その16 侵略は始まっている

 数学の授業の小テスト。


 成績順位の高いクラスメイトの得意教科を把握しているため、悩む時間はなかった。


 今回使うのは模範。

 普通は体育や専門技術などの実技テストの時に利用することが多いが、テストにも使えたりする。

 時間の長い期末テストだと効果切れになったりもするが、小テストなら問題はない。

 あくまでも模範なので真似する対象が間違えれば俺も間違えるわけで、期末テストでは使わないが、まあ小テストくらいなら、間違えてもいいだろう。


 なにも全教科、細かいものまで全てのテストで満点を取っている俺ではない。

 満点ばかりだと、結城のように不正を疑われてしまう可能性もあるので、たまに間違っておく。

 そういった息抜きも挟まないと俺の人間味もどんどんなくなっていくのだ。


 ちなみにニヨは少し後ろで待機している。

 隣にいて俺へアドバイスをすることもないだろうが、先生も分かってはいても形式上、席を離した。


 ニヨがちらちらと、視線を周囲に向けているのが気になったが、それよりも。

 このクラスには数学が得意で、しかも計算速度が速い生徒がいる。

 たったの二〇問なら五分もかからないんじゃないか? 

 ……効果切れの心配もない。


 その生徒を模範する。

 そして、当たり前だがペンを置いたタイミングはその生徒とまったく同じだった。


 すぐに返ってきた小テストは満点だった。

 だが、模範した生徒は一問だけ間違っており、満点ではなかった。

 なんで? と思ったら、その生徒は速く解けるが文字が汚いのだ。

 模範後、俺から見て読みづらいと思った文字は書き直したので先生にも伝わった。

 しかし綺麗に書くことを怠ったその生徒は当然、読み取れず減点になっていた。


 力をただ使うだけでなく、こういった修正もしないと悲惨なことになる。

 先生も細かくは見ないが、模範しているので筆跡もまったく同じになる。

 それが証拠となりカンニングと疑われるのはもうごめんだ。


「満点は大垣だけだな……ったく、たるんでいる。たかが小テストだと真面目にやらなかった奴が多過ぎる。この問題群は別に難しくない。普段授業を聞いていれば普通にできて当たり前の問題だ。……間違えた問題一問につき、一〇問が載ったプリントを一枚やれ」


 数学教師の言葉にクラスからブーイングが上がった。

 先生は聞く耳を持たずに、プリントの束を教卓にどかんと置く。


「早く取りにこいよー。じゃないと成績が悲惨なことになるぞ?」


 一気に教卓へ群がるクラスメイトを、俺は後ろからぼーっと眺めていた。



 無難に全ての授業を乗り切り、ニヨと一緒に生徒会室へ向かう途中、


「……嫌な感じだね」


 ニヨが周りの視線に気づいた。

 普段から注目されることには慣れている俺でも不快だった。


 昼休みの時と同じだ。

 妹が体験入学にきているという噂がただ広まっているだけかと思っていたが、俺が生徒会長権限を使って裏口入門させるだとか、転入試験で点数を増したりするだとか、根も葉もない噂が広がっていた。


 聞き耳の力を使って周りの声を聞いた時は、あくまでも噂で、信じている者は少なかった。

 いくら生徒会長でもそんな権限まではないことを全校生徒も分かっているし、ここまで噂になれば先生からの接触もある。

 俺がニヨを贔屓するわけがない。


 だが、たった数時間で学園全体の流れが変わっていた。

 俺が会長権限で好き勝手やっているという噂がまるで本当のことであるかのように広まっていたのだ。


 証拠が出たわけでもないのに。

 不自然に俺の信用が落ちていた。


「……侵略者の力は多人数には弱い、と思っていたけど……誘導は可能なのか」


 少人数相手にしか使ってこなかった俺には分からなかったが、誘導の言葉が一度に複数の人間の耳に入れば効果が出るのだ。

 電話越しでも力が伝わる。

 だからマイクを使って校内放送をした場合、大衆を誘導できる。


 だが、あくまでも誘導できる方向は一方向だけだ。

 細かい行動を操作したいなら一人一人に誘導を使う必要がある。

 求める結果が大雑把でいいなら効果的な誘導ってわけだ。


 しかし、考えてみたが校内放送なんてなかったよな?

 学外に出たわけじゃないから俺の耳に入らないのはおかしい。

 それに、誘導されているのは全員ってわけでもなかった。


 半信半疑の生徒は周りの勢いに流されて、そう思ってしまっているだけの層だろう。

 誤解を解くならこのあたりだが、選別するのは難しい。

 探し出すためだけに力を使うのは勿体ないし、誘導を使って効果を上書きしたところで、また向こうも同じように誘導を使って上書きしてくるはずだ。


 今日、結城とは一度も会ってはいないが、早速、仕掛けてきやがった。


「思い切ったことをするタイプかと思ったけど、意外にもちゃんとしてんだな……」


 俺を会長から引きずり落としてその席に入ろう、と? 

 いや、席を一つ開け、繰り上がることで空いた一番下の席から徐々に上がっていこうって魂胆か? 

