第28話 互いの気持ち。そして──
駅のバスターミナルからバスに乗り込み、十数分程揺られ、僕らはとある場所に降り立った。
バスの中では終始無言だったけれど、外に出た時は思わず会話をしてしまうくらいの寒さ。
「凄いな、雪が……」
「この景観が、冬の目玉でもあるからね」
はぁ、っと白い息を吐き、首元のマフラーを口元で上げながら、湊は上を見上げた。
眼前に見えるのは、どこまでも続く大きな街路樹。
雪化粧に染まったそれらは曇天の空の元、白銀の世界に雄々しく立ち聳えている。
地面には
流石に道路上は除雪されているのだが、その端にはかなりの雪が積もっている。道路には車は一切通っていないため、新雪の上には何の跡もつけられていない。綺麗な状態だ。
メタセコイア並木。
滋賀県有数の観光名所であるここは、約五百本のメタセコイアと直線の道路が作りだす絶景。ここは紅葉の名所でもあるのだけれど、残念ながら僕は見ることがない。
「紅葉シーズンだと、もっと沢山の人がいるんだけど……流石に今日は少ないね」
「別に連休ってわけでもないし、これくらいが普通だろ……。少し、歩くか」
「そうだね」
僕らは並んで、道路に書かれた白線の外側──木の根元を歩く。
新雪を踏み鳴らすギュッという音が、何とも新鮮味を帯びていた。
「そういえば、花蓮からは二人で話せって言われたね」
「………あ、あぁ。一応俺も呼んだんだけど、「二人で話しておいで」って笑顔で言われてな。変な気を回された感じだ」
「ふぅん……。まぁ、わかってるよ。だから僕もあの子にお願いしたわけだし」
「あん?」
二人揃って、僕らは後ろをちらりと振り返る。
と、木の陰で何やら人影がこそこそと動くのが見えた。
見覚えのある、見知った影。
それを見て、湊はガリガリと後頭部を引っ掻き、溜息を吐いた。
「……ったく。お前に見透かされて、変にフォローされちまったか」
「花蓮は別に来ないとは言ってないからね。大方、遠くから聞いてるって言ったんじゃないかな?携帯の通話を繋がったままにして、持ってるんだろ?」
「正解だよ全く」
湊はポケットから取り出した携帯の画面を僕に見せると、そこにはバッチリ花蓮という名前が表示されていた。
「長年幼馴染をやってると、二人の行動パターンが何となくわかってくるんだよね。それに、二人で話しておいでって言っても、花蓮もその内容とかは気になると思うし。あの子が自分の気になることをそのまま放置するわけがない。しかもそれを、自分の目の届かないところで終わらせるはずもね」
「花蓮の性格を考えれば、すぐにわかることだったか。でもまぁ、分かったからと言って花蓮がこっちに参加することはない。あくまで、傍観者として内容を聞きたいってだけだからな。俺たちは二人、腹を割って話すだけだ」
立ち止まり、僕に真剣な視線を向けてきた湊に、僕は頷いた。
「そうだね。もう、嘘はなしだ」
◇
「あらら、流石は春斗君。私たちがやることなんて御見通しだったみたい」
そう言いつつ、通話の音声を私たちに聞こえる程度の大きさまでにした花蓮ちゃんは、次いで私の方を見た。
「それで、優菜ちゃんは春斗君に言われてここに来たの?」
「うん。そうだよ」
私は頷き、木の陰から二人を見る。向かいあった状態で、空から降る雪を頭に付着させて、話してる。
最後にできてしまった大きな蟠りを解消するために、彼らは互いに勇気を出して一歩を踏み出した。その光景を、しっかりと見届けないといけない。
大丈夫、私は君のことを見てるよ、春斗。
「私が春斗にお願いされたのは二つだよ。一つは、”僕一人だと、踏み出した一歩を引いてしまうかもしれないから、しっかりと見ていてほしい”ってこと。そしてもう一つは、”花蓮が一人だと、泣いてしまうかもしれないから、傍にいてあげてほしい”っていうこと」
「……そうなんだ」
フッと笑った花蓮ちゃんは、携帯の画面に視線を戻した。
「優しいなぁ、春斗君。湊がいなかったら、好きになっちゃってたかも」
「如月君には敵わないんでしょう?」
「好きになっちゃったから、当然ね。それに、彼には君がいるもんね」
「え?」
何を言われているのかわからず呆然としてしまうと、花蓮ちゃんは笑って、「なんでもない」と誤魔化した。
この時の言葉の意味は、今はまだ、わからなかった。
