第27話 覚悟

エペルト彗星が出現した翌日の夕暮れ。

既に生徒たちが各々の部活に行き、校舎の中の人が少なくなった頃、僕は久しぶりに学校へと足を運んでいた。

途中ですれ違った生徒や先生は、僕のことを見るなりびっくりしていたけれど、その反応ももう体験することはないだろう。

小林先生には、既に挨拶は済ませた。

いい歳なのに、僕の姿を見てお別れの挨拶をすると、目元を覆い涙声で「悪いな。何にもしてやれなくて」とだけ。


そんなことはない。僕も含め、多くの生徒たちが先生に懐き、色々と世話を焼いてもらったものだ。何もしていないなんてとんでもない。寧ろ、先生のような人が担任でよかった。

と告げると、本格的に泣き出してしまったのは余談である。その姿はバッチリと録画させていただいた。


校舎の中は何処もかしこも懐かしい場所ばかりで、無人の教室に入って、自分の机に座り授業を受けた日々のことを思い出したりした。

少し小汚い廊下も、夕陽に照らされた教室も、蛍光灯の明滅する階段も、今では全て懐かしく思える。本当は卒業まで一年以上あるはずなのに、僕はもうこの光景を見ることはないのだ。

格好つけかもしれないけど、僕の机の上には一枚の手紙を残してきた。

内容はただ一言、「クラスの皆、一年間ありがとう」とだけ書かれている。

それ以外に残す言葉はない。あるのは、楽しい学校生活を送らせてくれた友人達への感謝だけ。

今日は金曜日なので、それを見るのは週明けになるだろうけど。


校舎の中を一通り見て回った後、僕は屋上に続く階段を上った。

すっかりと衰えてしまった足で、一段一段ゆっくりと踏みしめて上る。

この階段を楽に上っていた頃もあったんだなぁ。なんて呟いたりして。


「……なんだ、いるじゃないか」


屋上の扉を開け、部室に灯りが灯っていることを確認した僕はそんなことを一人呟き、部室の扉を手にして開けた。


「──」


紅茶をティーカップに注いでいた唯一の部員は、僕の姿を認めると同時にこちらに駆け寄ってきた。携帯もソファの上に放り出して。


「晴斗!」

「やぁ、優菜。久しぶりだね」


有体言って全く元気のない僕の片手を掴んだ彼女は、その手をぎゅっと握りしめた。


「もう、来ないかと思ったよ」

「流石に最後くらいは、顔を出すよ。それに、あんなに大きくて綺麗な彗星が出現したのに部室に来ないのは、天文学部の部長失格じゃないかな?」


いつもの調子で言う僕に優菜は笑って、ソファに座らせた。

すぐにもう一つのティーカップを取り出し、紅茶を淹れる。僕が教えた淹れ方で淹れた、美味しい物だ。


「はい」

「ありがとう。久しぶりに見たけど、変わってないね。まぁ、一ヵ月程度だから、そんなものだろうけど」

「そうだね。でも、春斗は凄く変わったね」


優菜は悲痛そうな表情だ。

確かに、僕の見た目は一ヵ月程で大きく変わった。

髪は完全に白くなったし、顔も右半分ほどがプラスチック化によって半透明になっている。変わらないのは両手につけた手袋と、瞳の色くらいだろう。

それも、近い将来変化するのだけれど。


「その時まで、もう二ヵ月もないからね。仕方ないさ」

「……まだ、眠れてない?」

「昨日は、主治医の先生から強い睡眠薬を処方してもらったから、結構眠れたよ」

「そう、よかった」


会話が途切れた。

優菜は紅茶に口をつける僕を見据え、何かを言おうとする。

とても言いづらそうにしているのはわかる。そして、それが一体どんなことなのかも、おおよそ予想はつけることができる。

僕らの中で言い出しにくい話題と言えば、実質一つしかない。


「……湊のことかい?」

「──ッ」


わかりやすい程に動揺を顕わにした優菜は、ゆっくりと頷いた。


「う、うん。あれから、どうなったのかなって、思って」

「話せてない。やっぱり、お互いに意固地になっているというか、どうしてもあの時のことを会話にする勇気がないんだ。全面的に悪いのは僕なんだけど、やっぱり……躊躇っちゃうんだ」


