その25 約束されていた失墜

 生徒会室に戻ると、部屋の中には誰もいなかった。

 机の上には、太田に任せていた書類の束が、開いた窓の風によって散乱していた。


 アンケートの集計は当然やりかけのまま……しかも散乱しているためどこまで集計してくれたのか分からなかった。

 これだと最初から全部やり直すしかない……。


 時間は……もうそろそろ下校時刻になる。

 この仕事、明日までに先生に渡さないといけないのに……。


「………………はぁ」


 舌打ちをぐっと堪える。

 太田に慣れない仕事を押しつけてしまったのは私だ。

 あの太田が嫌になって投げ出して帰った、とは思えないけど……でも、私が会長になったから心境の変化があったのかもしれない。


 私の信用のなさが招いた結果だ。

 大垣くんに任せていたばかりに、私は後輩二人と信頼関係を築けていなかった。


「……ホラン、ごめん、手伝ってくれると……」


 振り向くと開けっ放しだった扉だけが見え、廊下の外に出ても彼女の姿はなかった。

 すると、メモ用紙が一枚、頭上から落ちてきた。


『先に帰ってるね』


「あ……」


 気づいてしまった、一人だけの生徒会。

 散乱したプリントの束、静まり返った廊下と窓の外から聞こえる運動部のかけ声。

 気を緩めたら、たぶん泣くと思う。


「…………大丈夫、一人なのは慣れてる」


 大垣くんと始まった生徒会以前に戻っただけだ。

 一人の時間の方が長かったのだから、またすぐに慣れるはず。

 だから、今だけ我慢だ。


 散らばったプリントを一枚一枚、拾い上げ、クラス順に並べているだけで窓の外は日も落ち、いつの間にか運動部のかけ声も聞こえなくなっていた。

 作業中、お父さんからの着信が何度もあった。


「うん、もう帰ります……生徒会の仕事で……はい、ごめんなさい」


 帰る支度をして、生徒会室を閉める。

 職員室に鍵を置いて、仕事が遅れそうだと先生に謝った。


「そうか……慣れない内は仕方ないと思うが……荷が重いか?」


 大垣くんは普通にこなせていた。

 私が手伝えなかった作業も他の誰かに手伝ってもらって、期限内に終わらせていた。

 大垣くんが生徒会長の方が、学園に得があるなんて思わせたくない。

 不正をした人の評価よりも成果が下だなんて、思われたくないっ!


 慣れない時期だし役員もまだ落ち着いていない。

 だとしても、これ以上、私の印象を悪くするわけにはいかない。

 一つのミスが、私の進路に影響してしまうのだから。


「――大丈夫です。期限通りに仕事をこなしますので、私を信じてください」

「そうか。なら任せるが……無理はするなよ?」


 先生に挨拶をし、職員室を出る。

 家に帰ったらお父さんにこっぴどく叱られたけど、あまり記憶がなかった。


 勉強も、その日はまったく手につかなかった。



「で、なんなんすかもー、いきなり呼び出して。ホームルームの五分前っすよ? いきなり校内放送で呼び出すんすもん、めっちゃ恥ずかしかったっすよ」


 登校中に太田は呼び止められたけど、猪上が捕まらなかったので仕方なく校内放送を使って呼び出した。

 時間に余裕は持たせておいたけど、猪上がモタモタしてるせいでこんな時間になってしまった。


 本当にだらけ切ってるわね。

 ……まあいいわ、とにかく用件を手早く済ませないと。


 こんなことで生徒会役員が遅刻とか、目も当てられない。


「今日は、お願いがあって呼び出したの」

「お願いっすか。だったらもうちょっと手段を選んでほしかったすけど」

「緊急だったの。それは、本当に申し訳ないと思ってるわ」


「頭を上げてくださいよ、会長。おれたちに軽々しく頭を下げるべきではないです」

「そう? 会長だろうと、お願いする立場なら頭を下げるべきだと思うけど?」


 太田と猪上が目線を合わせて火花を散らし合う。

 こんなに急いでいる時に喧嘩なんてしないでよ……。


「お願いというのはね……、あなたたち二人が、私が会長になったことに納得がまだいかないのは分かってる。忠誠を尽くしたくないっていうのも……私が二人から信頼を得られていない力不足だってのも分かってる……だけど、緊急で片付けないとならない仕事がある時は、優先して作業をしてほしいの」


 その時だけでいい……私の指示に従ってほしい。


「……緊急で片付けなくちゃいけない仕事、っすか。そういうのって大体は会長さんの管理不足なんじゃないっすか? 期間までに完遂できるようにスケジュールを組むのが会長さんの仕事だと思うんすけど……つまり、会長さんの尻拭いに協力しろと?」