◇
「なぁ春斗。俺たちはそんなに信用無かったか?」
絞り出した湊の口調は、何処か悲しそうだった。
親友だと思っていた僕に裏切られ、ショックを隠せないでいるのがわかる。
それに対して、僕は首を横に振った。
「そんなわけないだろ」
「だったら──ッ、いや、いい。俺たちに気疲れがないようにしたいからって、前聞いたもんな」
あくまで冷静に。
少なくとも、今はまだ感情を出して言うべきときじゃない。と、湊は平静を保って続けた。
「でも、それでも、俺は嘘を吐かれ続けて、騙され続けたことを良くは思ってない。正直、腹が立ってるのは認める」
「うん。それは僕が全面的に悪いから──」
「でも、嘘を吐かれたこと自体が嫌なんじゃない」
僕の言葉を遮って、湊は言った。
「俺が腹を立ててるのは、俺たちじゃ、お前の不安とか悩みとか、そういう大変なことを共有できないって思われてるってことだ」
想定外のことを言われて唖然としている僕は何も返すことができなかった。
僕自身には、そんなこと思っていたという自覚はない。
だけど、湊からすれば、隠し事をしていた=悩みを分かち合うに値しないということになるらしい。
正しいとは言えないが、間違っているとも言えない考え方だ。
「俺たち、何年の付き合いだ?もう大分長いじゃねぇか」
「うん、もう十年以上になるね」
「だったら相談してこいよ!どうしてお前は付き合いの長い俺らじゃなくて、まだ出会って間もない星巻さんを頼ったんだ?出会って間もない人になら、自分の不安とか悩みを押し付けても問題ないって考えたのか?」
「そんなこと──」
「思ってなくても、俺たちからすればそういう風に見えるんだ!お前の大変な病気のこととか、相談するならまず俺たちだろ!変に気ぃ遣ってんじゃねぇよ!親友だと思ってたのは、俺だけかよッ!」
湊は下唇を噛み、激情を抑える。拳が震えているのは、かなりヒートアップしてしまった証拠だろう。
対して僕は、黙り込んだままだ。
聞こえる僕の息を呑む小さな声は、冷水を浴びせられてように、心の中を渦巻く感情をコントロールしようと必死になっていることを教える。
言葉を発しない僕に、湊は畳みかけるように告げる。
「お前が星巻さんを部活に誘った理由は、俺も聞いた。彼女が前の学校で受けていたことも、その傷を埋めるためにお前が彼女の傍にいたこともな」
「……」
「あの時は、お前がお袋さんに受けた教えを守ってるんだなって思ったさ。誰かを助けられる人間になれって言葉、忠実に守ってる良い奴だって」
「違う」
「そうだ、違ったんだ。お前は自分自身と向き合うことができなかっただけだ。そこに偶々自分と同じように悩みを抱えた星巻さんが現れて、都合がいいとばかりに縋った。誰にも話せなかったことを話して、少しでも気分が楽になるように」
その言葉に、僕は言い返すことができなかった。
特に、縋るという言葉は、優菜に対して何度も使って来た。
僕は弱い人間なんだ。辛いことから目を逸らして、何か別のものに縋ってきただけ。
その通りだった。僕が今回病気から目を逸らして縋ったのが、優菜だった。
「昔から、お前は強がりなんだよ。辛い時に全然素振りも見せなくて、一人で抱え込もうとするくせに、それができないから目を逸らすだけ。
辛い時に我慢することは強さじゃない。弱さだ。自分にも自分を見せられないことを強いだなんて思うなよ」
「……うん。僕は、弱い人間だね」
「弱いことを自覚してるなら、人を頼る強さを身に着けろッ!元々人間なんて一人じゃ生きていけねぇもんだ。お前が悩んでるなら、仲間の俺たちが一緒に悩んでやる。根本的な解決にはならないかもしれないが、それでも気分は幾分が楽だろ」
「うん」
「俺は昔から、春斗のそういうところが気に喰わなかった……いや、これだけじゃないな。もう、こうして話せるのも少ししかないんだ。この際、全部言わせてもらう」
湊はそう前置きし、首に巻いていたマフラーを取り、雪の上に放り投げた。
何をするのだろうか?と首を傾げていると、湊は深呼吸をした後、耳が痛くなるほど大きな声で叫んだ。
「お前の辛い癖して無駄に強がってみせるところが嫌いだったッ!!!!!
悩み事を俺たちに共有しないで、一人で解決しようとするところもッ!!!
