その39 過去の自分からの贈り物

 家に戻ると、居間でお茶と菓子をつまんでくつろいでいる立川がいた。


「俺の家にきてくれとは言ったが、まさか既に靴を脱いでいるとは思わなかった」

「そ、それは……」

「わたしが案内したんだよ。家の周りをうろうろしてたから、怪しいし、外も暑いし、熱中症になる前に涼ませた方がいいかなって思って」


 ニヨが扇風機の前を陣取っているため、風が立川の元へ向かわないが、冷房を効かせているため立川は汗の一つもかいていなかった。

 夏本番であればセミの音が間を埋めてくれるが、部屋の中はしーんと静まり返っていて扇風機や冷房の稼働する音しか聞こえてこない。


 立川とニヨの仲が良いとは思えないので、俺がくるまで、この部屋には会話の一つもなかったんじゃないか……?


「にしても立川、こんな時でも制服か?」

「……なにを着ていけばいいのか、迷ってしまって……」

「普段、着てるような服を着てくれば……?」


 言ってから、ろくに遊びに行きもしない立川が、オシャレな服を持っているとは思えない、と気づいた。

 これ以上、掘り下げるべきではないと考え、話題を変えることにする。

 雑談は省いて、本題だ。


「先生、と、話をつけてきた、んだよね……?」

「ん? ああ、そうそう、先生とだ、先生と」


 実際は有塚だったが、今の立川に有塚の名前は危険だと判断したので誤魔化す。

 立川に話すべき内容は先生との交渉の件なので、嘘だと疑われることもなかった。


 昨日の夜、立川から事情を聞いた段階で担任の巳浦に電話をかけていた。

 別の先生ならまだしも、担任であれば番号は公開されている。


 探そうと思えば、他の先生の番号だって入手はできるだろう。

 それでもひとまず巳浦に連絡を取ったのは、担任だから、以外にも、あの人は俺に期待していると言ってくれた。


 まあ、その程度の理由でしかなかったが。

 巳浦に電話したのは、隠されたルールに則って、生徒同士のやり取りがおこなわれているのと同様に、生徒と教師の間にも取引が成立すると思ったからだ。

 予想がはずれていれば、俺が第一人者になればいい。

 その時は、はずれているとは微塵も思っていなかった。

 選ばれた実力者が、その点に気がつかないとは思えなかったためだ。


 結果は予想した通りだった。


『生徒と教師の間でも取引は可能だ。……それで。勝手に利用される気もこちらにはないな。こちらがお前の取引に乗ってもいいと思える条件を出してくれるのだろうな?』


 細かいところまで策を練る時間はなかった。

 臨機応変に対応していくしかない。


「有塚と立川の取引の件、先生は知っていますよね? なら、俺は立川の退学の取り消しを要求します」

『ほお。立川の退学を取り消す、か。なら、それに釣り合うような、我々へのメリットを示してみせろ』

「ないですね」


 俺には巳浦たち教師陣がなにを欲しがっているのか分からない。

 だから、委ねようと思ったのだ。


 ようは、

「なにをすれば立川の退学を取り消してくれる?」――だ。


『……正気か? こっちが無茶な要求をするかもしれない。もしそれができなければ、お前が立川の退学を懸けるのであれば、お前の退学も天秤に乗せなくてはならなくなるぞ』

「構いませんよ」


『成功不可能な無理難題だとしても、変更もできないとしてもか』

「それでいいです。それで、なにをすればいいですか?」


『少し待て……折り返し電話をする』


 そう言われ、一度切られた後に、しばらくしてスマホが鳴った。

 電話越しに巳浦の冷たい表情を少しでも崩せたのではないかと思ったら、どんな無理難題でも構わないと気持ちが楽だった。


 そして告げられたのが、


「五教科のテストで、各教科一〇〇点満点を取る、という条件だった」


 もちろん、ニヨの力を使わずに、俺だけの学力で、だ。

 これもこれで無茶ぶりではあるが、不可能ではない。


 俺が今まで怠けてしてこなかったことをすれば、じゅうぶん射程範囲内と言える。


「それで、私を呼んだんだ……」

「おう、頼む立川、勉強を教えてくれ!」


「それは、いいけど……もし、満点を取れなかったら――」

「そりゃ俺も退学だよ。そん時は、立川には悪いけどな」


 俺の学力が足りないせいで、立川は退学になってしまう。

 立川からすればもどかしいだろう。

 自分でテストに挑めば軽く満点を取れるのだから。


「で、でも! 大垣くんが退学を懸ける必要は……っ」

「こうでもしないと舞台には立てなかった。立川の退学を阻止するためには、必要な賭け金なんだよ」

「そんな……っ」


 立川が唇を噛みしめる。

 葛藤があるのだろう。

 胸中では、冷静になった今なら、ホランから受け取った力の正体を有塚に明かす、という判断ができるはずだ。


 立川なら、今からでも伝えにいくだろう。

