3.裏表の晩餐会

シャルロッテはパーティーが始まる前から機嫌が悪かった。


「シャルロッテ、お客様がいる前で仏頂面はやめなさい。貴女は将来王妃になるのですから、どんなときでも笑顔を絶やしてはなりませんよ?」


明らかな仏頂面に、さすがのダイナ妃も注意せざるを得なかった。このパーティーは娘と、娘婿の将来がかかっているとも言える。そんな中で主役の一人がこんな顔をしていては、失礼にあたると、懸念しての注意だった。


「それはわかっていてよ。でもお母さま、なぜアロイス王子は私をエスコートしてくださらなかったの? 普通なら妻となるこの私を、玉座までエスコートするのは夫の役目ではなくて?」


あらあらとダイナ妃は笑った。どうやら、娘の機嫌が悪いのはアロイス王子が原因らしい。


「貴女はアロイス王子が嫌いなのでは?むしろ、都合がいいのではないですか?」


そう尋ねると、シャルロッテはそうではありますが…と、いいながらもまだ不満そうである。


「きっとアロイス王子は貴女のために気を利かせたのでしょう。貴女は良くも悪くも自分に嘘がつけない人ですからね。それに、アロイス王子は勘の鋭い方ですもの」


ダイナ妃の言葉に、シャルロッテは複雑な面持ちで黙った。もし、そうであるとしたら悪いのは自分になる。


「……ですが、アロイス王子は何処にもいませんね。どこかの令嬢とでもお話ししているのかしら」


ダイナ妃の言葉にシャルロッテは、ハッと顔をあげた。自分でも気付いていないようだったが、シャルロッテの表情には少しの焦りと不安があった。

パーティーも中盤に入ってきたが、シャルロッテの夫は現れなかった。もはや心配を通り越して怒りに震えていたシャルロッテも、さすがに違和感に気付いた。


「シャルロッテ姫様、この度はご婚約おめでとうございます」


そんな中で、貴族の令嬢や領主、公爵や伯爵などに次々と祝いの言葉と品物を贈られるが、シャルロッテは正直それどころではなかった。中盤に入っても現れないアロイスの事をみなが不審に思っているようで、口々に在らぬ噂を囁いている。


「お母様、さすがに何かおかしいのではありませんか?」


シャルロッテの言葉に、さすがのダイナ妃も深く頷いた。アロイス王子をよく知っているわけではないが、ダイナ妃には、彼が約束事をすっぽかすような人間には見えなかった。何かしらの事情があるにしても、早々に姿を見せなければ王家は嘘つき者を姫の夫に選んだなどという侮辱を浴びせられる事になるだろう。

そこで、賢明なダイナ妃はすぐに侍女を呼び寄せた。


「ユリ、アロイス王子を探してきてちょうだい。他の召し使いたちも連れていっていいから一刻も早くね。」

「かしこまりました。王妃様」


ユリが去ったのを確認したダイナ妃はふーっとため息をついた。



「…ロイクよ」

「はい」


一方、ダイナ妃とシャルロッテの焦燥など露ほども知らないアロイスはといえば、呑気に袖裏でロイクが持ってきた食事を食べていた。しかし、主人に変わり、ロイクは明らかにおかしいこの状況の解決策を探すべく、難しい顔をして何かを思案しているようだった。


「陛下の合図はまだないのか?」

「ありませんね」

「これは、さすがにおかしくないか」


アロイスは重いため息をつきそうになるのを抑えながらも、思わず天を仰ぐ。ジーザス。まぁ俺は無神論者だけど。


「今日のパーティの題目は俺の歓迎会なんだよなぁ?…なのに、なぜ俺はこんなすみっコでご馳走をまるで盗人のように食べているんだろうな?」

「それは……」


ロイクには、その答えがわかっていた。そしてもちろん、アロイスにもわかっていた。


「どうやら王様には嫌われたらしいな」

「……アロイス様」


アロイスは笑った。嫌われる可能性は、十分に考慮していた範囲内だ。まぁまさか、命まで狙われるとは思ってもいなかったが。よくよく思い返しみれば、とアロイスは先程の矢に着いていた手紙のことを思い出す。あの手紙の端っこには、アルント王家の紋章があった。つまり、陛下が差し向けた刺客による大胆な宣戦布告ということだ。


