五章 銀の雪、衝突と友情

第23話 急変

十二月になったばかりだというのに、既に最低気温は氷点下を下回る今日この頃。

早朝から暖房の効いた教室で、僕は何をするわけでもなく窓の外を眺めていた。

今日は生憎の曇天で、晴天の時に差し込む太陽の恩恵はない。遠くの電柱に数羽の雀が止まり、飛び立っていく姿を見ているのは、恐らく僕だけだろう。

今は昼休憩時間。

クラスメイトたちは各々持参した弁当や購買で買ったパンを友人たちと食べている。ワイワイと賑やかに、実に楽しそうな時間を過ごしている。


そんなクラスから目を逸らすように、僕は外に視線を固定する。

昼食も食べる気にならず、椅子に座って時間が過ぎ去るのを待っていた。


「晴斗、どうしたんだ?」


隣の席に座っていた湊が僕に問いかける。

ゆっくりと気怠そうに僕はそちらを向くと、彼はサンドイッチを片手に心配そうに僕を見ていた。その隣では、花蓮も同じように僕に視線を送っている。


「ん?」

「いや、ん?じゃなくて。見るからに体調悪そうだぞ?隈も酷いし、頬も怪我をしたのか?絆創膏貼って……」

「風邪、というか、睡眠不足っぽいけど、どうしたの?」

「……あー」


自分の顔の状態を全く確認していなかったが、どうやら周りに心配されるくらい酷いものになっていたようだ。

思い返してみれば、今朝から何人ものクラスメイトに声をかけられていた。皆心配そうに、僕の顔を覗き込んでいた。


「僕、そんなに酷い顔してる?」

「見るからに体調不良者ってわかるくらいには」

「病院にいても違和感がないくらいには」

「……」


二人の即答を聞いた僕はガタッと立ち上がり、扉を開けて廊下へと出て男子トイレの手洗い場に。

蛇口を捻って水音を立ながら顔を洗い、外した眼鏡をかけて鏡を見る。


端的に言って、酷いものだった。

濃い隈が浮かびあがった目元に、悪い顔色。髪はところどころ白くなっている部分があり、一気に歳を取ってしまったように見える。


「これは……心配されても仕方ないかな」


自嘲気味に笑い、僕は白く変色した部分の髪を撫でた。

過度な睡眠不足によるストレスなのか、僕の髪は一部色が抜けてしまったようで、白く変色している。

おまけに、最近は首から這い上がってくるかのように顔にまでプラスチック化が進行し、頬には亀裂が入ったように半透明になった箇所がある。それを隠すために、僕は大きめの絆創膏を貼っているのだ。


「ばれるのも、時間の問題、か」


遠くないうちに、湊や花蓮に僕の容体はバレるだろう。

当然だ。ここまで顔色を悪くして、体調が悪そうにしている友人を見て大丈夫だなんて思わない。遅からず、僕は彼らに自分のことを話す時が来る。

そんな確信を抱いた鏡の中の僕は、より一層顔を顰める。


その時が来ることを、恐れているように。



長かった午後の授業を全て終えた放課後。

ホームルームが終わると同時に僕は教室を後にし、屋上──天文学部の部室へと向かった。教室を出るとき、湊が何かを言っていたけれど、僕は何も答えずに去ってしまった。多分、聞こえていなかったのだろう。

階段を上がるとき、いつもより呼吸が荒く聞こえる。きっと心拍数も上がっているに違いない。

全身のプラスチック化は、僕の体力も奪っているのだろうか。普段は運動をする機会があまりないため、自覚が全くない。


フラフラと覚束ない足取りで屋上の扉まで辿り着き、鍵を開けて外へと出る。

冬の冷たい風が頬を撫で、季節を感じさせる。

グラウンドの端に植えられた木々の葉は完全に散り、落ち葉を箒で掃く清掃員の姿が見受けられた。


「昔、落ち葉を集めて焼き芋を焼いたっけなぁ……」


昔を振り返る言葉を呟きながら、僕は部室の前に設置されたベンチに足を向け、地面に荷物を置いて寝転がった。年季の入った木材で作られたベンチは僕の体重がかかると、ミシッという音を立て、壊れてしまうのではないかと思わせる。

けれど、このベンチは音を立てるだけで以外と頑丈なので、そう簡単には壊れないだろう。


「異様に、疲れるな……」


全身に伸し掛かる疲労に、僕は思わず声を漏らす。

荒くなっていた呼吸を整えるようにゆっくりと深呼吸を繰り返し、動悸を押さえるように胸元に手を当てる。

おかしい。

これまでは体力の衰えなどは感じてこなかったのだが、ここ最近はやけにそれを実感する。走ればすぐに息が切れ、階段を上るだけですぐに疲れる。集中力もなく、上の空になってることが多いとも言われてしまった。

