三章 一瞬に散る花火の夏

第13話 蝕む病

夏本番、気温もどんどん上昇し、今年最高温度を記録した猛暑日の七月。

学期末のテストも終わり生徒たちが夏休みムードで残りの登校日を過ごしている時、僕は久方ぶりに小林先生から呼び出しを受けていた。

場所は通常の職員室……ではなく屋上、天文学部部室の隣だ。


通常昼休憩中とはいえ屋上が解放されることはないのだが、ここの鍵を持っているのは実は小林先生。聞かれるとまずいことを話すときは、大抵ここを使う。

そして今は、その聞かれるとまずい話をするのだろう。内容はお察しの通り。


小林先生は煙草を一本咥えて点火し、はぁっと一息ついてから話し始めた。


「雨宮、容体はどうだ?」

「見ての通り、普通に動けてます。体育は休んでますけど」

「そうじゃねぇ。見た目健康体なのは嫌でもわからぁ。そうじゃなくて、プラスチックの侵食はどの程度まで進んだかって聞いてんだ」


わざとらしく恍けた僕に笑いもせずに、淡々と言う小林先生。

もう少し冗談に付き合ってくださいよ、と小言を言いながらも僕は左手の腕全体を覆っていた黒いアームカバーを外す。

露わになった腕を見て、小林先生は思わず口から煙草を落とした。


「……しばらく見ない間に、随分と進んだな」

「まだ半透明何で、いい方です。それと見えませんが、右足先のプラスチック化も始まりました」

「……そうか」


余命を報告にしに行った時と同じように重苦しく言い、足元に落ちた煙草を靴裏で消化し、携帯灰皿の中に入れた。

僕の左腕は、ほぼ完全にプラスチック化が完了していた。日に日に範囲が広くなっていたのはわかっており、つい二、三日前に全てが変化してしまった。


先生も、流石にそこまで進んでいるとは思っていなかったようだ。

だが、夏頃にはここまで進むだろうとは思っていた。余命が一年として、その間に身体のプラスチック化が完了するのなら、既に三ヵ月──四分の一が経過したのだ。寧ろ僕としては、侵食が遅いと思うくらいに。


「一応私生活には問題ありません。でも、ここまで来ると、クラスの子たちに隠しきれるかが心配ですね」

「これからは幸い夏休みだから、人と接する機会も必然的に少なくなる。だが、問題は夏休み明けか」


身体のプラスチック化が更に進行した時、誰にもバレずに学校生活を送れるという保障はない。特に、一緒にいることが多い湊と花蓮には……。


「いつまでも隠し通せるとは思っていないので、覚悟はしてますけどね」

「多分、責められるぞ。一応担任としての所感だがな。あいつらは、隠し事をされると怒るタイプだ。二人揃ってな」

「よくわかってますね。そこに、重大な隠し事は更に怒る、っていうのも追加しておいてください」


よくわかる。

あの二人は良い性格で、友達思いで、親身になって話を聞いてくれる。

思いが強いからこそ、隠し事は許さないのだ。


「隠し通せなくなったら、自分から言った方がいいと思うぞ。バレて言われるより、何倍もマシだ」

「そうですね。その時になったら、考えます」


きっと自分から言うことはないだろうけど。と先生に聞こえない程小さな声で呟いて。いつかは気づかれる。全身がプラスチックになって気づかない人なんていないだろう。でも、僕は……言えないだろう。そんな勇気を持ち合わせていない。


重くなった雰囲気を切り替えるように、小林先生は口調を変えて僕の話に変えた。


「そういえばお前、今回の学期末かなり点数よかったろ。勉強したのか?」

「えぇ、まぁ。残りも少しですし、最後の年くらいテストも全力で取り組もうかなって」

「あくまで思い出作りってわけか。そんな一人で頑張って勉強してもつまらなかったろ」

「一人じゃないですよ」


ん?と意外そうに小林先生は振り向いた。


「てっきり一人かと思ったが……あぁ、幼馴染組か」

「いつも通りのメンバーですよ。何も変わりはないです」

「そうか……悔いが残らないように頑張っているなら結構。お前が学年順位を上げてくれると、俺も他の先生からの評判が上がるんでね」

「別に先生の評判はどうでもいいですけど……元から、生徒からの評判は良いって聞いてますよ?」

「どうせあんまり怒らないとか、そんな感じだろ?」

「概ね正解とだけ」


小林先生の評価が高いのは、基本的に学校のルールに寛容だから、という点が大きい。授業中に携帯が鳴ったとしても「俺は何も聞いてないから早く切れよ~」とだけで終わらせ、眠っている生徒がいても特に注意しない(どうかと思うけど)。

勿論、他にも授業がわかりやすい、相談に乗ってもらいやすい等の理由もある。

それらを踏まえた総合的な評価は良い先生、という評価に落ち着くわけだ。


「ま、生徒から信頼されているのは悪い気はしないな。嫌われるよりは何倍もいい」

「教師は嫌われてなんぼみたいなところありますけどね」

「いつの時代だよ。人間は誰だって嫌われたくないし、基本的に嫌われないように努力しているものだろうが」

「御尤も。僕も人から嫌われたくないですからね」


と、小林先生が不意に腕時計を見やった。

話してからそれなりに時間が経っているので、もうそろそろ昼休憩の終わりかもしれない。


「悪いな、こんな長い時間話すつもりはなかったんだが」

「いいですよ。昼御飯は食べ損ねましたけど」

「悪かったって。帰りに自販機で何か買っていけ」


言って、小林先生は何かを僕に投げ渡してきた。

余裕を持って両手で受け取ると、それはピカピカに磨かれた五百円玉だった。製造年は今年。


「自販機にしては多い気がしますけど?」

「ここで百円渡すほどケチじゃねぇよ。何なら、幼馴染連中にも買って行ってやれ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


こういうところも好かれる要因だとは、本人は自覚していないようだ。

とはいえ昼食も食べ損ねてしまったことだし、これは妥当な対価と考えるべきか。

時は金では買えないともいう。

僕は小林先生と一緒に屋上から校舎の中に入った。


同時に、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。

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