45.崇拝

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人を許すと言うことを

教えてくださったのはあの人だった。


誰かを許すという行為は、

自分も許すということだ。


もう良いのだ、と自分で自分に許しを与える。

それがなによりも難しいことだと、あの人は言っていた。


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「誰かをひどく憎んだせいで、疲れ果てた自分を許してあげるのってさ、すげー難しいことだよなぁ」


天窓をあけた特別な部屋。白と青で統一された清潔感のあるベッドの上に腰掛けるのは私のご主人様だった。こちらを向いてにこりと笑う主は、私の淹れたアッサムティーを美味しそうにこくりと一口飲むと、その言葉を理解出来ていない私のために、もう一度わかりやすいように噛み砕いて仰った。


「自分に対してさ、罪を感じることって結構あるんだよ。ちっさいことからおっきなことまでさ。そんなとき、多くの人は自分を憎むんだ。『自分があの時こうしていたら』って。そんで、それができなかったのは自分のせいだ。って思っちゃうんだよな」


足をプラプラとさせる主。主にクッキーを差し出せば、主は嬉しそうにそれを摘んだ。クッキーで喜ぶ姿は年相応だ。そんな姿を見る度に微笑ましく思うのだが、如何せん我が主はひどく大人びており、時々子供らしからぬ発言をする。


「それに大きい小さいは関係ない。そう言うふうに思うのは罪の意識だって気づくこともなく積み重ねていくと、やがて人は自分のことを大きな罪を犯した罪人だと錯覚するんだ。でもさ、自分を罪人にしたのは他の誰でもない自分なんだぜ? だけど、多くの人はそれに気づかない」


ぽりぽりとクッキーを咀嚼する主。ごくりと紅茶で流し込み、難しい顔をしている(私にその自覚はありませんが、主はよくそういうので)私をみてケラケラと笑った。


「なんだよ、そんな難しい話じゃないよ? 単純にさ、気づかない罪を許すのは難しいってことだよ。だってわかってないんだからさ」

「……気づいていてとしても、難しいことであるとも仰っているのではありませんか?」


おずおずと聞けば、主は目をぱちくりとさせた。そして次の瞬間、当たりぃ! と嬉しそうににやりと笑った。


「そう。誰かを許すということも難しい。許されることはもっと難しい。でも、それよりも難しいのは自分を許してあげることなんだよ。自分の罪に向き合い、そして自分を許す。それが一番難しい」

「例えばだけどさ、誰かを許すことっていうのは、同時に自分を許してあげるってことに繋がこともある」


主は少しだけ視線を遠くへ馳せた。また、子供らしからぬ表情だ。心配になり顔を覗きこめば、私に気付いたのか、いつも通りニヤリとつくろう。


「まーた意味わかんないって顔してんなぁ。ロイクは物事を難しく考えすぎなんだよ!」


ニヤニヤと笑いながら、主はぴょんとベッドから軽やかに飛び降りた。んじゃ風呂入ってくるわぁ~と軽く手を挙げながら言うと、メイドたちを伴って風呂場へと行ってしまった。


「はぁ、まったく」


主によって散らかされた服や食器を片付ける。片付けながら私は、主の言葉を考えていた。


アロイス・ガロ・フェール・リラ様。

今の私のご主人様だ。つい2ヶ月ほど前から仕えている。リラ王家の内情を知った上で私はここに来た。家門を捨てること、そしてアロイス様に付くことを条件に、己の一生をリラ王家に見てもらえることになった。


これはとても有難い申し出だった。


家を捨てていた私には、何も無かったからだ。私が選ばれたのは、それなりに高貴な出であること、執事として、側近としての実力を買われたこと、そして暗殺術に長けていたからだった。


アロイス様はとても聡明な方で、噂とは違っていた。噂の根源であるバケモノのことも少しだけ聞いた。国民はバケモノは怖さ半分嘘半分として噂していたが。どうやら本当であると聞いた時は、正直かなり驚いた。


そして、それと同時にバケモノが暴走した暁には、このお方を殺す許可までいただいた。これにもかなり驚いた記憶がある。


バケモノの存在を当主以外に伝えられるのは禁忌中の禁忌であり、本来ならばその事実を知ってしまった者は殺される。死人に口無しということだ。では、なぜ私が殺されることもなく、アロイス様のお側についたのか。それは、万が一バケモノが暴走した時にアロイス様にトドメをさす人が必要だったからだ。


私にバケモノのことを教えてくださったのは、アロイス様と陛下ご自身だった。何かあったら俺を殺せ、と言ったのは齢7歳のアロイス様だった。驚きのあまり言葉を失った私に、アロイス様は薄く笑った。それは、全てを受け入れた表情だった。


