11.小花のドレス
「なぁ、ロイク」
「なんですか、アロイス様」
目の前の金や銀で飾り立てられた豪華すぎる馬車に、おおよそ500人は下らないだろう兵隊の数。そして、今現在は城下に降りてないから姿こそは見えないものの、確実に聞こえてくる多数の国民たちの歓声。
一言でいうならば、アロイスとロイクは、目の前の光景にひどく圧倒されていた。
「俺、大国の経済力なめてたわ」
「私は、それにプラスして大国の派手好きと華美さについても忘れておりました。」
リラの国は、何度でもいうが極貧国だ。
経済力…並以下
軍事力…限りなくゼロ
という恐ろしいほどの力無き国だ。第一、アロイスに言わせてみれば、なぜこんな国が国として成り立っているのかわからないほどであった。そんな質素な国で育った故、この豪華さに圧倒されるのも致し方ない。
「…アロイス王子」
名前を呼ばれて振り返れば、そこにはシャルロッテがいた。淡い桜色に、白い細やかなデザインのドレスを着て、美しい金糸のような髪は編み上げ、白色の小花を散らしていた。
へぇ、と少しだけ眉をあげる。シンプルでいて洗練されたデザインは、これまでシャルロッテが好んでいたドレスとは異なる気がする。彼女はピンクや紫の派手目な色が好きだったと聞いていたが、元が美しいせいだろう。こういったシンプルなデザインの方が、彼女の美しさをより魅せている気がする。
「美しいドレスですね。よくお似合いです」
似合っている。そう思ったから、素直な感想を告げてみれば、シャルロッテは意外にも頬を真っ赤に染めた。いつもなら悪口の一つや二つ、飛んできそうなのに、今は口もつぐんでいる。珍しい。
「そ、そんなことはどうでもいいのですわ。まぁ、でも一応お礼は言っておきます。どうも」
「はぁ」
シャルロッテは赤く染まった顔を隠すようにそっぽを向いた。
「姫様、この度、護衛をしていただくことになりました、近衛隊一番隊の隊長殿と二番隊の隊長殿がご挨拶にといらしていますよ」
シャルロッテの後ろに控えていた侍女らしき女性の言葉に、シャルロッテは振り返って微笑みながら答える。
「あぁ、そういえば昨日お母様から言われていたのを忘れてたわね。通してかまわないわよ」
ん? 一番隊の隊長? その言葉に振り向けば、ガシャリガシャリと重い甲冑の音ともに現れたのは…案の定というかなんというか。
「サークスフィード隊長、この度はよろしくお願いしますね」
長い銀髪をまとめ、ポニーテールにした若き女騎士隊長にして俺の友人のレオナは、俺の顔を見るとあからさまに目を見開かせた。だが、さすが隊長。すぐに表情をもとに戻すと、シャルロッテの方へと目線を戻し深々と一礼する。
「シャルロッテ姫様、お会いできて光栄です。リラ王国のアロイス王子殿、お初にお目にかかります。私は、レオナ・サークスフィードと申します。おふたりの事は、この命に代えてもお守りいたします」
「頼りにしています。そちらの方も、よろしくおねがいしますね」
シャルロッテがちらりと目を向けたのは、二番隊の隊長だった。武骨な顔には深い傷跡がいくつも残っている。まさに百戦錬磨の武人、という感じの男性だ。二番の隊長殿はシャルロッテの言葉に無言のまま、 レオナと同じように頭を下げただけだった。
「ではアロイス王子、参りましょうか」
エスコートしろ、とでも言いたいのかシャルロッテは俺の隣にわざわざやってきた。
冗談じゃない。
公務はやると言ったがエスコートは公務に入らないはずだ。それにこんなことをすれば陛下になんて言われるか。だから、気づかないふりをして俺はさっさと馬車へと乗った。シャルロッテの顔が途端に硬直したのは、見ないふりで誤魔化した。
「……よろしいのですか?シャルロッテ様、固まってしまってますけど」
小声で話しかけてきたロイクを、俺はじろりと睨みつける。前にも言っただろう、という意味を込めて。そのまま黙って馬車の中へと入っていく。少し経ってからシャルロッテも馬車に乗り込んできた。この馬車は王族用だから、シャルロッテの侍女やロイクは入ることができない。
足を組んだまま窓の外を見ていると唐突に足を蹴られた。
「…いっ!?」
「よくもあのようなことをしてくださいましたわね!私に恥をかかせて嬉しいですか!?」
激昂したシャルロッテは俺のことを、鋭く睨み付けた。
「シャルロッテ姫、この前交わした約束をお忘れなのですか」
「忘れてなどいません!ですが、これも公務に入りますわ!!」
「……必要以上に馴れ合ってどうするんですか? 私と貴女は互いに婚約者であっても、例え夫婦になったとしても、それは仮面でしかないんです。貴女が私のことを好いていないように、私も貴女のことを好きになることはないでしょうしね」
さらりと告げた言葉。少し言い過ぎたか、とも思ったが、これはこれで良いのだと思い直した。だって、どうしたってこれは事実なのだから。けれど、何故かシャルロッテの顔が見れなくて俺は目線をそらしたままでいた。下の者たちによって閉められてしまったドアのせいか、やけに息苦しく感じる。
