その19 切って捨てるべき一票
「…………ッ!?」
「なーにびびってんすか。なんもしないっすよ」
小柄な体が俺の隣を通り過ぎて行く。
……少し、拍子抜けだった。
巳浦の忠告を聞いたクラスメイトとは違い、猪上なら遠慮なく俺を責めるかと思っていたのだが……。
「怒ってないのか……?」
「はぁ? 怒ってるっすよ。けど副会長の方がもっと怒ってますからね。あたしの出る幕じゃないだけっす」
「え、立川が……。いや、怒ってるだろうけど、そんなにか……?」
俺を告発することでだいぶ怒りも抜けた気分でいたけど、まだ足りなかったのか……?
正直、立川とはまともに会話が成立する程度にまでは落ち着いたと思っていた。
「……今のはさらにムカついたっすね。一度、溜まったガスを抜けばそれで綺麗さっぱりなくなるとでも思っていそうな顔っすね。そんなわけないでしょうよ。思い返して怒りや寂しさや苦しみが生まれるもんでしょーが。抜いても抜いても胸の中で溜まってどうしようもなくて、後輩に泣きついてくる副会長の気持ちが、だからあんたは分からないんだ」
「お前は、どうなんだ? 俺が、騙していたんだと知って、胸が苦しくなったのか?」
「自惚れるな。あたしは副会長や太田みたいに、あんたを特別に思ったことはない。生徒会なんてただの通過点。あんただって、利用できればそれでいいと思っていた。……蓋を開けてみれば使い用のないジャンク品だったみたいだけど」
結構、強めに俺を否定してくる。
猪上の本性が見えた気がした。
「あんたがいなくなろうが知ったこっちゃないけど、もうこれ以上かき回さないでほしいっすね。具体的には、副会長にはもう近づかないでもらいたいっす」
それは……、元々多く交流があるわけではない。
生徒会という繋がりがあったからこそ毎日のように会って会話をしていた。
唯一の繋がりである生徒会活動がなくなれば、自然と俺と立川の交流はなくなる。
だから安心していい。
「……そういうことにしておきましょうかね、今は」
「なんだよそれ」
「あと、太田のことっすけど」
その時だった。
校内放送が響き渡り、巳浦が俺のことを呼んでいた。
「あ-、もしかしたら、直談判にいったのかもしんないすね。早く見切りをつけさせた方がいいっすよ。太田はたった一人、あんたの味方をしていましたから」
「え……」
「でもこのままだと、どうなるかは分かりますよね? 一応、こっちとしては面倒を見るつもりではいますので、後はあんたが説得してくださいっす。あいつ、あたしたちの言葉は聞きやがりませんから」
もういないと思っていた俺の味方。
だが、一人だけいた。
だけど、ちくしょう!
あいつだけは、俺の味方をしていたらダメだ!
せっかく取り戻した信頼を、あいつは自ら手放そうとしている。
俺のために。
そんな愚行は、俺が止めなくちゃならねえ。
太田の元へ向かう前に、足が自然と止まった。
まだ、彼女に言うべき言葉があった。
「なあ猪上」
「なんすか」
「生徒会、お前がいてくれて、楽しかったぞ」
どうでもいいことをよく喋ってくれる。
だから場が盛り上がった。
生徒会に必要なムードメーカーだった。
これからも、その役割を果たしてほしい。
「そうすか。それも嘘っすか?」
まあ、信じちゃくれねえか。
それが俺と猪上の、最後に交わした言葉になった。
「納得できねえよ!」
「太田……ここが職員室だって分かっているのか?」
俺が入室したことにも気づかず、巳浦に食ってかかる太田がいた。
周りには多くの先生が机と向き合ってなにか作業をしている。
太田の怒鳴り声にいちいち反応して作業が止まってしまい、不満そうな表情だ。
不良だった生徒というレッテルが貼られているのに、さらにこんな所で騒ぎを起こしたら、今後の太田の成績に関わってしまう。
本人は知ったことかと一蹴しそうだが、俺にとっては寝覚めが悪い。
「こんな所でなにやってんだ、太田書記」
「会長!」
……俺はもう会長じゃないんだけどな。
言っても否定するだけで、太田は呼び方を変えようとしないのでそれについては諦めた。
立川がまだ会長になっていない今だったら、俺が呼ばれても勘違いされることもない。
「会長が、会長の席から下ろされることに、おれは納得していないです」
