その37 会長としての最後の仕事
「なにやってんだよ、立川」
「…………おお、が、き、くん……」
次第に、視界に浮かび上がってくる、立川の姿があった。
俺の手は、彼女の頭の上に乗っかっており、髪の毛をくしゃっと掴み、それから乱暴に左右に撫でてみる。
……立川はそれを振り払おうとはしなかった。
彼女は俯いたまま、俺と視線を合わせようとしない。
そして、見覚えがある……泣き腫らした顔だ。
涙が枯れるくらい出なければ、そこまで腫れないと思うが……大粒の涙は、まだ止まってはいなかった。
頬を伝い、涙が落下する。
「わた、私、おおがき、くんを……ころ、ころそうと……ッ」
嗚咽が混じり、言葉が上手く出てこないようだった。
無理に急かしたりしない、止めたりもしない。
立川の気持ちを、ひたすら待つ。
「とり、かえしのつかないことを……、ゆる、されないことを……っ!」
体が震えているのは罪悪感からなのか。
自分の体を両腕で抱きしめていた。
見えない脅威に怯えているように見える。
背中は壁で囲まれているのに、執拗に後ろを気にしていた。
はっとしては後ろを振り向き、なにもないことを確認しては安堵し、しかしすぐに後ろを気にして振り向いている。
それの繰り返しだった。
呼吸が危なっかしい。
いつ過呼吸になって倒れてもおかしくはなかった。
見てられねえ。
車に撥ねられ、怪我した俺よりも、痛々しい。
「出ろ、立川」
「やっ、嫌ッ!」
手を掴んで引っ張ったが、振り払われてしまった。
狭い空間で激しく動いたため、机が一瞬、真上に飛び上がった。
かなり大きい音が鳴ってしまったが、警備員が駆けつけてくることはなかった。
机の下のさらに隅へ、立川は逃げてしまう。
荒療治が良い効果を出すとは思えない。
仕方ねえ、このまま話すか。
幸い、立川が隅へ行ってくれたおかげで、手前に僅かなスペースができた。
そこへ俺も入ることにする。
「よっ」
あぐらをかいて立川と向き合った。
彼女はさらに体を丸め、縮こまらせる。
立川の頭の上に、ぽん、と手の平を乗せた。
さっき、ひとまずこれで落ち着いたように見えたためだ。
すると、怯えていた立川は呼吸も落ち着き、体の震えもだいぶマシになった。
マシになっただけで、まだ震えは止まっていない。
「おおが、き、くん……、……ッ!?」
「おい、どうした!?」
落ち着いたと思えばまた呼吸が不安定になった。
俺の腕を見てから様子が変わったが、一体なにが――……あ。
俺の腕には包帯が巻かれており、所々、血が滲んでいた。
ここへくるまでに多少の無理をしたため、止まっていた血がまた出てしまったのだ。
痛みもないし、大したことはない。
ただ、立川にとっては当時を思い出すきっかけになってしまった。
「いや、いや……、嫌ッ! ダメ、押したら、おおがきくんが……ッ!」
爪を肌へ食い込ませるほど強く、頬を引っ掻く立川の手を止める。
綺麗な顔を、傷つけさせるわけにはいかない。
「おおがきくん……、怪我、して、けが、包帯が、血……や、死んじゃ嫌!」
「俺は死んでねえ!」
自分の手を振り回して暴れる立川を引き寄せ、鼻先が触れ合いそうなくらいの目の前で言ってやる。
包帯を巻いている、血が滲んでいる、杖だってついている。
でも、死んでねえ。
俺は生きて、ここにいるっ!