過去に馳せる。



「お前の過去はすべて洗ったよ。オーランシュ一族の三男、ロイク・オーランシュ。それがお前だな」


初めてお会いしたそのとき、私はそのままアロイス王子の自室に誘われた。


緊張と不安から落ち着かずそわそわとしている私に、アロイス様はその小さな身体に合わない鋭い眼光で、私を見据えた。


「兄を殺し、オーランシュ一族の地位についた、ということにはなっているが……まぁ、嘘だろうなぁ」


手元の紙をぺらぺらと捲りながら言ったアロイス様に、私は驚きのあまり息を飲んだ。

思わずアロイス王子に近寄り肩をつかむ。アロイス王子は微動だにせず真っ直ぐに私を見つめ返しただけだった。


「どう…して……?」

「お前のお兄さんとコンタクトを取った。生きてたし。平民になって、名前も変わってたから最初わかんなかったけど」

「……」


思わず押し黙ってしまった。


「あのオーランシュ一族の名を捨てたぐらいだ。そこに何かしらのじじょーがあるのはわかってる」


アロイス様は私の顔を真っ直ぐに見据えたままゆっくりと言った。やけに口が乾き、唾をごくりと飲んだ私に、アロイス様は続けて言った。


「あぁ、別に探るつもりはないよ。お前が俺のそばにつくにあたって、何かあった時のことを考えてのことだ」

「……兄は、どうでしたか?」


やっと出たのは予想外の言葉だった。自分でも驚いた。

そんな私に、アロイス様は微かに瞳を見開き、それでもゆっくりと頷いて微笑んだ。


「元気そうだったよ。お前のこと、心配してた」

「そんな……そんなはずは、ありません。私が兄にしたことを、兄が許すはずがありません」


躊躇うようにゆっくりとアロイス様の肩を離す。1歩、2歩とゆらゆらと後ろに下がった。アロイス様の顔を見れなかった。あの罪から逃げたくて私は、オーランシュを捨てたのだ。それなのに、どうして。


「勘違いしてるようで悪いけど、俺は伝達しただけだ。それをどう解釈しようがお前の勝手だよ」


アロイス様の言葉でハッとする。アロイス様は探るような瞳で私を見ていた。

その懺悔は、後悔はいったい誰へのものだと、問われているような気がした。


「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。お前が抱えているものを、そう簡単に俺が救えるとは思っちゃいない。大事なことは、お前がこれから付くことになる、俺と言う存在の対処法についてだよ」


アロイス様は事も無げに笑う。


「まぁでも、もしお前が本当に心から俺に助けてほしいと望むのなら助けてやるけど?」

「貴方に、私は救えません」

「うん、そうだろうね。そうくると思った。まぁ、だから別にそんなことはどうでもいい」


くくく、とさらに深く笑うアロイス様。

幼子のくせに、大人顔負けの表情と思考力だ。


「お前の使命は俺を殺し、世界を救うことだ」

「貴方様の中にいるもののことを理解はしております。ですが私は、その使命に値する妥当な人材なのでしょうか?」

「妥当じゃなきゃわざわざ連れてこないだろ」


アロイス様は呆れたように肩をすくめる。


「難しく考える必要は無い。父さんも言っただろ。お前のタイミングで構わないと。お前の判断で、俺の中のバケモノが暴走するかもしれないと思ったら、俺を斬って構わない」

「その腕を見込んでいっているんだよ。だからお前はその命令を受ければいい、それだけの話だ」


アロイス様は薄く笑み、立ち上がった。そうして迷うことなく私の傍までくると、私の腰にある剣に手を触れた。その表情はどこか儚げで、同時に何かを諦めたような——だけど、それと同時になにか強い意志を持った不思議な意志をもっていた。


瞬間——風によってゆらりと揺れた上着に目がいく。仕立てられた高貴な服装は、王家にしては珍しく黒で統一されている。喪服を想像させる『黒』をアロイス様ご自身が選んだと聞いたとき、私は妙に納得したことをふと思い出した。

戒め、そして己の存在価値を忘れないための枷。

黒を着用することで、己に課せられた呪いをアロイス様は忘れないようにした。


その呪いを受け入れ、そして私に命じた。

アロイス様にとっては、本当にそれだけのことだ。


「同情はするな。その代わり俺もしてやらないから。俺が望むのはたった一つだけだ」

「……わかりました。そのご命令、お受けいたします」


私の言葉に、アロイス様は微笑んだ。

皮肉にも、その顔はその一貫の中で見た、唯一の子供らしい無邪気な笑みだった。



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Azure Rapsodia 潁川誠 @yuzurihamako

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