料金なら振り込みでお願いしたはずですが」


 この店にはリピーターという概念は無いのだろうか。

 私がここに来ている事自体予想外というか、どう対処したらいいのかという焦りが見受けられる。

 以前ココに来た時の様な、終始飄々とした怪しげな男の姿は見受けられなかった。


 「お礼と、せっかくなら直接支払いをと思って。それからもう一つ相談しようかなって」


 「これはこれは、ご丁寧にどうも……じゃなくて、もう一つの相談とは? 貴女にはもう何も“憑いていない”様に見えますが?」


 場の空気に流されそうになった店主が、慌てた様に突っ込みを入れて来た。

 なんというか、前と比べて随分と親しみやすい印象を受ける。

 前は雰囲気も気配も、そして掴み処のないその笑みですら警戒させられたというのに。

 今ではとにかく普通の和服を着た男性でしかない。

 その様子に思わず微笑みを溢してしまえば、相手は「むむっ」と少しだけ険しい顔を作ったのだが。


 「うん、私の方はアレから綺麗さっぱり何もないよ。改めて、ありがとうございました。それなんで、代金は少しだけ色を付けさせていただいております」


 「マジですか」


 「マジですよ?」


 ちょっと古臭い考えだけど、これで良いモノでも食べてくれって事で。

 というかしっかり食べているのだろうか? なんて心配になってしまう程、彼は細い上に白い。

 やはりこういう店をやっていると、お客を選んでしまうのだろう。

 とかなんとか考えたが、流石にコレ以上はお節介なので考えないようにする。


 「それで、相談事なんだけど……私の友達って言っていいのかな? ネットで知り合った子が居てね? 彼女もまた“怪異”に悩んでいるみたいでして、その子の相談にも乗って頂ければなぁと」


 「所謂“メル友”ってヤツですか」


 「死語ですね、思いっきり」


 「……お話を伺いましょう」


 とんでもなく気まずそうに眼を逸らした彼は、明後日の方向を向きながら話の続きを促した。


 ――――


 私は先日解決した“怪異”の件でずっと悩んでいた。

 だからこそ、自分なりに解決する術は無いのかと色々と模索した過去がある。

 そして現代における最大の検索ツールと言えばネットだ。

 膨大な情報から私の事例に似た現象、対処法を探していった結果。

 行きついた先は、とあるチャットルーム。

 私の場合は、“送られてくるメール”。

 しかしソレは送られてくるはずの無い人物からのモノ。

 相手が“その類”ではないかと思い始めてから、実際に怪奇現象が起り始めた事など、様々な出来事を書き込んだ結果。

 一人の女性が反応を返してきた。

 女性……だと思うが。

 彼女もまた、私と同じような状況に悩んでいた。

 起こっている現象がまるで同じという訳では無いが、彼女も怪奇現象に苦しめられているという。

 もしかしたら嘘かもしれない、場を盛り上げるだけの虚言なのかも。

 そんな風に考えた事もあったが、彼女の語る文字列には“私と同じ”だと感じられる程の必死さを感じたのだ。

 もはや自分だけではどうにもならない恐怖。

 他者を頼っても改善しない現状。

 だからこそ、少しでも可能性があるのならと手を伸ばしたネットの世界でようやく見つけた理解者。

 そんな風に感じてしまったのだ。

 その後私達は共感しあい、互いのSNSやメールアドレスを交換しあう仲になった。

 私はこの店に来て、やっと解放された訳だが……彼女はまだ、今もその現象に苦しんでいるのだ。


 「ふーむ、出会いと繋がりはわかりました。しかし実際に話を聞いてみて、更には“見て”見ないと何とも言えませんねぇ」


 「ま、そうですよね。なのでこのお店を紹介して、更には同行させてもらえればって思いまして。やはり初対面とはいえ、言葉を交わした関係の人間が居た方が相手も無駄な警戒はしないでしょう?」


 我ながら良いアイディアだと思うのだが、どうだろう。

 その件と関係なしに、ネットで仲良くしてもらってる相手とのオフ会的な要素を含んでいないかと言われれば、肯定する他無いのだが。


 「う~ん、まぁ別にいいですよ? ちゃんと生きている相手で、ちゃんと料金を払えるのであれば、何の問題もありません」


 「何か含みのある言い方ですね……」


 まるで私の友人を疑っている様な、そんな言い回し。

 彼女は私と同じ悩みを持ち、そして相談し合ってきた仲なのだ。

 前回の“死者からメール”とは全く違う、それは確信を持って言える。

 だからこそ紹介しようと意気込んでいたのに。


 「栗原さん、貴女も実際に経験した通り相手の顔が見えない連絡というのは、結構怖い物なんですよ? 相手が生きているのかも分からない、共感してくれる相手を探して彷徨っている“怪異”だって存在します。インターネットを通じてのやり取りというのは、そういう意味の危険性をも含んでいるのですよ?」


 諭す様に語る店主に、何となく腹が立った。

 いわんとしている事は分かる、けどここ数年語り合ってきた友人を馬鹿にされた様で、どうしてもカチンと来てしまう。

 時には相談し合い、時には励まし合った相手を、最初から“居ないモノ”と仮定するのは余りにも失礼だ。


 「な、なら実際に連絡を取って連れてくれば良いだけの話ですよね!? そしたら相談に乗ってくれますか!?」


 叫ぶように言い放てば、店主は困った様な顔で笑いながら口を開いた。


 「その相手が、しっかりと料金を払えるのであれば」


 言質は取ったとばかりに、私は彼女にその場でメールを送った。

 『もしかしたら“レイちゃん”の悩み解決するかも、出来るだけ早く連絡下さい。ちなみに私の方はソレで解決しました。怪しいとは思うけど、どうか一度足を運んでみて下さい』

 そんな文章と共に、この店の名前と住所を相手におくりつけた。

 これで相手からの連絡を待つばかり。

 今日明日でどうにかならなくとも、数日後には彼女の悩みも私の時と同じように……なんて、思っている時だった。

 ピコンッ!

 間抜けな音をして、私のスマホが通知音を鳴らした。


 『語り部 結ですか。帰り道で見た事があるので、今から行ってみようかと思います』


 返事が早すぎる、というか予想外にあっさり信じてくれた様で思わず呆けてしまったが……これは実に都合が良い。

 店主に私の友人は存在すると示せるだけではなく、彼女の悩みもすぐに解決できる可能性があるのだ。


 「ホ、ホラ! 今から来るって!」


 興奮気味に相手にスマホを差し出してみれば……ふむ、と小さな返事が返って来た。

 なんやねんその反応は。


 「雪ちゃん、今からお客様がいらっしゃるかも。準備しておいて? 幸、君も雪ちゃんと一緒に相手を見て来てね?」


 「仰せのままに」


 「にゃ」


 店主の言葉に、従者の少女と近くに座っている黒猫まで動きだした。

 えっと、これはどういう状況なのだろう。

 店主が私の言葉を信じてくれたのは良しとして、何やら警戒している雰囲気があるのだが……気のせいだろうか?

 そんな事を思いながらも彼らの行動に口を出せぬまま、私は呆然と部屋から出ていく彼女と一匹を見送った。


 「っていうか、“レイちゃん”ってご近所さんだったんだ……」


 「そうとも限りませんよ?」


 帰り道に寄れるくらいに近場だろうと反論したい所ではあったが、彼は以前の怪しげな微笑みを浮かべていてそれ以上の言葉を続ける事が出来ず。

 結局口を噤んだまま“レイちゃん”の到着を待つのであった。

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