9.月見草


婚姻の儀が終わり、城内は久しぶりの静けさに包まれていた。アルントには四季があるので、いまはポカポカとしたうららかな─別名めちゃくちゃ眠くなる季節である─春だった。

問題児であるリラ王国の王子も、儀式が終わってからは滅多に人前に姿を見せなくなったこともあって、まるで嵐が過ぎた後のように、使用人達もどこか安心したような穏やかな表情をしている。


しかし。

こんなにも穏やかな気候であるにも関わらず、シャルロッテの心はといえば、全く穏やかではなかった。


「…はぁ」


その桜色の唇から、もう何度目か分からないため息がこぼれおちる。ふと窓辺に目線を向ければ、日の当たる場所に置いた大好きな花─アザレアの花が淡いピンクの光を放っていた。いつもはそれをみれば、なんとなく元気がわいてくるのだが…。


「……はぁぁ」


今回ばかりはダメだ。自分を、こう、ぐちゃぐちゃにして、丸めてポイってしてやりたい気分なのである。シャルロッテがこんな風に自虐のあまり死にそうになっている理由といえば、もちろん──リラ王国の姉姫たちとの事件のことがあったからであった。


「私、なぜあんなこと言ったのかしら」


何度も何度も答えを求めようとしても、どんなに考えても、そう簡単に答えは出てくれるはずもなく。堂々巡りとはまさしくこのようなことをいうのだろう。婚姻の儀が終わってから、シャルロッテはため息ばかりをついていた。


「……まぬけづら」


そういえば、あんな風に言った自分のことを、アロイス王子はものすごい間抜け面で見てたっけ。そんなことを思い出して、シャルロッテはくすりと笑った。

私に向ける表情はいつだってあの胡散臭い笑顔ばっかりだったから。間抜け面ではあったけど、ちょっとは人間らしいアロイス王子の顔を見れたのは悪い気はしない。その悪い気はしないっていう感情が、どういう意味なのかはわからないけれども。

そう、そこなのよね。

シャルロッテは物憂げな顔を空に向ける。

なぜ、こんなにも胸が陰るのか。なぜ、こんなにもアロイス王子のことが気になるのか。シャルロッテには、よくわからなかった。


「……なんで、あんなこと言っちゃったのかしら…」


結局はまたそこに陥り、シャルロッテは深々とため息をついた。



アロイスは思う。

なぜ自分の周りにはこうも、変な奴しかいないのだろうか、と。


「アロイス王子!! 私ともう一戦していただけませんか!?」


ドンドンドンドンッ──と、やかましい音は鳴りやむ気配がない。


「アロイス王子! お願いです!!」


アロイスは、深く深くため息をつく。この国に着いてからはもう何度目かわからないほど、ため息を着いてきたけどさ。記録更新しすきじゃね? それに、この声の正体は考えなくてもすぐにわかる。


「アロイス王子!!」


まぁな? わかってはいるけども、開けるとはいってないからな、うん。というかシンプルにさすがにうざくなってきた。つーか俺、一応この国の未来の王なんだろ? こんな扱いで良いの?

この部屋は隔離されてるといっても過言ではないから、周りに迷惑はかかりはしないだろう。けど、まぁ、周りに迷惑でなくても、ふつうに俺が迷惑だ。

そうして、あんまりなのもうるさいからと、仕方がないので扉を開けてやったのが間違いだった。


「アロイス王子!!私ともう一戦を!」


そう、なぜか随分といきり立ったレオナ隊長が、俺の顔を見るなりそう言ってきた。ご丁寧なことに、俺の愛刀まで持ってきてくれている。


「……あの、サークスフィード隊長殿」

「レオナで結構です!」

「いや、結構じゃありませんから! ……なぜ、私が、貴女と、もう一戦、しなくてはならないのですか?」


単純で至極自然なことを聞く。

と、レオナ隊長は平然と答えた。


「負けたままが嫌だからです。」

「……」


本気で呆れた。


「私はこの国の一番隊隊長です。負けたという噂が広まれば、一大事なんですよ!」

「とかいって単純に負けず嫌いなだけなんじゃないですか?」

「まぁそれもありますけど…」


あるんかい!