明らかにこれはおかしい。

急激な体調の変化に、僕は左手の手袋を外して透明な手を翳し、見つめた。


恐らく原因は、これだ。

身体のプラスチック化による体調の変化は、最初から懸念されていたこと。そこに加えて、過度な睡眠不足。これだけの条件が揃えば、体調不良になって当然だろう。


「はぁ、今日は早めに、帰ろうかな……」


と、上体を起き上がらせようとした時。


「大丈夫?」

「うわ!」


優菜が心配そうに僕の顔を上から覗き込んできた。

屋上に入ってくる音も聞こえなかったので、僕は驚いて身体を起こす。


「びっくりした……今日は早いね」

「う、うん。それより、部室に入らないの?」

「え?……あぁ、そうだったね。ごめん。今開けるよ」


こめかみを一度押さえ、頭痛を堪えるような仕草をした後、僕は部室の鍵をポケットから取り出して扉を開ける。

一旦紅茶を飲んで落ち着こうと思い、鞄を床に放り投げてすぐにポットに水をいれてお湯を沸かし、カップの中にティーバッグをいれる。

この時も頭はボーっとしており、上体がフラフラと揺れている。


「……」


優菜はソファに座り、そんな僕の様子を黙って見つめている。

明らかに様子のおかしい僕は、彼女から見てもかなり異様だ。色濃い隈に、白髪が混じり始めた頭髪。微かに覚束ない足取り。

事情を知る優菜は、すぐにそれがプラスチック症候群によるものだとわかっただろう。特に、眠ることに恐怖心を覚えてしまったことも、彼女は知っている。

だが、彼女は僕に何も言うことなく、僕が紅茶を淹れ終えるのを待っていた。


「どうしたの?真剣な顔をして」


僕は思いつめたように下を向いている優菜にそう言う。

彼女はしばらく置かれたティーカップから立ち込める湯気をジッと見つめていたが、やがて僕と視線を交差させた。


「また、眠れてないんでしょう?」

「……まぁね」


僕の睡眠不足は、ここ一ヵ月程で更に悪化している。

最近だと、一日に三時間も眠ることができれば上出来というくらいだ。身体の疲労は一向に取れる気配はなく、蓄積する一方。

このままでは余命の日を迎える前に死んでしまうのではないか、という思いが、僕の状態を見た優菜の中にはあった。


「でも、ここ最近は恐怖心から、ってだけじゃないんだ」

「というと?」

「これは本当に幸運なことなんだけど──」


そう前置きし、僕は携帯の画面を優菜に見せる。

そこに書かれていたのは、とある記事だ。


「五千年彗星と言われる、エペルト彗星が接近中?」

「そうなんだよ!」


隈の酷い顔を輝かせ、僕は机に両手を着いて前のめりに乗り出した。

優菜は若干引き気味に身体を逸らしているが、構わない。


「五千年に一度の彗星が、死ぬ前に見れるんだよ!しかも、沢山の塵を引き連れて!エペルト彗星の大きさなら、それこそ千八百三十三年に観測された流星雨以上のものが見られるかもしれないんだ!待ち遠しくて、余計に眠れなくなったんだよ!はぁ……はぁ……」


興奮気味に言葉を連ねたことで息が荒くなった。

疲れた身体の力を抜き、ドサッとソファの背もたれに体重を預ける。

嘘は言っていない。実際、こうして大規模な天文ショーがあると、僕はこうして興奮気味に優菜に詳細を語ったものだ。流星群の時も、そう。

だけど、こうして息を荒げて疲弊しきることはなかった。それも、言葉を発するだけで。


「晴斗……」


弱り切っている。

優菜が心配気味に僕の元へと歩み寄り、僕の首にそっと触れる。母親が子供熱を測るように、優しく。

だが──。


「ごめんよ……僕の首じゃ、体温は計れないんだ」


プラスチックになってしまった僕の首には、体温はない。

熱を計ることすら、ままならなくなってしまったのだ。これでは熱を出しているのかもわからない。

けれど、明らかに様子がおかしいのは確かだ。


「晴斗、今日は帰ろう。私も帰るから」


素早くそう判断した優菜がそう言うと、僕は特に異論を述べることもなく頷いた。

これ以上、優菜を不安にさせるわけにもいかない。

僕が帰ることで彼女が少しでも安心するのなら、そうしたほうがいい。


床に放り投げた荷物を手に取った僕は、早々に優菜と共に部室を後にする。

無人になった部室で、二つのティーカップからは未だ、湯気が立ち込めていた。

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