まぁね、んなことは別にいいんだよ俺は。俺一人嫌われたところで誰も困らないし。そもそも、慣れている、のだ。この容姿に生まれついたときから。


「アロイス様、それにしたっていつまでもここにいるわけには参りませんよねぇ。─アロイス様はいずれこの国の王となるのですから、常に国を思って行動しなくては」

「…あ?ロイク、お前皮肉が随分と上手くなったな。そんなことは100も承知なんだよ。けれど、なにぶん動きにくいったらありゃしねぇ。別に、俺はこのままでもいいけど、王の企み通りにいくってのもムカつくし……」

「アロイス様、ムカつくってそれはもう…」


アロイスの言葉にロイクは苦笑した。ロイクは、面倒くさがりな癖に、なんだかんだで負けず嫌いな主のこの性格が実は好きだった。


「では、どうなさるのですか?」


アロイスは面倒くさそうにくしゃくしゃと頭をかく。


「…まぁ、どうにかなるだろう。多分」

「あの、アロイス様。最初となにも変わっていませんよ」


ロイクは大きくため息をついた。


「そんなこと言われても、俺にも何をどうすべきかわからないんだよ」


動きにくいと言った言葉に偽りはない。実際ひどくやりづらかった。権力者である国王陛下に楯突くことは得策ではないとアロイスは分かっていた。だからこそ、やりづらい。無駄に身動きができないこの状況が、イラつかせる。


「~〜っもうめんどくさいからさ、じゃじゃーんて出てくるのはどう?」

「却下です」



その頃、アルントの姫はといえば公爵や貴族、華族、大臣共の息子たちの対応をしていた。その中でも特に、王の直属部隊の将軍の息子であるルーベンス・ファボットの対応に追われていた。アロイスがくる前まではこの男がシャルロッテの婿候補最有力者だったのだ。大臣の息子ということで、父親もかなり賛成していた。それなのに──まぁやむを得なかったわけだが──リラから来たアロイス王子との婚約が急遽決まってしまった。それにより、ルーベンスも流石に落ち着くだろうと淡い期待をしていたのだが、残念ながらその期待は悪い意味で裏切られてしまった。


シャルロッテだって別に、ルーベンスのことが嫌いなわけではないのだ。幼いときから知っているし、なにより顔もそれなりにいい。

ただ、少々(かなり)ナルシストであるところとか。少々(かなり)自意識過剰のところとか。笑うときに無理やりニヒルにカッコつけて笑おうとして、唇がひくつくところとか。鍛えすぎて鳩胸になってる筋肉とか。

そういうところが自分と合わなかっただけだなのだ。


「あぁ、俺のシャルロッテ……結婚してしまうなんて本当に残念だよ」


そして今もまたニヒルに笑おうとするルーベンスに、シャルロッテは、私はいつからあんたのものになったの? と、聞きたくなった気持ちを無理矢理抑えていた。相手は父親のお気に入りの大臣の息子である。ここは17年間姫として育ててくれたお母様の教育方針に乗っ取って、にこやかな笑みで耐える。


「それにしても今日も本当に美しい。俺の妻となった方が貴女も幸せになれたでしょうに。あんなブサイクで、異端な容姿で、しかも平凡ときたらいいところなんて一つもない。国の王子といっても、あそこまで普通では、貴女に釣り合いませんね」


ルーベンスは嘲りながら笑う。

シャルロッテはなぜかその言葉を聞いて、胸の当たりがムカついてきた。ついこの前まで自分も同じことを言っていたのに、この男に言われるとなぜか非常にムカつくのである。だが怒るわけにもいかずに、シャルロッテはにっこりと笑みを貼り付けたまま対応する。それに、ルーベンスの言葉は事実でもある。これまで、釣り合わないと嘆いていたのは自分自身だ。


「…そうですわね。ルーベンス様。」


自分に言えることはない、とシャルロッテは自虐的に微笑んだ。


その時だった──。


不意にルーベンスがシャルロッテの腕を強く引っ張り、誰からも見えないようなカーテンの裏へと連れ込んだ。その乱暴な行動とルーベンスに驚き、シャルロッテは思わず声を上げかけるが、抵抗する間もなく壁へ押し付けられる。


「……っ!何を!!!」


叫びかけた瞬間、強く手で口を塞がれる。ルーベンスの顔を見上げた瞬間、シャルロッテは固まってしまった。緑色のその瞳は欲情と勝利、そして蔑みで満ち満ちていたのだ。既にもう酔っているのか、彼の傍からむわりとアルコールの香りが薫った。ルーベンスの口元は、薄い笑みで歪んでいる。


