8.慈愛とビーナス


神官の言葉に周りは拍手で包まれた。アロイスもシャルロッテも無言のまま前を向き、大衆に向かって一礼した。

俺はシャルロッテが嫌いだが、彼女に罪はない。俺を背負う責任もなければ、不幸せにならなければいけないってことでもない。人間は誰しもが幸せになる権利があると、両親は言っていた。もちろん、それは例外なくシャルロッテにだって、同じことが言える。


「それでは、陛下からお言葉を」


今までしてきた事が事だから、何とも言えない。どうしよ、今すぐそこにいる愚かな王子を殺せ! とかなんて言われたら。そんなことを思いつつ少しばかり恐怖心を抱きながらも、ちらりと陛下の方を見上げる。厳格そうなワシのような瞳に、彫りの深い顔立ちは端整であり、さすがはシャルロッテの父親なだけあるな、とアロイスはぼんやりと思った。

そうしてその流れのまま、その隣にいるダイナ妃を見やるといつもと変わらずダイナ妃は聡い目で微笑んでいた。

陛下からは特に何か言及されることもなく、ついでに言えば殺されることもなかった。そうして、話し終わった陛下は厳かに立ち上がった。

その途端、その場はシーンと静まり返る。

陛下はそんな皆を黙ったまま見渡すと、一つ息を吐き、俺たちに向かって朗々といい放った。


「国民にとって良き指導者となれ」


陛下からの言葉は、その一言だけだった。

それは、良くも悪くもアロイスの力を抜けさせた。一瞬すれ違った目線は、何かを訴えているような気がしたが、あんまりにも一瞬すぎてよく分からなかった。それでも、氷のような冷たい目の中には確かな敵意と殺意があった。アロイスは変わらず陛下をじっと見つめていたが、それ以降目線が交わされることはなかった。


諸々の挨拶が終わり、アロイスとシャルロッテは玉座に腰掛けた。

なんだかどっと疲れてしまい、アロイスはため息を堪えつつも、あたりを見回す。いつのまにか広間ではダンスが再開していた。陛下もダイナ妃も手を取り合って楽しそうにダンスをしているのが見え、あの人も人間なんだな、なんて思ってしまった。


「アロイス王子、どうかなさいましたの?」


しばらくそうしていると、後ろから声が聞こえた。振り返れば、心配そうな顔をしたシャルロッテがそこにいた。アロイスは、そんなシャルロッテに笑顔を作り、立ち上がる。


「いえ、なんでも。それよりもシャルロッテ姫、そろそろ姉上たちに挨拶をしたい(嫌なことはさっさとすませたい)ので、行きませんか?」


すると、シャルロッテの顔は緊張なのか硬直した。「そ、そうですわね」と答えるが、妙に声が上ずっている。アロイスはまた笑いだしそうになるのを押さえたまま、シャルロッテに手を出す。シャルロッテは目を大きく見開いたまま、驚いたような顔をしたが、アロイスが片眉を上げたのを見て、慌てて手を取った。

エスコートされると思ってなかったのだろうか。ちらりと横顔を見つめれば、どこか顔を強ばらせたシャルロッテが、じっと目に力を入れていた。もしかして、嫌だったのかもしれない、と当たり前のことを思いついてしまい、途端に申し訳なくなった。


「アロイス王子、なにか注意点はありますの?」

「……あぁ、えっと、姉上たちと話す時だけでいいので、そのときだけは私のことをアロと呼んでいただけませんか?」

「な、なぜですの?」

「私は親しい者には愛称で呼んでもらっています。婚約者で、ラブラブなカップルという設定なのですから他人行儀によそよそしくしては姉上達にばれてしまうでしょう?」


至極当たり前だというように言えば、シャルロッテは素っ頓狂な顔になった。


「そういうものなのですか?……よ、よくわかりませんが、そうした方がいいのならそういたしますわ」


シャルロッテはため息をつきながらも頷いた。


「それでは参りますか。シャルロッテ姫、あなたは聞かれたことだけを頷くくらいでかまいませんから余計なことは言わないでくださいね? あとは俺が何とかしますので」

「なっ…余計なことなんて言いませんよ!」

「念のためですよ。あくまでも。姉上達の勘の鋭さは伊達じゃありませんから……」


げっそりと疲れきった顔をするアロイスを、シャルロッテはちらりと見上げた。あの、アロイス王子をここまで疲れさせる姉姫達とはどのような方なのだろうと、ぽっと疑問が浮かんだ。


