15.敵襲
「きゃああああああ!!!!」
切り裂くような悲鳴が、宿中に響いた。
「なっ!何事ですの!!」
途端に驚きから目を丸くさせたシャルロッテ。その一方で、アロイスはというとその悲鳴を聞くや否や、すぐに身を翻し、近くに置いてあったデザートナイフとフォークを持ち、部屋を飛び出していた。
「っ」
扉を開けた瞬間、いつのまにか嗅いだことのある匂いが宿中充満していることに気が付いた。しかし、アロイスの直感は、あるべつのものを推測していた。しかしもしかして、と推測する間もなく、アロイスは次の行動にうつる。
もし、自分の推測が正しければ、残された時間は少ない。おそらく事態は一刻を争っている。
顔を顰めたアロイスは後ろを振り向くと、シャルロッテに向かって言った。
「緊急事態です。シャルロッテ姫。」
「いったい何が起きているのですか!?」
「火が放たれています。それと、敵襲です。」
静穏に言えば、シャルロッテはその大きな瞳を信じられないとでもいうように見開かせる。震えた唇を無理やり噛み締め、顔を青白くさせながらもアロイスに向かって尋ねる。
「敵襲!?! いったいどこの賊ですの?!」
「さぁ。そこまではわかりません。……シャルロッテ姫、今襲っているのがどこの賊だろうとなんだろうと今は大事なことではありません。今すべきことはただ一つです。あなたの身の安全のためにも、逃げなくては。」
淡々とアロイスがそう告げれば、不意にまた宿から悲痛な叫び声が響いた。シャルロッテの肩がビクリと揺れる。戸惑ったように目線を泳がせつつも、さすがの彼女も、今の状況を理解したのだろうか。顔を強ばらせながらも頷いた。
シャルロッテはアロイスの方を向く。
「アロイス王子、今の悲鳴は?」
アロイスは目線を逸らす。アロイスの耳は助けを求める声も聞こえていたが、それは今優先すべきことではないとわかっていた。アロイスにとって今すべきことは、王族であるシャルロッテの身を守ることだ。
しかし、シャルロッテが震える声で言った言葉はアロイスの予想を反したものだった。
「……民を助けてあげなくては。」
アロイスは目を丸めて彼女を見上げる。「…は?」と思わず本気で抜けた声をあげてしまう。彼女をまじまじと見つめれば、彼女は心底真剣な表情でこちらを見上げてきた。まばゆいターコイズの瞳が、じっとアロイスを貫いていた。
どうやら、彼女は、本気で、自分よりも、国民を助けてあげたいと思っているらしい。
「おい!! さっさと金を出しやがれ! クソ野郎!!」
そのとき不意に響いた汚い声にアロイスもシャルロッテもばっと顔を上げた。
「や、やめてください! これは! 娘の結婚式のために貯めたお金なのです!!」
それは、悲痛な声だった。次に聞こえてきたのは、ズシャリとなにか肉を刃物で切るような、恐らくこの部屋と近い場所で起こっているような、凄惨な行為の音であった。
「アロイス王子!」
叫んだシャルロッテ。アロイスは迷っているのか、目線をさ迷わせた。
「……っ貴女を一人にはできません、シャルロッテ姫。今優先すべきことは貴女を守ることです。」
苦しげに言ったアロイスの言葉。それを聞いたシャルロッテは、顔を歪めさせた。
そうして、口を開こうとしたその瞬間、ふたりがいた部屋の扉が、砂煙と共に勢いよく開いた。バリバリと木製の扉が折れる音に、アロイスは唇を噛み締める。
「っっ!!」
そうして、アロイスはばっとシャルロッテを抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
それは、一瞬の判断であった。急なことに、身体を強ばらせたシャルロッテを気にするまもなく、アロイスは扉の方を睨みつける。いつもの剣はないが、腰には護身用の短剣があるのだ。左手を短剣の方に忍ばせながら、扉を開けた人を見るために、視線を鋭くさせる。
「…シャルロッテ姫はいらっしゃるか」
知らない声だ。敵だ、と判断したアロイスは短刀に手を置く。
「待ってください!」
シャルロッテの手が、アロイスの手を包み込んだ。驚くのも束の間、シャルロッテはアロイスの胸から身体を離すと、声の主の元へと行こうとする。手を伸ばしかけたアロイスに、シャルロッテは不思議なことに微笑みながら首を振ってきた。
いったい…? アロイスが驚いていると、シャルロッテは粉塵の中で扉の方に向かって言葉を投げかけた。
「ボードレール隊長、私達は無事ですわ。」
安心したような、柔らかなシャルロッテの言葉と同時に、今まで扉の影にいたらしい人物がすっと姿を現した。
「ジルベルト殿…」
