29.ペチュニアの嘆き



「で、です」


あぐらをかいたバッカスの前で、シャルロッテとアロイスは改めて姿勢を正す。バッカスのそばでは、頭を抱えた鈴玉と紅花が白けた目でバッカスを見つめているが、バッカスは依然として気がついていない。阿呆なのか、頭が切れるのかよくわからない男である。


「いろいろと左へ右へと曲がりましたが!そろそろ本題に入りましょうぞ!もう夕刻になってしまった!!!」


豪快に笑うバッカスである。


「そもそもですね、ここにお越しいただいていること自体もはや奇跡中の奇跡なんですよね!そういえば!」

「っだからあれほど態度を改めろと!!」

「申し上げたでしょう!!!」


鈴玉と紅花がキーっとなっているが、バッカスは笑いかけるだけである。


「まぁまぁ、奇跡だが軌跡だがなんだかはどうでもよいのですよ。せっかくのチャンスを活用しないでどうするのですか、バッカス殿。この機会をうまく利用する必要があると僕は思いますが…」

「おお、まさにその通りですな。良いことを仰る!ではさっそく、この近辺の問題について、良いですかな、姫様」

「っは、はい」


緊張からか声を裏返したシャルロッテ。珍しい。先日まで堂々としていたのに。

ちらりと横目で見ると、シャルロッテが助けを求めるかのように目線をよこしてきた。口だけを動かして、どうしたのですか?と尋ねてみたが、シャルロッテは困ったように首を横に振っただけだった。

なにが言いたいのかよく分からず、そのまま首を傾げると、シャルロッテは苦笑して前を向いた。本当になんだというのだと。


「…お二人共、よろしいか?」

「あ、はい。大丈夫です。」

「えぇ」


頷いたバッカスは続ける。


「実はですな、最近貿易のやり方が変わってきているのです。」


重々しく口を開いたバッカスは、先ほどとはうって変わり真面目な表情を見せる。


「変わってきている?それは、どういうことですか?」

「アルントの周囲にある国々が、次々と同盟を組み始めたのです。今までは少数の国々が集まって、交易していたのですが、交易国の数がどんどん増えはじめ、十や二十では収まりきらぬほどの国々が同盟を組み、交易し始めています。」

「同盟、ですか。アルントは同盟は組んでいないのですか?」

「それが、組んでいないのです。アルントは軍事大国であり、どこにも属さない独裁体制を貫いてきた。そしてその歴史は深く、200年は超えているかと思います。」

「200年余りを、独裁国として生きてきた──それは確かに、厳格かつ正確な体制を築いてきたからなのでしょうね」

「ですが……その……姫様の前で言うことではないのかもしれませんが」


ちらりとシャルロッテを見つめたバッカスに、シャルロッテは構いませんわと、静かに促した。一つ、コホンと咳をしたバッカスは「では」と頷く。


「周囲の国が突然同盟を組み始めた理由を私なりに考えてみたのですが、やはり利益が関連しているのではないかと思っています。周囲の国もいまでこそほいほいと同盟を組んではいますが、アルントのように同盟を組まなかった小国も、かつては存在はしていたんです。歴史ある国であっても、その風習に倣って、同盟を頑なに組まなかった国もあるぐらいです。それなのに、なぜ急に、と私は不振に思っています。」

「確かに…」

「もし、これが何か悪い意味があるとするのならば……決して一概に言えることではありませんが、私は嫌な予感がしてならないのです。ですから、私もアルントも同盟を組むべきだと思うのです。そうしなければ、ならないような気がするのです。」

「昔からの慣習というものは、そう簡単には壊れませんわよ。バッカス殿」


小さく、だがよく響いたシャルロッテの言葉は、おそらくバッカスも分かっていたことだったのだろう。バッカスは、目線を左に落とし、暗い顔をして頷いた。

あれほどうるさくも明るいこの男が、このようになるなんて──アルントの慣習はよほど厳格なのだろうか。


「変化は恐るるに足らず。安寧か、革命か。

真に恐るるものは、その心にあり。」


紅花がぼそりと言った言葉に、アロイスは大きく瞳を開いた。その言葉、どこかで聞いたことがあるような気がする。ふっと紅花の方を向けば、彼女は澄んだ瞳をこちらに向けていた。


「変化を恐れては、何も始まりません。伝統を壊す必要はないのです、姫様。凝り固まった概念こそが壊すべきなのではありませんか。私達は、それをお伝えしたいのです。」


紅花は、言い終わると地につくほどに深々と頭を下げ「ご無礼を失礼致しました」と謝罪した。


「紅花が失礼を。申し訳ありません、姫様。」

「申し訳ありません。」


バッカスと鈴玉も同様に頭を下げる。シャルロッテをちらりと見れば、少し困った顔をしていた。手のひらを困ったようにひらひらと振ると、そっもバッカスの肩に触れた。


「良いのです、頭を上げてください。あなた方は何もおかしなことは言っていませんわ。私もあなた方と同じように思ってはいるのです。」


へらりと力なく笑ったシャルロッテ。頭をあげた3人は、戸惑ったように顔を見合わせている。


「我が国アルントは、伝統ある格式高い国とは言ってもさきほど紅花が言ったように、今では、ただ単に凝り固まった固定概念があるだけの国になっています。伝統イコール固まった考えなのではないと、分かってはいるのですが……」

「ですが、それを正として叫ぶには私にはあまりにも力が足りません。思うだけなら誰にでも、できる。それを実行する力があってこそ、上に立つ者だと理解はしているのです。」


けれど、と力なく笑うシャルロッテの気持ちが、アロイスにはよく分かった。国民の声、様々な叫び、全てを聞き入れたいとは思っても、いざ実行しようとしても、その時になって初めて、自分は無力だと自覚するのだ。足りないと気付いてからでは遅いのだと、アロイスも身に染みてよく分かっている。


「あなたがたの貴重なご意見、我々の中に深く刻まれました。シャルロッテの言う通り、我々にはまだ、力が足りません。今はとりあえず、陛下に伝えることでしかあなたがたの意見を活用できません。力及ばず、申し訳ない。」


頭を下げたアロイス。

すぐにまた頭を上げれば、バッカスや鈴玉達は緩やかに笑っていた。


「伝手があるだけ、私たちは幸せですよ。未来を重んじて、そうして行動に移していただけるだけで。」

「今はまだ、陛下がいらっしゃるのですから、我ら国民の意見が通るのはそう簡単なことではないと存じています。それでもなお、陛下に意見を伝えると、王子や姫自らがそう言って下さるだけで、我らは幸せにございます。」

「どうぞ、これからも今のように、国民の声に耳を傾けて下さいませ。我らは国の歯車。国がよりいっそ良くなるように、日々部品を新しく研いているのです。どうか、どうか。」

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