「……そう、ですわね」
予想していなかったそのか細い声に思わず顔をあげれば、シャルロッテの大きな瞳が微かに潤んでいることに気付いた。
シャルロッテは、どうしてかひどく泣きそうな顔をしていた。これにはアロイスの方が狼狽えてしまった。
「…なぜ、そんな表情を?」
シャルロッテはハッと眉をひそめると、まるで堪えるように唇を強く噛んで、そっぽを向いてしまう。
「私の感情は私だけのものですわ。これから先も、ずっとずっと。アロイス王子に決められたくはありません。それを、あなたは分かっていますの?」
そのシャルロッテの言葉に、アロイスは思わず困惑したように目線を泳がせた。それはいったい、どういう意味なのか。人の気持ちに敏感なアロイスであったが、このときばかりはシャルロッテの思考が分からなかった。
狼狽しているアロイスに、シャルロッテはどこか諦めたように小さくため息をついた。
「……やっぱり、なんでもありませんわ。可笑しなことを言ってしまってごめんなさい。」
「シャルロッテ姫」
なんとなくこのままではいけない気がして、アロイスは思わず彼女の細腕を掴んだ。驚いたようにこちらを見上げた彼女のこぼれ落ちそうな大きな瞳を、至極真剣な顔で見つめ返す。
「私は異端な者です。ご存知の通り、バケモノと呼ばれる異端な力を所有しています。そして、私の中には禍々しき力と穢らわしい生き物が眠っています。」
「…アロイス王子?」
「貴女は、常に……私から、離れていなくてはいけません。傍にいてはいけないんです。……私の中の魔物は、貴女に害を及ぼします」
自分が何を言ってるのか、アロイスはほとんど分かっていなかった。この傲慢な美しい姫を嫌っているはずなのに、いや、嫌っているからこそ、俺はこんなことを言っているのかもしれない。俺に、無用心に近付くことのないよう、無意識に牽制をしていた。
「……約束を、もう一度してください。俺に不用意に近付かないと。」
シャルロッテは目を大きく見開いた。目の前の異端なる王子は、いつもと変わらない飄々とした表情だ。
あぁ、だけど。
その、握られた拳は小さく震えている。まるで何かを堪えるかのように。何かに耐えているかのように。
どうしてだろうか。そんな彼に対して、どうしようもなく可哀想だと思ってしまった。
けれどそんなこと言ったら、きっと彼は嫌がるだろう。だから、シャルロッテはなんでもないような顔をして静かに言った。
「それは、公務以外で、ということですか?それとも、公務をやることさえ嫌になりましたか?」
「確か、国民視察を終えればあとはもう公務はありませんよね?」
「二ヶ月後の結婚式まではありませんわ」
「ならば、視察後はもう二度と会わないと約束してださい。次に会うときは結婚式、ということで」
「あら、二ヶ月後間も私をほったらかしにするということですか?」
「ほったらかしって……不干渉といってほしいですね」
二ヶ月後間もの間、会わなくなる。その言葉に、シャルロッテは様々な思いが胸を過ぎるのを感じた。シャルロッテが目線を逸らしたのをいいことに、アロイスは目を伏せながら小さく「それに」と呟いた。
「貴女もそれを望んでいらっしゃるのでは?」
その言葉に身体ががくんと衝撃を受けた。
私も、それを望んでいる……?
シャルロッテはアロイスのことを見つめた。炭のような黒い髪に底なしの沼のような黒い瞳。噂に名高い、顔の半分だけ痣におおわれた、異端なる容姿をもつ王子。私の好みとは正反対だし、なによりぱっとしない。地味だし普通すぎて、つまらない。
でも、どうしてこんなに胸が痛むのだろうか。
ちくちくと蜂に刺されるような痛みと喉が圧迫されるような息苦しさを感じる。
シャルロッテは薄く笑った。
「……わかりましたわ。約束しましょう。…ですが、一つだけお聞きしても宜しいですか? その約束の代償として、ということで。」
「…ええ、いいですよ。」
ずっと気になっていたことだ。会ったときからずっと胸に引っ掛かっていたことが、シャルロッテにはあった。
「リラ王国は小国とはいえ、自立し、おまけに水に恵まれた国と聞いています。」
「えぇ。水源だけならば世界一を誇っていますからね」
アロイスは答えた。
「ならばこそです。一点、気になることがありまして。」
シャルロッテは、アロイスのことをじっと見る。
「リラ王国は、我が国からの縁談を、断ることもできたはずです。なのに、どうして…」
「あぁ、そのことですか」
けろりとした顔で言ったアロイス。少し笑いながら答えた。
「我が国は水神を信仰しています。水神に愛された水ノ国として有名ではありますが、ここ最近、水にまつわる天災が異常なほどに増えていたのです。」
「水神に愛された国、なのにですか?」
「はい。だからこそ誰もが困惑しました。津波や川の決壊、浸水。おまけに大雨のせいで作物は病気になり、収穫率は昨年の三分の一以下という最悪な事態にまでなりました。」
シャルロッテは眉を潜めた。
「そんな事態になれば当然飢饉が起こります。飢餓により民はどんどんと倒れていきました。このままでは、国が斃れる。……けれど、そんな中で貴女の国から文が届きました」