……俺たちに迷惑をかけないように、無駄に気を遣うところもッ!!!嫌いだったんだよッ!!」
叫び声は、銀世界に響く。
何事かとこちらを見ている、少ない観光客もいる。
だけど湊は声を張り上げ、僕に訴える。僕もそれを止めない。周囲の視線も、まるで意に返さないように湊だけを見据えていた。
この声は当然、優奈と花蓮にも聞こえている。通話越しではなく、肉声で聞こえているだろう。
そして次第にその声には、怒り以外の感情が混じり始めた。
「なんで俺たちに教えてくれなかったんだよッ!!!発症してすぐに言ってくれれば、もっと、お前と思い出づくりだってできたのにッ!!!やり残したことなんて、数えきれないくらいあるぞッ!!!もっとたくさん遊びに行きたかったし、色んなところにも行きたかったッ!!!悔いを残すなっていう方が無理な話だッ!!!
そんな身体になって、辛くないわけないだろッ!!!一番長い付き合いの俺にくらい信じて話せよッ!!!辛かったら泣けよッ!!!愚痴を零せよッ!!!我慢なんてみっともないことしてんじゃねぇッ!!!
十年以上の付き合いなんだから……理屈がなくても、信じろよッ!!!親友じゃねぇのかッ!!!!!!!!!!」
叫ぶ湊は、零れる涙を白雪の上に零しながら、それでも声を上げることをやめない。その声音に、涙が混じったとしても、やめなかった。止められなかった。喉が潰れるくらいに、叫んでいるのに。
湊が手にしていた携帯からは、堪えきれない嗚咽の声が聞こえた。
花蓮のものだろう。やはり、一人にしなくてよかった。
「……めん」
絞り出した僕の声は、掠れていた。
湊と同じく涙が流れているからだろう。
ポタポタと止め処なく流れる涙は頬を伝い、透明な広げていた透明な掌に落ちる。
僕はぐっとその手を握り、涙を拭うことなく叫び返した。
「ごめんッ!!!!!!」
この声もまた、銀世界の道に響き渡る。
そして──僕の中にあった、彼らに病気のことを伝えなかった、本当の理由を、叫んだ。
「君たちを不安にさせないようにってことだけじゃないッ!!!
僕は、怖かったんだッ!!!
僕の変わり果てた身体を見た君たちが、僕から離れて行ってしまったらって、そんな考えが頭に浮かぶたびに、話すことが出来なくなっていったッ!!!
君たちがそんなことをするはずがないのにッ!!!僕の親友は、そんなに薄情な人間じゃないって、わかってたはずなのにッ!!!」
それは、一番の親友を信じ切れていなかった証拠に他ならない。
その事実を自覚した僕は、酷い後悔に押し潰されそうになった。
けれど、過ぎ去った時間は戻らない。今の僕にできることは、信じ切ることができなかった湊と花蓮への謝罪を叫び、心の内を吐き出すことだけだった。
「僕は弱い人間だッ!!!一番の親友のことも信じ切れず、ただ迫る死に怯えていただけの小さな人間だッ!!!目を逸らして、他に縋って、肝心なことから遠ざかるッ!!!僕は、君の親友失格だッ!!!」
ぐっと、力強く握った両手から、甲高い音が響いた。
少し視線をずらすと、僕の透明な左手には大きな亀裂が入っていた。
しかし、構うものか。と、僕は更に力強く握りしめた。
「僕はもう死ぬッ!!!湊、君と直接会って話すのも、これが最後になるかもしれないッ!!!僕は君との最後の会話を、謝罪で終わらせる気はないんだッ!!!だから、これだけ、聞かせてほしいッ!!」
バキっと、更に大きな亀裂が入る音がした。
力が入らなくなった左腕をだらりと下げ、同時に、少し自信なさげに声量を下げ、湊に問うた。
「こんな嘘つきで、みっともなくて弱い僕を、まだ、親友と呼んでくれるかな……」
乱暴に涙を拭った湊は、僕に近づき、僕の両肩を力強く掴み、叫んだ。
「当たり前だろうがッ!!!今も昔も、お前が死んでもッ!!!俺の親友はお前しかいねぇよッ!!!馬鹿野郎ッ!!!!!!!」
答えを聞いた僕は右手で顔を覆い、流れる涙を止めようと目頭を押さえる。
しかし、僕の意思とは反対に、涙は止まらない。
決壊したダム、と表現するのは些か大袈裟な気がするが、少なくとも僕がここまで涙を流した記憶はない。
「ごめん……ありがとう」
「もう謝るなよ、済んだことだ。……はは、締まらないな。お互い泣き腫らした別れなんて」
泣き腫らした顔でそう言った湊。
別れに涙はつきものだが、柄に合わないと言いたいのだろう。
「でも、僕ららしいよ」
「かもな」
僕らは頷き合い、雪を枝に積もらせたメタセコイアの木を見上げる。
蟠りの消えた僕ら二人に、どこまでも続く直線道路がどう見えていたのか。
いや、きっと、美しく見えていたのだろう。
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