その29 優等生は歪み始める
「今度は人の生徒手帳を勝手に見ますか。生徒会長らしからぬ行動すよね」
慌てて生徒手帳を閉じたけど、遅い。
既に開いていた光景を見られてしまった。
猪上が扉を強く閉め、大きな音が響き渡る。
怒ってる……よね?
「当たり前っす。返してくださいよ」
乱暴に、手の中にあった生徒手帳が奪い取られた。
「あ……」
「最低っすね」
「待って、違うの! いや、ち、違うってわけじゃないんだけど……」
悪いと思いながらも見たのは私の出来心のせいだ。
言い訳のしようもない。
だけど悪意があって見たわけじゃないのは理解してほしかった。
「猪上と、距離を縮めたかったの……!」
「無理すよ。もう、あたしは会長さんのこと、信用なんてできないっす」
「この前のミスのこと!? 今、生徒手帳を見てしまったこと!? 確かに簡単に許されることじゃないかもしれないけど、やり直すことはもうできないの!?」
「その二つじゃないすよ。決定的だったのは、会長さんがあたしと太田を利用して自分の手柄にしようとしたことっす。先生にどう報告するのか、たまたま別の先生と職員室で話してる時に居合わせたんで聞いてましたけど……信じられないと思いましたよ」
私がプリントを巳浦先生に渡しに行った時だ……そこに猪上もいた?
あり得ない、わけじゃない。
「いくら目の前で距離を縮めたいとか、信頼し合える仲になりたいと言われても、その場にいないところであたしたちの印象操作がされていること知ってしまえば、もう無理っすよ。仲間になんてなれるわけがないっす」
猪上は、呆れ、失望した目でも、冷たく見下した目でもなく、敵を見る目だった。
その目に、自然と足が彼女から離れた。
気圧されてしまったけど、なんとか一歩で踏み止まった。
「……生徒会、やめないわよね?」
「やめませんよ。あたしにも目的がありますし。それに、狙っていますから、生徒会長の席を……すよ」
「もう一つ、聞いていい? ……プライベートに踏み込むのはこれで最後にするから」
背を向け、扉のドアノブに手をかけていた猪上が止まった。
最後、という言葉に反応したのかもしれない。
「いいっすよ」
「……生徒手帳の、太田の写真は――」
「やっぱりダメっす。聞かないでください、踏み込まないでください。そして、見たことの全てを忘れてください。じゃないと、本気で潰しますよ?」
そんな脅迫を残して、猪上が生徒会室を後にした。
一応、生徒会活動の時間だって分かってるのかな……?
生徒会室から出て、どこになにをしにいく気なのか……。
「……あ。太田にも、探し物が見つかったって連絡しないと。猪上がもう連絡してるかもしれないけど、一応、私からもしないと心配するだろうし――」
増えた連絡帳のリストを活用したいという思いもあったけど。
猪上の生徒手帳に挟まっていた太田の写真……多分、片思いなんじゃないかな……。
喧嘩するほど仲が良いとよく言うし、後輩二人もそうなのだと思っていた。
実際は予想よりも上で、猪上が友達以上の感情を持っていたなんて……。
太田は性格的に猪上を本当に嫌ってはいないし、かと言って猪上と同じ感情を抱いているとは思えない。
それはないんじゃないかな……、太田は一人に執着するタイプには見えなかった。
まあ、猪上の気持ちが分かったところで扱い切れないデリケートな部分だ。
これ以上は藪をつついて蛇を出してしまう結果しか見えなかった。
触れるべきではない。
だけど、光明が見えたのも確かだった。
猪上と仲良くするために、太田を利用する。
いや、利用するというのは言い方が悪い。
太田ともっと仲良くなる。
そうすれば、生徒会の中の私と太田の輪の中に、混ざりたいと思うんじゃないかな……?
「……このまま、関係が修復できないのなら、やってみる価値はある……!」
トラブルがなければ、太田は時間通りに生徒会室にきてくれるのだから。
探し物が見つかったと電話をして数分後、猪上と一緒にきてくれるかもと期待したが、やはり一人だった。
それは仕方ない……ガッカリはしたけど、好都合でもある。
太田と、生徒会室で二人きりだ。
「会長、手助けありがとうございました」
「ううん。役に立てたなら良かったわ」
席に座って数回言葉を交わしたら、会話が止まってしまった。
生徒会室が静まり返る。
生徒会に任された仕事があるため会話がなくても苦しい状況にはならなかったのが幸いだったけど……。
……私が話さないと会話は始まらない……よね?