一度息をつくアロイス。
「貴女の国は我が国の水源を欲していた。最初は、我が国を属国にしようと考えていたようですが、それは我が国が断ったそうです。ですが、その断りのせいで大国は激怒しました。」
「…そんなの知らなかったわ」
本気で驚いているところ、シャルロッテは本当に知らなかったのだろう。リラは小国であるから、王族も政治に介入せざるを得ないが大国はその必要がない。
それを幸と取るか不幸と取るかはそれぞれだとは思うが。
「まさに一触即発となっていたとき、突然貴女の母上から文が届きました。」
「お母様から?どうして…?」
「ダイナ妃は今までの大国の無礼を謝罪し、そして和解したいと言ってきました。そして、それを証明するために互いの子供たちを結婚させようと。」
「それが、私と貴方ってことですか」
「ええ。それにダイナ妃は我が国の飢饉による危機を救うために最大限援助しようとも言ってくれたんです。ただ、それはもちろん私が貴女と結婚したら、という場合ですが」
「なるほど、そういうことでしたの…」
シャルロッテは納得したのか、神妙な面持ちで何度か頷いた。
「でも、やっぱりそこには貴方の意思はなかったのですね」
呟いたシャルロッテの顔を見る。自分が漏らした言葉の意味に気付いてないのか、目線は下に向けられたままだ。
「意思がないのは、貴女も一緒でしょ?」
意思がない、そういわれてカッとなり思わず返した。けれど、自分で言ってハッとした。彼女の方へと顔を向ければ、シャルロッテの表情が見る見るうちに、強張っていく。
「シャル」
「その通りですわ。貴方の言う通り。私も貴方も、所詮は国の道具でしかありません。意思など存在しないも等しい。」
呼びかけた言葉を遮ったかと思うと、シャルロッテはまるで何かを吐き出すかのように言葉を吐いた。
「でも、少なくとも、私はこの結婚の全てに私の意思がないとは思っていませんわ。」
彼女の声は、少し震えていた。だけど、それでもその目に灯る強い光に、俺は圧倒されてしまい、口を噤んでしまう。
「貴方もそうなのでしょう?だからこそ、国の道具となり、人身御供のようだと理解してなお、この国に来たのでしょう?」
強い光は俺を貫いていた。そして、その光は恐らく確信をもっていた。それほどまでに、とても強い光であった。だからだろうか。俺は思わず唾を飲み、シャルロッテの質問から逃げるように目線を下げてしまった。
シャルロッテが、小さく息を吐く音が聞こえた。
「……約束は守ります。でも、この公務は将来のためにもとても重要なものですわ。だから、毅然とした態度でのぞんでくださいね」
……やってしまった。
シャルロッテは、もうこちらを向いていなかった。彼女が纏う雰囲気は、完全なる拒絶の色をしていた。この状態では、俺の言葉は聞かないだろう。
それでも、言い訳でもしようとでも思ったのだろうか。もう一度口を開きかけた俺であったが、唇を噛み締めた後にきつく真一文字に結んだ。そうして、シャルロッテとは真逆の方の窓の外に目をやった。
さすがの俺でも、先ほどの俺の言葉はアウトだったと分かる。
王の子供は国の道具であると、俺もシャルロッテも心の奥底ではよく分かっている。一国の王の子供として生まれたその時から、俺達の運命は決まっていて、それは避けることはできない必然の運命だった。その中でも意思というものは、限りなく無いものに近い。当たり前のことだ。意思があれば、俺達は王の子供などやっていない。
それでも、その運命という名のレールを甘んじて受け取り、滑車を走らせているのも紛れもなく俺達だ。王の子供であることを苦々しく思ったことは数え切れない程あるが、結局のところその運命に逆らえるほど俺達は強くない。否──他の運命を謳うほど、己の力を信じていない。
とどのつまり、俺達はなんだかんだで己の運命を受け入れているのだろう。俺でいえば、王子として祖国の危機を救うこと。シャルロッテでいえば、姫として国を豊かにさせるために、好きでもない男と結婚すること。
嫌だと、簡単に言える立場でないことをよく理解しているのだ。
本当に愚かな事をした。だがそれを認め、謝罪の言葉を告げれば、今まで保ってきた物が崩れてしまうかもしれない。それを恐れるあまり、アロイスは何も言えずにいた。
……いや、むしろ好都合かもしれないと、どこか俺の卑屈な部分が嗤った。
このまま何も言わなければ、シャルロッテはきっと俺の事を軽蔑してくれるだろう。既にもう、貴方はそんなことを言う人だと思わなかったと、あの真っ青に吸い込まれそうな瞳が語っていた。シャルロッテに嫌われてしまう方が、彼女のためにも、自分のためにもなる。
そこまで考えて、アロイスは自分に言い聞かせるかのように頷いた。己の中にいる戒めの呪いを、アロイスは忘れていない。この呪いを、シャルロッテに被せるわけにはいかないのだ。
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