16.悪意の刃


「アロイス王子!レオナです、ご無事ですか?!」


扉越しに、聞き覚えのある声が部屋に響く。その言葉が言い終わるや否や、レオナが部屋に入ってきた。それと同時にどこか焦げ臭い匂いと、鮮やかな血の香りがアロイスの鼻を掠める。鼻がひん曲がりそうなほどの香りにアロイスは思いっきり顔を顰めたが、2人はあまり気にしていないようだった。

入ってきたレオナは煤で汚れている。シャルロッテは駆け寄り、彼女に尋ねた。


「サークスフィード隊長、ボードレール隊長は?」


「ジルは無事です。それよりも、早くここから出ましょう!」

「敵はどうなっているんだ?」

「今のところは、騒ぎを聞きつけた憲兵たちが対応してくれています。ここには残党はおろか、人ひとりっこいませんよ」

「怪我人は、多いのですか?」


恐る恐る尋ねたシャルロッテに、レオナは沈んだ顔で頷く。


「死者は5名、怪我人は6名です。そういえば、隣人は無事だったとジルがアロイス王子と姫にお伝えくださいと言っておりましたよ」


その言葉にアロイスとシャルロッテは互いに顔を見合わせると、安堵のため息と同時に肩をなでおろした。よかった。死者はでているけれど、とりあえずは身近な人を助けることができた。


「外に馬車を待たせています。申し訳ないのですが、この時間だと民間用の宿しか残っていないので、そちらでも構いませんか?」

「俺は大丈夫だ」

「……そういえば、部屋に宝石やドレスを忘れておりましたわ!!」

「親、そうでしたか。なら私が取りに戻りますよ」


アロイスはじろりとシャルロッテを見た。シャルロッテに他意はないのだろうが、今、それはいうべきことなのだろうかと思ってしまう。アロイスの視線に気づいていないのか、火の海のなかに飛び込もうとするレオナに、シャルロッテは「お願いね」と声をかけている。しかし、アロイスがその腕を掴んだ。


「……この火の中で行くのはさすがに危ないんじゃないですか」

「アロイス王子」

「命よりドレスや宝石の方が大切なら構いませんが」


硬いアロイスの声にも、シャルロッテは驚いたように目を丸めている。同じようにレオナも驚愕に瞳を開いていたが、その瞬間轟音と共に宿屋の天井か落ちた。


「あぁ!!」


熱風に襲われたシャルロッテをレオナが庇う。悲痛そうな悲鳴を上げた後に、シャルロッテは項垂れ、縋るようにレオナを見上げている。そんなシャルロッテに、レオナは「申し訳ありません」と深く謝罪をしていた。


なぜ、と思う。人名よりドレスやら宝石を大切にするシャルロッテの気持ちも分からないし、それを甘んじて受け入れているレオナも分からない。王族と従者。これが、本来ならばあるべき姿なのかもしれないが俺は、理解できない。煙が落ち着いた辺りで、俺は深深とため息をついた。


「行きましょう。」


アロイスはシャルロッテを一瞥すると、さっとレオナの服を引っ張った。引っ張られたレオナは、アロイスの予想外の力にあらがえなかったのか、その身をアロイスに傾けさせた。


「っと」

「す、すみませんアロイス王子」

「大丈夫だ、気にするな。怪我はないか?」


よろめいたレオナを支えたアロイス。手をとると、心配そうな顔をして、淡く微笑む。それに対しレオナも、大丈夫だと微笑む。そんな一連の流れを見ていたシャルロッテは、二人の親し気な様子に戸惑いを覚えた。


「アロイス王子」


思わず声をかける。かすかに上ずった声は、動揺が含まれている。それに気づかれないかと若干ひやひやしながらも、シャルロッテはアロイスを見上げた。


「…なんですか」


怪訝な顔をしていた。アロイスの目の色は随分と冷たかった。

シャルロッテは俯いた。「何でもないですわ」と小さく呟くと、足早にその場から離れようとする。不意に、後ろから「シャルロッテ姫!」と叫ぶ彼の声が聞こえたが、シャルロッテは気にもとめなかった。シャルロッテは、アロイスが軽蔑のような表情をしたことに気が付いていた。だけど、どうしてそんな表情をするのかわからなくて、戸惑っていた。

自分の発言を思い起こしてみても、何か彼に失礼なことを言ったとは思えなかった。今回のドレスや宝石は、ダイナ妃からもらったものばかり。せっかくアロイス王子と出かけるならば、といいものを持ってきていた。それなのに、火の海の中にそれは消えてしまった。大切な思い出と、想いは塵となってしまった。


「でも、たしかにそうね。レオナと思い出なら、レオナの方が何倍も大切だわ。」


けれど、ああこんなときにエルザがいてくれたらと思う。私が見えていないものを、彼女が教えてくれればいいのに、と。

不意に、シャルロッテはひんやりとした夜気を感じ顔を上げた。

そこには、暗闇に溶けて、一台の馬車とその隣で御者らしき人物と話しているジルベルトが見えた。


「ボードレール隊長!」


隣人を助けてくれたことに、礼を言わないとと、駆け寄るシャルロッテ。その声に気が付いたらしいジルベルトが、こちらを向く、シャルロッテの姿をとらえ、その武骨な顔がかすかに和らいだ、その時だった。


ジルベルトは、顔を歪めた。


「姫!!!!」


どうしてそんなに大声を──?

そう思ったその時には、墨よりも深い闇夜から、銀色に輝く鋭い切っ先が見えた。


「シャルロッテ!!」


銀色に輝くそれよりも前に、シャルロッテは我ながら愚かにも、あぁ、アロイス王子の声だと思った。その一瞬の出来事は、まるでスローモーションのごとくゆったりとしていて、シャルロッテには、ここまでの全ての情景がありありと見えてしまった。自分に迫る血だらけで傷だらけの、恐ろしい表情をした青年。振り下ろされる刃。後ろから聞こえるアロイス王子の切羽詰まった声と、サークスフィード隊長の怒りに満ちた低い叫び声。

そして──その刃がシャルロッテの柔い身体に落ちるギリギリのところで、強い衝撃とともに倒された自分の身体。

地面に倒されたことで、口の中に血の味が広がった。ズジャと地面に倒れ伏したことによって鈍い痛みを感じる。しかし、それよりも、とシャルロッテは顔を勢いよく上げた。誰? どうして? と、次々と頭に浮かぶ疑問を頭を振ることで無理やり消して、シャルロッテは口内を占める血とともに苦い唾液を飲見込んだ。起き上がったシャルロッテの目に映ったその光景は、衝撃のものであった。

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