その38 学園の裏の顔
新聞部の部室を開けると、作業中の部員たちの視線が俺に向いた。
訝しんではいるが、怪しんだりはしていない。
俺がこの場に辿り着けたことが、安全な人物である証拠なのだろう。
よほど門番の女生徒を信頼しているのか。
……なんだか、新聞部の大きな隙を見てしまった感じだ。
「よお、初めてだな、お前がここに来るなんて」
部屋の奥、暗幕のカーテンに遮られている向こう側から、有塚が顔を出した。
扉の開閉音だけで俺が来たと気づいた……わけでもないか。
どうせ監視カメラから俺がここへ向かっているとあらかじめ知っていたのだろう。
「こっちにこいよ、話があるなら中だ」
部員たちからの気になる視線を背中に受けながら、暗幕の先へ。
どうやら二つの教室を遮る壁を壊し、一つの大きな部屋にしているらしい。
暗幕の先に広がっていたのは、教室一つ分のスペース。
しかし荷物が多いために足の踏み場が限られている。
積まれた書類、散らかった段ボール。
棚には整理整頓されているが、それでも汚く見え、アルバムや本が並んでいた。
一つの机が端に置かれており、上にはデスクトップパソコンと数冊のノート、メモ用紙が置かれている。
複数のスマホが並べられており……、その俺の視線に気づいたのか、有塚が遮った。
「企業秘密だ」
「お前の場合、本当の企業で、秘密なんだろうな」
大手通信販売会社の御曹司。
抱える仕事も、学生レベルではないはず。
そんな多忙でも新聞部の仕事もきちんとこなしているのは、真面目に尊敬する。
こいつにとっては、俺から見て多忙でも、実際は大したことないんだろうな。
「座れよ、そこら辺に椅子の一つくらいあるだろ」
「いや、いい。立ち話で終わる程度のものだしな」
有塚は食い下がらず、自分の机の椅子に腰かけた。
……立ってるの俺だけかよ。
椅子に座ると窮屈なため有塚との距離も近くなる。
この立ち位置と距離感がちょうど良い。
有塚がパソコンを操作し、画面をブラックアウトさせ、視線を俺に向ける。
「なんの用だ……まあ、想像はつくが」
「立川のことだ」
有塚は驚かない。
つまり想像通り、ということだ。
「あいつ、お前に助けを求めたのか。お前ぐらいしか相談できる奴がいないとは言え……嫌いな奴に助けを求めるほど追い詰められてんだな。クックッ、退学の脅しがここまで効果を出すとは思ってもみなかったな」
「嘘つけ」
これを有塚に言う日がくるとは……長く付き合ってみるもんだ。
「この学園に通う生徒のほとんどが退学は嫌だろうよ。たとえ交換条件でどんな無茶ぶりをされても、なんとかやり遂げようとしちまうくらいにはな」
「ククッ、お前は例外そうだがな」
退学を恐れている、と言えば、確かに嘘になる。
ただ、目的までの道筋は一つではない、と知ったから見せられる余裕だ。
そんな俺の心境の変化も、こいつならお得意の情報戦で知り得ているだろうが。
「だが、俺様があの副会長……おっと、今は会長だったか。立川和歌に出した交換条件はそう難しいことではないはずだぜ。知らない、とは言われたが、嘘だと見抜いてしまえば、俺様が知りたい情報をあいつは知っている、ということになる」
そう、立川から聞いた事情と一致している。
立川は有塚に退学を迫られたが、回避する方法も同時に勧められていた。
それは俺と立川が愛用している侵略者の力を有塚に教えること。
教えるとなると、ニヨとホランの正体も同時にばれることになる。
隠そうと思えば、できないこともないが、相手が有塚でなければ、の話だ。
隠しごとを混ぜて会話をする時に、最も厄介な相手が目の前にいる。
交渉においてどんな人間も天敵と言うはずだ。
「…………なんで知りたいんだよ――ああ、いやいい、お前の性格的に知りたいよな」
「分かってるじゃねえか。……心当たりはある。何度も当たってはいるが、中々、情報を得られなくてな。知りたいことを知ることができないってのはストレスになる。俺様にできないことがあるっていうのも自分が許せないしな。今回は仕方の無いやり方ってだけだ」
脅して情報を掴む、というのは確かにこいつらしくない。
自分の力に自信を持つ有塚なら、プライドのため、卑怯なやり方は選ばないはずだ。
似合わないが、こいつはこいつで紳士らしいところもある。
「脅しに屈する前提で契約したが、まさか拒むとはな。現会長にも困ったものだ。このままだと退学にせざるを得ない」
有塚はこう言っているが、こいつも人間だ、計画的に人の人生を左右する脅しをかけたわけではない。
――思わずカッとなって言ってしまった、それくらい、立川のしようとしたことは卑劣だった。
俺が言うのもなんだが。
