19.小さな綻び
レオナが取ってくれた宿に着いた頃には、時間は24時を回ろうとしていた。
レオナはシャルロッテと同じ部屋になった。アロイスには、シャルロッテの「おやすみなさい」という言葉は、どこか力なく聞こえた。
一方で、アロイスは、ジルベルトと同じ部屋であった。彼の様子を見るに、容態は今は落ち着いているようだ。
そんな彼の様子に素直に安堵のため息をこぼす。レオナからはもしも急変したときはすぐに呼ぶように言われていたが、どうやらその心配はなさそうだ。
それにしても、とアロイスはもぞもぞとベッドに入りながら考える。
あの強情姫は大丈夫だろうか。あんな表情をするとは、ちょっと意外だった。
ジルベルトがシャルロッテを守ったことに、彼女はひどくショックを受けているように見えた。血を流すジルベルトよりも、真白な顔をしていた。臣下は当然身を挺してでも自分を守るものだと、彼女は思わなかったのだろうか。俺の知ってる貴族は、臣下をモノとして扱うやつが多い。人であるのにも関わらず、彼らを駒のように考えている人がほとんどだ。
あの姫はおかしな姫だと思った。傲慢で、強情で、変なところで甘い姫だ。
それは果たして彼女の甘さか──それとも、否か。
「……ミラ……」
「ん?」
考え込んでいたアロイスは、小さな声を聴いた。アロイスは立ち上がる。ここにいるのは、俺と、ジルベルトだけだ。つまりは、とアロイスは寝ているはずのジルベルトのもとへと行く。
彼の顔を覗き込めば、どうやらジルベルトはうなされているようだった。脂汗がにじむ額をみるに、どうやら高熱で悪夢を見ているらしい。
「……起こした方が良いかな?」
悪夢に蝕まれる辛さはよく知っている。これは、起こした方が良いと判断したアロイスは、ジルベルトの肩をゆすろうとした。
すると、その時だった。
「カミラ!!!!」
突如として、アロイスが彼を起こそうと伸ばしていた腕をジルベルトがつかんだ。驚きのあまり思わず引いてしまった腕を、ジルベルトは、逃がさないといわんばかりに強く握った。
「っ、ジルベルト殿」
とても強い力だった。あまりの強さと痛みに顔をしかめたアロイス。ジルベルトをみれば、瞳こそ開いてはいるがその瞳は虚空を映している。
「ジルベルト殿、起きてください!!」
チッ、と浅く舌を打ったアロイスが強く叫んだ瞬間、ジルベルトの肩がびくりと揺れた。
頬に伝ういくつもの汗が、部屋の鈍いオレンジ色の光に反射していた。アロイスは、片方の腕でジルベルトの開いている腕を優しくポンポンと叩き、もう一度「ジルベルト殿」と声をかけた。ジルベルトは、ゆっくりとこちらを向いた。彼の虚ろな瞳には、光が戻っていた。
「……アロイス、王子」
「はい。俺が分かっているなら、大丈夫です。」
アロイスはため息混じりにベッドの横に腰を下ろす。
「悪夢に魘されているようだったので、起こさせてもらいましたが……大丈夫ですか?」
顔を覗き込めば、ジルベルトは乱れた呼吸を整えようと深呼吸を繰り返していた。握られた腕は変わらないが、力はだいぶ緩まっている。
「水でも飲みますか?」
「…っいえ、あ、すみません王子」
ようやく握っていた腕に気が付いたのか、ジルベルトは慌てた様子でその手を放した。そんな彼に、アロイスは「大丈夫ですよ」と笑う。
「私は……」
未だぼんやりとした様子のジルベルト。記憶も曖昧なのか、この部屋の様子をぐるりと見渡しては、戸惑った顔をしている。無理もないと、アロイスは説明しようと口を開いた。
「あなたは敵から刃を受け、傷を負いました。覚えていますか?」
「……そうだ、姫は!?」
「大丈夫です、シャルロッテはあなたが守ってくださったおかげで、傷一つありません。」
アロイスの言葉に、ジルベルトは安心したのか緩く息を吐いた。
「残党は捕まりました。レオナ曰く、憲兵団に身柄を渡したそうです。あの宿は放火されてしまいました。ゆえに、今は場所を変え、別の宿にいます。時刻は24時2分。あなたが怪我を負ってから3時間ほどたっています」
「……そう、ですか」
「他にもなにか知りたいことがあったらなんなりと」
「…レオナは、今回襲撃してきたものについてなにか言っていましたか?」