 手早く侵略と言っていたけど、一年二年の作戦期間は見越しているのか。


「ホランは手早くっていうか、手堅く、だと思うよ。あんまり冒険とかしないタイプ。危ないと思えば引くし、チャンスだからって徹底的に攻めたりしない。大きな失敗をしないから結局、手早く結果を残すの。なんだっけ? 急がば回れ、だったかな?」


 なんだよそれ。

 付けいる隙がねえってことじゃん。


 成績優秀だからこそ見せる油断があれば、足下をすくおうと思っていたのに。

 そう甘くはないか。

 俺の中の侵略者がニヨしかいないからって参考にするのは危ない。


 こうも外側から間接的に攻められてしまうと、俺もどう防衛したらいいか分からない。

 今更、結城一人を止めたところで誘導されている大衆は元に戻らないし……。


「……陰口がうるせえな」


 毎日、妹とヤッているだの、生徒会メンバーで乱交しているだの、不良生徒を仲間に引き入れたのも強力な護衛をつけるためだの、別に俺は生徒会長になって全てを自分の思い通りにできる王国を作りたかったわけじゃない。


 目的は卒業だ。

 卒業した、その先しか見ていない。


 目的に支障がなければ学園での俺の立場なんてどうでもいいが、それでもやっぱり腹が立つ。

 俺だけならいいが、生徒会の仲間のことまで噂されるのは我慢ならなかった。


 副会長は努力だけをしてここまで上がってきた。

 後輩の猪上と太田は、入学したばかりで、これから三年間、この学園で他の生徒と戦っていかなければならない。

 なのにこんなタイミングで噂を流されたら、これからずっと居心地の悪い生活になっちまう。


 誘導は命令とは違って、使われた方にも自我がある。

 まるで自分の意思でそう思ったと促されるため、誤解を解くのは簡単じゃない。


「はーい、会長さん」


 生徒会室の前には結城がいた。

 学園ではやはり後輩キャラに戻っていた。


「お前な……!」

「侵略は小さなところからコツコツと始めるんですよねぇ。大事件を引き起こしちゃうとそれはもう侵攻になっちゃいますから。手始めに、会長さんには会長の席を譲って頂きますねぇ。そのために色々と布石は打っておきましたからぁ」


「お前がそのまま会長になって、全員が認めると思うのかよ? 力を使っても生理的に拒否する奴ってのはいるぞ?」


 俺の時もいた。

 今だって認めていない層はいる。

 支持が八割を越えれば生徒会長になれるため、俺は当選しているが……、転校生でどんな生徒かも知られていない結城がすぐに会長の席に座れるとは思わない。

 いくら力で操れるとは言っても、カバーできない部分は必ずある。


「アタシだってすぐに会長の席に座れるとは思いませんよぉ。座るのは副会長ですし」

「まあ、俺が下りれば自然と繰り上がるもんな……」


 立川の下にまずはつくってことか? 

 だが、二人の相性は最悪だったはずだ。

 でも、副会長が結城を苦手としているだけで、こいつは副会長をなんとも思っていないのか。


 力を使えばどうとでもできる、と。


「お前、副会長を操るつもりかよ」

「仲良くできると思いますかぁ?」


 結城が、にへら、と笑みを見せた。

 会長席から引きずり落とされた俺にはその後の生徒会の事情に顔を突っ込めない。

 関係者ではない俺にはなにもできなくなるのだ。


 当然、副会長も、猪上も太田も、助けることができない。


「……みんなは関係ないだろ!」

「いやぁ? アタシの目的は侵略ですからねぇ。――地球人なら、関係あるでしょ」


「やめろ……、副会長も猪上も太田も必死の努力でこの学園に入れたんだ。やっと夢のための道が開かれたんだっ! それを奪うような真似はするな! みんなの夢を壊さないで穏便に侵略するくらい、お前ならできるだろ!」


「手間がかかる」


 結城は今までとは打って変わって冷たい目を向けてきた。


「良ちゃん!」


 ニヨに腕を掴まれて気づいた。

 俺はいつの間にか、結城の胸倉を掴んで、壁に押しつけていた。


「え……」


 力を使われた……? 

 頭がカッとなってまともな思考能力もなくなったのか!?


「この学園では暴力は御法度みたいだけど? この状態もまずいんじゃない?」


 結城の動いた瞳に誘導されて同じ方向を見る。

 そこで、監視カメラと目が合った。


「っ!」


 慌てて手を離し、距離を取った。


 慌て過ぎて、どんっ、と背中でニヨを突き飛ばしてしまった。


「あ! ごめんニヨ――」

「え、わたし、隣にいるよ?」


 ニヨは俺の片腕を掴んだままだった。

 え、じゃあ今のは? 

 俺はなにとぶつかった?


「アタシは侵略のために地球人を踏み台にするけど? 壊したって気にしない。だけど相棒の人生くらいはちゃんと守ろうとは思っているのよ?」


 俺とニヨと結城、三人しかいなかった生徒会室の前の廊下に、四人目が現れた。


「当然だけど。踏み台にしなければ壊れることはないからねぇ」


 瞬きをしている間に、いなかった者がそこにいた。



「………………立、川…………」



 俺は、その次の言葉が続かない。


「和歌はずっといたわよ? ただ見えていなかっただけで」

「あっ……透明、化……?」


「ニヨは勘付いていたんじゃないのぉ? 和歌からばれそうで恐いって連絡もらってたから。でも今までばれていなかったし、やっぱり詰めが甘いわよねぇ、アンタって」


「近くに気配がするなあって思ってたら、やっぱりいたんだ……」


 ……俺は分からなかった。


「いつから……」

「……朝から、ずっとですよ、会長……」

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