アロイスに手を取られる形で、2人は人の間を流れるように歩いていく。

エスコートは一流だなと、シャルロッテは感心をする。しかし、周りが好奇と同情の目で自分を見つめていることに気がついたシャルロッテは、恥ずかしさから顔をうつむかせた。

優雅な音楽が流れる中、不意にアロイスは立ち止まった。

シャルロッテの手をさりげなく離すと、目の前にいる二人のプラチナブロンドの髪を持った美女に一礼した。シャルロッテは顔をあげた。

そして──驚いた。シャルロッテは自分が美しいことを知ってはいたが、この二人の女性の美しさにはひどく、驚愕してしまったのである。


「お久しぶりです。エレノア姉さんにフローラ姉さん。」


アロイスの言葉に二人の美女──否、アロイスの姉姫達は止まった。ぴたりと、文字通りに。あんまりにも二人が動かないので、シャルロッテが心配になりあたふたしていると、アロイスが心配ないと目配せをしてくる。そうして、うんざりしたような目線を向けてきた。


「……いい加減動いたらどうですか?姉上達の恥ずかしい話暴露しますよ?」


バキッ


「…」


シャルロッテは恐怖した。

いつのまにか、先程までうんざりとしていたアロイスが、頭を抱えてうずくまっている。しかし、驚くのも束の間、アロイスに駆け寄ろうとした瞬間シャルロッテは突然誰かに抱き締められてしまった。


「やっだ! これがあの噂の絶世の美女と名高いシャルロッテ姫様!?! えーー?!めちゃくちゃかわいいじゃないの!それにしても、なんでこんなにお肌プルプルなの!??

ねぇぇ!フローラも見てよ!」


エレノアによるマシンガントークと共に体をまさぐられるシャルロッテ。あまりのことに、硬直したまま動けずにいる。


「ほんまに、綺麗な子ですわぁ。でもあね様、シャルロッテ姫様の顔色が悪くなってきとるようですし、そろそろ解放してさしあげてくださいまし」


フローラがそう柔らかい口調で諌めると、エレノアはちぇっといいながらもシャルロッテを締め付けていた腕を離した。そのまま、シャルロッテは酸素不足により大きく息をついた。


まったくもう、とフローラがクスクス笑いながら改めて佇まいを直す。隣でエレノアも同じように微笑みながらシャルロッテの方をじっと見つめた。


「それでは改めてご挨拶をさせてくださいまし。わたしは、グランビア王国王女であり、リア王国のニノ姫でおります、フローラと申します。それで、こちらはファレンス国、王妃であり、リア王国の一ノ姫でもあるエレノアでございます。」


フローラが、そう言い切ると同時に二人は優雅に礼をした。慌ててその礼に、返すシャルロッテ。


「ご丁寧にありがとうございます。私は当王国の一ノ姫にあたります、シャルロッテと申します。この度はわざわざこのような場所までお越しくださいまして、心から感謝いたしますわ。」


そして微笑む。その、シャルロッテの天使のような笑みにみとれた二人は思わず笑みをこぼしてしまった。


「こちらこそお招きいただきまして恐縮ですよ! アロの様子も気になってましたし…」


そこでやっと、不満げな顔でそっぽをむくアロイスの方に目を向けるエレノアである。一連の流れを非常に不満そうに見ていたアロイスは、未だに唇を尖らせ、しばかれた頭を摩っている。


「気にしてくれるのは嬉しいですけどね? でも殴る必要はなかったのでは?」

「あら、あれはあなたが悪いわ!秘密はばらしちゃいけないって言ったでしょ?」

「あね様、アロは、言う気はなかったやろうと思いますよ?」


フローラの言葉に、エレノアは驚いて眉をあげた。「え、そうなの?」と何も言わずとも、顔が聞いている。そんなエレノアに、アロイスはため息をつきながらも頷く。


「冗談を冗談で済ませられないから、エレノア姉さんには何も言えなくなるんですけど?」

「…う、ごめんなさい」


アロイスは腰に手を当てて説教する。先ほどとはまるで逆の体勢になった二人をみてフローラは薄く笑った。


「そやったら、茶番もそこまでにしてくださいな。アロ、あね様の短気な性格はあなたが一番よう知っとるんやから少しは寛大な心を持ちなさい」


フローラは柔く言った。アロイスは表情を軽く引き締めるとわかりました、と頷いた。


「シャルロッテ姫様、見苦しい場面を見せてしもて、立つ瀬がありませんわ。ほんまに、申し訳ございません。」

「……い、いえ。かまいませんわ。仲がよろしいのは良いことですもの。」


シャルロッテは心からそう言った。異端なる王子の姉君達だから、きっとその方達も異端なる心を持っているに違いないとシャルロッテは思っていた。それはある意味では偏見で、無意識に抱いていたことでもある。

