その30 頂きのさらに上
「あ……、ホラン……」
「身構えなくていいよぉ、あと奪ったりしないからそんなに端末を握り締めないで。壊れちゃうって」
帰路を歩いている途中、通り過ぎた電信柱の裏にいたホランに声をかけられた。
不意を突かれたので、思わず変な声が出てしまった……。
「わふんっ、って言ってたわねぇ」
「わ、忘れて……ッ!」
「お気に召したぁ? 必要なければそれ、アタシが貰うけどぉ」
「…………いじわるよね、ホラン」
ホランがくすっと笑った。
本気で言っているわけじゃないと、遅れて気づく。
「ウソウソ、使っていいよ。ただ残数には気をつけて――は、もう言ったよね」
頷く。
中身のチェックは抜かりない。
その効果も全て把握している。
「なら、言うことはもうなさそうねぇ。どう? 楽しい?」
「楽しくなんかない」
「そう? 口元、緩んでるけどぉ?」
言われて、手で触れてみて、口角が僅かに上がっていることに気づいた。
自覚なく、私は、笑ってる……?
太田を下僕に変えて、私は――。
「最低、だ……」
「うん、まだその段階よねぇ。でも、きっとすぐに越えられる。そうすれば、もっと楽になれるはずだから」
そう言い残して、ホランは曲がり角を曲がって姿を消した。
その後も、手がずっと震えている。
なのに決して端末を離そうとはしなかった。
放り投げてしまえばホランの言う楽とは別に、楽になれるかもしれないのに。
私はそれを、自分の意志で拒んでいた。
次の日、朝の予鈴まで生徒会室で勉強していると、廊下を走る足音が聞こえた。
やがて近づいて来る。
足音の目的地はどうやら私がいる、ここ生徒会室らしい。
次の瞬間、扉が壊れるかってくらいに強く開かれた。
すると、小柄な体がとんとんっ、と身軽な動きで机を渡り、私の目の前で止まった。
握られていたボールペンのペン先が、私の眼球を狙っている。
「――太田になにをしたの?」
特徴的な敬語も使わず、猪上が私を見下ろす。
彼女の右足が椅子の肘掛けを踏みつけ、私を逃がさない。
「……なんのこと?」
「あんたがなにかしたに決まってる! じゃなきゃ……太田があんたを信頼するはずなんかない!」
「でも、太田は私を信頼しているでしょう? なら、それが答えよ」
「なにをしたのかって聞いてる! ただの説得でああなるわけがない! 一体どんな手を使って……ッ、どうせ太田の弱みを握って脅したんだ!」
「太田は、そう簡単に脅しに屈するの?」
多少は冷静になったのか、猪上が黙った。
私が思う太田は、脅しに屈するような男の子じゃない。
一度、従っても闘志は失わないはず。
今の太田がもしそうなら、猪上も勘付いて私の元に慌ててやってくることもないはずだ。
だけど猪上はやってきた。
それが、私が太田になにかしたわけではない証拠になる。
「で、でも……! 太田があんたを信頼するはずがない……ッ!」
私が太田にしたことは技術ではない。
常識からかけ離れた不正行為。
猪上がその方法に思い至らないのも無理はなかった。
「太田ともっとちゃんと話し合いなさい。ほら、もう予鈴が鳴るから……」
あまり時間的な余裕もなかった。
二度も遅刻するわけにはいかない。
勉強道具を片付けて教室へ向かおうとしたら、肘掛けを押し付けていた猪上の足が、私の肩を踏みつけた。
「あっ、ぐ!?」
立ち上がりかけていた体勢が崩れ、元の通りに椅子に縛りつけられた。
「太田になにをしたのか言うまでは、返さない」
「……暴力、よ……この行為が学校側にばれたら……猪上は退学になるのよ……?」
「知ったもんか! 返せ……! 太田を返せ!」
「……猪上にとって、太田は、なんなの……?」
片想い中の、異性の相手だと思っていたけど……しかし、それだけとは思えない執着心に見えた。