「そう、ね……今回は私のミスだったわ」

「じゃあ次から気をつけてくださいっす。今回は、まあ手伝いますよ。会長……大垣会長の時はこんなこと、一度もなかったんすけどね」


 私が一番、言われたくないことを的確に突いてくる。

 言い返してはならないと、自分に言い聞かせた。


「今日までにやらなくちゃいけない仕事……でもこれ、おれが昨日、途中までやってた作業ですよね?」

「そうね……外の風でプリントが全部飛んでしまって……どこまで集計し終えたのが分からなくなって、結局、最初からやり直さないと分からないのよ」


「いや、おれメモしてたはずですけど……途中で抜け出すので書き置きもしましたし。それも見当たらなかったですか?」

「…………探したけど、なかったわ」

「このメモ用紙はなんすか?」


 猪上が床に落ちてるメモ用紙を拾った。

 裏返してみると、『先に帰るね』というホランのメモが出てきた。


「え!? なんでそれが落ちて……っ」


 ――もしかして。

 部屋のゴミ箱を漁って、見覚えのあるメモ用紙を取り出すと、ホランのメモと入れ替わってしまっていた太田のメモと書き置きが見つかった。


 二枚が重なっていたと分かる折り目がある。

 ゴミ箱の中では二枚に分かれていた。


 作業途中のメモは、所々が汚れてしまって見えなくなっていた。

 書き置きには『困っている生徒がいたので手伝ってきます』と書かれてあった。


 昨日、風で飛んでしまったホランのメモ用紙と、床に落ちていた太田のメモ用紙を間違えて拾い、私が捨ててしまったのだ。


 ……私がきちんと確認していれば。


 太田の作業途中の記録を参考にして、途中から始めることができた。


 ……私のミスだ。


「やっぱり尻拭いっすね」

「あ……」


 急激に心の距離が離れていく感覚がした。

 私のせいなので、違う、とも言えない。


 私のミスで、太田の昨日の作業を無駄にしてしまい、猪上には自分の時間を犠牲にして尻拭いをさせてしまっている。

 こんな会長を、一体、誰が信頼すると言うの?


「……ごめんなさい」

「はぁ、もういいっす。とりあえず休み時間返上でやっておきますんで、プリントください。またミスされても困るんで、多めに貰っておきますよ」


「おれは昨日やった分を貰います。同じ部分ならまだ覚えているので」

「うん……二人とも、ありがとう」


 三人分、プリントを分ける。

 そうこうしている間に本当に遅刻しそうな時間だった。


「二人とも、本当にありがとう」

「というか、今日までって言ってましたけど、期限は伸ばせるんすよね? 先生に言って伸ばしてもらっても良かったんじゃないすか?」

「それは……」


 もちろんできる。

 先生はその方が良いとも言ってくれたが、私が拒否したのだ。


 期限内に仕事を完遂できる生徒会長という評価が欲しかったから。

 だけどそれを二人に言うのは憚られた。

 私の都合を押しつけてしまうことになる。


「そっすよね、会長は、実質一位なんすよね?」


 猪上が、私の心の中を読んだかのように言い当てた。


「一位として、完璧な生徒会長だと、先生には評価されたいわけだ」

「…………っ!」


 私が思わず浮かべてしまった表情で、猪上が冷たい目をした。


「ずるをしてた大垣会長よりも、汚いすね、立川会長」

「……どういう、意味よ……!」


 不正をしてた大垣くんよりも……? 

 それは、聞き捨てならなかった。


「あたしたちを利用して自分の評価を上げようとしてたんすから。下のもんとしては仕方ないすけどね。部下は上司の評価の肥やしになれって決まりすから。少なくともこの生徒会ではそういう法の下ってことが今、分かりました」

「利用しようとなんて……、みんなの評価が上がるに決まってるでしょ!」


「なら、事前に教えてくださいよ。自分がミスしてしまったことも、期限を伸ばしたくないことも。なんで全部、あたしらが解いてるんすか。言わなかったら説明する気、なかったんじゃないすか? 知らないなら知らないで、ただ働けばいいって感情があったからっすよね?」

「いい加減にしてよッ!」


 怒鳴り声が生徒会室に響いた。

 遅れて、私自身の声だと気づいた。

 気づいても、もう止まれなかった。


「――いいから、私の言うことを黙って聞きなさいよッッ!」


 言ってから、ハッとなって気づき――猪上がもう私を見ていなかった。

 太田を見たが、彼は私と目が合って、すぐに逸らした。


「分かりました。じゃあ作業を進めるので」

「ま、待って……今のは……っ」

「会長、遅刻しますよ?」


 そして、私は生徒会室に一人残された。


 初めて。


 私は初めて、遅刻をした。

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