第26話 出現

僕の病気と余命が露見してから、僕と湊の間には何か亀裂が入ってしまったように思えた。

教室で顔を合わせても軽く挨拶をする程度で終わり、それ以降は全く会話もない。

それどころか、僕らは互いに顔を合わせることもせず、かなり気まずい空気になってしまっている。


こっそり花蓮が「拗ねているだけだよ」と言ってくれたが、どうにもそれだけではないように見える。

やはり、突然過ぎたのだろう。

いきなり幼馴染に余命を告げられ、心の整理もつかずに半ば喧嘩のようなこともしてしまった。僕は一切言い返していないけれど、互いにしこりが残ってしまったのは事実。

一日の授業が終われば、二人揃って逃げるように部室へと向かってしまうから、話し合うこともない。


互いに、その話に触れる勇気が持てずにいるのだ。


そんな気まずい時間は二ヵ月以上に渡って続き……年が明けてから日も経った二月。

僕は、もう学校には行けなくなっていた。



病院の診察室にて。

佐伯先生が僕のカルテが記されたデータをパソコンで見ながら、神妙な面持ちで告げた。


「侵食率八十七%。顔はまだ変化が乏しいが、身体の大部分は既にプラスチックになっている。しかも、その内の五十%が透明化。この分なら、当初の予定通りの日付に、君は亡くなるだろうね」

「そう、ですか」


つまり、三月二十九日が僕の命が終わる日。

これは一年程前から言われていたことだし、その時は覚悟をしていた。佐伯先生の前でも、強気で笑っていた。

でも今は……。

消沈した僕を見て、佐伯先生は心配そうに言う。


「体調に変化はあるかい?吐き気とか、発熱とか」

「体力は大分落ちましたね。階段の上り下りをするだけで動悸が凄くて、息が苦しくなります」

「体力の低下……と。それは、何時頃から?」

「えっと、十一月の中旬……丁度、胴体が透明化してきたくらいです、かね。ゆったり走っていただけなのに、凄く息が上がって」

「ふぅむ。プラスチック症候群との関係性はありそうだな。一応、それも症状に加えておくか」

「あの、何を?」


佐伯先生が何かを呟きながらパソコンに打ち込んでいるので尋ねる。と、彼は「すまないね」と謝り、説明した。


「君は世界でも稀有なプラスチック症候群の発症者だ。できる限り症状のデータを取っておきたくてね。今後、同じ病気を発症した人の役に立つために」

「はぁ」

「それに、君自身の健康状態管理のためでもある。今の君を見れば、どんな精神状態にあるのかはパッと見るだけで判断できるからね」


見た目だけで判断できる。

それは……確かにそうだ。今の僕を見て、健康的だと判断できる人はいないだろう。身も心も。


「本来残りの余命何て、本人に言うべきではないのかもしれないがね。今の君のように、恐怖心に晒され続けてしまう」

「……、そうですね。確かに、怖がってます」

「顔色を見ればわかるよ。怖くて、眠れないんだねぇ」


死までおよそ、二ヵ月もない。

日に日に近づく死へのカウントダウン。透明になっている部分が増える肉体。

増していく死への恐怖心は、極限まで睡眠時間を削ることに繋がっていた。


「どれくらい寝てる?」

「えっと……三日に一回、三時間とかですかね」

「ほとんど寝てないようなものだね。それだと……。自分の顔は毎日見てる?」

「あっと……見てるはずですけど、目に入らないですね」


僕が言うと、佐伯先生は手鏡を僕に向けた。

端的に言って、僕の顔は以前と比べて凄まじく不健康そのもの。

色濃いなんてものではない隈と血色の悪い顔の肌。その顔ですら、右頬までが半透明に変色している。

そして何より……ストレスによるものか、プラスチック化の副作用によるものなのかはわからないけれど、僕の髪は真っ白に変わってしまった。


おかげで、外を出歩くだけでかなり目立ってしまっている。


「顔の侵食は、あまり進んでいないみたいですね」

「前例を確認してみたけれど、大半はそうらしいよ。顔はあまりプラスチック化が進まず、最期の時になると、一気に変色して砕け散ると」

「なるほど。それは、ありがたいですね」

「そうかもしれない。そして……春斗君は今後どうしたい?」


問われ、僕は問い返す。


「どうしたい、っていうのは?」

「もう学校にも行っていないんだろう?外に出歩こうにも、その身体。周囲の好奇な視線は免れない。だったら、入院して最期の時を迎えるのも、なしではないんじゃないかな」

「……そう、ですね」


確かに、それが賢明だろう。

今の僕は街を歩けばそれだけで目立ってしまう。白い髪に、顔の四分の一程度が半透明になっている。

買い物に行くにも、一苦労だ。

それなら人との接触も少なく、医療設備も充実している病院で入院する方が余程いい選択と言える。


でも、僕は頷くことができない。

まだ、病院の外でやらなければいけないことが、あるから。


「やめておきます」

「ん?まだ、何かやることがあるのかい?」

「はい。絶対に、やり残してはいけないことがあるんです」

「…………そうか」


うんうんと頷いた佐伯先生は、僕のカルテに何かを打ち込んだ。


「わかったよ。入院は当初の予定通り死期の二週間前。君はそれまでに、やり残したことを終わらせてきなさい。やり残したら、もう二度とやり直しはきかないからね」

「はい。必ず」


頷き、僕は診察室を後にする。

このままでは、終われない。絶対にこの蟠りを解消しないと、死んでも死にきれない。

病院を出た僕は覚悟を決めたように大きく深呼吸をし、ポケットにしまっていた携帯に手を伸ばして空を見上げた──その時。


「あ──」


小さく呟きを漏らし、掴んでいた携帯を離す。

手帳型ケースに保護されていたそれは幸い割れることがなかったようだが、そんなことを気にする素振りも見せずに、僕は空を注視する。夕暮れ時、茜色に染まっていた西側の空を。


そこには、一筋の尾を引いた彗星が浮かんでいた。


沈み行く太陽に向かって突撃するかの如く流れるそれは、肉眼で見れば空に停滞しているように見える。しかし、実際には軌道上をとてつもない速度で進んでいる。

神秘的なそれは、今後約二ヵ月に渡って地球から肉眼で観測できるという。


名は──エペルト彗星。


五千年に一度の周期で地球へと舞い戻るその神秘の天体は、死に行く僕を見送るように、再びこの星に戻ってきてくれた。


人生で初めて見る彗星だが、不思議と僕は歓喜することもなく、ただジッとその場に立ち尽くして見上げている。

冷静に、ただ一言。


「凄いな……」


僕らしくないそんな言葉だけを呟き、「よし」と自分を鼓舞するように言い、僕は落ちた携帯を拾い上げた。

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