ただ、俺でもそこまでは頭が回らなかった。
やはり、根本的な知識の量が少なく、頭の回転も遅いのだ。
立川だからこそ気づけたその方法によって、彼女は退学の危機に追い込まれている。
「あの女、まさか大事なところをお前に伏せて助けを求めたわけじゃねえよな?」
「まさか」
全部聞いた。
そして、この学園の裏の仕組みも。
だからこそ、俺はこの場に交渉をしにきたのだ。
俺たちは、もう分別のつかない小さな子供じゃない。
学生気分で言った言葉を、大人たちは許さない。
その重みを、理解させようとする。
学園側は、口約束が強力な鎖となって互いを縛ることを、隠されたルールとしている。
それを誰も教えようとはしない。
その世界に踏み込める者は自然と選定されるのだ。
だから自力で気づいた有塚が立川に教え、立川が俺へ教えた。
一般学生が知り得ない、選ばれた者しか踏み込めない世界。
実力者の世界へ――俺は分不相応だが、踏み込めてしまった。
普段、俺たちが強く意識している順位……あれは所詮、表の順位だ。
だが、本当の実力者が順位争いをしているのは日の目が当たらない、裏の順位。
成績だけでは分からない部分を評価し、教師陣が独自に順位付けをしている。
「あの女は俺様も知らねえようなバックを味方につけて、将来、俺様の企業に就職をさせろと言ってきやがった。つまりコネ入社だな。しかも入社だけじゃねえ、そこそこ偉い立場につけろとも注文しやがったんだ。頭にきたな、いくら勉強ができようが、上から目線で命令してくる奴を雇う気はねえよ」
その交渉で立川が頼りにしたのはホランの力だった。
だが、有塚と交渉している最中に、端末が手元にないことに気づいた。
単純なミスとは思えない。
だから、はめられたんだ――ホランに。
「頭に血が上って、気づけば退学を脅しにしてたな。冷静になれば退学はちと重い気もしたが……、こうでもしねえとあの女は同じことを繰り返す。そう思ったら引く気はなくなったな」
「お前の方から取り消すこともできねえんだよな? 確か、言い出した側の言葉にもいくらか責任が乗るからって……」
「ああ、教師陣に聞かれてるからな。直談判すれば、無効にできないこともないが――ここでも交換条件が発生する。迂闊に仕掛けることもできねえってわけだ」
当時、有塚の条件を立川が断れば問題はなかった。
だが立川は、不用意な発言でその交渉を了承した、と取られてしまったのだ。
書面のない口約束だが、それを重要視したのがこの学園の裏の顔。
「今も契約は続いてる。だからあいつが隠していることを話してくれれば、俺様もあの女の退学を取りやめさせることはできるが……猶予は一応、週明けの月曜日。それまでにどうにかしようと足掻いてるみたいだな」
その足掻きが、俺を車道へ突き飛ばす事故へ繋がっている。
立川はホランや力のことを有塚に教え、自分の手元から力が消えることを恐れた。
力がある生活に慣れてしまったあいつは、欲望が強くて諦め切れなかったのだ。
だから有塚には言わなかった。
その後、ホランに端末を渡してもらおうとしたが、断られてしまった。
その時に出された交換条件が、……俺を事故に見せかけ殺すこと。
ホランのその条件の真意までは分からないが……まあ侵略に関することだろう。
俺がいると邪魔だから、始末しておきたかった――だろうな。
自分の手でやるよりも、立川を使った方が都合が良い。
俺と同時に、人を殺した立川を警察に突き出せば、学園から自分の正体を知る者、二人を消すことができる。
ホランにとっては侵略しやすい環境になるわけだ。
ニヨがどう動くか、だけが未知数だが、ホランにとってはどう転ぼうと扱えると思って実行した計画。
俺と立川は、まんまと侵略者の手中で弄ばれたわけだ。
「……それについては、今はいいや」
ホランは気にしない。
今、俺が望むことは、立川の退学の阻止だ。
それ以外は別に、後に回せばいい。
「事情の全部を知って俺様に交渉を持ちかけてきたのは興味深いな。いいぜ、受けてやるよ」
「いや、まあ交渉しにはきたんだが……もうそれについては契約し終わってんだ」
「……? ……よく分からねえが」
「お前に会いにきたのは、保険をかけるためってだけだ」
未だ疑問符を浮かべた有塚だったが、すぐに分かる。
そして――、
用事を終えた俺は部室から出て電話をかける。
時間は限られているため、今日の、今から始めるべきだ。
立川の退学の猶予は、一週間後に伸びることになっている。
つまり、明後日ではなく、再来週の月曜日。
俺の努力次第で、立川の人生が左右される。
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