第14話 約束

その日の放課後。

エアコンが絶賛稼働中である部室で僕は優菜と一緒になって携帯を弄っていた。

今宵は七夕だというのに空は生憎の曇天。古来より親しまれてきた織姫と彦星が再会するはずの日であるが、近年七月七日は雨天であることが多い。

この状態では、天の川も今頃は上流から押し寄せる濁流で大洪水に見舞われているかもしれない。宇宙に地球の天気は全く関係ないのだけれど。

唯一の活動内容である天体観測ができないため、僕らは現代人らしく携帯の画面を眺めているわけである。


「……やることないなぁ」


既に冷めきった紅茶を一啜りし、僕は携帯の画面を暗くする。

とにかく、やることがない。

僕にとって携帯は友人との連絡手段、天体ショーの期日確認、そして天気予報を確認する程度機能しか有用性がない。

最近話題のアプリゲームも、web上に上がっている動画も面白いと思えないので、ほとんどやることがないのだ。充電も一週間に一、二回するかどうか。


となると……必然的にやることは読書に限られてくる。

部室に置かれた本棚の上に置かれたミステリー小説を手に取り、栞が挟まれた箇所を開く。

本棚に置かれている本はほとんどが僕の読みかけ本。

大抵が天体観測の合間に読んでいたものを途中のまま放置していたもので、既に内容を忘れているものもある。今手にしたものは、辛うじて内容を憶えているものである。


「……読みにくいな」


手袋をしていると頁が捲りにくい。

授業中はクラスメイトの眼もあるので我慢をしていたけれど、ここには事情を知る優菜しかいないので、別段我慢をする必要もないだろう。誰か来てもいいように、ドアは内側から鍵をかけてある。

うっかり見られる、なんてこともない。

左手の手袋、そしてアームカバーを外し、再び小説を手に取った。

と──。


「え?」


対面のソファで携帯を弄っていた優菜が携帯をソファの上に落とし、硬直した。

その視線は、僕の左腕に注がれている。


「?どうかした?」

「晴斗、その腕……」

「え?あぁ、そういえば、しばらく見てなかったか」


完全にプラスチック化が進んだ左腕を右手で摩り、見せる。

やはり体温は失われており、部屋の気温をエアコンで下げているため、冷たい。

透明化には達していないが、他人からみればそれは十分に人間のそれとは言えない代物に成り果てている。


優菜は携帯を拾うことなく僕の隣に座り、左腕をペタペタと触った。


「……いつから、ここまで進んでいたの?」

「左腕が完全に侵食されたのは二日前くらいかな。優菜に僕の容体を見せた時は、まだ左手だけだったから、かなりの侵食率だろうね」

「……うん。一度目と二度目で、凄く変わったね」


左手だけかと思ったら、二度目に見た時には左腕全て。

この変わりようは、驚愕に値する。それと共に、今まで僕が病気であることを思いださせる。

手袋を装着し、普段通りに過ごしていれば僕は完全な健康体のように見えるのだ。その裏、余命が迫っている程の大病を患っているとは、思わない程に。

忘れてしまうのも無理はない。


「相変わらず、生活に支障はないの?」

「これといってないかな。強いて言うなら、アームカバーを嵌めるのが面倒くさいくらいだけど、プラスチック化した箇所からは発汗しないから蒸れることもない。本当に、死んでいる機能が多いのに、どうして動かせるんだろうね」


この病気の最大の謎とされている症状だ。

人間の身体を構成している細胞そのものがプラスチック化してしまっているのに、神経そのものは死なず、動かすことができる。力を込めることもできる。どうしてそのようなことになるのかは、新種の病気故に解明されていない。

そもそもこの病気自体発症例が少なすぎるため、研究が進んでいないのだ。


「全身がプラスチックになるのも、そう遠くないってこと、だよね?」

「どんな風になるのかはわからないよ。全身が半透明になるとも限らないらしいし。ある患者は、死の瞬間に突然全身が透明に変化して死んでいったそうだ。僕もそうなる可能性は十分にある。というか、寧ろそっちの方がいいかもね。顔が半透明になったまましばらく生きてるなんて嫌だし」


完全にホラーの領域だ。

その状態で透明化までしてしまったら、本当に透明人間になってしまう。透明になる時は、死ぬ時なのだけれど。


「時間はないから、生きている内にやれることは全部やっておこうってことだよ。今回のテストだって、楽しむ感覚で受けたしね。一度くらい学年で一桁の順位を取ってみたかったし」