「言うわけないだろ」
「まあ、そうよね」
時計をちらっと見た。
まずい……本当に遅刻してしまう時間だ。
今から猪上を説得して、それから教室に辿り着くのは不可能だ。
常識的に考えれば。
「――猪上、会長である私に従いなさい」
「誰がッ……っ、ッ!?!?」
少しだけ、猪上は逆らうような素振りを見せてひやっとしたものだが、後は昨日の太田を見ているような、強い忠誠を誓ってくれた。
机から下りて跪き、特徴的な敬語もなりを潜め、字に起こせば誰だか分からないような丁寧な口調だった。
「会長、これまでの無礼をお許しください。なんなりとご命令を」
「そう――なら、太田とはどういう関係なの?」
せっかくなので、気になっていたことを聞いてみた。
猪上がまともなら、絶対に答えてくれない質問だ。
「かつて同じクラスに所属していました。彼は覚えていないようですが、あたしはその時に、些細なことですが救われまして。それ以来、彼を忘れたことはありません」
「告白はしないの?」
「会長がしろとご命令であれば、今すぐにでも。……自分の意思で気持ちを伝える気はありません。今の関係が、心地良くて、満たされていますから」
「……告白しろ、なんて酷い命令、しないわよ」
「ありがとうございます」
私も、さすがにそこまで鬼ではない。
いま告白されたところで、太田もまともな判断ができるとは思えないし。
「さっ、時間がないわ。猪上、遅刻したら許さないから」
「はい。絶対に間に合ってみせます」
少し駆け足で教室に辿り着き、なんとか遅刻は免れた。
そして、端末に残っている命令は、残り一つ。
放課後、生徒会室には太田と猪上が揃っていた。
私が入った途端、二人は「お疲れ様です会長」と頭を下げた。
ここまでしろとは命令していないけど、会長を慕う行動が二人の中でこれなら、否定するわけにもいかない。
でもなんだか、むず痒かった。
「お疲れ様。今日も先生から頼まれた集計やらプリント作成やらがあるから、二人とも協力よろしくね」
『はい!』
と、二人の声が重なった。
しばらく、作業の手は止まらず、無駄な会話さえもなかった。
まったく会話がないわけではないが、本当に無駄ではない会話だ。
作業の途中経過や誤字脱字の報告、次の作業の確認など、業務連絡でしかない。
……それでいいはずなのに。
現生徒会のメンバーが全員揃っている。
二人は私に厚い信頼を寄せてくれている。
でも、仲違いしていた時とほとんど変わっていない気がした。
……全然、楽しくない。
生徒会に楽しさを求めるのもおかしな話だけど、私が求めたのは、こういう作業だって楽しくなるような、以前の生徒会だった。
時計の秒針の音がはっきり聞こえることは、あの時はなかったのに……。
「会長、気分が優れませんか?」
「少し休憩していてください。後は、おれたちで進めておきます」
「いえ……」
続けようと思ったけど、一旦、心を整理しようと、二人の言葉に甘えることにした。
「少し、外の風に当たってくるわね」
そう言って、生徒会室を出る。
外に出る必要はない。
廊下を歩けば、窓が開いているため風が自然と体に当たる。
それでじゅうぶんと言えた。
制服のポケットから端末を取り出した。
ホランから与えられた力を使い、生徒会を自分好みに整えた。
目的は達成できたはずなのに……、私がこうなることを望んだのに。
全然、満足じゃなかった。
「……私に従う二人なんて、別人よ」
二人の姿をしただけのまったく別の人物としか思えなかった。
せっかく信頼してくれているのに、今度は私の方が二人を信用できなかった。
上手くいかない。
取り戻せない。
ホランの力があっても――この力を使ったからこそ、
生徒会は、どんどん壊れていくのでは……?
