その43 二ヨとホラン

 有塚が倒れるところなんて想像ができなかったが、あいつだって強いわけじゃない。


 どちらかと言えば体力に自信はない方だ。

 それでもこの中では最も侵略者に対抗できると思っていたからこそ、俺たちの絶望感は高い。


「良は死んでないし、和歌もアタシの束縛からは逃れてるしぃ、いつの間にこんなにも展開が早くなったのかしらねぇ。はー……、ちょっとアニメにはまったくらいで何十日も経っていたなんて、時間の流れが早いわよ」


 ちょっと、どころではない。

 積まれたDVDの量がそれを物語っていた。


 時間も金もかかる趣味だ。

 そういえば、これだけの量を買うお金、一体どこから捻出しているんだろうか……。

 必死にバイトをするタイプじゃねえはずだ……まさか。


「盗んだんじゃねえだろうな……」

「盗んでないわよぉ、酷いわねぇ。仲の良い友達から、貰ったの」

「それは……、命令を使って、でしょ?」


 立川の指摘に、ホランが厳しい目線で見下した。


「悪い? アンタに責められたくはないわね。誰よりも力に頼り、自分の周りを都合の良いようにねじ曲げてきたアンタなんかにはね」


 ホランはまるで、立川だけが当てはまるように言っているが、俺もだ。

 力に頼り、溺れて痛い目に遭ったのは、俺も立川も変わらない。


「アタシ、これから溜まってるアニメを見たいの。だから記憶を消して、帰ってもらうから」

「大垣くん!」


 今度は立川が俺を突き飛ばし、そのまま玄関近くまで押し出されてしまった。


「早く逃げて! 私のことを、絶対に忘れないで!」

「立川! 戻れ!」


 だが、俺の言葉は遅く、ホランと目線を合わせた立川は力なく倒れた。

 そして、ホランは次に、俺を見据えた。


「……ク、ソォッ!」


 立ち上がって玄関のドアノブに手をかけ――だが、


 俺は、足を止めた。


「あら、逃げないのぉ?」

「……ああ、逃げることに意味がないと思ったからだ」

「必死にアンタを逃がそうとした二人の想いを振り払ってこの場に残り、一体、アンタはなにができるのかしらねぇ」


 なにもできねぇな。

 ニヨとずっと暮らしていたから忘れかけていたが、侵略者は恐い。


 今まで世話になった侵略者の力を使われたら、まったく抗えない。

 だけどな。


「その力に頼って溺れるのが、俺たち人間だけだと思うなよ?」

「なによそれぇ。侵略者であるアタシが、力を上手く扱えないとでも?」


 いいや。

 そりゃ、上手く扱えるだろう。

 失敗もないはずだ。


 力に関しては。


 ただ、


「余裕は油断に繋がるんだぜって、教えてやっただけだ」


 ホランの表情が強ばった。

 俺よりも気づくのが遅かったのは、やはり、共に過ごした日々の長さの違い。


 俺はお姉ちゃんに何度抱きしめられたか分からない。

 もちろん、もっと小さい頃の話だが、その時のお姉ちゃんの匂いは今も変わらないし、決して忘れたりはしないだろう。


 人の家の匂いの中だろうと、ニヨの匂いがあれば、俺は気づける。


 ●REC


 ――ホランはきっと、その意味を知らない。


「……お姉ちゃん、証拠は撮れた?」


 透明化していたニヨの姿が、ホランの後ろに浮かび上がってくる。

 端末を手に持ち、カメラをホランに向けていた。


「うん、ばっちり!」


 初めて。

 そこでホランが、取り乱した。


「な、なによぉ、それ……とってるって、撮影でもしてるってわけぇ……?」

「そうだよ。知らない? 端末には撮影できる機能があるってこと」

「知ってるわよ、でも、使う機会なんてそうそうないし……」

「成績を意識してるホランはこういった機能は使わないのかもね」


 使わなければ忘れてしまうのは、侵略者も人間も変わらないらしい。

 機能を忘れてはいても、この状況を撮影された意味が分からないホランではなかった。


「その映像を本部に送って、アタシを強制送還させるつもり……?」

「そうだね、これ以上ホランが良ちゃんたちにやんちゃするなら考えるかも。それに、わたしの侵略を邪魔されてるわけだし、正直、勝手に動いてほしくないんだよね」


「アンタが侵略……? 遊んでるようにしか見えなかったけどぉ?」

「長期的な計画だし。それに、今のホランに言われたくない」