「……あ」
「やっと俺を見たな、この野郎」
「大垣、くん……?」
「冷静になったか? ならないなら、落ち着くまで待ってやる。飲み物でも買って雑談でも交わしながらな」
「……っ、会、長……っ」
「俺はもう会長じゃねえよ。会長はお前じゃねえか」
「そう、簡単に、切り替えられるわけ、ないじゃないですか……ッ!」
立川は俺の胸に額を叩きつけ、顔を隠した。
声で分かったが……今更、涙を隠しているらしい。
真っ正面から思い切り泣き顔を見た俺から隠すなんてな……だが、今、それを指摘しようとは思わなかった。
これで一旦、落ち着けるなら、何時間でも待ってやる。
そして。
立川が顔を上げた。
そこには、かつて俺の隣にいて支えてくれていた、副会長の姿があった。
ま、無理しているのは分かりやすかったけどな。
「――で、なにがあった?」
立川の話を聞いてから、翌日。
土曜日。
学園は休日だが、部活動は動いているため校門は開いている。
常駐している警備員も、俺がこの場にいることには驚いていなかった。
強いて言えば、俺が杖をついていることに少し注目した、くらいだろう。
玄関で靴を履き替え、向かうのは新聞部だ。
活動人数が多く、学園内でも人気の文化系部活で有名だ。
将来ジャーナリストを目指す者は当然、そうでなくとも記事作成、情報収集、対人コミュニケーションなど、とにかく学べることが多い。
それを全面に押し出し勧誘をし始めたのが、あいつだ。
新聞部の部員の全員があいつの手中の駒と思っていい。
本人と言い、従う部下と言い、厄介な連中だ。
あいつらが作る新聞や情報の早さには助かったこともあるが……それが敵に回るとなると一筋縄ではいかない。
言葉で優位に立つことはたぶん無理だ。
それでも俺はここに来た。
……立川に言っちまったからな。
『俺に任せろ』
『立川の退学は、俺が絶対に阻止してやる』
……立川は退学を嫌った。
俺を殺そうとするほど、追い詰められていた。
そんな条件を出したのが、あいつってわけでもないが……、
ようはあいつと立川の間に交わされた契約を無くしてしまえばいい。
それで根本的な解決が望める。
「止まってください」
と、新聞部へ続く廊下に一人の女生徒が立っていた。
通り過ぎようとした俺の進行方向を仁王立ちで塞ぐ。
新聞部の部室までまだ五〇メートルもある。
この段階から侵入者を警戒しているとは、単に用心深いのか、人に見せられないようなことでもしてるのか。
これだと変に勘ぐっちまうな。
犯罪でもしてんじゃねえのかと思っちまうよ。
「アポなしなんだけどさ、……有塚はいる?」
「部長はいま忙しいので会えません。それに、あなたみたいな学園不適合者を会わせたくはありませんね」
学園不適合者。
新聞部がそう言っているってことは、学園全体がそう思っていても不思議じゃない。
新聞部が新聞だけを作っているとは限らない。
掲示板に貼られたり、全員に配られる健全な大衆新聞とは違い、マニアックな情報誌も取り扱っていれば、個人から依頼を受けて特定の人物を調べ上げた冊子を配っている場合もある。
と、そんな噂話を聞いたことがある。
都市伝説みたいな認識だったが、あの有塚が指揮しているとなればあり得る話だ。
その方が、あいつらしい。
「忙しくても会えるよ。あいつ、多忙なくせに俺にしょっちゅう会いにきてたし」
誰も連れずに一人で、だ。
普段は隣に女子を置いているあいつが一人だったのは、いま思えばちょっとした息抜きだったのかもな。
あいつを守ろうとする部員たちは、あいつにとってはやや窮屈なのかもしれない。
「あなたを部長に会わせたくありませんので、ここはお引き取りください」
「まあまあ」
構わず進もうとしたら、門番の女生徒が首にぶら下げていた笛を吹こうとした。
ここで人を呼ばれるのはきつい。
さすがに多対一は、俺でも対処できない。
思っていたよりも早めに使うことになったな――と、切り札を切るため、ひとまず女生徒の笛を片手で握り締め、吹かれる前に止める。
「ここを、通してくれるか?」
言うと、女生徒が五〇メートル先の部室を手で示した。
「はい、どうぞ」
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