大垣くんは太田とどんなことを話していたのだろう……。
あの頃の記憶を遡らせたが、さすがに覚えてはいなかった。
私が太田のことで知っているのは、短い期間、不良だったということだけ。
でも、そこを掘り返すのは気が引けた。
「猪上の奴、こないですね。落とし物も見つかったのにどこでなにをしてんのか……」
「太田も知らないの?」
「知りませんよ。よく見かけはしますが……たまたま行き先が同じことが多いですね、そう言えば」
それは、本当にたまたまなのか怪しい気がした。
「あいつの性格上、生徒手帳を見つけてくれた会長にお礼を言ってないですよね?」
「それは……」
否定しようとしたけど太田には見抜かれていた。
いや、私ではなく猪上の振る舞いを見抜いていたようだ。
「言ってないですよね、そりゃ。今度きつく言っておきますので、あいつの無礼を許してやってください」
「きつく言わなくていい! 太田は猪上の味方でいてあげて? 同じ学年でしょ?」
「……? 会長がそう言うなら、まあ、気にはかけますが……味方にはならないです」
なぜそんなに頑ななのか。
ライバル視しているから――なのだろうか。
猪上の気持ちを知ってしまっている側からすれば、はらはらする。
太田を味方につける気ではいたけど、欲しいのは仲良しの輪だ。
太田が私を贔屓するようになってしまうと、さらに私へ猪上の敵意が向く。
生徒会の仲間として、普通に仲が良さそうな関係でいいのだ。
猪上から太田を奪うわけにはいかない。
それから。
何気ない会話から糸口を探してみたけど、成果は上がらなかった。
頑張って振った話題も数度のラリーで返す言葉がなくなってしまう。
……私の対話能力のなさが完全に足を引っ張ってしまっていた。
そして、やがて生徒会を終える時間になってしまう。
あっという間に感じるが……始まった時間が遅かったために元々太田と会話できる時間も少なかった。
そんな中でも生徒会活動の進行を滞らせるわけにもいかず、手の方をよく動かした結果、私は太田の作業をただ邪魔しただけなんじゃ……。
「会長、無理に喋らなくてもいいですよ。前も……、前会長の時は静かに作業をしていたじゃないですか。おれたちに気を遣わなくていいです。会長らしく、何事もゆっくりでいいんですよ」
「太田……」
その言葉は嬉しかったけど、大垣くんがいた時と同じではさすがに駄目だと私でも分かる。
よく喋っていた猪上が私を敵視している状況だ。
この場に猪上がいて、いつものように喋ってくれるとは思えない。
空気は重たくなるばかりで、居心地の悪さから出ていってしまっても困る。
猪上も太田も、生徒会役員でいることに目的があるからやめたりはしないけど、ただこの場にいて仕事を黙々とする場にはしたくなかった。
だって私は、あの生徒会の空間が好きだったのだから。
私が取り戻したいと思ったのに、後輩二人が変わるのを待つのはおかしい。
積極的にならないと。
勉強ばかりしていたのに、こんな時にどうすればいいのかは、やっぱり分からない。
教科書にも、プリントにも、書き溜めたノートにも書いていない。
自分で新たに学ぶしかなかった。
「待って、太田! 気を遣ってるんじゃなくて、仲良くしたいだけなのよ。無理に喋ってるわけじゃなくて、こういうの、私は下手くそだから……」
「会長が慕われていないのは、評価に影響しますかね……。無責任なことは言えないので信じなくてもいいですけど、多少はまあ、影響するとは思いますよ。でも、無理に仲良くすることもないと思います」
……太田は、私が評価のために仲良くしようとしていると思っていた。
「違っ、そうじゃなくて……!」
「おれは言ったはずですよ、信頼しているのは大垣会長であって、あんたではない」
それは、いくら私が歩み寄ろうとも決して心を開かないと、宣言したようなものだ。
「あんたにはもちろん従います。任された仕事も最後まで責任をもってやります。ただ、あんたのプライベートな一件に手を出す気はないです。あんたが血眼になって上げようとしている評価には、おれは関与しないんで。そのつもりで」
猪上と似たようなことを……仲が悪いくせに、こういうところはお似合いだった。
「……太田、猪上から、私のことでなにか聞いたの……?」
「口止めでもしていましたか? 残念ながらあいつは従いませんよ。脅し方にもよりますが、おれに言ったってことはあんたの脅しは意味をなさなかったということでしょうね」
私は口止めなんてしていない。
なのに、太田の中での私の評価がかなり下がってしまっている。
――猪上は、一体なにを太田に伝えた……?
思い当たるのは、巳浦先生へ報告した時のことを見られていた、あの一件しかない。
「太田っ、それは誤解なのっ、信じて!」
「あいつとは犬猿の仲です。だけどおれはあいつを信じます」
「どう、して……!」
「あいつの用意周到さには引きますね。録音を聞いたんです、会長がおれたちを利用して自分の評価を上げようとしたこと。別に評価を上げようと色々考えて実行することをおれは否定しませんよ、学力だけでは限界がありますからね。ただやり方が問題です。おれたちになにも言わなかったのも。おれたちの善意を利用したことも。おれたちの評価をも下げようとしたことも。……これ以上、信頼できない理由を挙げなくちゃいけませんかね?」
もう、手遅れだ。
なにを言っても、太田も、猪上も――。
私の傍にはいてくれない。
「……どうして」
すると、太田がぼそりと呟いた。
「どうしてあんたなんだ。大垣会長がしたことなんて、あんたのそれに比べたら――」
「
――その言葉を聞いた時、頭の中が真っ赤になった。
そして気づけば、手の平にはホランから貰った端末が握られていて、
目の前には、跪く、太田がいた。
「――おれは、会長の手と足となって働くと誓います」
太田が私の手を取り、手の甲へ、唇を触れさせた。
「おれは、会長の道具です。どうぞ、ご自由にお使いください」
「そう、ね……」
太田は私に従う下僕となっていたけど、後悔はなかった。
逆に、これでスイッチが入ってしまった、とも言えた。
一度、緩めてしまった蓋をもう一度締めても、以前のような堅さはもうない。
もう、私自身では締められない。
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