アロイスは頭を抱えた。


「アロイス王子、お願いです」


レオナは俺に深々と頭をさげてきた。

俺はため息をついてレオナの前に立った。肩に手をやり、頭をあげろと促す。そして、半分なげやりに答える。


「わかりましたよ。……でも、ひとつ聞かせてください。貴女は、何故俺を怖がらないのですか?」


生まれてこのかた、この容姿をみてびびらなかった奴は婆と姉さん達以外誰一人としていない。

レオナ隊長は目を白黒させると、軽く笑って答える。


「怖がる理由がわかりませんからね」

「理由がわからないとはどういうことですか?」


戸惑いを隠せないまま訊ねると、レオナは苦笑した。


「私は極東の田舎の生まれです。ここにきたのもつい3年前のこと。ですから皆がそこまで貴方を恐れる理由がわからないのです。

あ、ですが……多分一番の理由は貴方がそこまで怖そうな人に見えないからかもしれません」


呆気にとられてしまった。

でへへと笑うレオナ隊長をまじまじと見つめれば、彼女は心底当たり前だろうとでもいうようにドヤ顔で見つめ返してくる。


「……俺は怖そうな人に見えないんですか?」

「えぇ。そんなに筋肉質って感じでも無さそうだし、顔立ちも厳つくありませんからね。貴方よりも、私は陛下の方が恐ろしいですよ」


レオナは微笑む。


「なるほど…? 変な人ですね、貴女は」


アロイスは、思わずクスクスと笑ってしまった。


「そうですか?…私はちっともおかしなことだと思いませんけどね」


首をかしげるレオナは、肩をすくめる。


「でも、私がそう言うと、決まって周りは私を変人だと笑います。」

「サークスフィード隊長…」

「そんな顔をなさらないでください。いいんですよ、むしろ私は自分が変人だと自覚しておりますからね。」

「……自分のことを変人だと認める人はそうそういませんよ…」

「だって、例え変人だと言われても、私はそれがおかしいことだと思っておりませんから。」


そう言うとレオナはにっこりと笑い、アロイスに剣を差し出した。


「それに変人だから、貴方に戦いを申し込むのですよ」

「…なるほど」


アロイスは剣をとった。


「いいでしょう。…しかし、これ以上付きまとわれるのは困ります。これで一回勝負にしてください」

「そういうことは私に勝ってから言ってくださいよ」

「一度俺に負けたくせに」

「あれはノーカンです! 勝負はここからです!」

「…よく言いますね」


やれやれと肩を落とすアロイス。


「まぁいいですよ。どーせ勝つのは俺ですから」

「それはどうでしょうね?」


勝ち気にそう言ってくるレオナ。どうやら負けず嫌いなのは事実のようだ。


そうして場所を移動し、いつかの訓練所に着いた。着いてすぐに、俺とレオナは互いに剣を取り、向き合う。レオナは自信ありげに微笑むと、じっとこちらを見つめてきた。


「さぁ、用意はいいですか」

「俺はいつでも大丈夫ですよ」


瞬間、レオナは床を蹴った。

剣と剣が交差する。レオナの剣は確かな威力を持って、俺の木刀を打つ。カンカンと、木刀同士が激しくぶつかり合う。


「いつでもとは言いましたが急に襲いかかることはないでしょう!」

「間違えてはないですもん!」


おいおい、屁理屈かよ! と言おうと口を開きかけたが、最後まで言う事はできなかった。なぜならば、すぐ目の前まで刀が迫っていたからだ。

確かに、レオナはこの前とは段違いの腕前だった。


「っ急に強くなりましたね!!」

「この前は油断していたんです!」


木刀をぶつけ合いながらも言葉を交わす。なるほど、この実力が本来のレオナの力だと言うのならば、確かにあのときはただ油断していただけだったのだろうと、アロイスは納得した。これならば、あのアリアナ姉さんともひけをとらないかもしれない。

