第15話 夏祭り
終業式が終わってから一週間ほどが経過した、七月二十六日、午後六時。
夏休みに入ってから最初の日曜日である今日、僕は少し離れた街の駅にある時計塔前に立っていた。
冬よりも日没の時間が長いため、まだ街は茜色。
駅には様々な人が集まっており、サラリーマンなどよりも圧倒的に多いのが浴衣を身に纏った若い男女の姿だ。皆意気揚々と何かを楽しみにしている様子で浮かれ、多くのカップルが手を繋いで去っていく。
幸せそうな彼らの後ろ姿を見送り、ショルダーバッグの中に入っていた携帯を取り出した時、脳天に軽い衝撃が走った。
「よ、待たせたな」
「ごめんね、遅れちゃって」
そう言って現れたのは、湊と花蓮のカップル。
二人共例に漏れず浴衣を身に纏っており、花蓮に至ってはとても高級そうな髪飾りまでつけている始末。勿論、和風のものだ。
両者ともに元々の容姿も優れているため、周囲から少し浮いた存在となっているのがわかる。
そんな二人に、僕は脳天を摩りながら抗議。
「前から言っているけど、挨拶代わりに叩くのはやめてほしい」
「前から言ってるが別に死ぬわけじゃないんだから、そこまで気にするなよな」
「死んだらどうするんだ」
「警察を呼ぶよ。一緒に罪を償おうね、湊」
「その前に友人を殺すような真似をやめて」
妙な所で息が合う二人に言い、僕は浴衣に話題を移した。
「それにしても、二人共よく似合ってるね。浴衣」
嫌味の一つでも言おうとしていたのだが、素直に褒め言葉しか出てこなかった。
湊は黒を基調としており、足に一匹の魚の輪郭が描かれた浴衣。帯は灰色。
花蓮も黒色を基調としているが、そこかしこに青や白の水連が描かれており、割合としては半々と言った模様。帯は涼し気な水色で、夏らしい。
並んで歩いていなかったなら、間違いなく二人共ナンパされていただろう。
「ありがと」
「そういうお前も似合ってるぞ。それ、親父さんのやつだろ?昔見たことがある」
そう。
僕が着ている浴衣はシンプルに藍色だけで、柄の入っていないデザイン。
昔父が着ていたものを捨てずに取っておいたのだけれど、着るタイミングがあってよかった。
「よく憶えてたね。随分昔の話なのに。それこそ、花蓮とまだそこまで仲良くなかった頃じゃない?」
「そうだっけ?でもま、あの時の祭りは人生で一番楽しかったからな。よく憶えてるんだよ」
「そんなに楽しかった覚えはないなぁ」
「お前がかき氷買って五秒で落とした奴だよ」
「それは湊的には楽しいのかもしれないけど、僕にとっては楽しい思い出ではないからね?」
と、その時。
「お、遅れました」
やや緊張気味……いや、思いっきり緊張した様子が伝わる声が聞こえ、僕は声のした方を向く。そちらに笑いかけ、手招き。
「そんなに待ってないから、ゆっくりおいで!」
急がなくていいと伝えつつも、彼女はやはり急いでしまう。
慣れない浴衣姿で走ろうとすると転んでしまう可能性も高い。やれやれと僕は肩を竦めながら、彼女の元へと歩み寄り手を掴んだ。
人混みも増してきたので、駅とは言えはぐれそうだ。
「こっち」
「う、うん。あの、ごめんね。遅くなっちゃって」
「全然待ってないよ。ほら、二人が待ってるから」
僕は浴衣姿──白の水玉模様が可愛らしい浴衣を着た優菜の手を引き、時計台の前で待っている湊と花蓮の元へと歩いた。
「おっす。遅かったな」
「嘘言わない。私たちもさっき来たばかりだから、全然遅くないからね?」
湊の冗談を叱った花蓮がフォローする図に優菜は苦笑。
仲良くできている、受け入れてもらえているようで安心した。
僕が湊と花蓮は大丈夫だと散々言い聞かせたが、やはり不安は不安だったのだ。果たしてうまくやっていくことができるのか。人を怖がる優菜がちゃんと受け入れるかどうか。心に傷を負った人は、そこに触れる者に機敏になるから。
だが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。最初に話した四月の時点で、その不安は解消されていた。
僕はそろそろいい時間だろう、と話し合う三人に呼びかけた。
「じゃあ、そろそろ行こうか──夏祭りに」
夏限定のイベントである夏祭り。
多くの人で賑わうこの行事に行こうと決めたのは、夏休みに入る直前の部室でのことだ。
◆
「夏祭りに、一緒に行く?」
「そ。実は最後に行ったのが、もう何年も前なんだよね」
懐かしいなぁ、と言いながらティーカップに口をつけると、眼前のソファの上で優奈が若干顔を赤くしながら動揺していた。