 アニメグッズに囲まれた一人暮らしの生活。

 侵略どころか、まともに仕事をしているとも言えない状況だ。


「アタシが手っ取り早く侵略したら、ニヨの成績にも反映されるように本部へ口添えしてあげるけどぉ? それでも、その映像を渡す気はない?」

「うん、まったくない」


 両者は笑顔で対峙している。

 数秒、睨み合った後、先にホランが動いた。


 取っ組み合いになった後、体格の違いから仕方ないが、ニヨが押し倒され、端末が床の上を横滑りしていってしまう。

 咄嗟に助けようとしたが、俺の動きはニヨに止められ、ホランの視線で牽制された。


 あの二人の中に入ることは俺にはできねえ。


「もどかしいわねぇ、アタシたち同士は力が効かないっていうのは……」

「ん、うぅ……っ」

「映像は破棄させてもらうわねぇ」


 ニヨを抑えつけながら、手を伸ばしたホランが端末を手に取る。

 ニヨの企みも、失敗に終わった――だがニヨは、薄らと、笑みを浮かべていた。


「破棄できるならすればいいよ」

「……? どういう意味よ」



「…………え」


「配信というか、テレビ電話。相手はもちろん、リーダーだよ」


 瞬間、ホランが端末を壁に叩きつける。

 だが頑丈な端末はびくともせずに、機能を維持したままだった。


 端末のカメラが、ホランを映す。


『ホラン、見ていたわよ?』

「ひっ……」


 ニヨとホランの上司にあたるリーダーは、女性の声だった。

 まあ、声というだけで確かではなさそうだが……。

 少々ノイズがきついが、それでも相手の声は俺にもきちんと聞こえた。


『だらしない部屋。しかも娯楽にはまるなんて……ホランなら大丈夫だと思ったのに』

「だ、大丈夫ですリーダー! アタシ、まだできます!」


『でも、娯楽のために力を使ったじゃない』

「そ、それは……」

『報告と申請の内容が違うのは、問題ね……』


 それについて、ニヨを見たら、さっと視線を逸らされた。

 ニヨは常習犯だが、証拠がなければ上司から咎められることもない。


 これは証拠を掴まれたホランが悪い。

 ずるをするなら上手くやれってことだ。


 ずるをすれば、必ずどこかで痛い目に遭うことを忘れてはならないが。


『とにかく、一旦、戻ってきてもらうわよ』

「ま、待ってください! アタシ、絶対に侵略できます! だから――」


「無理だよ」


 思わず口を出してしまったが、後悔はない。

 ホランが、今にも飛びかかり、首を締めそうな鬼の形相で俺を見た。


「どうせ、ニヨを贔屓したいだけでしょ。アタシの方が、実力は上なのよ」

「かもしれねえけど、侵略できるとしたら、ニヨだろ」


 ――だって、


「どうせ侵略されるなら、俺たちを大切にしてくれる侵略者の方がいいしな」

「良、ちゃん……」


「侵略される側の気持ちも、きちんと考えろよ。独りよがりで、無理やり押し切って侵略しても、その後に待ってるのは不満を爆発させた俺たちの復讐心だけだぞ?」


 ホランはなにかを言いたそうにして、だがすぐに口が閉じていた。

 これが戦争を通して力で押し切る侵略なら、俺の言い分は鼻で笑われる。


 だが、ニヨとホランがしようとしているのは、平和的な侵略だ。

 俺たちの意思は、多少なりとも反映されなければおかしい。


『……貴重な意見ね』

「良……」


 ホランの拳が壁に叩きつけられ、僅かに部屋全体が揺れ動いた。

 ……こいつ、普通に腕力とか強かったりするのか……?


「アンタ、覚えておきなさいよ」


 ――そして、ホランの体がふっと消えた。

 ニヨの端末も既に通信が切れている。


 ホランは、強制送還されたのだ。



「……終わった、のか……?」


 すると、壁に背中を預け、ずるずると下がっていくニヨが見えた。

 緊張が一気に解けたからか、全身の力が入らなくなったのだ。


「あははっ……、良ちゃん、お疲れ様」


 俺はニヨの隣に腰を下ろして、肩を寄せた。


「お互い様だろ……お疲れ、お姉ちゃん」


 こうして。


 侵略者一人が現れ、始まった騒動は、一人の侵略者の強制送還と共に収束した。

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