37.泡の中で
「……申し訳ありませんでした。お詫びというのも変な話ではありますが、俺がなぜこうなってしまったのか…その理由と、そして俺のこれからの未来と過去、全てを、話せる範囲にはなりますが、お教えしましょう。」
そういって笑えば、シャルロッテは泣き顔とは一転、パッと嬉しそうな表情になる。それを見て、鈍く痛んだのはただの良心だったのだろうか。まだ俺にも、こんなものが残っていたのかと些か皮肉に思う。
アロイスはシャルロッテに対し、ベッドへ座るよう促した。そうして自分は向かい側の椅子に座り、足を組む。
アロイスに誘われたまま座ったシャルロッテであったが、腫れぼったい瞳が煩わしいのか。くしくしと目をかいている。
「そんな風にしたら、明日腫れてしまいますよ」
と、アロイスは濡れタオルを差し出した。
「長い話です。それで冷やしてるといい」
「…ありがとうございます」
素直にお礼をいったシャルロッテに、アロイスは苦笑して穏やかに首をふった。
「まずは何を聞きたいですか?」
「貴方の言う『バケモノ』について」
迷わず言ったシャルロッテにアロイスは苦笑する。まぁこれは予想の範囲内だから、構わない。
「良いでしょう。具体的には?」
「どうして、貴方はバケモノを飼うことに?」
単刀直入なシャルロッテの言葉に、アロイスは顔をしかめた。
そのまま腹に手を置いて、瞳を閉じる。何も感じない、そこにふれたところで何も感じない。それでも、アロイスはまるでそこにある『何か』を押さえ付けるかのように力をこめ、瞳を閉じたまま浅く息を吐き、言った。
「……呪いです。我が一族が犯した、と或る重大な罪のせいで」
「…それは?」
「言えません。一族の、当主のみに伝わる、禁忌です。」
途端にシャルロッテは不満そうな顔をする。アロイスは素直な彼女の反応にまた少しだけ笑った。
「これは、あくまでも例えの話です」
アロイスは瞳を開ける。
「貴方に大切な人がいるとします。それは、貴女が己の全てを、地位も、己の人生も、自身の命すらも投げ出しても構わないと思えるくらい、大切な人だとしましょう。」
シャルロッテは目を瞬かせる。
「もし、貴女がそんな大切な人から酷い裏切りを受けたら、どうしますか?」
「…酷い、裏切りですか」
「全てを捧げた貴女の全てを否定するような、酷い裏切りです。」
いつになく真剣な面持ちでアロイスは言う。
「…相手を憎みますか?己の心が感じる怒りのままに、相手を傷つけますか?それとも、苦しみや悲しみに耐えかねて泣き喚きどうしてそんなことをしたのかと問い詰めますか?」
アロイスの問いに、シャルロッテは戸惑ったように目線を泳がす。白魚のような細い指を合わせ、行ったり来たりを繰り返す。そうして十分に悩んだ結果、シャルロッテはおずおずと言った。
「……どうしてそんなことをしたのか、話を聞きます。それでも納得出来なかったら、私が傷ついた分だけの謝罪をしてもらいます。」
「なるほど。とても優しいですね」
アロイスの言葉に微かに皮肉が混じったことに、シャルロッテは気付いた。月光により照らされた表情が半分闇に埋まってしまったアロイスの顔を、注意深く見つめる。
アロイスはどこか諦めたような朧気な表情をしていた。
「彼女は、そこまで優しくありませんでした。だから、彼女は怒りと憎しみに権化したのです」
「彼女…?」
戸惑うシャルロッテ。アロイスは、はっとして顔を上げる。どうやら口を滑らせたようだ。彼にしては珍しく、露骨に取り繕った態度になった。
「いえ、あくまでも例えの話です。まぁでも、つまりは俺の中にいるのはその彼女なんです。先ほど例えた…彼女みたいな存在がここにいる。」
「怒りと憎しみを権化した存在、ということですか?」
「そうです。我が一族がおかした罪が、その存在を作り出した。これが、我らが子孫まで永遠に受け継がれて来た、二重の咎です。」
「貴方は、その咎を背負っていらっしゃるの?」
「はい。…罪を犯したのならば、それを誰かが背負わねばなりません。今回は、たまたまそれが俺であった。それだけのことです。」
さらりと呟いたアロイスの言葉に、シャルロッテは息を呑む。
「貴方が罪を犯した訳では無いのに、どうして背負う必要があるのですか?」
「それが呪いの正体だからです。このバケモノ……黒鬼が、我ら一族の男子を代々呪うこと。それこそが、バケモノの呪いなのです。」
シャルロッテはアロイスの放った言葉を噛み締めるかのように、彼が言った言葉を何度か繰り返した。理解するのに時間がかかるのは、アロイスにもよくわかった。かつてはアロイスもまた、理解するのに途方もない年月がかかった1人だった。
10分は経っただろうか。
やがて、ゆっくりとシャルロッテは頷いた。俯かせていた顔をあげ、アロイスを真っ直ぐに見つめる。
「では、呪いの正体は黒鬼だとしてです。その呪いの内容は何なのですか?」
「…死、ですかね。」
「っ?!」
ゆっくりと答えたアロイス。シャルロッテの表情が見る見るうちに歪む。それを見ていたアロイスは、慌てて説明しようと口を開いた。
「すみません、言葉足らずでした。…つまりですね、長い年月をかけてもなお、黒鬼が欲しいものが一体なんなのか、我らにもはっきりと分かっていないのです。だからこそ、呪いを解く術を持っていない。黒鬼が望むものが何なのかわからない以上、我らが呪いに対抗する術は『死」でしかなかったのです。だから今、そのこの呪いの具体的な結末が死であると答えたのです。」
「ということは、呪いの内容は死とは限らないということですか?あくまでも最終的に『死』で対抗したと言うだけであって、それは確定ではないと?」
早口にいったシャルロッテに、アロイスは小さく頷く。
「黒鬼は怒りと憎しみを糧として肥大化していき、やがて宿主を食い破り、世界に破滅をもたらすと言われてきました。おそらくこれは、知っている人には知られている内容でしょう。実際、おおかたは合っています。」
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