だが、それがどうだ。

彼女たちの見目が麗しいのにも驚いたが、それを誇示することもなく、非常につつましい性格をしている。

そんな二人に好印象を持たないはずがなかった。


「正直な話、心配していたんです。私達の弟は周りの国から、忌み蔑まれていましたから」


エレノアが突然そう言った。先程とはうってかわって、心配そうな表情をしている。まるで子供を見るかのように、慈愛に満ちた表情でアロイスの方をじっと見つめていた。


「エレノア姉さん、大丈夫ですよ。」


当の本人であるアロイスは笑いながらそう言うと、シャルロッテの手を強く握った。


「今、俺には最愛の人がいます。ですから…姉さん達が心配することは何一つとしてありませんよ」


アロイスは微笑んだ。シャルロッテはその笑みに、自分でも見知らぬうちに見惚れていた。なぜか赤らみ、熱くなった頬にシャルロッテは手を当てつつ、こほんと咳をして誤魔化す。しかし、その様子を見ていたエレノアとフローラは互いに顔を見合わす。そしてふっと吹き出した。


「ほんまに、やから言ったやないですか、あね様。アロは大丈夫やって。」

「ふふ…そうね。…ですが…シャルロッテ様、どうかひとつだけお聞かせ願えますか?」

「…? えぇ、なんでしょうか?」


シャルロッテは首を傾ける。


「我が弟は、この先も永遠に『異端』と蔑まれることでしょう。それは、いつの日にかあなたにまでも非難がくるということです。私達が心配してるのは、アロだけではありません。この結婚によって変わってしまうだろうあなた様の価値を心配しているのです。シャルロッテ様に、それが耐えられるのか、私達は聞きたいのです。どうか無理だけはなさらないでください。私はアロもあなたも幸せになってほしいと心から願っています」


その言葉は、アロイスにとって予想の斜め上をいくものだった。エレノア姉さんが俺や、シャルロッテのためにそこまで思ってくれているなんて、考えていなかった。

けれど、今はそんなことを言ってられない。

本当に仲の良い恋人同士なら、シャルロッテはすぐに頷くだろう。だが、生憎シャルロッテは自分が嫌いだ。好意のこの字ももっていない。それに先程頷くだけでいいといってしまったし。

そこで、と慌ててアロイスはフォローに走ろうと口を開く。


「エレノア姉さん、シャルロッテは俺のことをちゃんと愛すっていってくれましたから大丈夫…」

「あなたには聞いてないの。黙ってなさい」


一刀両断である。

エレノア姉さんは、俺の方を一度も見ずに言った。

これは本当に困ったことになった。

アロイスが冷や汗をだらだらに流しながら、困ったようにおたおたとしている、突然シャルロッテがずいっと前に出た。


「…私は、そんなこと気にしません。」


小さな声で、シャルロッテがそう言ったのだ。

ぱっとシャルロッテをみつめると、シャルロッテは、とてもまっすぐな目をしてこちらを見返してきた。驚きすぎてなにもいえないこちらをいいことに、シャルロッテは微かに微笑みながら、続ける。


「ア……アロが例え周りからそう見られようと、私自身がどれほど異端な目で見られようと……互いが互いを支えられるほどの力があれば、そんなことは問題ではありません」

「……ありがとうございます。シャルロッテ様」


俯いたシャルロッテに、エレノア姉さんは優しく笑った。


「あなたがアロの婚約者でよかった。本当に、ありがとうございました」


エレノア姉さんとフローラ姉さんは頭を深々と下げた。

俺が止める暇もなかった。

周りが騒然とする中で、シャルロッテは耐えられなくなったのか一つ礼をすると、走り去ってしまった。


「……なぜですか?なぜ、そんなこと…」


頭をようやくあげた二人に、アロイスは尋ねる。二人は笑ったまま首をふった。


「…理由なんて必要かしらね?」


その答えの意味がわからずに戸惑っていると、フローラ姉さんがくすくすと笑った。


「…アロは意外と鈍感だものね。」

「そんなこと…ありません」


アロイスは緩く首を何度もふる。シャルロッテが言った言葉の意味もわからないが、今の姉さんたちもよくわからない。


「さぁ、聞きたいことは聞けたし私達はそろそろお暇するわ。アロ、シャルロッテ様を大事になさいね?」


エレノア姉さんは言った。

アロイスは複雑な気持ちではあったが素直に頷いておく。余計なことなど、姉上たちは知らない方が身のためなのだから。

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