「やあ、新生徒会長。生徒会活動の方は順調かい?」
端末を慌ててしまい、現れた人影を見た。
「……有塚、信介……? と、ホランが、なんで……?」
階段の踊り場にいた二人と不意に遭遇してしまった。
周囲に耳を傾けていれば出会う前に気づけたはずなのに……考えごとをしている間に二人に気づかれてしまった。
不覚……。
有塚信介……大垣くんと仲が良いから、以前に私も会う機会があって、二人きりになったこともあった。
はっきり言って、苦手な相手だ。
悪い人に見えないところが、裏では悪い人なんだろうなって、思ってしまう。
あと、厄介なのが人の嘘を見抜いてくるところ。
的中率は完全ではないけど、かなり正確と言えた。
私も何度もからかわれたから身に染みている。
できればどんなにくだらないことでも喋りたくない。
喋れば喋るほど、有塚は対話相手の心をびりびりに破いて本質を観察する。
その後、特になにもしないのが、気持ち悪い。
「生徒会の活動が順調か聞いただけで、そんな表情はないだろうに」
有塚は落ち込んだ様子だ。
となると、私は相当、嫌そうな顔をしていたのだろう。
でも確かに、有塚に抱いていた感情だけで対話を拒絶するのも可哀想だ。
「いいところに来たね和歌。お願い、助けて!」
ホランが怯えて私の背中に隠れた。
……侵略者とは言え、女の子。
怯えさせるなんて一体どんな非道なことを……!
「誤解だって。俺様はその子に少し聞きたいことがあってだなあ」
「セクハラされた」
「生徒会長権限で退学にしてやろうかしら」
「待て待て! クソッ、不名誉過ぎる。ったく分かった分かった。一旦、引くから、変な噂を流すんじゃねえぞ」
両手を上げて降参のポーズを取りながら自然に後退していく有塚。
あっという間に私たちからうんと距離を取っていた。
いくら生徒会でも一生徒を退学にはできないけど……謹慎くらいならできるかな?
有塚相手なら、検討しても良さそうだ。
すると、遠く離れた場所からでも尚、会話を続けようとしてくる。
「そういや元会長……大垣が今、なにしてるか知りたいか?」
「っ!」
意識して考えないようにしていたのに、そう言われて反応してしまったことが悔しい。
大垣くんが今どうしているかなんて、知りたくもないのに……。
「大したことねえよ、普通に部活してるらしいぜ。あいつはあいつでやり直そうとしてんじゃねえか? ま、頂上から落ちたあいつがまた登ってくるってのは、それはそれで見てるのが面白れぇが。にしても頂上から落ちて登る、か。今のあいつにはお似合いだな」
部活……。
大垣くんは、生徒会以外に、居場所ができたってことで……。
「どうする? 詳しく知りたいか?」
「別に。どうでもいいわね」
「くはっ、嘘だな」
見抜かれて、顔が真っ赤になったと自覚した。
有塚も、二人のように操ってやろうかと思って、命令は残り一つしかないと思い出し、踏み止まる。
こんな奴、命令して従わせても気味が悪いだけだ。
「帰れ。生徒会活動の邪魔しないでよ」
「はーいはい。ま、俺様に頼ってくれてもいいんだぜ? 生徒会長」
こいつが呼ぶと生徒会長って肩書きも馬鹿にされているようにしか聞こえなかった。
しっし、と手で鬱陶しく払うと、有塚は素直にこの場から離れて行った。
曲がり角を曲がって姿が見えなくなったところで警戒を解き、ホランへ声をかける。
「……あれ?」
だけど、後ろにいるはずのホランの姿は、もうどこにもなかった。
生徒会活動を終えて一人で校舎を歩いていると、視線の先にいる有塚信介を見つけた。
いつもなら見かけた瞬間に進路を変えて遭遇を避けるけど、今、私には力がある。
なんでも自由自在に、思い通りに操れる力。
苦手意識を持っていた有塚信介にだって、この力は例外なく通用する。
だから警戒する必要なんて、最初からなかったのだ。
「有塚を思い通りに……でも、それって――」
思いついてしまったそのやり方に、僅かに躊躇いを覚えてしまう。
その技が通用するなら、私の、これまでの努力は――……。
一体なんのために、幼少時代を犠牲にしてきたのだろう……。
友達も作らず、遊びもせず、思い出も残さないでひたすら勉強ばかり。
私は、卒業後、大企業に就職して幸せになるためだと言い聞かせて、これまで頑張ってこれた。
だが、その犠牲を必要とせず、到達できるのだと知ってしまったら……、
私の努力には意味がなかったということになる。
努力なんてするんじゃなかった。
この力が手に入るのだったら。
「……私は大垣くんのように、失敗なんかしない」
そして――、
有塚信介が、振り向いた。
「くすくす、くすくす――ほぉら」
「やっぱり、こうなったぁ」
「いくら強がっても、特別な力を得た人間は、誰もがその力に溺れるものねぇ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます