その32 登って諦めて、また登る
進んでいると山道が雑になってきた。
柵っぽく縄が張られた仕切りはあるものの、簡単に飛び越えてしまえる。
もしバランスを崩して柵を越えてしまえば、急斜面に沿って真っ逆さまだ。
「……なんで俺がこんな目に……」
汗が鬱陶しい。
タオルで拭いても拭いても流れ落ちてくる。
しかも水筒の中の水ももうなくなっちまったし……。
日陰も少なく、直射日光を浴び続けている。
地面に照り返された日の光のせいで目も痛くなってきた。
一瞬、空白が視界を埋め、くらっと頭が揺れた。
やべ、足に力が入らねえ。
「っ、良ちゃんッ!?」
ニヨの叫び声が聞こえたが、かなり遠くの方で聞こえた気がした。
俺、そんなに離されていたっけか?
後ろに倒れる体と感じる浮遊感に、抵抗する気力もなくなり、ゆっくりと目を瞑った。
沈む感覚があった。
だが、半ばで意識がはっきりと覚醒した。
「諦めんな」
言葉に、まぶたが自然と開いた。
だらんと下がっていた俺の腕を掴み、浦島が俺の体を引っ張り上げる。
両肩を掴まれ、支えてくれてるおかげでなんとか立っていられた。
「少し休もう。ニヨちゃんもそうだけど、熱中症には気をつけないといけない」
先行していた先輩も俺たちに気づいて引き返していた。
「先輩、いいですよね?」
先輩は頷いた。
先輩の大きなリュックには小さな組み立て式のテントが入っており、素早く組み立てて日陰を作ってくれた。
そこに寝かせてもらい、俺の顔に水がかけられる。
……少しは楽になった。
「大垣の水筒、もう水がないか……先輩、スペアの水、貰いますよ?」
濡れたタオルが顔に乗せられているため、会話しか聞こえなかった。
「良ちゃん、ごめんね、少し無理させちゃったかな……」
ニヨが俺の手を握ってくる。
「今まで甘やかしてきちゃって……、そのせいで、良ちゃんは会長じゃなくなっちゃって……だからこれからは厳しくしなくちゃ、って。でも、わたしも下手くそだったみたい……」
最近、ニヨの反応が前と違って見えたのは俺の勘違いじゃなかったのか。
俺に対して、完全なイエスマンじゃなかった。
でも、過剰なコミュニケーションはまったく変化がなかった。
厳しくしようとしてあれならもうちょっと頑張った方がいい。
「ニヨちゃん、大したことないって。ただの熱中症。こいつが水分補給をちゃんとしないのが悪いんだから。水が無くなったら言えばいいのに」
俺はしんどいめんどいってずっと言ってた気がするんだけどな?
訴えを無視して先に進ませたのはお前だろうが。
「今日はもう、帰った方がいいのかも……」
ニヨの声が震えていた。
自分のことを責めているせいだろう。
違うと否定したかったが、体を起き上がらせる気力がまだなかった。
「いいや、帰らせないね。同好会のメンバーにさせるつもりだからな――登山の楽しみを知らずに帰すなんて、僕たちにはできないよ」
病人の前でこうも私利私欲のために宣言できるとは。
しかし、浦島はさらに続けた。
「厳しくしたいのならどんな状態になってもやり遂げさせた方がいい。これから先、大垣のためにもな。それに、なにもメンバー獲得のためだけに僕たちは登山同好会に誘ったわけじゃない。……不正がばれて会長から落ち、全校生徒から信頼を失った大垣。そんなあいつが退学しないでいるには、居場所が必要だと思ったんだ」
…………。
「……浦島くん」
「僕はいつ退学になってもおかしくない成績だ。ぎりぎりの綱渡りを毎回してる。学園に入れたのも登山の一芸スカウトなんだ。これでも学外じゃ有名なんだぜ、僕。この学園にきたのは良い話だったから乗っただけなんだ。いざ入ってみれば、周りはレベルが全然違う。あんだけ生徒がいて、登山家は僕と先輩だけだった。それに、一芸スカウトって言ったけど、授業が免除になるような特別扱いじゃない。僕はさ、中途半端なんだ」
一芸がプロレベルに秀でたわけでもなく、
レベルの高い勉強ができるわけでもない。
登山にかける時間が多く、勉強だって満足にはできない。
だけど一回、入学したのだから退学は許されない、と親との約束がある。
という事情が、聞いてもいないのに明かされた。
「話が合わないんだよ。登山の面白さを分かってくれる奴なんていないし、理解もしてくれない。かと言って一緒に行こうと言っても乗ってくれる暇人もいない。みんなやりたいことを一生懸命やってて、誘える空気なんかじゃなかった。学園にきてる奴はそれぞれ目的がある。やりたいことを見つけるためになんとなくで通う学園じゃないからな」
そんな軽い気持ちで入っても、生き残れずに退学するだけだからな。
「そんな時に大垣が落ちてきた。今のあいつなら、居場所を欲しているだろうし、一度、体験させてしまえばこっちのものだと思った。それくらい登山には魅力があるからな」
「……浦島くん、良い笑顔だね」
「そうか? でも確かに楽しくてしょうがないよ。クラスメイトと一緒に登山をするのが憧れでもあったんだ。学外じゃ年上ばかりだからな。趣味を語り合える友達が欲しかったんだよ」
「ありがとう……良ちゃんを誘ってくれて」
「お礼は必要ないね。別に同情で誘ったわけじゃないし。手を差し伸べたつもりもない」
ああ、無理やり引っ張り回されたみたいな感じだ。
いや、それに関してはニヨに振り回されたみたいな感じか。
でも、そのニヨを誘惑したのは浦島だし、つまりこいつのせいだ。
「僕は網にかかった餌を巣に持ち帰ろうとしただけだ」
「それでも」
吐息で分かる。
ニヨがくすっと笑った。
……その顔を、浦島に見せていることに、腹が立つ。
「良ちゃんを引っ張り回してくれたことが、嬉しいよ」
「そ、そうか……ニヨちゃんてさ――本当に妹?」
「どうしてそう思うの?」
「いや、だって、大人びて見えるしさ……。好きな子とかいるの?」
「おいコラ、人の妹を勝手に口説くな」
反応して思わず飛び起きてしまった。
浦島は舌打ちをし、ニヨは笑みを堪えている。
「熱中症はどうだ?」
「まあ、さっきよりは楽かもな」
「じゃあ行くぞ、頂上へ」
「…………分かったよ」
素直に言うことを聞いた俺を訝しんだ浦島だったが、俺も意外だった。
文句の一つも出てこなかった。
今は、そこまで言うなら見てやろうじゃねえかって気持ちだった。
これだけ苦労して見える頂上からの景色がどんなもんか、登って確かめて、大したことねえなって毒づいてやる。
それが今の俺の中にあるモチベーションだ。
すると、ニヨが俺の耳元へ顔を寄せた。
「素直になればいいのに。良ちゃん、聞いてたでしょ?」
「……素直にはならない。こういうことを言い合える関係は、なんか新鮮だったからな」
「大垣、今度はきちんと水分補給しろよ」
テントが畳まれ、日向に顔を出す。
日陰でマシになっていた体感温度がぐんっと跳ね上がった。
さっきまでの決意がどこかへ飛んでいったように、急にめんどくさくなった。
「やっぱりやめよう。頂上とかどうでもいい。お前を馬鹿にするとかそんな企みも、成功したところで苦労に見合わないし」
「いいから来い! 口よりも足を動かせ! 馬鹿にしていいから頂上までは絶対に連れて行くからな!」
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