足払いにきた木刀をいなしながらもアロイスは、楽しそうに笑った。


「随分と余裕のようですね!」


そんなアロイスの笑みをみて、レオナが大声で言い放つ。

いっそう激しくなってきたレオナの攻撃をいなすのが大変になってきた。アロイスはちっと、舌打ちをする。

そろそろ決着をつけないとな。

足にぐっと力を込めたときだった。


「アロイス王子! 先に非礼を詫びさせていただきます!!」


突然レオナが言った。


「私は知っていました……! 貴方の中にいる化け物のことを!!」


その言葉に不意をつかれた。

力を込めていた足が、ぐにゃりと別の方向へと行く。それに、気付いたときには遅かった。

体勢を崩し膝をついてしまった。その瞬間、手から木刀が滑り落ちた。やばいと本能が告げていたが、木刀に手を伸ばした時には既に首元にレオナの木刀が突きつけられていた。


「私の生まれは先程お教えしましたよね。故郷では鬼の話は有名だったんです」


そうして、レオナは淡々と話し始めた。


「幼い頃に祖母に何度も話をしてもらいました。よくある昔話です。その話にはいつも鬼がでてきました。鬼は人を喰らい、人を恐怖に陥れる恐ろしい化け物として描かれていました。」


伝説の……昔話?

まさかリラ王家の罪が、世界に伝わってしまっているのか?

アロイスの表情を見たのだろうか、何も言っていないのも関わらず、レオナは首を振った。俺の言いたいことが、なぜかレオナにはわかるようだった。


「ご安心を、アロイス王子。私は何も知りません。もちろん故郷の、皆も。その話自体が、直接貴方に繋がる訳ではありませんよ。

そのお話では、鬼にとり憑かれた人の話もありました。鬼にとり憑かれた人は、必ず容姿を変えるのだとそこには書いてあったんです。鬼にはいくつか種類があるらしく、青鬼、赤鬼、黄鬼、緑鬼等がおりました。そして決まって、とり憑かれた人はその鬼の色に髪の色や瞳の色を変えたそうです。」

「……」

「アルントに来て、初めてリラ王家に鬼を飼った忌むべき王子がいると、知りました。その話を聞いたとき、私は祖母に何度も聞かされたあの話を思い出したんです。そして私は様々な人から貴方に対する様々な話を聞きました。

皆が皆、口を揃えて言いました。リラ王家は、その昔王家が大きな罪を犯したせいで神に罰を与えられたのだ。そのせいでリラ王家は時々男の子(おのこ)に鬼が宿る。そして──時がくると鬼は宿い主を食い殺し、世界を破滅へと導く。リラは呪われし王国である、と。」


アロイスはゆっくりと顔をあげた。光がレオナを覆い隠すせいでその表情はよくわからない。けれど、どうでもよかった。アロイスは、どこか自嘲気味に笑った。


「……なるほど、そんなふうに伝わっているのか。……はは、その通りですよ。俺はいずれ、世界を破滅させる。 それを分かっていて、なぜ、貴女は俺につきまとうのですか」

「興味があるんです。貴方に」

「……は?」


恥ずかしげもなく、淡々とそう言い放ったレオナを凝視する。


「何度も言わせないでくださいよ。貴方は私に聞きましたよね? 俺が怖くないのかと。そして、私は怖くないと、そう答えたはずですが」

「世界を破滅させるかもしれない俺が、怖くないと?」

「……えぇ。私は、貴方に剣で負けることの方が恐ろしいですよ」


そう言うと、彼女は茶目っ気たっぷりに笑った。

彼女の笑顔に、何かがガチャンと外れたような音がした。ふっと頬が緩んでしまう。


「貴女は……本当に」


掠れたその声に、レオナは何もいわなかった。彼女は、黙ったまま首の横につけていた木刀を下ろした。


「……変な人だ」


そう、呟いたアロイスに、レオナはそっと手を差しのべた。顔を上げたアロイスに、レオナはふわりと微笑む。まるで、促されるようにしてレオナは微かに手を揺らせば、観念したのか、アロイスは苦笑してその手を取った。