 でも、巳浦と取引が成立してしまった今、反故にするにもまた別の条件が言い渡される。


 立川には、中途半端に揺れてほしくない。

 力を独占したいから、という褒められた理由ではないが、それでも秘密にするべきホランと力の正体を守ったのだ。

 俺を殺そうとしてまで。

 ここで明かしたら、俺は無駄に怪我をしたことになるし、立川がもっと後悔をするだろう。


 だから簡単な話、俺が満点を取ればいい。

 そうすれば退学者が出ることなく、俺の学力も多少は上がり、巳浦も満足するはずだ。


「俺だって、あの場所に戻りたいって気持ち、あるんだからさ」

「え……」

「今度は、ちゃんと登ってやる。一週間、死ぬ気だ。努力ってもんをやってやる」



 それから特訓が始まった。

 国語、数学、理科、社会、英語……立川の指導の元、基本から学び直す。


 六教科七科目ではないのは、俺への配慮なのかもしれない。

 試験範囲は(中学校から)高校一年までの内容だ。

 二年の内容が入らないだけマシかと思ったが、エリート高校であるため、一年の内容であろうとも普通に難しい。

 山のように積まれた参考書が、八畳ある一室の畳を全て埋め尽くすほどあった。


 休日は一日、立川が付きっきりで教え、平日は休み時間に自習をしながら、朝と放課後を利用して勉強に打ち込む。

 そうなると当然、部活動には出られなくなるが、その辺はニヨが説明してくれているため、俺は勉強に集中できた。


「立川、泊まっていけよ。もう一〇時だぞ、今から帰るのは夜道が危険だ」

「え――え、ええっ!? 泊まるの、は、だって服とか……」


「ニヨのを使えばいいし」

「えー、嫌だよ伸びるし……」


 ……確かに、サイズが違うか……。


「……良ちゃん、胸を見比べたね?」

「身長の話! 単純に体格差もあるし――じゃあ、俺のシャツでも渡せばいいか」


「わたしの! わたしの渡すから良ちゃんのシャツはなし!」

「えぇ……、いやまあいいけど、ぱつんぱつんになるんじゃねえの?」


 と、こんな風に、俺の家での勉強合宿は色々なことがあった。


「あ、あの、大垣くん……サイズが、やっぱり……」

「小さっ。へそ出てるじゃん。ていうか、お前――」

「な、なに……?」


 立川がなぜか肌色が多い部分ではなく、服で覆われた大きな胸を腕で隠していた。

 確かに、俺もそこを見ていたわけだけど。


「やっぱ、でかいよな」

「勉強しろッ」


 ニヨに、後ろから頭をはたかれ、なんとか勉強の頭に切り替わった。

 勉強ばかりでうんざりしたこともあった。

 やめようかと思ったことも何度もある。


 それでも、睡眠時間を削って、歴史の年号や英単語を詰め込んだ。

 人と喋ったら、覚えた内容を全部、吐き出してしまいそうな危機感に駆られながら、学校の勉強も平常通り受けなければならない。


 地獄だった。

 だが、これまで楽をしてきたツケだ。


 その時、味わうはずだった苦労を、今まとめて受けているだけだ。

 俺はなにも、損はしていない。


「なんだこれ……登山より疲れる……」


 肉体労働がどれだけ楽か身に染みて分かった。

 頭脳労働はメンタルを蝕む。

 心がダメージを受けると体も同時に全身が重たく、しんどくなる。

 少し休憩したいと思っても、テスト本番のリミットは変わらず近づいてくるわけで。


 刻々と迫ってきているのにまだまだ詰め込むべきものがあると考えると、その焦りがミスを生み、中々できないことにイライラする。

 ストレスが溜まって、人への当たりが強くなってしまう。

 何度、立川に八つ当たりをしたか分からない。


「あ、大垣くん、そこ違う。さっきも同じ間違いしてたよね」

「そうだな……。立川、暑苦しい。少し離れろ」


「でもこの位置じゃないと私も教えづらくて……」

「逆さまになろうが努力の天才の立川会長ならなんでもそつなくこなせるだろ」

「私だってできないことくらいあるわよ! できないからって私に当たらないでよ!」


「できる奴には分かんねえよ」

「――ッ! 私だって、最初はできなかったのを頑張って、頑張って――っ」


 テーブルが叩かれ、立川の足音が遠ざかって行く音だけが聞こえる。

 真っ直ぐ問題文を見ているのに、頭に入ってこなかった。


「……クソ」


 俺が悪い。

 そんなことは分かってる。

 追いかけて、謝らなくちゃな……。


 立ち上がりかけた時、戻って来る立川が見えた。

 ……どうやら互いにカッとなって言いたくないことを言ってしまったと自覚していた。


「……ごめん」

「私も……ごめんなさい」


 そんな衝突も何度かあり、段々と日付がめくられていく。


 そして、遂に訪れた、本番の日――。

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