「お父上には許可を取ってあります。貴女が俺の子を宿せば、貴女は俺の妻となれますよ」


その言葉の意味が分からずに、シャルロッテは戸惑いを隠せないままルーベンスの顔を見つめる。


「王になるのは俺だ。そしてシャルロッテ……君は俺の子を産まなくてはならない。」

「……!!んっ!」

「やっと意味を理解したようだね。俺は小さいときからこの国の王となるために親父から教育を受けてきたんだ。それが─こんな形であっという間に崩れ去った! それは誰のせいなんだろうな? なぁ、可愛い俺のシャルロッテ…」


シャルロッテの腰に回した手が強くなる。それによって、思いもよらずルーベンスに抱きつく体制になる。そこでやっとシャルロッテは恐怖を覚えた。


この男──本気だ!


何とかして誰かに気付いてもらわないと、とシャルロッテはルーベンスの腕から逃れようともがく。それに気付いたルーベンスは、ふっと鼻で笑った。


「無駄だよシャルロッテ。ここにいる皆が陛下からこの話を聞かされている。皆が俺がこれから君を抱くことを知っているのさ!」


そんな…。皆が、皆、私がこの男に抱かれることを知っているっているの?それを皆、賛成したの?お母様、お母様もなの?


なぜ?

なぜ、こんなことに?

誰も助けてくれないの?


「……あぁ、シャルロッテそんな泣きそうな顔をしないでくれ。これは君のためでもあるんだぞ?」


ルーベンスは微笑んだ。彼は気持ちが悪いほど優しい笑みを浮かべて、カーテンの裏から隠し部屋に続く扉を開けた。それを見たシャルロッテは抵抗をやめて項垂れる。


もう、もう諦めるしかないの?

私は…こんな男に抱かれなくちゃいけないの?


そのときシャルロッテの脳裏にあの男が浮かんだ。異端なる容姿の、自分の夫となるために来たリラの王子。


アロイス王子。

なぜかそのとき、シャルロッテが願ったのはアロイスにむけてだった。


お願いだから、助けて。

シャルロッテの瞳から涙がこぼれ落ちた。


と、その瞬間──。


「何を……なさっているのですか?」


その言葉とともに、シャルロッテは後ろに引っ張られた。それは、先ほどのルーベンスのような痛くて強い引っ張り方ではなく、彼女の体をいたわった優しい強さだった。

驚いて振り向くと、そこには嫌悪を隠そうともせず、非常に迷惑そうな顔をするアロイス王子がいた。


「なんだ、誰かと思えばリラから来たバケモノ王子じゃないか」


ルーベンスは嘲笑をアロイスに向ける。それをアロイスは無表情で無視した。


「質問に答えていただきたいですね。そこで姫を相手になにをなさっていたのですか?」


煩わしいのかアロイスは目を細めて気だるげに再び尋ねた。


「何って…愛を深めあってただけさ」

「愛……ですか。なるほど。ですが、私が見る限り、シャルロッテ姫は楽しそうには見えませんでしたが」

「これから楽しむとこだったんだよ。それなのに、貴様が来たから中断させられたんだ」

「おや、そうだったんですね。双方合意の上の行為なら、私が止めてしまったのは野暮だったようですね。失礼しました」


そう、アロイスは言うとあっさりとシャルロッテを前に出した。それに対し、シャルロッテは呆気に取られながらも去ろうとしたアロイスの服の裾を引っ張る。


「双方合意ではありませんわ!」


涙に濡れたその瞳できっとルーベンスを睨み付ける。それをみたアロイスはニヤリと笑い、口を開いた。


「あれれぇ…おかしいですねぇ…?今、姫は双方合意ではないと仰いました。それなのに貴方は先程これから二人で、楽しむ予定だったと言いましたね?この時点で貴方は嘘をついたようだ。しかもまるで私が悪者のような言い方で。嘘つきに加えて、姫が嫌がっているにも関わらず、身体だけを求める貴方はただの変態ですね。肉食獣は頭の回転が非常に悪いと聞いていましたが、確かにそのようだ。後先考えず自分の欲望だけを満たそうと、姫を陥れようとした貴方は変態と呼ぶのに相応しいですよ。おめでとうございます。貴方は今日から変態の仲間入りです!」


そう言いきると、アロイスは非常に楽しそうににっこりと笑った。今度は別の意味でシャルロッテは呆気に取られてしまった。同じくルーベンスも顔を赤くしたまま大口を開けている。


「…っ貴様!なにを!」

「目の前で事実を突きつけられて、動揺されていますね。そのような態度をとれば、貴方は自分自身で事実を認めたようなものですよ? つまり墓穴を掘っているんです。わかりますか?」


