第25話 優しい嘘
呆然と固まる二人に、僕は内心の焦りを隠すように、何ともないように振る舞って声をかけた。
「やぁ、今帰り?」
「じゃねぇだろ……」
しかし、それは湊には通用しなかったようで、隣の花蓮に鞄を預けた彼は僕の元に詰め寄り、僕の左腕を手に取った。
「これ、なんだよ……。この左手、どうしたんだよ!!」
「……見ての通りだよ」
「わかんねぇよッ!言葉で説明してくれッ!」
感情が昂り声を荒げた湊。
もう誤魔化すことはできない。見られてしまった後では、どんなことを言っても通じないだろう。
成り行きを見守る優菜の心配している視線を感じながら、僕は制服のブレザーを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲った。
息を呑む湊と花蓮。およそ人間とは思えない、透き通る透明な腕を見れば、その反応も頷けるものだ。
「腕が──」
「今まで、僕は君たちに光線過敏症だって言って来たと思う。でも、本当は違うんだ」
「……光を浴びただけでこうなった、ってわけじゃないな」
観念した僕は、左腕を摩りながら白状した。
「聞いたことないかな?プラスチック症候群っていう病気なんだけど」
「──あ」
呟きを零したのは、花蓮だった。
日頃から新聞やニュースに目を通している彼女は、流石に聞き覚えがあったらしい。次いで、表情を強張らせる。
察しがついたみたいだ。
「人が廃棄したマイクロプラスチックっていう小さなプラスチック片が、生物濃縮の末に人間の体内に入り込んで発症する、新種の難病だよ。身体が徐々にプラスチックに変化していく」
「だから、透明に……そうか、そういうことか」
何か納得した様子の湊は、大きく舌打ち。
「お前の様子が何かおかしかったのも、これのせいか」
「そんなにおかしかった?」
「あぁ。肩を叩いても全く痛がらなかったし、どこかよそよそしくて、何かを警戒しているみたいだった。顔色も悪いし」
ぐっと拳を握りしめた湊になんて声をかけようかと僕が迷っていると、背後にいた花蓮が震えた声で言った。
「晴斗君、一つ、聞いてもいい?」
「うん」
「プラスチック症候群って、確か治療方法がない難病だって、テレビで見たことがあるんだけど……」
「そうだね。治療方法は、今のところない。それは主治医の先生にも言われている」
「……一度発症したら、助からない、って」
「は?」
花蓮の言葉を聞いた湊が目を見開いて僕を見る。
彼から視線を逸らして優菜を見ると……首を振っていた。
この状況で騙すことは不可能。全て正直に話すべきだ、ということだろう。
一度深く息を吐いた後、僕は首肯した。
「そうだね。僕はもう助からない」
「どういう、ことだよ」
本当に理解していないわけではないだろう。
ただ湊は、否定してくれと願って、その言葉を吐き出しただけ。頭では理解しているが、信じたくない。そんな思いが、近くにいて嫌というほど伝わってきた。
けど、どれだけ願われても、真実を告げなければならない。
今まで嘘を吐き続けてきた、報いとして。
「僕の命は、あと四ヵ月で終わるんだ」
「──ッ!」
笑顔で僕は告げた。
欲しいのは同情なんかじゃない。ここで悲しい表情を見せれば、湊が感情をぶつける矛先を見失ってしまう。
下唇を強く噛んだ湊は、昂った感情を押さえつけるように胸に手を当て、最後に僕ん問うた。
「それ、いつからわかってたんだ?死ぬってこと、いつから……」
「今年の春休み……そうだね、三月の終わりくらいかな。病気が発症してるっていうのは、もう少し前から──」
最後まで言葉を言いきる前に僕の胸倉を掴み上げ、湊は怒鳴り声を上げる。
血走った瞳が微かに濡れているのは、きっと気のせいではない。
「ふざけんなよッ!なんだそれッ!なんでそんなこと黙ってたんだッ!!」
「……ごめん」
「残り四ヵ月って……そんな短い期間で、俺たちに心の整理をつけろって言うのかッ!」
「ごめん……ッ」
「謝ってばっかりかよッ!!!!!」
湊の糾弾を、僕は目を逸らして聞くことしかできない。反論何て、当然できるはずもない。
悪いのは全て僕なのだ。病気を隠し続け、二人を騙していた僕がいけない。
そんな風に思っているのが、痛いほどに理解できる。
「……」
視線を変えれば、僕と湊のやりとりを見ていた花蓮が優菜の隣で涙を流してた。
口元を片手で覆い、嗚咽を堪えるように目を閉じている。
今までいるのが当たり前だと思っていた幼馴染が、残り数ヵ月の間に死ぬのだ。
突然知らされたその凶報に、気持ちが追い付いていないのだろう。ただ、頭では理解している。僕の透明な身体が、既に助からないことの証明になっているから。
と、湊に身体を揺らされている時、僕の頬に張られていた絆創膏が剥がれ落ちた。
一度顔を洗っているので、その時に粘着力が落ちてしまったのだろう。
その下に隠されていた、半透明な亀裂が湊の視界に映る。
その瞬間、息を呑んだ彼は僕の胸倉から手を離した。
「……なぁ、春斗。なんで、教えてくれなかったんだ?」
「……なるべく、君たちにはいつも通りの生活を送ってほしかった。僕のことを心配して、余計な気疲れがないように。それに……病人として見られるのが、嫌だったんだ」
「……」
僕の答えを聞いた湊は何も言わず、沈黙を貫く。
恐らく、彼の中では様々な感情が渦巻いているのだろう。
激情を吐き出した後で少し冷静になった今、湊がどんなことを思っているのか。
怒りか、悲しみか、はたまた失望か。
例えどんな感情を向けられたとしても、僕はそれを受け止めなければならない。
それが親友を騙し続けた贖罪になるのかどうかは、定かではないが。
「……くそ」
弱弱しく呟かれた悪態を最後に、湊は僕の前から立ち去り、花蓮に預けた自身の鞄を奪うように受け取り、行ってしまった。
「あ、湊!」
その後を慌てて追う花蓮。
去り際、立ち尽くす僕に視線を向けたが、悲しそうに目を伏せ、何も言わずに去っていった。かける言葉がないのだろう。
公園に残された僕は、その場にしばらく立ち尽くし、我に返ったようにベンチに置きっぱなしにしてあったブレザーを手に取った。
「……いいの?」
優菜が傍に寄り、僕にそう問いかけて来る。
何が、とは言わない。わかり切っていることだ。
「仕方ないよ。僕が全部悪いんだ。湊があれだけ怒ってくれたのは寧ろ、僕のことを大事に思ってくれているからだ」
「でも──」
「しばらく、そっとしておこう。彼にも、心の整理をつける時間が必要だと思うからさ」
それを最後に、僕らも帰路につく。
静かだった世界が、完全に無音になったように感じた。
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