「お前、あの放送を見てないの?」
俺の無様な姿をばっちりと映していたはずだ。
あれを見てまだ俺を信頼してるのかよ。
「見ました。だけどあれが関係ありますか? 確かに勉強はできないみたいですが、実際、会長として結果を残してきているはずです。人をまとめたり、多くの意見を出したり、生徒会の書類仕事をこなしたり……逆に勉強ができなくても、会長の仕事をきっちりこなしています。そこを評価しないですぐに降板させるのは納得がいかないです!」
太田はそう力説してくれる。
巳浦も、ほぉ、と感心したように相槌を打った。
だけどごめん……太田が評価してくれているそれも、俺の力じゃないんだ。
「だから、こうして直談判をしに来ているんですよ」
「太田、お前の言い分は分かった。だがな……」
巳浦が眉間を指で揉む。
説明しても、太田が納得して帰るとは思えなかった。
これが役員であったなら、その言い分も通るかもしれないが、俺の役職は会長だ。
生徒の長。
となれば、実力だけでその席に居続けられるほど甘い場所じゃない。
「全校生徒からの信頼がなくちゃ会長はできねえよ」
全校生徒、八割の票を得て生徒会長に当選する。
今の俺はたった一票だけを持っている状態だ。
信頼が一つしかない生徒を会長にする学園もないだろう。
このまま俺が会長の席に居続けたら、絶対にストライキが起こる。
「いくら会長の仕事をこなせていようが、信頼がない時点で俺に生徒会長の席に座る資格はないんだ。だから諦めろ。お前のその熱量はありがたいけどな……。ここで喚いたところで、これ以上はお前の立場が悪くなるだけだ。もうやめろ」
「しかし……!」
それでも尚、食い下がろうとする太田へ。
「もう、俺を慕うのはやめろ。綺麗に忘れて、生徒会で頑張れ――それが結果的に俺のためになる……じゃあな、太田」
「ちょっ、待ってくださいよ、会長!」
立ち去ろうとする俺の肩を掴んだ太田だが、手に入った力は強くなかった。
反射的に掴んでしまい、本人も戸惑っているような表情を浮かべていた。
これはただの誘導だ。
だが、思い込ませる事柄が当人にとって重要であればあるほど、その効力は桁違いになる。
そう――『命令』と遜色がないくらいには。
俺のために、俺を忘れる。
太田の、なぜか強い忠誠心でなければ、こうも効力が跳ね上がったりはしない。
「なんだ、一年の、太田」
「いや……すんません、思い違いだったみたいです」
そう言って、俺を通り過ぎて職員室を出て行く。
……これでいい。
あそこまで執着されたら、もう切ってしまった方がいい。
その方があいつのためだ。
初めてだ。
信頼を得るためではなく、関係を切るために力を使ったのは。
「……大垣、随分と後輩の扱いが上手いみたいだが、なにをしたんだ?」
「ちょっとした……脅し、みたいなもんですよ」
「そうには聞こえなかったが?」
巳浦とは距離が離れていたし、声も小さかったので聞こえていなかったはずだが……。
地獄耳かよ。
「ともかく、太田を止めてくれて感謝する。あれ以上噛みついてきたらこっちも処罰をしなくてはならなかった」
巳浦が言うが、今でもじゅうぶん待ってくれた方だと思う。
「さて、今日は朝から色々とどたばたしていたが、お前は大事なことを忘れているんじゃないか?」
「……? 忘れていること……?」
「どうやらクラスメイトに拘束されて、お前の所に行けないと泣き言を言っていたと担当教師から聞いている。今は放課後だ。すぐに会えると思っていたら、お前はこんな所にいるんだ、今頃、校内中を走り回っているのではないか?」
校内中って……どんだけ広いと思ってるんだ。
けど、俺に会いたいなら、職員室に呼び出された放送を聞いているはずだ。
なら、今頃はここに向かっているんじゃないか?
「放送は校舎を絞っているから聞くのは難しいが……、いや、そうみたいだな」
と、廊下を走る足音が近づいて来たと思えば、職員室の扉が勢い良く開いた。
「あ」
「良ちゃん! って、あ、いや、違っ、くて、――お兄ちゃんっ!」
ニヨだ。
そうだ、今日は、ニヨの転入初日だった。
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