そうして正論をぶちまけるとアロイスは満足げに微笑んだ。ルーベンスは反論ができないのかぐっと黙りアロイスを睨み付ける。


「睨み付けることしかできないようなのであれば、私は婚約者を連れていきたいのですが、よろしいですか?」


「勝手にしろ! だが覚えておけよ、アロイス王子。ここにいる限りあんたに味方はいない。シャルロッテは俺のものだ!」


捨て台詞ともとれるようなその言葉に、アロイスは小さく笑うと頷いた。


「しかと覚えておきましょう」


そうしてルーベンスは二人の前から去った。


やっと自分の今の状況を理解したシャルロッテは、アロイスに対しどのような態度をとればいいのか分からずにただ戸惑うばかりだった。お礼を言わなくちゃいけないんだろうけど、どうやっていえばいいのかそれすらわからない。


そんなこんなで葛藤に追われていると、突然アロイスが重いため息をついた。


「それでは、俺はこれにて」


シャルロッテの顔も見ずに、アロイスは去ろうとした。堪らず、自分でも無意識にシャルロッテはアロイスの裾をつかんでいた。

アロイスは振り向きもしないまままた一つ、重いため息をつく。


「……陛下が私を睨んでいらっしゃる。ただでさえお怒りなのに、火に油を注ぐような真似はしたくないのですが」


シャルロッテは父親が座る台座をちらりと見上げた。確かに──王はアロイスを婿をみるような目線ではみてない。

そこでシャルロッテは気が付く。


「ただでさえお怒りとはどういうことですか?」


尋ねると、無表情だったアロイスの顔に少しだけ動揺の色が浮かんだ。だが、すぐに元に戻すと、シャルロッテの目をじっと見つめてくる。


「な、なんですの」

「知らない方が楽ですよ。貴女みたいな人は、どうせ知ったら知ったでぎゃんぎゃんと喚くでしょうしね」

「なっ…なんて失礼な! 私はそんなことしません!」


シャルロッテはアロイスをきっと睨み付けた。それをアロイスはふっと柔らかく笑いながら見つめ、そのままふっと前を向いた。そうして、さりげなく自分の裾をつかんでいたシャルロッテの白魚のような美しい白い手を外すと、そのまま何も言わずに歩いて去っていってしまった。


はぐらかされた。

シャルロッテは優しく外された自分の手をぎゅっと握りしめる。長身のアロイスの後ろ姿を見つめたまま、シャルロッテは少しだけ熱くなった頬に手を当てて、唇を噛み締めていた。



やってしまった──。


アロイスはニュートンのリンゴよりも重い、とても重いため息をついて顔を覆って座り込んでいた。

無意識だったのだ。

最初はどうでもいいと思っていた。連れ込まれそうになっているシャルロッテを見たとき、あぁそうか、なるほどと妙に納得した自分がいた。所詮、こんなものかと自分に対し嘲笑を浮かべていた。あの姫は俺の言葉通り自由にいるだけだ、と言い聞かせ、見て見ぬふりをしようとしたのだ。

それなのに。

陛下からの圧力もあったのに、シャルロッテの瞳から涙がこぼれ落ちるのをみた瞬間、勝手に体が動いていた。

いや──それもあったのだろうけど、聞こえた気がしたのだ。シャルロッテが、俺に助けを呼ぶ声が。


気が付くと折れそうなほど細くて真っ白な腕を引いていた。涙に濡れたその瞳が俺に向けられたとき、あぁやってしまった、と思う反面、純粋に目の前の男に怒りが湧いた。女ばかりの家で育ったせいかいつも何かあると、姉達は俺に泣きついた。男勝りな姉達も時には変な男にたぶらかされ、こうやって泣いていた。その度に姉を慰め、そして八つ当たりをされたものだ。

シャルロッテの様子を見るに、これは男が一方的にシャルロッテを連れ込もうとしたと判断したアロイスは、微笑を浮かべた。


実家で鍛えた言葉の武器が俺にはある。あとはもうやりたい放題に(でも65%ぐらいはおさえ)ルーベンスをいたぶらせてもった。

まぁ正直、楽しかったよ。…ストレス溜まってたしな…。でもあんなことをしたら、陛下になんて言われるか…というかそもそも、殺意と敵意のダブルパンチだって言ってんのに、なんで俺は後先考えずにあんな事をしてしまったのだろうか、バカなの?あ、バカだったわ…。ちくしょうめ。

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