優菜の顔には焦りが見える。

このまま、蟠りを残したまま僕が死んでしまったら。湊は百%そのことを生涯引き摺り続けるだろう。

そして、後悔の念に押しつぶされるに決まってる。

どうしてあの時話をしておかなかったんだ。どうして自分は意固地になっていたんだ。どうして自分は……勇気を出すことができなかったんだ。

今、何とか二人の蟠りを解かなければ、湊は一生自分を責め続けるだろう。

友達思いの彼は、きっと必要以上に抱え込んでしまう。


僕よりも付き合いは浅いとはいえ、優菜も彼のことを知っている身だ。

そういうことは容易に想像できる。

優菜がそんな心配を胸に抱きつつ、神妙な表情で僕を見つめる。

僕は彼女に言った。


「だけど、もう、逃げない」


ティーカップを置いた僕は、彗星の見える窓に視線を移した。


「このままの状態で死ぬわけにはいかない。後悔を残したくないって言っておきながら、最後の最後で大きな後悔を作ってしまったんだ。これを解決せずに、僕は死ねないよ」

「……もう、覚悟はできてるんだね」

「迷ってる時間は、もうないんだ。それに、一ヵ月以上もうじうじ悩んでいたわけだし……そんな時間を過ごすのは、もう十分だ」

「そうだね。あと少ししか、時間は残されていないんだもんね」

「うん。あのエペルト彗星も、僕をしっかりと送り出すだめにやってきたんだって考えると、しっかりしなきゃって思うんだ」


西の空に輝く彗星は勿論、そんなことはないだろう。

だけど、運命的に考えるのも、この時ばかりはいいはずだ。死を間近に控えた僕の前に、こうして現れてくれたのだから。

全ての事象は偶然と偶然の組み合わせ。それは全て、運命と言えるだろう。

僕が湊や花蓮、優菜と出会ったことも、全て運命、奇跡だ。


「それに、エペルト大流星雨は、心にしこりも何もない、スッキリとした状態で見たいからね」

「……そのためにも、早く仲直りしないとね」

「仲直りというか、話し合いかな?喧嘩してるわけじゃないからさ」

「似たようなものだよ。春斗が素直に容体を話さないから、こうなったわけだし」

「そうだね。そこは、反省してるよ」

「なら、よし。いつ話すの?」


何となしに聞いてきた優菜に、僕は頬を掻いて事後報告。


「それなんだけど、実はもうメールを送っちゃっててさ」

「あ、そうなんだ」

「で、申し訳ないんだけど──」


僕が手を合わせて優菜にとあるお願いをすると、彼女は数回の瞬きをした後、笑顔で「しょうがないなぁ。いいよ」と、引き受けてくれた。



そして、翌日。

とある駅に降りたった僕は改札を抜け、駅の入り口を目指した。

今日は気温が氷点下まで下がるほどに低く、曇天の空から雪が降り注いでいた。

電車が運休になるほどの積雪ではないが、それでも足元には少しばかりの積雪が見られる。きっと、今日の夜にはそれなりに積もることだろう。


白い息を吐きながら目的の場所に辿りつき、周囲を見回す。

と、既に先に到着していた人物が携帯を弄りながら人を待っていた。紺色のコートを着込んだ彼は、何処か緊張したように深い息を吐いている。

息が白いので、よくわかった。


一度立ち止まった僕は、気合を入れるように頬を一度叩き、意を決して彼に近づき声をかけた。


「早いね、湊」

「っ!……春斗か。別に、そうでもないだろ」


約束をしていた相手──湊は、僕を見るなりぶっきら棒にそう言い、手袋の着けられていない僕の両手を見て、痛ましそうに目を逸らした。

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