「いえ、とくには。」
「姫は?」
「いえ…今回の襲撃者についてなにか気になることでも?」
「……。私は、うなされていたとき、何か口走っていましたか?」
ジルベルトは、アロイスの質問には答えずに、逆に質問で返してきた。
「あぁ、たしか『カミラ』と、言ってましたよ。」
額に皺を寄せたまま答えたアロイス。ふと、ジルベルトを見れば、彼は眉間に手を当てて俯いていた。具合でも悪くなったのかと、案じ、声をかけようとしたところ、ジルベルトは顔をあげてアロイスのことを真正面から見つめてきた。その眼光の鋭さにビビっていると、ジルベルトは静かに言った。
「アロイス王子、あなたは、『ルイナス』について、どれくらい知っていますか?」
「え?」
予想外の質問に、アロイスは眉を顰めた。
「場所、くらいですかね。それ以外は、ちっとも」
「……私は、あなたにも、知る権利がある、と思います。だからこそ、あなたに『ルイナス』について、お話ししようと思います。」
「……いいのですか?」
「その権利が、あなたには、あります。しかし、その前に、まずは、私自身のお話をさせてください。」
ジルベルトは、柔和に微笑んだ。ここにきてはじめて、アロイスは彼があんなにも柔らかく笑うことを知った。
「私の生まれは、ルイナスとアルントの境目にある、ネガーシャと呼ばれる小さな村でした。領土はアルントに属していますが、牧草地はルイナスにあり、アルントで唯一ルイナスとの交流を許されていた地でもありました。私は、そこでのちに妻となる『カミラ』と出会いました。カミラは、ルイナスの者でした。彼女は、ルイナスとアルントの国境を適格に守る由緒ある家の娘で、家柄的には貴族でした。それでも、カミラは、私をとても深く愛してくれました。私は彼女釣り合う身分でなかったのにも関わらず、彼女は家に反対されてもなお、私とともに生きる未来を、選んでくれました。」
ジルベルトは、そこで一度息を吐いた。アロイスは黙ったまま聞いていた。
「私は、学はなかったのですが幸いにも、力はありました。村で行われた軍の選抜試験に運よく合格し、私は王都に向かう資格を得ました。彼女は、これをとても喜んでくれました。ただ、そのとき、彼女のお腹には私の赤ん坊がいました。彼女は、『ここであなたを待っている』と、笑いながら私を送り出してくれました。
王都についてしばらくは鍛錬の日々でした。たまに手紙でやり取りする以外に、私たちは連絡手段をもっていませんでした。それでも、その日々はとても幸せな毎日でした」
とても幸せそうに呟いたジルベルトは、一度そう言葉を切った。アロイスは相槌も打たずに彼をじっと見つめていた。
やがて、少しの沈黙ののちに、彼は顔を曇らせた。そうして、口を開いた。
「あるとき、私に出陣命令が下されました。
私はその戦で功績を残し、武勲を立てたことにより、階級もあがり、いわゆるエリート街道を進んでいました。カミラにもそのことを伝え、しばらくは帰れないかもしれないと、謝りました。けれど、彼女はむしろ喜ばしいことなのだから、と応援してくれました。
しばらくは戦漬けの毎日でした。戦って、戦って、武勲をあげ……。武将だと称され、陛下にもお褒めの言葉をいただき、私は満ち足りた日々を送っていました。
ですが、終わりの時は着々と近づいていました。
それは、忘れもしない───私が王都に出向いて9か月が過ぎたときでした。」
「あるとき、王が突然、ルイナスと戦を始めると言い出しました。理由は領地拡大のためだといっていましたが、誰もそれを信じませんでした。これまで、アルントとルイナスは決して仲が良いとは言えない関係ではありましたが、それなりの友好関係を維持していたのです。それが、なぜ、と喚き立つ臣下に、王は言いました。
『ルイナスは、われらアルントを侮辱した。これは、我らのプライドをかけた戦いなのである。奴らは、いずれこの国をのっとるつもりなのだ。我が臣下たちよ、国民の幸せを守るために、どうか力を貸してくれ』と。
結果として言ってしまえばアルントの臣下たちは、この王の言葉を聞き入れざるをえませんでした。突如として始まった大きな戦争に、国民はざわめいていましたが、王の言葉は絶対でした。
