40.土蜘蛛の策略
「それは…どういうことですか?仮にもシャルロッテ姫は私と婚約している身のはずです。それがどうして…?」
「あちら側の要求としては、これまでの非礼の詫びとして、シャルロッテを人質として寄越せ、ということだ。そこに婚姻の意味は無い」
アロイスはアルント王を睨み返す。
「それは建前でしょう。本音としてはシャルロッテを国家の人質兼、嫁として欲し。…違いますか?」
アルント王はあからさまに目線を外す。一連として苛立ちを隠せないようだが、どうやらアロイスの言ったことは図星らしい。ダイナ妃が一瞬、アルント王の方を向いた。なにか言おうとしたのか、口を開きかけたが、アロイスが見ていることに気づいたのかそのまま閉口した。
ルイナスの企みが何なのか、ルイナスという国とアルントという国がどういった関係性で何を抱えているのかわからない以上、アロイスには推測することしかできない。それに、簡単に事が言える立場でもないことをアロイスはよくよく理解していた。
…ただ、一つだけわかっていることがあるとすれば、ルイナスの意向に沿うことは愚かなことだ。彼らが何を望んでいるかわからない以上、簡単に要望を応えてしまえば向こうの思う壷だ。自ら進んで釣り餌にかかる愚かな魚と一緒だ。
「シャルロッテを捧げるつもりですか、 陛下」
静かに切り出したアロイス。
「シャルロッテは私の妻になる予定でした。そのはずなのに、私の了承なしで、かの国に渡すおつもりですか」
「アロイス王子、貴方の言い分も分かりますが、我が国は今、戦争を極力控えなければならない時なのです。」
「だからといって、シャルロッテを戦争の道具になさる気ですか?」
静かに、だが怒りを孕んだ口調でアロイスは言った。ダイナ妃の言うこともよくわかる。けれど、だからと言ってシャルロッテを戦争の道具にするのは間違えている。
そのまま怒りに任せて両陛下をにらみつけていると、やがて静かにダイナ妃が切り出した。
「ならば、貴方がどうにかしてください」
「……はい?」
アロイスの驚いた表情に、なぜかうっすらと笑んだダイナ妃。
「こちらとしてもシャルロッテを渡したくはありません。けれど、今の私たちからしては、シャルロッテをルイナスに差し出す以外、ほかの手段はないと思っています。」
「そう確信しているにも関わらず、なぜ」
「愚問ですわね。貴方は、シャルロッテの夫になるのは自分がふさわしいと、いまおっしゃったではありませんか。貴方が本当にシャルロッテをを戦争の道具にしたくないと思っているのであれば、方法を考えてごらんなさい。そして、その方法を私たちに提示してください」
アロイスは言葉を失ったまま、唖然とした表情でダイナ妃を見つめた。
ダイナ妃は俺にチャンスを与えようとしているということか? いや、それはおかしい。なぜならば王妃との契約のなかで、こんなものはなかったはず。
それならば、どうして…?
しかし思考の渦に飲まれ、黙り込んでしまったアロイスに構わず、ダイナ妃は続ける。
「シャルロッテには、幼に時から姫としてのあり方を教えてきました。だからこそ貴方をリラから迎えたときも彼女は国のために見知らぬ男性の妻になることを承知していました。だから、もし私たちが国のためにルイナスに行ってほしいと願えば、シャルロッテは受け入れるはずです」
「つまり」
アロイスはダイナ妃を見据えた。回りくどいようで端的に含んだ言葉の意味に、かすかに唇を歪めさせた。
「シャルロッテをルイナスに渡したくないという思いは…私のエゴでしかないと、そう仰りたいのですか」
「そうです」
ダイナ妃は冷めた様子で同調した。
「…わかりました。よいでしょう。」
アロイスは不意に微笑んだ。
どうやらまんまと。俺はダイナ妃の策にはまったらしい。ダイナ妃もきっと、意図して言ったのだろう。アロイスは微笑みを顔にはりつけたまま言った。
「ルイナスを説得できれば、シャルロッテはルイナスに行かずに済む。そのためならなんだってしますよ」
するとダイナ妃は艶やかにほほ笑んだ。満足そうに何度かうなずき、うなだれたアロイスの傍まで下りる。そしてアロイスの肩に触れると、そっと耳打ちした。
「あの契約にのっとって、情報は与えます。禁書の棚からすべてに至るまで、我が国の図書館を使うことを許しましょう」
「…ありがとうございます」
「シャルロッテには、口外しませんね?」
「もちろん」
よろしい、とダイナ妃はつぶやく。そっと優雅にアロイスから離れ、また玉座に座った。
「行ってよろしい」
「失礼いたします」
アロイスは、その後も一度もダイナ妃もアルント王を見ることなく部屋を去った。
がちゃりと扉が閉まると同時にダイナ妃がため息をついた。片手で顔を覆うと疲れた様子で首を回す。
「大丈夫か、ダイナ」
それをみていたアルント王がダイナ妃を心配そうに気遣った。
「…大丈夫です。余計なご心配をおかけしてしまって申し訳ありません、陛下。」
「なにをいうのだ」
「私の独断でことを進めてしまって、申し訳ありません」
ダイナ妃は毅然とした先ほどの態度とは打って変わって、アルント王に柔らかい表情を見せた。
「お前の言うとおりになったではないか。」
「私は、ただ…家族を守りたかっただけですわ」
ダイナ妃は目を伏せる。
「アロイス王子はとても聡明な方です。過去、リラ王国の危機を何度も救ってきたと聞いたことがあります。アロイス王子は、口外していませんがね」
「あいつはそんなに頭がいいのか」
「はい。賢いお方です。」
「そなたよりもか」
「…さて、どうでしょうね」
ダイナ妃は微笑む。アルント王の手をとり、自身の手で包み込んだ。
「陛下、私はこの手をお守りしたく思っております。この手が守っている我が国を……私は、ただ守りたいのです」
「ダイナ…」
ダイナ妃は、アルント王と目線を交わす。優しく、強い夫を、ダイナ妃は心から慕っているのだ。
「我が国の宝を守るためなら、私は悪魔にだってなれますわ」
*
部屋をでて、すぐに顔を手のひらで覆い、アロイスは誰にも見えない場所でズルズルと座り込んだ。近くの衛兵が一瞬不審な顔でこちらをみた気がしたが、正直それどころではない。ダイナ妃に、まんまとしてやられた。
「エゴ、か」
一言、言葉を落としてアロイスは頭をガシガシとかいた。
シャルロッテを哀れだと思う。その気持ちは嘘ではない。自分のようなバケモノの妻になってしまったこと。美しい期間を自分なぞのために費やさなくてはいけないこと。彼女の美貌ならば、きっと数多の国から求められるのに。自分の隣で生きるという定めを負わされること。その全てに、申し訳ないと思っていた。
「ああ、そうだよ」
戦争の道具になどさせるものか、とアロイスは奥歯を噛み締めた。ただでさえ不幸にさせてしまう存在なのだ。ならば、これ以上落としてなどやるものか。
彼女が、俺がいなくなった後も幸せに生きていけるように。そのためならば、なんでもしよう。
アロイスはゆらりと立ち上がった。その顔はどこか決意に染まっていた。
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