「今回の勝負は、貴女の勝ちで結構ですよ」

「当たり前です」

「…なっ!」

「フフ、冗談です。あの時、貴方が怯んでくださらなければ、私は勝てませんでしたから。今回のは負けで…」

「…いえ、なら引き分けにしましょう」


レオナは勢いよく顔をあげた。

アロイスはそっぽを向きながら頬をかく。


「怯んだのは、俺自身が弱かったからです。上手な駆け引きでした。……でもまぁ、そこまで仰るなら、引き分けにしましょう」

「アロイス王子…」

「あぁ、あと。俺のことは、アロでいいてわすよ。」

「いえ、それはさすがに」

「そこまで言うならば、これは命令です」


今度は、アロイスが茶目っ気たっぷりに笑った。


「………貴方の方がずっとずるいですよ。私は命令には逆らえないのに。」


レオナは恨めしげにアロイスを睨む。しかし、怯むことなくアロイスはむしろ楽しそうににっこりと笑った。


「未来の王の命令は断れませんよね?」

「…それはそうですけども」

「二人の時だけそう呼べばいい。なにも人前で呼べと言ってるわけではないんですよ?」

「……ですが」

「それなら、俺もあなたのことをレオナと呼びましょう」


レオナの顔が赤く染まった。


「なっ…なぜそうなるんですか!」

「不公平ですからね」


さらりと言ったアロイス。シャルロッテといい、 レオナといい、ここの人は本当にからかいがある。頬を赤く染め、涙目になってしまったレオナを、アロイスは涼しげにみつめた。


「勝負をこれっきりにするつもりはありませんからね。レオナ」


レオナの目が大きく開かれる。おずおずとアロイスを見上げた。


「…わかりましたよ。アロ……様」

「様もダメです」

「っ!そんな!!それだけは!!」

「ダーメ」


にこりと笑って見せれば、顔を真っ赤にさせたレオナは、うぅーっと唸り、「ずるいひとですね……」と頬をふくらませた。


「……〜っもう、わかりました!! 二人っきりの時だけですからね! それ以外のときは、呼びませんからね!」


まぁそもそも、未来の王の部屋にまでわざわざ来て、勝負しろ! といきりたち、吠えてきたくせに、よくもまぁいまさらそんなことを言えるな!って感じだけどな。まぁ、そこがレオナのいい所なのだろうが。


「かまいませんよ。それで」

「あ、それなら!ア…ロは私のような者に敬語なんて使わないでくださいよ!」

「わかった。そうしよう」


アロイスはにこりと笑った。それがまさか通るとは思っていなかったのか、レオナは目を丸くしている。


「あ、もうすでにこんな時間か。レオナ、俺はちょっと用事があるからさ」


いつの間に、随分と時が経っていた。ボーンボーンと鐘の鳴る音に、アロイスは反応した。その言葉にレオナもはっとした表情になった。


「そういえば、私も新兵の指導がありました。」

「ならお互いちょうどいいな。そろそろ帰るか」


アロイスは、落とした木刀を拾い上げた。


「レオナ、また勝負しような。今は一勝一引き分けだ。次こそは、俺が勝つからな」

「そうですね! 私は次こそ完全勝利します!!」


レオナは、はにかむ。なんだかんだで、この負けず嫌いなレオナにだいぶ絆されていた。


二人はじゃあ、またと、ありきたりな別れの言葉を告げるとそれぞれ別の扉を開けた。



それに気付いたのは、しばらくしてからだった。


「人と、故意に関わるなんて…」


それは、後悔なのだろうか。レオナと関わりを持ってしまったことを、俺は後悔しているのだろうか。

鬼を飼っていると知り、世界を破滅させるかもしれないという恐ろしい力を持っていると知った俺は、故意的に人と関わることをやめた。関わりを持ったりでもしたら、大切な人を傷付けてしまうかもしれない。鬼の力は、俺自身が身に染みてわかっていた。

だから、やめた。諦め癖がついたのも、この頃だったからかな。


部屋に戻ると、ロイクはどこかに行ってしまったのか、部屋はもぬけの殻だった。そのままアロイスは流れるようにバルコニーに出る。バルコニーからは、アルント王国の広大な自然が一望できた。


「……関わるまいと、決めていたはずなのにな。なにやってんだか」


自嘲ともとれるその笑みは、これから必ず来るであろう『未来』を見据えた意味もあった。だけど、そんなことも忘れるくらい、レオナと繋がりを持ちたいと思ったのだ。俺を恐れることなく、側にいたいと言ったレオナと。他人との関わりを持つと余計な感情が生まれる。鬼がどのようにして俺を飲み込むのかはわからないが、関わりが仇になる可能性も十分に有りうる。

恐ろしいのはただ一つ。俺が鬼となり関わりを持った人を傷つけてしまうことだ。

それでも、どうしてだろう。

恐怖を抱くと同時に、どこか満ち足りた思いを感じていたのは確かだった。それは愕然としたショックを抱かせた。なぜならば、嗚呼、自分はこれほどまでに誰かとの繋がりを強く強く求めていたのかと、思い知らされた瞬間だったから。

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