「テスト勉強の時、凄い集中してたもんね……」


優菜はこの部室で一緒に勉強していた時のことを思い出し、感心しながら頷く。

先ほど小林先生は幼馴染連中──つまり湊と花蓮の二人と一緒に勉強をしていたのだと思っていた。

けれど実際はその二人に加えて優菜という新しいメンバーを加えての勉強会を行っていたのだ。勿論、この部室で。

騒いでも音を立てても文句を言われないこの部室以上に最適な勉強環境はないだろう。本来は静かな場所で黙々やるのが正しいと言われているけれど、それでは集中力が持たず、結局休憩スペースに入り浸ってしまうことになりかねない。


適度に雑談を交えながら勉強をすることで、今回の結果が得られたのだから、あながち僕らの勉強方法も間違いではなかったということだ。


「結局何位だったの?機嫌良さそうだし、大分よかったんじゃない?」

「一応目標は達成できたかな」


リュックサックに入ったクリアファイルの中に入っていた成績表を手に取り、学年順位と書かれた部分を見せる。

そこに記されていた、七位という数字を。


「え、凄い!」

「念願ってわけでもなかったけど、やっぱり順位発表は緊張したかな。見た時は滅茶苦茶嬉しかったけど。優菜は何位だったんだ?」

「えっと……」


優菜も成績表を取り出し、数字を僕に見せる。


「二十一位。かなり上の方じゃん」

「そうかもしれないけど、春斗と比べたら全然だよ。やっぱり一桁の壁は厚いかな」

「まだテストはたくさんあるから、頑張っていればきっと取れるよ。まだ一学期の終わりだし……」


言いかけ、僕は訂正した。


「もう一学期も、終わりなんだなぁ」

「うん。あっという間だったね」


こうして終わりが近づいてみると、三ヵ月がかなり早く感じる。

一年の三分の一近くが終わったと考えれば長く思えるのに。

これからは夏本番で、しばらく学校に来なくなる。一ヵ月以上もある、長い夏休みが始まるのだ。


「優菜は、これまでの夏休み、どんな風に過ごしてた?」

「友達もいなかったから、ずっと家に籠っていたかな。自分の部屋に閉じこもって、人と会わなくても済む束の間の休息を謳歌してた」

「か、悲しいこと言わないでほしいな……。いやでも、そっか、今までは楽しいこともなかったのか……」


優菜はこの学校に来るまで凄惨ないじめを受けていた被害者だ。

当たり前だが、加害者となった生徒たちと遊ぶはずもなく、また見て見ぬふりをしていた者たちを信用できるはずもない。

必然的に一人になった彼女にとって、夏休みとは唯一いじめられない纏まった期間にしか感じていなかったのだろう。

楽しいこともなく、ただ寂しい時間を過ごすだけの。


「そう言う春斗は?どんな夏休みを過ごしているの?」

「家事をしてから、定期的に山に行って天体観測。後は喫茶店で本を読んでることが多いかな」

「無難……というより、一人で過ごすことが多い?」

「家族がいないから家のことは一人でやらないといけないし。それでも、学校ないから自由な時間はかなりあるよ」


やることがないよりはマシ、というところだろうか。

一ヵ月以上もやることがなく、暇な時間を過ごすというのは、拷問に近いだろう。

特に、趣味が少ない僕にとっては。


「元々人が多い場所に出かけるのが苦手だし、僕はこの過ごし方で満足しているよ」

「……今年も、それでいいの?」


ティーカップに伸ばした手を止め、僕は優菜の方を向いた。

彼女は心配そうに僕の眼を見据えて、続ける。


「今年は、貴方にとって最後の夏でしょ?それを、例年通りの無難な過ごし方で終わらせて、いいのかなって」

「僕としては構わないと思ってるけど。寧ろ、最後なんだから好きなことをしないと」

「私は勿体ないって、思っちゃう。今まで家に籠ってばかりだった私が言うべきことじゃないかもしれないけどさ」


優菜の言うことは理解できる。

最後だからこそ、最高に楽しくいい思い出を作る方がいいということだろう。

僕としては、最後だからこそ自分の好きな過ごし方をしたいと考えているのだけれども。


「とは言っても、どう過ごすかな……」

「他にやりたいこととかってないの?夏だからできること、みたいな」

「夏限定……」


透明なガラスの天井を見上げて腕を組み、僕は思考を走らせる。

目を閉じ、そのまましばらくした後、ニヤッと口元を曲げて優菜に言った。


「じゃあ、ちょっと協力してもらっていいかな?」


そう言った時、優菜はきょとんとしていたが、続けて内容を告げた後、彼女は動揺と羞恥に見舞われ、しばらくの間頭を抱えていた。


夏休み前の数日。

楽しみを抱えて長く感じる日々を乗りきり、生徒たちは夏休みに入っていく──。

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