私はというと、その戦争に断固反対の姿勢でいました。その頃には、私の言葉は多くの人に届くほどに力を、持っていました。だからこそ、王に直々に意見を言おうと、私は私を賛同するものたちの印を集め、王に面会を求めました。王に頭を垂らした瞬間、王は私にこう言いました。
『お前の妻は、ルイナスの者であったな。お前が、もしもここで生きていきたいと願うのならば、妻子は捨て置くが良い。そうすれば、せめてもの救いで、お前の妻子は生かしておいてやろう』
私は言葉を失いました。判断ができない私に、『王は一日だけ時間をやる』と、言いました。そして、『その一日で、妻子と話してくるが良い』、と。」
「私は、すぐに家に帰りました。ですが、久々に帰った故郷は、ひどく静まり返っていました。村人はほとんどおらず、馴染み知った顔はおろか、人ひとりっこおりませんでした。私はもはや縋るような気持ちで、家のドアをノックしました。
扉は静かに開き、愛しい妻が出てきました。大きなお腹をつらそうに抱え、カミラは、私に抱き着きました。
家に入り、私はカミラと話をしました。彼女のこれまでの話を一つ一つ聞き、そして頑張ったな、と抱きしめてやりました。すっかり夜も更けたころ、カミラは私に一枚の手紙を差し出しました。彼女は言いました。『あなたが大きな戦に行くと聞いて、お守りと手紙を書いたの。向こうについたら、ぜひ読んでちょうだい』と。
私は、彼女の顔を見たときから決心していました。彼女とお腹の子を守るためだったら、いくらでもこの身を危険にさらしてやろうと。我が妻と、子を捨て置くことなど、できるはずはありませんでした。王都に帰り、私は妻の言う通りその手紙の封を開けました。
そして、私は………私は、絶望しました。」
ジルベルトの声が、ひどく冷気を含んだ。彼の顔は、張り詰めた表情をしていた。
「その手紙には、まず私との思い出が事細かに書かれていました。
そして、お腹の子は女の子であるいうこと、名は私の名前からとって『ジュリア』にするということ。そして、彼女はあの地から去り、戦争とは離れた場所に行くということが書かれていました。
『あなたのキャリアを、あなたが一生懸命に戦って築いた正当な地位を、あなたの大切なものを、私は壊せない。』
そう、最後に書いてありました。彼女は、私のためを考えて、考えて───そうしてこのような結果を残したのだと、私は悟りました。その後、王と面会し、私は妻と離れる決意をしたと言いました。王は私を称え、次の戦の大将に命じました。
そうして、戦い、戦い抜き、気づけば戦は5年も続いていました。終わらない戦に民は疲弊し、国は揺らいでいました。それを見かねた両国は、とうとう一時休戦の条約を結びました。」
「そして、今に至ります。私はいまだに妻と会えていません。ルイナスとの戦が終わらない限り、会うことはできないだろうと思っています。アルントと、ルイナスは『休戦条約』を結んだだけで、この両国間の問題は何一つ解決していません。なにより、私はこの戦の根本的理由が何であるのかを、知りません。今、戦っているものたちもそうです。自分たちはただ、国の威信をかけて、それだけの為に戦っているのだと、今もそう思っています。けれど、戦とはそれだけで続けられるものではありません。みな、何かしらの主張があって、平和のためだと信じて、残した家族のためだと思って、我々はやっと、人の命を奪う覚悟が、できるのです。
我々は何も知らないし、わかりません。けれど、ただ一つだけ言えることがあるとすれば、両国は今でも水面下で戦っているのは事実である、ということです。今日のように、夜盗を使ったり、小さな事件を数多く起こしたりしています。
このままでは、小さな綻びは大きな穴となってしまいます」
ジルベルトは、話しきったのかふっと息をついた。その疲れた様子に、アロイスは黙って立ち上がり、水差しとグラスを持ってきてジルベルトに入れてやった。
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