両手で顔を覆い、ぶつぶつと文言を呟いている。
交際経験のない乙女としては、かなり妥当……いや、理想的な反応といえるだろう。
年頃の男女が一緒に夏祭りに行くという行為は高校生カップルのデートの定番と言える。待ち合わせ場所に向かう時点で心臓は高鳴り、到着した時には既に到着している彼。ぎこちないながらも周囲の雰囲気も伴ってだんだんと近づく二人。
そんな中、遭遇したクラスメイト「付き合ってるの?」と問われ即座に否定。しかしどちらからともなく手を繋ぎ、再び歩き出す。
それはまさに、恋の夏。
まさかそんな。いやでも、間違いがないとは言い切れないし……。
頭の中でぐるぐると渦巻くそんな思考に、段々と優菜は目を回していき──。
「そろそろ我に返ってくださいな」
「ひゃあッ!!」
トリップしかけていた優菜の額を小突くと、彼女は大声を上げて後ずさった。
後ろは背もたれなので、逃げる場所などないのだけれど。
「そ、そんな夏が私にも来るなんて……」
「何を考えているのか大体察しがつくけど、そういうことじゃないから。ただ単に一緒に行こうって言ってるだけだからね。勿論、湊と花蓮も誘って」
つまり二人きりのデートではなく、いつもの四人で遊びに行こうというものだ。
湊と花蓮の二人に関しては付き合っているのでデート感覚になるのかもしれないが、別に僕と優菜は付き合っているわけではない。
変に緊張する必要はないのだ。
「最後に仲の良い面子で夏祭りに遊びに行くって、いい思い出作りになると思うんだ。久しぶりに行きたいっていうのもあるし、夏らしいことと言えばそれしかないからさ」
「もっと色々とあると思うけど……海とか」
「僕が素肌を晒せるわけないだろ?大騒ぎになるよ」
プールも同じだ。
水の中に入るということは、素肌を晒さなければならないということになる。
そうなれば、僕の半透明に変化した部位を不特定多数の人に見られる羽目に。症例の少ないこの病気に、人は好機の視線を向けることになるだろう。
僕は晴れて見世物だ。
「第一、光線過敏症で通してるのに、真夏の直射日光の下で遊べるわけないだろう」
「そっか……そうだよね」
「行きたかったの?」
妙に残念そうにする優菜に聞くが、彼女は首を振って否定した。
「そういうわけじゃないよ。ただ、夏と言ったら海っていうイメージが強かったからさ」
「まぁ、そうだね。そのイメージは大分強い。あーあ、僕もこんな病気じゃなければ海に行って、優菜の水着が見れたのになぁ」
「な──ッ」
冗談交じりに僕が言うと、真に受けた優菜は顔を赤くしてソファに置かれていたクッションを投げつけてきた。
意外と強く、容赦ない一撃。
回避もできずに顔面にそれを受けた僕は、一瞬視界が真っ暗に。
「んぶッ!」
「そういうことは冗談でも言わないでよ!!自分で言っていても恥ずかしいでしょ!?」
「恥ずかしかったら言ってないよ。きっと綺麗だろうなぁ、って思っただけ。でも現実に見るのは不可能だから、仕方なく想像だけに済ませるよ」
「想像しないでよ!!」
床に落ちたクッションを拾い上げた優菜は僕の頭を何度も叩き付ける。
柔らかいクッションなので痛みもなく、軽くポスポスと音を立てるだけのじゃれあい程度だけれど。
僕は振り下ろされるクッションを手で受け止めながら、いつまでも笑っていた。
◆
そんな経緯があり、僕らは四人で夏祭りにやってきたというわけである。
多くの屋台が開かれているのは、琵琶湖の近く。定刻になると、湖の上から大量の花火が空に向かって打ち上げられるため、そこに人が集まりやすいのだ。人が集まる場所に店を構えれば自然と売れていくもの。店の人もそれをわかっているのだ。
道中から既に人混みは凄く、少しでも離れれば簡単にはぐれてしまいそうな程。
「花蓮、離れるなよ」
「うん」
恋人同士の二人は慣れた様子で、花蓮が湊の腕を抱え込んでいる。
あれならはぐれることはそうはあるまい。
しかし、流石に僕と優菜はそんなことをするわけにもいかないの。しかし、あれはなくても手を繋ぐくらいのことはできるだろう。
と、僕は優菜に手を伸ばした。
「はぐれるよ」
「え?……う、うん」
戸惑いながらも優菜はおずおずと差し出された手を掴み、僕らは並んで先導する湊と花蓮の後ろについていく。
左手に伝わってくる体温が妙に熱く感じたのは、きっと気のせいだ。
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