第24話 露見
帰り道。
少し寄り道をしていかないかという僕の提案に応じてくれた優菜と共にコンビニに立ち寄った僕らは、それぞれ暖かい飲み物を購入し、近くの公園へとやってきた。
夕暮れ時で誰もいない無人の公園のベンチに並んで腰を下ろした僕らは、飲み物を片手に沈黙を貫いていた。
近くの街灯には灯りが灯り、遠くで定時を告げる鐘の音が鳴り響いている。
酷く静かだった。
夕方になれば規則的に鳴いているはずの鳥の鳴き声すら聞こえず、時たま通りかかる車の音は数瞬で消える。近くに流れる川の水量は減少していて、ほとんど聞こえないことも、静かな要因の一つだろう。
音がないため、何処か空気も重苦しい。
決して明るいとは言えない雰囲気の中、ホットコーヒーを口に含む僕に、優菜は意を決したように問い尋ねた。
「今までになかった症状が、出てるの?」
「……」
温度の感じない両手で熱いコーヒーの入ったペットボトルをぎゅっと握りしめ、僕は「どうなんだろう」と返す。
「プラスチック症候群が直接的に関係しているわけではないと思うんだ。でも、全く関係していないわけじゃない」
「それは、つまり?」
いまいち全容が理解できない優菜。
直接的ではないが、間接的には関係しているということを言いたいのだろう。だが、どうも思考が回っていないように思える。
風邪を引いている時に頭が上手く働かない時と、同じような状態なのかもしれない。
「……君とローウェイに行った日。自分の中での焦りを自覚してから、急に意識するようになってしまったんだ。自分の命が終わるまでの日数を」
「それは、前から言っていたことじゃ──」
優菜には僕が何処か、焦っているように見えていた。
自分では意識がなかったのだろうけど、それはいつも傍にいる彼女ならば容易に気が付くことができる変化。いや、優菜だけではない。幼馴染である湊と花蓮も、恐らく気が付いていただろう。
自分の変化は、自分よりも他人の方がよく気が付く。
「以前よりも、だよ。気が付けば、残りの日数を数えてしまっている。死への恐怖が、大きくなってしまったんだろうね。死ぬのが怖くて、時間が過ぎ去るのが怖くて、もう三日も眠っていないんだ」
「三日!?」
優菜が驚きの声を上げる。
僕はロープウェイに行く前から死を意識し、気づかぬ間に時間が過ぎ去る──睡眠をとることを恐れて眠れなくなっていた。
人間は寝なければ体調を崩す生き物。いや、人間だけではない。生物にとって睡眠とは生きていく上で必要不可欠な行為である。
それだけ重要な睡眠がとれなくなってしまえば、自ずと疲労も蓄積し、容体も悪化することだろう。
けれど、それでも以前は一日に二~三時間は眠ることができた。
一睡も眠ることができていないなんてことは、なかったのだ。今まで以上に色濃い隈や、やつれてしまった表情はそれが原因だろう。
なるほど確かに、間接的にはプラスチック症候群が原因と言える。
「……」
優菜は何かを言おうと口を開きかけ、沈黙した。
かける言葉がないのだ。
四月の時点では、優菜も死を目前にした状態でいた。あと一歩、自ら踏み出せば屋上から落下し、この世界から消えてしまえる状態に。
僕も今、同じ死を目前にしている。
決定的に違うのは、優菜はその一歩を自分の意思で決めることができた。死ぬか生きるかの選択肢が、目前にした尚あった。
そして彼女は、僕の言葉を受けて、踏み出しかけた足を引くことができたのだ。
けれど、僕にはその選択はできない。死という選択肢しか残されていないから。
死を目前にした今、その時が来れば強制的に一歩が踏み出される。無慈悲な死を、迎えることになるのだ。
助けてくれる人は、いない。僕を助けられる人は、いないのだ。
その心情は、当人にしかわからない。
「どうして、だろうね」
ペットボトルを横に置き、僕は左手の手袋を外した。
自身を蝕む病気を体現している透明な左手を眼前に翳し、恨むような瞳で見つめた。
「どうして、僕はこんな目に遭っているんだろう。家族も失くして、僕自身も死ぬことになるなんて……」
「……」
「日に日に大きくなる恐怖心に、僕はどうやって耐えればいいんだろう」
感情を押さえるように、僕は両手をグッと握りしめる。
優菜は手を震わせる僕に何も声をかけることができない。
当初彼女は、僕のことを強い人間だと言った。
悲惨な過去があっても、前を向いて生きている僕が眩しい者に見えていた。
その時の僕は彼女の言葉を否定し、自分のことを弱い人間だと言った。
辛いことを受け止めるのではなく、何かに縋って目を逸らし続けているだけ。
その証拠に今、こうして目を逸らすことができなくなった時、心が壊れそうになっている。
弱り切った僕を見て、優菜は初めて理解した。
約束された死は、身体ではなく、心から先に死んでいくものなのだと。
「……逆の立場に、なったね」
「ぇ?」
優菜が不意に呟いた一言に、僕は顔を上げて彼女の方を見た。
逆とはどういうことだ?そんな疑問を表情に浮かべる。
「出会った当初は、心の憔悴しきった私を春斗が慰めてくれたでしょ?話を聞いてくれて、心を軽くしてくれて」
「そう、だったかな。あんまり大したことはしていないと思うけど」
「晴斗にとってはそうでも、私にとっては心に響くことだったんだ。心の中に溜まった鬱憤を春斗が受け止めてくれて、吐き出させてくれて、助かった。死ぬことを思い留まることができた」
あの日、屋上で出会った時から今日までを思い出す。
死んでいた心を蘇らせてくれた。
絶望から救い出してくれた。
沢山の生きる希望を見せてくれた。
忘れることのないであろう日々が、優菜の脳裏に浮かび上がる。
今度は自分が悩める彼を助ける番。
そんな思いが強くなるが、それは叶わない。
「私にできるのは、春斗の辛い心を少しでも軽くすることくらい。傍にいて、話を聞いて、器に入った辛いって気持ちを少なくすることくらい。ごめんね。今度は私が恩返しをする番なのに」
「……何だか、別人みたいだね」
出会った当初とはまるで違うと、僕は苦笑する。
あの時はトラウマが脳裏にこべりつき、心に皹が入っていたというのに。
今では、心の傷を修復して、僕を励ますくらいになっていた。
優菜に自覚はない。それは、きょとんとしている表情からよくわかる。
自分の変化に気が付かないというのは、優菜も例外ではなかった。
「あの時、屋上で表情の死んでいた顔をしていた人と同一人物とは、思えないくらいだ」
「こうしてくれたのは、春斗だよ」
「大袈裟な……所詮、僕の自己満足だよ。でも、それを肯定してくれるなら……素直にありがとうって言いたいな」
僕の我儘に付き合ってくれてありがとう。
そう言った僕に、優菜は何を返すでもなく立ち上がった。
時刻は既に六時過ぎ。星が空に輝き始めているため、気が付けば周囲は更に暗くなっていた。
「今日は、眠らないとな」
そう呟き、優菜に続いて立ち上がろうとした──その時。
「晴斗」
僕を呼んだ声は、優菜のものではない。彼女は今「ぁ」と小さな声を漏らしているだけだから。
この声は、昔から聞き馴染んだ、僕の友人の声だ。
それが誰なのか瞬時に理解する。
表情が強張った僕は、ゆっくりと正面に顔を上げた。
そこに立っていたのは──。
「湊、花蓮」
幼馴染である二人が、ベンチに座る僕を見て、目を見開いている。
その視線が注がれている先は──手袋の着けていない、透明な僕の左手だった。
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