そこにいたのは、武人──王国二番隊隊長ジルベルトであった。
ジルベルトは、シャルロッテを視認すると、その強面をかすかに緩ませ小さくうなずいた。
「ご無事で、何よりです」
「心配をかけましたね。そうだ、レオナを見なかった?」
「いえ、一番隊隊長は、一体どこに?」
少しも表情を変えることなく言ったジルベルトに、シャルロッテは言いにくそうに目線を泳がせる。
「それが……」
「…ジルベルト殿、ここを任せても良いですか?」
いいかけたシャルロッテに横槍して、アロイスは唐突に言った。シャルロッテを遮ったことで、ジルベルトの鋭い目線が、ゆっくりとアロイスに注がれる。
ジルベルトの傷だらけの顔を改めてまじまじと見たアロイスは、その壮絶さに少しだけ体をすくませる。しかし、アロイスは意を決して口を開いた。
「シャルロッテ姫を頼みます。私は、レオナを探しに行ってきます。ジルベルト殿、これま見てきた限りで良いので状況説明をお願いできませんか?」
「……敵は恐らく30人ほど。そのうちの5人は、切りました。火はそこまで、広がっていません。女将が裏道から客の大半は逃がした模様、です。店主と女将は無事、です。死者は敵味方併せて、10ほど、かと」
意外にもジルベルトはあっさりと教えてくれた。しかし、こちらがどれほど被害があるのか分からないな。状況は思った以上に悪いらしい。とりあえず、礼を言ってその場を立ち去ろうとしたアロイス。が、ジルベルトがそれをぐいっと押しとどめた。
「何か?」
「貴方は行くべきではない、と思います。」
無表情で言い放ったジルベルト。
戸惑うアロイスに、ジルベルトは続ける。
「王から、貴方に血を見せてはならぬ、と仰せつかっています。」
「!!」
驚きのあまり、ジルベルトを凝視するアロイス。シャルロッテが、不安そうに眉を顰めるのが横目で見えた。
「命が、惜しいのなら、ここにいるべきです。貴方を切りたく、はありません」
「……どこまで」
「貴方の鬼を、王から、お聞きしております。」
「鬼…? ボードレール隊長、一体何のことですの?」
困惑したようにアロイスとジルベルトを交互に見つめるシャルロッテに、アロイスは唇を噛み締めて目線をそらした。部屋に充満し始めた煙の香り。もう、ここも長くは持たないだろう。自分ではどうにも出来ない焦燥感に苛まれながらも、俺は真っ直ぐにジルベルトを見つめた。
「……なら、ジルベルト殿にお願いがあります。俺たちの部屋の隣が襲撃されたらしく、もうだいぶ時間が経っているんです。……代わりにどうか見に行ってはくれませんか?」
ジルベルトは、俺の言葉に少し黙ると、じっとシャルロッテを見つめた。
「火は、ここまでは、きません。レオナは、馬鹿じゃない。恐らくすぐに戻って、くるでしょう。そうしたら、すぐに、ここを離れます。」
「あぁ、わかった」
「…隣、見てきます。何かあったら、すぐに叫んでください。」
ジルベルトは、さっと背中を向けた。黒煙の中に消えていったジルベルトに、アロイスはほっと息を着いた。
直ぐに出るならば、貴重品だけは持っておかなければ、と身辺の整理を始めようとする。しかし、それはシャルロッテが許さなかった。
困惑したような表情でアロイスの裾を掴んだ。振り向いたアロイスに、シャルロッテはおずおずと口を開く。
「アロイス王子、鬼とは一体何のことなのですか?」
「言えません。それより、すぐに発つ準備を。先ほども隣まで来ていたのです。いつこの部屋に敵が来てもおかしくはありません。」
「アロイス王子」
「敵の正体がわからぬ今、むやみに動くこともできません。いくらジルベルト殿がいるからといっても、完璧に安全というわけではないのですから」
「アロイス王子!こちらを見てください!!」
ぱっと腕を引っ張られ、アロイスは強制的にシャルロッテの方を向いてしまった。
「私の質問に、どうして答えてくださらないのですか? どうして、そんなにつらそうな顔をなさるのですか?」
眉を下げてじっとアロイスの顔を見つめるシャルロッテの顔は、どこか悲しそうだった。まっすぐに貫く瞳がまぶしくて、痛くて、アロイスは目線を逸らさずにはいれなかった。
「……前にも言ったはずです、世の中には知らない方が幸せなこともあると。今回のことも、前と同じく知らない方が幸せなことの一つなのですよ」
早口に言えば、シャルロッテは顔をしかめた。
「どうして、貴方はいつだって……」
そのときだった。
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